国際空手道連盟 極真会館 東京城西国分寺支部

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もうひとつの独り言 2019年


2019.12.25

第三百七十八回 いつか、たそがれに帰った日 

 これは、かなり昔の話。現在の筆者は年末年始もろくに休みが取れず、実家に帰省することができない。それができた頃の話である。
 お盆や正月の休暇には、大勢の人々が故郷へと移動する。よって交通機関にはラッシュが発生し、チケットを確保するのも難しくなる。
 その年の筆者はスケジュールがギリギリまで確定しなかったため、新幹線の指定席を前もって入手することができなかった。で、無事に席を取れるかと思いながら東海道新幹線のホームに並んでいたのだが、一便やり過ごしたら座れた。二人席の窓側だった。
 となりには学生風の若者が座り、新幹線は定刻通りに発進したのだが、その直後に一人の老婆がやってきたのである。
 老婆は、何列もある座席の中から、よりによって学生のすぐ横の通路に立った。荷物を棚に上げたいと言って身を乗り出すので、学生はのけぞっていた。でも老婆は背が届かず、「ちょっと置かしてね」と言って、その荷物を学生の席についている小テーブルに置いたのだ。
 これは嫌だろう。席が埋まっているといっても、立っているのはその老婆一人だけだった。そして老婆はあきらかに席をゆずってもらうことを期待しているようで、学生も気まずそうにしている。
 ここは、席をゆずるべきなのだろうか?
 普通の電車なら、筆者はゆずっている。でも、新幹線なのだ。自由席で座ることを狙って、かろうじてそれを得た直後である。新大阪まで2時間半も立ちっぱなしになるのは、さすがに億劫だった。老婆も老婆で、座席にあぶれそうなら、筆者がそうしたように次の新幹線を待ってくれたらいいのに。
 すぐ横に立たれた学生は、プレッシャーが大きかったと思う。教科書にも載っていた吉野弘の有名な詩『夕焼け』ではないが、自分の良心に責められながら、学生はどこまでいけるだろう。新大阪まで行けるだろうか。
 やがて老婆は別の車両に移ったらしく、いつの間にかいなくなって、学生もホッとしたのか、そこでようやく漫画雑誌『週刊ゴラク』(渋いのを読むねえ)を開いた。
 筆者は、光瀬龍の『たそがれに還る』というSFを読んでいた。
 新大阪から大阪に移動し、紀州路快速へ。窓側の席から見える大阪の風景はきれいで、西九条駅の入口の明かりがオレンジ色で暖かそうだった。
『たそがれに還る』は車内で読了した。中央線の中から読み始め、待ち時間も含めて計6時間弱の移動中に丸ごと一冊読んだことになる。車窓の外は夕暮れで、文字通り「たそがれに帰る」だった。ストーリーは完全に忘れたが、抜き出しているフレーズがある。

☆「すべての人々が、ある目的のために一つになって動いている時は、そしてその中から自分だけぬけ出すということが許されないならば、せめて形だけでも人々のまねをすることだ。せめて形だけの救いがあるだろう。それが居場所というものだ。」光瀬龍『たそがれに還る』
 次回の木曜日は正月に当たるため、更新は1月9日になると思います。




2019.12.19

第三百七十七回 ルパン三世の映画 

 この忙しい時期に映画を見てきた。ぽかっとあいた時間を利用してのことである。
 見たのは『ルパン三世 THE FIRST』。筆者は映画を見る場合、事前にいっさいの情報を遮断する。サイトも覗かないし、ネット評も見ない。予備知識なく見た方が楽しめると思うからだ。が、ときに失敗もある。たとえば古い作品だが『ハンニバル』などは、ジョディ・フォスターが出演していないと知っていれば見に行かなかっただろう。
 今回は、ファーストシーンで実写かと思った。ある重要なアイテムが大写しになり、そこに人物の手も添えられていたのだが、手だけだと実写に見えたのだ。
 失敗だった、と思ったら、CGアニメだった。ルパンなので普通のアニメ作品だと思っていたのだ。いや、そもそも上映していることすら知らなかった。アジアジからのメールで知らされたのである。しかも強烈に薦められた。
 あまり気は乗らなかったが、アジアジを信じて見ることにしたら、結果としてこれがアタリだった。
 ルパンといえば、筆者などはテレビ版第2シリーズの影響か、おちゃらけたキャラクターの印象が強いのだが、もともとのモンキー・パンチ先生の人物設定では、IQ300という高知能なのである。今作は、その頭脳明晰さを発揮する場面が多いのも良かった。
 最初は気になったCG動画(なんていうのだろう)も、意外とすぐに馴染んだ。
 たとえば敵の巨大飛行機を次元が見あげる場面では、帽子のフェルトっぽい質感までリアルに表されていて、むしろ通常のアニメよりもいいような気がしてきた。山崎監督は、かぎりなく実写に近い映像を目指し、それでいて実写にはしたくなかったのだろう。
 劇場版第2作の『カリオストロの城』の影響およびオマージュのような仕掛けが随所に見られたが、もちろん確信犯でやっている。ラストシーンもそうだった。
 特筆すべきは声優の方々である。ルパン役の栗田貫一さんは、山田康雄さんの後を引き継いだ当初はぎこちなさがあり、ルパンフリークだった筆者の友人などは、「山田康雄でなければ見る気がしない」と言って視聴を辞めてしまったぐらいだが、現在の栗田さんは、ほかに考えられないほどルパン役が板についていると思う。
 銭形警部の山寺宏一さんも、石川五右衛門役の浪川大輔さんも、まさにはまり役。中でも峰不二子を演じた沢城みゆきさんは、天才かと思えるほどぴったりだった。
 ヒロイン役の広瀬すずさん、敵役の藤原竜也さんも、本業の声優さん顔負けの演技力で、最高のキャストで固められた映画になったと思う。それができたのは、やはりスタッフがルパン作品を非常に愛しているからだろう。
 唯一、次元大介役の小林清志さんが、さすがにご高齢(もう80代)で、滑らかなセリフ廻しに無理があるようではあったが、しかし小林清志が演じているということ自体が嬉しい、とも言える。なんせ『妖怪人間ベム』のベム役をやっていたほどのベテランで、ずっと次元の声を担当していた人なのである。
 最後に流れる主題歌も良かったし、いかにもルパンファンが求めているものに完全に応えられた映画だった。今回は、アジアジを信じて正解だったという例である。




2019.12.12

第三百七十六回 コタツに乾杯 

大学生などがアルバイトを探す媒体として、求人情報誌というものがある。今ならウェブ上で見つけられるかもしれないが、筆者の学生時代は、『フロム・エー』などの雑誌を頼りに探したものだ。
 中には「日刊」で発売されているものもあって、これが利用しづらかった。早起きして発売早々に買い求めないと、好条件のバイトの空きはすぐに埋まってしまうのだ。
 さて、ずいぶん前のことなので、もしかしたら記憶ちがいかもしれない……と断っておくが、何らかの求人情報誌の巻末に、読者同士による情報交換のコーナーがあった。
 たとえば、いらなくなったギターを○万円で売ります、とか、バイクを安く売ってくれませんか、とか、そういう貧乏な大学生のための売買情報が掲載されていたのである。
 そして貧乏な大学生の一人であった筆者も、たった一度だが、それを利用している。
 どんなアイテムが目にとまったかというと、コタツだった。
 コタツを格安で譲ってくれるか、もしかしたら無料だったかもしれない。
 提供主の方は学生ではなく、新婚らしきご夫婦で、お住まいは筆者がほとんど行くことのない、新宿より東側の区だった。
 ただ、「車で取りに来られる方」という条件があった。車で取りに行けないのに……それ以前に車さえ持っていなかったのに、なぜ申し出たのか、自分の気がしれない。
 見落としていたのだろうか。いや、でも、今こうして思い出せるぐらいなのだが。
 とにもかくにも、細かい経緯は忘れたが、郵送で送ってくれることになったのである。
 相手の方にとっては、大変な手間を取っていただくことになったと思う。送る作業だけでも面倒なのに、(このあたりは覚えていないのだが)まさか送料も負担してくださったのなら、迷惑もいいところだろう。
 しかも筆者は、誌面を通じて連絡を取っただけの、面識のまったくない学生なのだ。タイムマシンがあったら、「迷惑をかけるな、自分で取りに行け!」と過去の自分を叱りとばしたい。
 コタツが届いた日は、感激して電源を入れた。高校時代からの友人を部屋によんで、初稼働のコタツで乾杯した。つまりコタツに入って乾杯したということだが、それは同時に「コタツに乾杯」でもあった。
 ゆがんだ窓枠からすきま風の入る6畳一間の風呂なしアパートに住んでいた当時の筆者にとって、唯一の暖房器具であるコタツは、さながら冬に降臨した神様だったのだ。
 くださった相手の奥さんには、一度だけ電話でお礼を述べ、手紙のやり取りも一回だけあった。赤くて可愛らしい封筒で、まだ二十代の奥さんだったと思う。学生時代に一回読んだきりで、もったいなくて読み返せないが、この手紙は今でも取ってある。
 たしか、「苦学生の方に」と書いてあった。取りに来るのは「やっぱり大変ですよね」と、こちらを気づかってくださっていた。お菓子なども用意して、お話しできたら……と思っていた、という意味のこともあった。
 ご厚意に支えられていたのだ。若くてバカだった筆者は、見知らぬ方の親切に助けていただいていた。そのことを忘れたら、生きている資格はないと思う。




2019.12.5

第三百七十五回 歯は命(復活編) 

『完結編』があったのに、いけしゃあしゃあと『復活編』とは、まるで『宇宙戦艦ヤマト』のようだが、劇場版『ヤマト 復活編』が大駄作であったのと同様、今回の内容もほとんど意味がない。
 一通りの歯の治療が終わり、7ヶ月ぶりに定期検診に行ったところ、また虫歯が見つかったのである。
 前のときも黒ずんでいたので危険視はされていたようだが、通っていない間に進行したらしい。神経にまで達していなくて幸いだった。
 それにしてもいい大人が6本目の虫歯である。去年の11月に治療を始めたのだが、歯医者さんに行ったのが12年ぶりだったので、それまでの自堕落な生活のツケを一気に払うことになったわけだ。
 虫歯が発見されたのは、銀のかぶせ物をした内部だった。
 かぶせ物の治療をしたのは1993年だから、もう26年も前のことになる。よく保ったほうだろう。前に書いたが、筆者がギョウザ定食を食べて口をゆすがないまま行ってしまった、あの歯医者さんだ。
 かぶせ物を剥がし、実に26年ぶりに外気にさらされた内部の虫歯菌をすべて削ってもらった。またもギュンギュン、ガリガリの「口内工事」である。
 とにかくこれで6本すべての治療は終わった。今度は銀のかぶせ物のかわりに、白い高級なやつを選んだので、そのぶん値段は高い。この一年の歯科治療で、総額15万円ほど使っている。投資と考えると背に腹は代えられないが、実質、虫歯よりも「痛い」出費だ。
 もう虫歯などにならないよう、5分間以上の歯磨きを習慣化したが、新しい習慣としてフロスもすることにした。
 フロスはしかし、めんどくさい。めんどくさいが、ひとたび習慣化されれば億劫ではなくなるだろう。現在の筆者は、その課程にある。
 歯の知識のある人にとってフロスは常識のようだが、ためしに身の回りの人にきいてみたところ、身だしなみや勤務態度がきちんとした人は、たいていフロスをしている傾向にあった。やはり健康に対する意識が高いのか。
 一口にフロスといっても色々ある。筆者が試したのは、丸い容器の中に巻かれて収納されているやつと、平たい把手つきで口の中に挿入するやつ、または先が「Y」字型になっていて、その両端に糸が張り渡されているやつの3タイプ。
 筆者のように不器用で、手が邪魔をしてなかなかうまく奥歯に糸を差し込めない場合は、三つ目のタイプがもっとも使いやすかった。丸い容器に収納されているやつは、糸を引っ張り出して、適当な長さで切って使う。このタイプがもっとも経済的である。
 ところで、一般の人よりも歯を噛みしめる機会の多い空手家の皆さんは、そして師範は、フロスをされているのだろうか。
 張り詰めた糸のギリギリギリ……ときしむ感じが、あるものを連想させるのだが。
 そう、三味線屋の勇次である(そんなことを連想するのは筆者だけか)。




2019.11.28

第三百七十四回 淡麗より原酒 

 11月のうちからクリスマスツリーを飾るのはやめて欲しい。駅前には見あげるような巨大ツリーが飾られ、それが夜にはイルミネーションで輝き、横断歩道の信号が青になるとクリスマスのメロディーが流れ出す。
 このところ寒くなってきたが、11月の半ばにはまだ暑い日もあった。せめて12月になってからにしてもらいたいが、製作する側の人にしてみれば相当なお金をかけているわけだから、せっかく作ったものをできるだけ長い期間人の目に触れさせておきたいのかもしれない。
 だいたい世の中は先取りしすぎである。雑誌の「○月号」というのも一ヶ月早く、子どもの頃は、なぜ来月の号が売られるのだろうと疑問だった。
 ビールも、残暑がうだるような時期に「秋」がついた銘柄が発売されるし、まだ寒くならないうちに「冬」の商品に変わっている。これも早いと思う。
 でも、もう寒くなったし、いよいよ冬。これから年末にかけて忘年会のシーズンになる。
 忘年会といえばお酒だが、自分でも信じられないことに、筆者は現在、日本酒をみずから戒めている。つまり呑んでいないのだ。
 7月に入ってからだから、もう5ヶ月になろうとしている。こんなに続くとは思わなかった。
 ただし、それは家で飲む場合で、外の店で誰かと飲む時はつき合うことにしている。といっても、今年は飲むことが少なく(去年の10分の1回ほど)、7月からたった2回しか店で飲んでいない。どちらもアジアジとで、2回目はこの前の世界大会の最終日だった。
 なぜ日本酒断ちを思い立ったかというと、日本酒があまりにも美味しいからだ。つい飲み過ぎて、翌日に残ってしまう。この点、焼酎や泡盛なら大丈夫だが、日本酒は次の日の午前中に影響する。
 ようは、日本酒の美味しさを取るか、翌日の活動か、どっちを選ぶかなのだ。
 それで後者を選んだというと、いかにも潔いようだが、決断したのは今年になってからのことで、それまではずっと酒のほうを選んでいた。やらなきゃいけないことの量に押されて、ようやく重い腰をあげたのだ。
 筆者は昔から日本酒が好きだった。昔、というのは(褒められたことではないが)未成年の頃からで、もっと言うと小学6年生のお正月にお屠蘇で初めて日本酒を口にし、その一口で美味しいと感じて、おかわりをした記憶がある。
 ちなみに、酒粕は小学一年生の頃から大好物の「お菓子」だった。香ばしくて濃厚で、冬になるとストーブの上にのせた網で焼いて、よく食べた。が、あれもビール程度のアルコールが含まれているというではないか。親はなぜ許可していたのだろう。
 そんなわけで、日本酒はしっかりと濃いほうが好きだ。原酒も好む。
 いつからできた言葉なのか知らないが、「淡麗」など、筆者には薄めているだけにしか思えない。それを「淡くて麗しい」などと、よく言ったものだ。まるで「治安維持法」のような言葉のまやかしではないか。
 などと書いていると、日本酒を飲みたくなってきた。これからは熱燗が美味しい季節になるし、お正月には飲まずにいられるだろうか。




2019.11.21

第三百七十三回 本を読まなくなる理由 

 読書離れが叫ばれて久しいが、筆者の周囲では、大人よりも子どものほうが本を読んでいる。とくに小説(物語)を読んでいる人は圧倒的に子どものほうが多い。
 文学作品を読むのも若い頃だろう。歳を取ってからだと似合わない。と言いつつ、筆者はこれを書いている今現在、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読んでいるのだが。
 似合うか似合わないかという他人の目など知ったことではない。これまで名作と言われる世界の古典的文学作品を読まずにきたことに少しばかりコンプレックスもあり、また興味もあったので読もうと思った次第。
 訳は10年以上も前に話題になった亀山郁夫訳の光文社文庫版で、じつはその当時に買ったまま放置し(いわゆる「積ん読」状態)、今になって手に取ったのである。
 まだ1巻だが、正直言ってしんどい。どうでもいいような内容が延々と続き、ものすさまじく退屈。というと「文学がわからない人」だと思われそうだが、ホント、読むのが苦痛ですらある。5巻まであるのだが、これから面白くなるのだろうか。
 ドストエフスキーといえば、過去に『罪と罰』は読んだ。岩波文庫の新訳でサクサクと読み進み、ストーリー展開も、文学というより娯楽のスリラーのようで、『カラマーゾフ』とは大違いだった。
 ちなみに筆者は、トルストイやバルザックやスタインベックはまったく手つかず。一冊も読んだことがない。『魔の山』や『怒りの葡萄』も買ったまま積ん読だ。
 フランス文学の某作品など、訳文がひどく読みづらく感じ、同じ行を何度も目で追うこともあった。で、ふと訳者のプロフィールを見ると、1900年代初頭の生まれで、とっくに亡くなっていた。そりゃ文体も古いはずだ。
 読んだ中で、オールタイムベストというほど気に入っているのが、エミリ・ブロンテの『嵐が丘』とメルヴィルの『白鯨』。あとはスタンダールの『赤と黒』ぐらいか。
 日本文学のほうが読んでいるが、森鴎外は手つかずで、山本有三や有島武郎や武者小路実篤などは、どこがいいのかわからない。谷崎潤一郞は切れ味の鋭い短編のほうが好きで、(まったく自慢にならないが)代表作と言われる『細雪』は上巻の途中で投げ出した。
 なんでも四人姉妹の三女か四女の縁談の話が延々と続き、会話に度々はさまれる「ふん」という言葉が鼻について「ふんふん言ってんじゃねーよ!」と読むのをあきらめたのである。
 そんわけで、最近はもっぱら仕事に必要な本しか読まなくなった。
 なぜだろうか。おじさんが小説を読まなくなるのは。
 漫画の原作で一世を風靡した故・梶原一騎先生は、子どもたちはこれからの人生をどう生きるかという解答を漫画に求めている、という意味のことをインタビューで答えていた。
 それなら漫画にかぎらず、物語という点で小説にも当てはまるので、歳とともに読書しなくなる理由もわかる。
 世のおじさんたちが時代小説を読むようになるのも同じ理由だろう。苦境を切りぬける知恵や生き方を、小説家が創作した登場人物ではなく、(作家の脚色があるといっても)歴史人物から学ぼうとするのではないか。




2019.11.14

第三百七十二回 ボクシングとクジラ 

 先週の7日(木)にボクシングのスーパーシリーズ、バンタム級の決勝戦、すなわち井上尚弥VSノニト・ドネアの試合がおこなわれ、筆者も録画して見た。
 井上尚弥といえば、「怪物」とか「日本ボクシング史上最高傑作」などと呼ばれ(実際そうだと思う)、世界チャンピオンを1ランドや2ラウンドでバタバタKOしているハードパンチャー、そして国内のみならず世界中でも注目を集めているスーパースターである(ことは言うまでもないか)。
 先の試合も、世界戦を前座にした豪勢なカードで、結果は井上の判定勝ち。その内容たるや、あまりにハイレベルで、筆者が今まで見たボクシングの中で最高の試合だった。
 ボクサーといえば、昔は辰吉や亀田のようにヤンキーっぽいキャラクターのイメージがあるが、井上尚弥は都会的に洗練されたキャラクターで、イケメンでもあり、まったくタイプがちがう。
 さて、突然だが、クジラである(ほんとに突然だ)。
 なにかって、ボクシングとクジラには意外な共通点があるのだ。
 それは、ネーミングが身も蓋もない、ということ。
 たとえば、セミクジラはなぜ「セミ」なのかというと、昆虫の「蝉」とは関係なく、背中が美しいから、つまり「背美」だというのだ。
 ナガスクジラは、全長が長いから(長す)で、シロナガスはもちろん色が「白い」ことが付け足されているだけ。
 イワシクジラは、主な食物がイワシだから、そう名づけられたのだとか。食っているものに逆に「食われている」ともいえる。なんとも主体性のないネーミングである。
 ニタリクジラはもっとひどい。「ナガスクジラに似たイワシクジラ」、すなわち、ほかのクジラに「似たり」ということで、またまた主体性皆無の名称だ。
 一方、ボクシングの階級も、これまた身も蓋もない。
 ライト級、ミドル級、ヘビー級などは納得。ウエルターも「Welt(強打)」からきているのでいいが、軽量級になると、たとえばスター選手を多く出しているバンタム級でも、バンタムというのはチャボのことだという。あの鶏の一種のチャボだ。
『はじめの一歩』などのフェザー級は「羽根」。いくら軽量だといっても、羽根あつかいはないと思う。そんな由来だと破壊力も疑わしくなるではないか。
 もっとひどいのは、フライ級。ずばり「ハエ」だ。
 アマチュアのジュニアには、ピン級というのもあるらしい。どんなに減量して細身でも、ピンはないだろう。
 ほかにも、ストロー級、ミニマム級、そして、モスキート級。ひ、ひどい……。ほかに名づけようはなかったのかと思えてくる。
 と、ここまで書いていちおう調べてみたら、「モスキート級」というのが無い。昔はあったように記憶しているが、無くなったか変更されたのだろうか。
 そう、もっといい名称に変更しないと、その階級に所属している選手に気の毒ではないか。




2019.11.7

第三百七十一回 12回目の世界大会 

 今月(11月)の22日、23日、24日と、4年に一度の極真世界大会が開かれる。
 4年前といえば、もうこのブログが始まっていて、たしか海外の選手の名前をいじった内容を書いた覚えがある。
 筆者が初めて極真の世界大会を観戦したのは、第5回(フランシスコ・フィリォがアンディ・フグをKOした大会)だったが、このときの衝撃は忘れられない。なにしろ大山倍達総裁がご存命で、極真がまだひとつだった頃なのだ。今でははるか歴史の彼方である。
 というか、大山総裁が演舞をされた最後の大会であり、我々は観客席からそれを生で見ることができたのだから、極真会館の歴史的にも特別な大会だったことは間違いない。
 そして極真がひとつだったということは、選手層も現在よりはるかに厚く、濃かったということだ。
 言うまでもないが、大山総裁亡き後、分裂に分裂を重ねた挙げ句、多数の団体が「極真」という表記を掲げている現在の状況は惨憺たるものである。当然、世界中の選手の層も分散されている。
 それだけに、国際空手道連盟極真会館として一つにまとまっていた時代の「世界大会」が夢のような輝きを持っているのである。
 一観客としてのわくわく感を、筆者は今でも覚えている。世界中から集まった250名の選手が3日間にわたって世界一をかけて戦うのである。こんな格闘技のトーナメントがほかにあるだろうか。
 決勝がおこなわれる3日目の最終日など、筆者は東京体育館のある千駄ヶ谷に向かう電車の中で、すでに落ち着かず、周りの乗客に対して、
「みんなどこへ行くんだ。これから東京体育館ですごい試合がおこなわれるのに、それを見に行かないのだろうか。どうかしている」
 と思ったものだ。漫画のような滑稽さだが、ほんとにそう思っていた。もちろん大きなお世話だろう。
 千駄ヶ谷の駅で降りて、すぐ先の東京体育館が見えてくると、
「あの中に、○○や○○がいるんだなあ」
 と、また感慨深く思った。○○は選手の名前である。
 にじみ出るような強い個性をもつ選手が大勢集まっていた。とにかく熱かった。
 道場生としては、江口師範がおっしゃるように、最高峰の技術を目の当たりにできるのだから勉強になる。それに加えて、筆者は「選手そのもの」が目的で見に行っていた。
 今から思えば、見たいのは、試合を通しての生きざまだったように思う。それほど好きで楽しみで、世界大会といえば、何を差しおいても見に行くべきだと感じていた。
 自分でもさびしいことに、現在の筆者はその感覚をなくしているが、アジアジからは今でもそれに近い情熱を感じ、いささか羨ましい。
 それにしても、4年に一度の大会が、もう12回なのか。月日がたつ早さを感じるとともに、極真はすごいなあ、とも思う。




2019.10.31

第三百七十回 台風がやってくる 

 千葉に大きな被害を与えた15号、そして首都圏の交通機関をかき乱した19号につづき、さらに二つの台風が発生、その後コースを逸れていったが、先週はまた記録的な大雨による被害の報道が。
 なんだか災害の規模が大きくなっていて、ニュースを見ると気が滅入る。
 台風といえば、かつては九月の災害だった。それも大規模な停電や水不足といった甚大な被害には至らない程度の、初秋の風物詩のようなものだった。
 それが今は10月の下旬になっても首都圏の交通網を掻き乱し、近隣の小学校に避難勧告が出されるまでの警戒レベルにまで発展している。
 これも温暖化の影響だろう。十月になっての熱帯性低気圧の連発現象を顧みると、やはりその影響は否定できないと思う。
 15号がもたらした被害の大きさを考えると、それ以上の強大さが叫ばれていた19号接近に備えるのは当然で、スーパーに行くとレジ前には長蛇の列ができていて、非常事態の到来を意識した。
 筆者などは、カセットコンロに使用するガスボンベにしても、懐中電灯に使用する単一乾電池にしても、すべて売り切れている現状を目の当たりにして、自分の対応の出遅れを痛感せざるを得なかった。
 一方で、氾濫する川を見物にいく人々もいたらしく、その心理が分析されているニュースもあった。
 不謹慎を承知でいえば、筆者自身、子どものころはそうだった。台風がくると心が騒いだ。そんな経験はないだろうか。
 出身が和歌山なのだ。よくニュースで「台風が紀伊半島に上陸しました」と言われる、あの紀伊半島である。大荒れの海を見に行こうとして叱られ、止められた経験があるので、川を見に行こうとする人を笑うことはできない(海などもっと危険だ)。
 小学生のころは、台風で学校が休みになると、その嬉しさもあってテンションがあがり、友達と台風の中を竹馬に乗って遊んだことがある。強風にあおられながら進む竹馬は、ものすごく面白かった。でも、近年の台風はそんな遊びを許さないほど悪質で、被害が大きい。
 台風が通りすぎた後の海に潜ったこともある。
 海中の景色を見てびっくりした。
 岩が白いのだ。海底には巨岩がゴロゴロしていたのだが、以前は海藻やコケがこびりついて青黒かったそれらが、漂白されたように真っ白になっていた。
 台風によって洗われたらしい。おそらく海の中が洗濯機状態だったのだろう。海水がごうごうとうねり、海藻などがすべてこそげ落とされたのだ。恐るべきパワーである。
 筆者の母は子ども時代、やはり台風一過の後で海岸に行くと、砂浜に多数の魚介類が打ち上げられているのを見たという。その中には、サメが三頭いたとか。
 サメが打ち上げられている砂浜を筆者も見たかったが、たしかに海の中の生きものにとって、台風はたまったものではないだろう。岩場の陰に身を潜めるしかないのではないか。




2019.10.24

第三百六十九回 ド素人の観戦記 

前回の江口師範のブログを読んで興味を持ち、この前の日曜日におこなわれたラグビーのワールドカップ準々決勝の試合を観戦した。
 筆者は基本的にテレビを見ない。必殺シリーズが放送されなくなってから、とくにドラマには関心がなくなっており、前にテレビを見たのもスポーツで、夏の高校野球の星陵高校の試合だった。
 ラグビーの試合を見るのは生まれて初めてのことで、もちろん情報には疎く、ルールも知らない。
 それでも面白かった。テレビをつけたときには、開始から15分ほど過ぎていて、早くも5点が入れられていた。
 相手チームの南アフリカは、ワールドカップで二回優勝している強豪である。日本チームの中にも「南アフリカの人かな」と見まがう選手がいたが、ユニフォームで見分けられた。
 見ているうちにルールもなんとなくわかってきた。激しい球技である。走り、投げ、受け取り、蹴り、ときにはゴールに突進し、ぶつかり、転がり、がっつり組む。タックルやスクラムやトライという言葉は、このスポーツの中で使われるのだ。
 昔読んだ石原慎太郎の初期の短編小説で、ラグビーをやっていて試合中の事故で半身不随になる物語があったが、これだけ組みついたり転がったりしていれば、そのような事故も起こりうるであろう。
 ほかの球技ならボールを手にしている選手に接触すれば反則なのだが、ラグビーだとそれがルールで認められている。インターバルをはさんで40分動き回るというのは、相当しんどいはずだ。
 流れの中で突き飛ばすようなシーンもあり、あやうく乱闘になりそうな展開もあるが、そうならないのはスポーツマンシップに則っている理性的なプロだから。
 実際、カメラが芝生の上をかすめるようなアングルから球場をとらえ、満席の観客席が見渡せるシーンもあったが、何万人もの観客が注視する中で、みっともない行動はできないだろう。
 思えばスポーツのプロというのはすごいものだ。極真でも全日本に出場された方は経験されているが、東京体育館などの規模の会場で、万を超える観衆の視線を一身に浴びながら実力を発揮するのだから。
 ラグビー熱も急に盛りあがった昨今だが、選手たちはそんなことにかまわず、これまでもずっとハードな練習をこなしてきたのである。
 終盤、26対3という状況でも両チームともに得点に執着し、熱いプレーが繰り広げられていた。点差は広がるばかりで結果は日本チームにとって残念だったが、見応えのある試合だったことは言うまでもない。会場に足を運んで生で観戦したら、なおさら感慨深いだろう。
 それにしても、スポーツ選手ではない一般人にとって、(翌日からはまた会社に行くという)日曜日の夜にビールでも飲みながら球技の試合を見るというのは、なかなか楽しい娯楽のひとときであると実感した。




2019.10.17

第三百六十八回 早く人間になりたい 

 前回触れた『妖怪人間ベム』だが、筆者自身はリメイク作品を視聴していない。そんな気も起こらないほど旧作がすばらしかったのだが、見ていない以上は何も言えないだろう。
 ただ、マイルドに作られているという話は聞くし、今の現役の小学生で旧作と見比べた子が(ご両親が持っているらしい)、旧作の方が「ものすごく怖かった」と言っていた。
 余談だが、『恋人よ』で有名な歌手の五輪真弓さんは、テレビ出演が多かった当時、『妖怪人間ベム』の「ベラ」に似ていると、心ない子どもたちのあいだで噂されていた。
 筆者にとっては、とくに最終回『亡者の洞窟』など、今でも忘れられないトラウマ級の怖さと衝撃を記憶している。(以下、『亡者の洞窟』のネタバレがあります!)
 なんでも人間の魂を取って食うバケモノの姉妹がいて、その魂を食ったあとのぬけがらの人体を、屋敷の(地下だろうか?)穴に放り込んでいるのだ。ゴミあつかいである。
 そのぬけがらの人々が、まだ生きているのか死んでいるのかわからない(題名は『亡者の洞窟』となっている)。とにかく亡者のわりに動くことができる。
 屋敷に囚われ、これから魂を食われるのを待つ人々が、「ああ、また聞こえてきた」と悩ましげに言うと、地下から「あぁ~あ~あ~」という呻き声が聞こえてくる。そして亡者が「ポイ捨て」されている穴(これが洞窟?)が描写されるのだが、そこには幽鬼のごとく痩せこけた青白いギョロ目のブキミな半死人たちが、みな腕を伸ばして呻いている。
 筆者の記憶だけで書いているので、細部にまちがいがあるかもしれないが、大まかにはこんな感じだろう。この屋敷のバケモノ姉妹は、ベムたちに倒されるはずだ。とにかく亡者たちの描写が忘れられないほど怖い最終回だった。
 しかし、思うのだが、子どもが怖がらないように配慮して作られたホラーって、その対象となる子ども本人にとって、面白いのだろうか。
『妖怪人間ベム』が作られた50年前とまではいかなくても、70年代には強烈に怖いホラーが、子ども向け作品の中にあった。
 たとえば、日野日出志。容赦がなかった。グロテスクな絵柄で、かつスプラッターな描写が満載されているのに、どこか耽美でもの悲しく、不条理なストーリーに魅了された。
 そう、不条理なのだ。作者や編集者や制作スタッフが「子どもたちにショックを与えないように」やさしく配慮した作品には、それがない。しかし現実の世の中に不条理があることぐらい、子どもはもう知っている。
『妖怪人間ベム』や日野日出志や『漂流教室』といった作品は、世の中の不条理を垣間見る窓だったのだ。楳図かずおの『漂流教室』も、何の罪もない小学生がバンバン死んでいく。これも、とんでもない漫画である。本気で怖いが、壮大なスケールで描かれ、ページをめくる手が止まらない。そして感動する。
 子どもは敏感である。大人の余計な気遣いや過保護意識、そして媚びまで、一瞬で見ぬいてしまう。自分たちに配慮してマイルドに作られたものを軽んじ、見ぬきもしない。
 もちろん倫理的な規制は必要だが、制作側は教育委員会ではないのだ。怖いが、心を揺さぶられるパワーをもった物語こそ、記憶に残るのである。




2019.10.10

第三百六十七回 早く人間になりたい 

 ということは、今は人間ではないわけだ。
 何の話かって、わかる方はサブタイトルだけでわかっておられると思うが、『妖怪人間ベム』である。
 例によって若者にはわからない昭和アニメのネタだが、どうもリメイクされているようなので、あながち知らないとは言い切れない。
 ここではもちろん旧作(というか、それしかない!)のほうである。
 なんで今ごろ『妖怪人間ベム』なのかというと、DVDマガジンが発売されたからだ。
 全3巻で、テレビ放送の全26話を収録。しかも未放送の2話もおまけでつき、1巻が税抜きで1500円。これは相当安い。かつて同作品のDVDBOXを買おうと試みた筆者だが、値段が高くて断念していた。それが全話入っていて4500円というのは信じがたい廉価である。この企画を出してくれた人に感謝だ。ちなみにDVDマガジン発行のきっかけは、テレビ放送の50周年記念だというから、かなり古い作品なのだ。
 筆者の子ども時代には、何度もくり返して再放送されていたが、「それは、いつ生まれたのか誰も知らない。暗い、音のない世界で、ひとつの細胞が増えてゆき、三つの生きものが生まれた」という不気味なナレーションとともに、「闇に隠れて生きる」というジャズ調の主題歌が印象的だった。
 さて、現在の筆者はDVDを視聴できる環境にないので、せっかく3巻とも買った『妖怪人間ベム』もまだ鑑賞できていないのだが、まったく知らない人のために書いておくと、この物語、ベム、ベラ、ベロという半妖怪の3人組が主人公である。
 ベムは鋭いステッキを持った色黒で白目の男性、ベラは色白で髪を真ん中分けにした女性で「ベラの鞭は痛いよ」と言うように鞭が武器。そしてベロが視聴者に同調した少年で、タイトルが『妖怪人間ベム』のわりに、ほとんど物語はベロを中心に動いていく。
「オイラ、あやしい者じゃないよ」と言うベロだが、3本指であり、客観視して十分あやしい。彼らはその異形ゆえに、どの街へ行っても人間世界になじめず、疎外感と孤独を味わうことになる。ただし、大人とちがって偏見のない子どもと、ベロはすぐ仲良しになる。
 彼らが特殊な力を発揮するために妖怪に変身した姿は、かなりグロテスクで、通常のアニメでは完全に敵役の外見だったが、それが悪を倒す主役なのである。背景もヨーロッパ風で、細く尖った三日月や、枯れた枝をグネグネのばした樹木など、いかにも不気味だった。
 そして、もちろんストーリー。マジで怖い。恨みや怨念といった人間の暗い情念をあからさまに見せつける。子ども向けのアニメなのに、こんなに不気味で怖い本格的なホラー作品がよく作られたものだと思う。
 なんでも、リメイクされた作品は、映像こそきれいになっていても、あまり怖くはないらしい。ベラが女子高生になっているヴァージョンもあるという(どういう作品だ)。
 子どもに刺激を与えすぎないようにという配慮だろうか。でも、それで面白いのだろうか。
 旧作は本当に怖かったし、ショックも受けた。でも、心に残った。余計な気遣いをせず、子ども相手に容赦のない恐怖をぶつけてくれた当時の制作スタッフに感謝である。




2019.10.3

第三百六十六回 もしも友達が転んだら 

 御三家といっても、徳川家の紀伊・水戸・尾張に関する話ではない。
 また、西城秀樹・郷ひろみ・野口五郎の話題でもない(古すぎる!)。
 筆者などは職業柄、御三家といえば、私立中学校の(男子なら)開成・麻布・武蔵、(女子なら)桜蔭・女子学院・雙葉が思い浮かぶ。
 私立だから、どこも個性が強い。はっきりとしたカラーの違いは入試問題にも校風にも顕著に見られ、受験する子たちも、自分に合ったところを選んで受けることになる。
 このうち、女子御三家の学校について、業界ではそれぞれの校風をあらわした有名な例え話がある。ちょっと面白いので、ここで書いておく。
 ご存じない方のために校風を紹介すると、雙葉は品行方正で真面目、女子学院は個性的で自由奔放、桜蔭は聡明な文学少女、ということで知られている。
 で、誰が考えたのか知らないが、こんな命題があるのだ。
「もしも道ばたに空缶が転がっていたら?」
 それぞれの生徒は、異なる反応をするという。
 雙葉の生徒「拾って、きちんとゴミ箱に捨てる」
 女子学園の生徒「缶蹴りを始める」
 桜蔭の生徒「歩きながら本を読んでいて、空缶に気づかない」
 もちろん全員がそうするわけではなく、あくまでもイメージなのだが、「鳴かぬなら……ホトトギス」の句と同じで、なかなか的を射ている。
 最近では、これに新しいヴァージョンができたという。
「もしも、となりで歩いている友達が転んだら?」
 どうするか、という命題だ。
 雙葉の生徒「大丈夫? と心配して助ける」
 女子学院の生徒「笑う」
 桜蔭の生徒「この子はなぜ転んだのだろう? と理由を分析する」
 というもので、やはり桜蔭がオチになっている。
 ギャグっぽくされているが、この三校はいずれも中学受験における偏差値で女子最高峰の私立中学校である。
 面白いことに、これらの学校に進学した筆者の教え子たちも、実にこのとおりの個性・性格だった。
 とくに女子学院に合格した子たちは、本当にやんちゃだったり、よく笑う子だったり、いたずら好きだったりした。自分に合った学校を上手に選んだということだろう。ちなみに女優の芦田愛菜ちゃんが慶応中等部とともに合格したのは、女子学院だ。
 国語の問題では、桜蔭と雙葉は、ほかの難関校と同じく記述重視だが、女子学院はひとつひとつはそれほど難問ではなくても設問の数が多い。つまり処理能力を求められる出題である。
 それにしても、男子御三家にこういう小話がないのはなぜだろう。




2019.9.26

第三百六十五回 祖父の思い出 

ほのぼのしたサブタイトルに反する内容で、これを読んで不快になる方もいるかもしれない。というのは身内のことを、あまり良くないように書くからである。
 前回も書いたが、筆者の父方の祖父はアル中だった。
 若いころは小学校教師として大陸(満州)にも渡っているが、帰国して、戦争が終わってから酒に溺れたらしい。その具体的な理由までは知らない。ただ、教師としての腕は良かったという話は聞く。
 筆者が小学生の頃の、お盆か正月(というのは従兄弟といっしょだったから)、和歌山市の実家に、市長が訪ねてきたことがあった。祖父の教え子なのだという。祖父といっしょに住んでいない従兄弟は「市長がきた!」と言って、ひどく感激していた。
 だが、筆者の記憶にある祖父は、いつも日本酒を飲んでいて、会話もままならない廃人めいた姿だった。
 ときに酒乱でもあった。筆者は幼稚園児の頃、酔った祖父に投げられ、翌朝、起きられなかったことがある。
 投げられて腰がぬけたのだ。そのまま近所の整骨院か整体院かに運ばれ、治療されたのだが、こんなことをされて祖父を慕う孫がいるだろうか。
 小学一年の時に、酒を飲まされたこともあった。
 コップに透明の液体が注がれていて、「水やから飲んでみい」と言う。
 子供心におかしいと思ったのは、コップの中の液体が、水にしては完全な透明ではなく、かすかに濁っていたことだ。
 そもそも、なぜ水を飲まなければならないのか。そんなことを言われるだけで十分あやしい。で、おそるおそる一口飲んで、「やっぱりちがった!」と吐き出した。
 そんなジジイなのである。健全な人にはわからないかもしれないが、身内を好きになれないことだってあるのだ。
 この祖父は、筆者が高校一年の夏に亡くなった。初めて経験する親族の死であった。
 いつも酔っていて、いつも実家の八畳間で口をもごもごさせていて、まともな会話を交わした記憶もない。楽しい思い出を共有できていないので、正直言って特別な感慨はなかった。筆者は冷たいのだろうか。
 父は四人兄妹だったので、この祖父の葬式では、筆者を含めた孫たち(筆者の従姉妹たち)が八人、和歌山市の本家(実家)に集まったのだが、葬式の後でひとつ小さな「事件」があった。
 従兄弟の一人が、遺骨を持ち帰ってきたのだ。
 なんという阿呆だろう。たしか膝の骨だった。何を考えてそんなことをしたのか、銀の長い箸で皆がつまみ取る際、思わずポケットにしのばせて、そのまま帰ってきたのである。
 すでに納骨はすませているから、もう戻すのは無理だった。かといって、遺骨をゴミ箱に捨てるわけにもいかない。この時の叔父夫妻の焦りは想像するにあまりある。たしか庭の片隅に埋めて処理したはずだと思う。




2019.9.19

第三百六十四回 アル中じじいは二度死ぬ 

 二度死ぬのは「007」だけではない。
 アル中じじいだって……。といっても何のことか伝わるはずもない。
 恥をさらすようだが、筆者の(父方)の祖父はアル中だった。筆者が高校一年の夏に亡くなったが、実はこの後で、もう一度「死んで」いる。
 筆者のサラリーマン時代。入社一年目の新人の頃である。
 夏に、筆者はどうしても極真の合宿に行きたかった。
 だが、初めてのサラリーマン生活で、すんなりと許可が下りるかどうかはわからない。
 本当の理由(空手の合宿)を述べて、断られたら終わりである。現在の合宿は土日になっているが、その頃はなぜだろう、参加するには会社を休む必要が、たしかにあった。
 で、ウソの理由で休んだ。「祖父が亡くなったので……」と。
 すなわち、一度死んだ祖父をもう一度冥途に送ったのである。
 受注課の女子社員が電話を取ったのだが、この時、彼女がなんと返したか、今でもはっきりと覚えている。
「本当ですか?」
 と言った。今から思うと、相当に失礼なひと言である。
 でも、まあ、とにかく休みは確保したのだから、筆者は極真の合宿に参加した。
「極真」というのは、江口師範はいらっしゃったが、国分寺道場の合宿ではなく、山田先生の主催する城西支部の合宿だったからだ。そこには江口師範のほか、市村師範も川本師範も田村師範も、そして分裂する前だったので、増田章先生や黒澤浩樹先生も参加されていた。
 合宿が終わって会社に出勤すると、所属部署の課長から、5千円を渡された。
 会社からの香典なのだという。
 正直、ラッキーと思った。小遣いをくれたようなものだった。
 が、その場で、課長から祖父の死因を訊かれた。普通そんなことまで訊かれるだろうか。
 筆者が適当なことを答えると、「ハガキを出してくれ」と言う。葬式の案内のハガキがあるはずだから、それを提出してくれというのだ。
 疑われていることはあきらかだった。電話を受け取ったときの女子社員の言葉といい、今ふり返ってみても、筆者はどうやらサラリーマンとしては失格だったようである。
 さて、困ったことになった。祖父の死はその時点より10年ほど前なので、もちろんハガキなど残っていない。で、どうしたか。
 職場の近くにある印刷所に「贋作」の制作を依頼した。文面などは型どおりだが、料金が4996円かかるという。ハガキはたった一枚あればいいのだが、印刷所の受注は50枚からで、それ以下であっても値段は変わらないらしい。
 できあがったハガキを一枚、筆者は課長に提出し、残りの49枚は処分した。
 課長は、うさん臭そうに受け取った。筆者としては、せっかく5千円もらったのに、印刷代で4996円かかって、差し引き「4円」の香典となった。
 以上は、そうまでしても合宿に参加したかった遠い夏の思い出である。




2019.9.12

第三百六十三回 まぼろしの主題歌 

 そういう予備知識がなく読んでいたので、いっそうミス・マープルの推理が冴えわたって見えたのだ(前回から続いています)。
 さて、この3作にはいずれも「主題歌」がついている。
 上映された『ナイル』『クリスタル』『地中海』の順に、『ミステリー・ナイル』『ミステリー・シャドウ』『渚のミステリー』である。
 筆者はその三つとも「シングルのレコード」で持っていた。
 映画は観ていなかったのに、つまりどんな曲かも知らなかったのに、ジャケットだけで買ったのだ。多感な時代だった。
 結果的に、これらは三つともアタリで、くり返し聴いた。興味のある方は、いまはユーチューブで三曲とも聴くことができる。
 ジャケ買いしたぐらいだから、三つともジャケットは美しい。『ナイル』は夜に青や金にライトアップされたピラミッド、『シャドウ』もやはりライトアップされたロンドンのビッグベン、『渚』は青い海を背景にした古代ギリシャの遺跡(らしいもの)の影が印刷されている。
 ちなみに『ミステリー・シャドウ』には「今、ビッグベンの鐘の音が、クイーンズナイトを凍らせる」と意味深で興味をそそるコピーが書かれていたが、原作の舞台となるのはロンドンではなく、「セント・メアリー・ミード」という架空の田舎町である。
 さてさて、筆者は学校で習う英語の勉強などに熱心ではなかったくせに、これらの英語の歌詞を、誰に求められるわけでもなく和訳していた(そんな経験はないだろうか)。
「サハラから吹く風は、悪魔のいぶきに似ている」
「サハラからの砂は、わたしの顔を横切る(二番)」
「神さま、わたしの人たちをお助けください。この地方の残酷な掟から」
 などと、英和辞典を引きながら訳していったのである。興味のあることなら勉強は言われなくても自主的にするという例である。
 クリスティー映画だけではなく、同じことを『ランボー』の主題歌『イッツ・ア・ロング・ロード』でも、『マッドマックス』の主題歌『ローリング・イントゥ・ザ・ナイト』でも『レイズ・ザ・タイタニック』の『タイタニック・フォエバー』でもやった。
 ところが、だ。これらの主題歌は、映画本編では流れなかったのである。
『ランボー』は流れた。ダン・ヒルの歌う切ない主題歌が、スタローン演じる主人公の連行シーンでかかり、ランボーのふり向いた一瞬がストップモーションとなって、エンドクレジットで流れ続けた。
 が、あとの『マッドマックス』でも『レイズ・ザ・タイタニック』でも、クリスティー映画でも予告編などでは流れたものの、劇場では主題歌として機能していなかったのだ。
 ジャッキー・チェンの『ヤング・マスター』(さすらいのカンフー)や『酔拳』の「拳法混乱(カンフージョン)」も同じ。DVDにも収録されていない。
 いや、うわさによると、『ナイル殺人事件』の日本上映版にかぎって『ミステリー・ナイル』が最後に流れたのだとか。ああ、それを映画館で観た人がうらやましい!
 



2019.9.5

第三百六十二回 続・クリスティー映画の話 

尻切れで終わった前回につづいて、クリスティー映画の話を。
『白昼の悪魔』のことを書いている途中だったが、これは原題を『EVIL UNDER THE SUN』という。
 真夏の行楽地、それも楽園のような孤島で、「こんなところで事件など起こりませんわ」という登場人物に対し、ポアロが「いやいや」と語るのだ。
「輝く太陽、紺碧の海。だが、陽の下いたるところに悪事ありです。白昼にも悪魔はいるのです」
 実際、『地中海殺人事件』の画面に映る島の風景は、風光明媚どころではない。海水の澄み具合やら、透きとおって見える岩の色やら、日差しを受けた水の色やら島陰やら、なにもかも美しい。
 そのようなせっかくの美しい海で、名探偵エルキュール・ポアロは泳がない。演じるピーター・ユスチノフが、ぱっつんぱっつんの愛嬌のある水着姿を披露して、飛びこもうとするシーンがあるのだが、ちょうどそのタイミングでべつの人物に呼び止められ、あとは足の立つ水辺を泳ぐふりをしながら移動していく。
 ほかにも金田一耕助やコロンボなど、運動の苦手な名探偵はいるが、この映画版のポアロもそうらしい。明智小五郎やシャーロック・ホームズなどは、怪人二十面相やモリアーティ教授を相手にアクションも見せるのだが。
 ともかく青と白の多い明るい画面に、コール・ポーターの音楽はよく合っている。ただし、作曲家のコール・ポーターは、この作品が制作される20年ほど前に亡くなっているので、初めからサントラとして作られた曲ではないようだ。
 さて、もうひとつの『クリスタル殺人事件』だが、これは原題が『The Mirror Crack'd From Side To Side』といい、『鏡は横にひび割れて』という美しい邦題になっている。それを、いくらなんでも『クリスタル殺人事件』にしてしまうのはひどいと思う。
 この作品、筆者としては、ひときわ思い入れが強い。というのは、中学3年の秋に、初めて読んだアガサ・クリスティーの作品だからである。そしてそれが面白かったので、次々にクリスティー作品を読みあさっていくきっかけともなった一冊でもある。
 それまでにも乱歩や横溝の作品を愛好していたし、いまでも好きだが、それは猟奇的なムードや田舎を舞台に繰り広げられる陰惨な事件といった、あやしい雰囲気や人間模様、いわば事件そのものの面白さであった。
 筆者はこの『鏡は横にひび割れて』によって「論理による謎解き」のカタルシスを初めて知った。目の前に手がかりが提示されているのに気づかずに読み進め、最後に真相が明かされるという、いま思えばミステリファンが渇望する衝撃であり、感動であった。
 登場する名探偵はポアロではなく、ミス・ジェーン・マープルという、珍しいおばあさんの探偵である。いや、職業探偵ではなく、未婚の老婦人、つまり一般市民だ。いわゆる安楽椅子探偵で、彼女は物的証拠を集めもせず、うわさ好きの女中さんたちが報告する内容を聞くだけで、ほとんど家から出ることなく謎を解き、事件を解決してしまうのである。




2019.8.29

第三百六十一回 アガサ・クリスティーの映像化作品 

 数年前にリメイクされた『オリエント急行殺人事件』のことではない。また、その旧作を指すのでもない。
 ここで挙げるのは、80年代に上映された『ナイル殺人事件』、『クリスタル殺人事件』、『地中海殺人事件』の3作である。
 この3作の原作、すなわち『ナイルに死す』、『鏡は横にひび割れて』、『白昼の悪魔』は、いずれも筆者にとって、アガサ・クリスティーのベストに挙げられる傑作である。だから当然、映画化作品も気になってくる。
 もっとも、筆者の場合は、先に映画があった。映画の公開時に小中学生だったので、まだ原作を読んでいなかったのだ。
『ナイル殺人事件』のときは小学生だったが、そのころ神戸は三宮のアーケードで、『ナイル』のパンフレットを胸に抱きしめながら「感動したあ」という感じで歩いている若い女性の二人組を見かけたことを覚えている。子ども心にも、きっと面白い映画なんだろうな、と思ったものだ。
 実際、見たら面白かった。といってもテレビの洋画劇場で見たのだが。DVDを買ったのは最近。原作を読むのが遅かったのは、たぶん映画での満足感があったのだと思う。
 筆者の教え子で、この『ナイルに死す』を読んで、よほど気に入ったのか、何度も読み返している女子がいた。
 そんなに好きだったらクリスティーのほかの作品も読んだらいいのに、と思ったが、たぶん『ナイル』の作中に漂うムードや異国情緒が良かったのだろう(そういうことが小説作品には往々にしてある)、何度もくり返し『ナイルに死す』ばかりを読んでいた。彼女にとっては多感な時期の忘れ難い一冊になるだろう。
 クリスティー作品に登場する名探偵といえば、エルキュール・ポアロが有名だが、この『ナイル』と『地中海殺人事件』のポアロ役は、ピーター・ユスチノフだ。
 ポアロにしては恰幅のいい巨漢である。原作のイメージとは異なるが、筆者は映画から入ったし、ピーター・ユスチノフのポアロも、どこかコミカルな感じが良かった。
 原作に忠実なのは、デビッド・スーシェで異論はないと思うが、テレビ放送の翻訳では『名探偵ポワロ』になっていた。原作で広く読まれているハヤカワ文庫では「ポアロ」なので、そのほうが違和感がある。
 ちなみに『地中海殺人事件』の原作『白昼の悪魔』は、筆者の偏愛の一編なのだが、原作の舞台となる島はイギリス領であって、地中海ではないのである。
 それでも、夏の雰囲気が全編に充溢している作品だから、真夏の行楽の時分に読むのが楽しいだろう。
 ハヤカワ文庫の装丁もきれいで、思わずジャケ買いして再読したが、筆者が初めて読んだのは高校2年ぐらいの頃で、学生の身分にしては思い切ってハードカバーで買った。
 裏表紙全体がアガサ・クリスティーの白黒写真になっていて、それが洒落ていて、どうしても欲しくなったのだ。これを読んだのも、たしか夏だった。




2019.8.15

第三百六十回 SFで見る2019年 

 以前このブログで触れたが、未来世界を描いたSF作品では、その設定した西暦を現実が追い越してしまうことが多々見られる。ジョージ・オーウェルの『一九八四年』をはじめ、『2001年宇宙の旅』、『2010年』、『デスレース2000年』、『ニューヨーク1997』などなど。
『鉄腕アトム』の誕生は2003年だというし、『バック・トゥ・ザ・フューチャー2』で描かれたエアカーが飛び交う未来は、2015年だった。
 ジブリの宮崎駿が監督した『未来少年コナン』では、西暦2008年7月に最終戦争が起こり、物語はその20年後。核兵器をこえる破壊力を持つ超磁力兵器とやらの作用で、地球の地軸がねじ曲がった世界が舞台となっている。
 ということは2028年だ。主人公のコナンたちはもう生まれていることになる。
 40年前の夏にテレビ放映された手塚治虫の『海底超特急マリンエクスプレス』は、2002年という設定だが、手術シーンでは「1990.8.26」という数字が出てくる。なぜか西暦がズレている。ちなみに8月26日というのは、この作品が放送された日である。
『時が新しかったころ』は1998年。トリケラトプス型のタイムマシンが開発されている世界だが、コピーライトは1983年。もっと先の時代に設定するものではないかと意外に思った。
 さて、今年、2019年を舞台にした「近未来」SF作品を、筆者は2作知っている。
 ひとつは大友克洋監督による劇場版アニメ『AKIRA』である。
 この作品を、筆者は公開初日に観に行った。もともと原作のファンではあったが、映画館に入ったのは偶然だった。友達と新宿をうろついていて、映画館の前を通ると『AKIRA』が封切られていることを知り、ちょうど上映時間の前だったので、「観ていくか」ということになって入ったのだ。
 オープニングで、東京都の俯瞰シーンに「1988.7.16 TOKYO」というテロップが重なる。「えっ、今日じゃん」と思ったら、突如発生した黒い半球に都市が破壊される。
 つづいて、その31年後の「AD2019」NEO TOKYOが映し出されるのである。
 エアカーこそ出てこないが高速バイクが登場し、軍隊も存在して、復興の熱気の余韻と、そしてどこか退廃的で爛熟した社会が描かれている。いま流行りの新海誠などより、筆者はこの作品の映像にこそ驚嘆した。
 面白いことに、翌年に東京オリンピックが開かれることになっていて、現実とドンピシャリである。
 今年を「未来」として舞台にしたSFのもうひとつは、ハリソン・フォード主演の『ブレードランナー』だ。
 これも冒頭で「2019年11月」と出てくる。今年の現実とは似つかない世界だ。
 レプリカントほどではないが、ロボット工学は著しい発達を見せているし、AIもいろいろなところで実用化されている。
『ブレードランナー2049』は、DVDを買っているのだが放置していて、筆者はまだ見ていない。2049年がどんな世界になっているのか知らないが、それを現実に見ることができるかどうか(つまりそれまで生きているか)は疑問である。




2019.8.15

第三百五十九回 SFの夏 

SFというジャンルの作品は、小説でも映画でも夏がよく似合う。
 根拠はない。『スターウォーズ』や『スタートレック』シリーズの公開が夏だったし、自分がSF小説を読むのがもっぱら夏だったという、ただそれだけの記憶による。
 学生時代、友人の社員寮(個室)に一泊したとき、筆者はレイ・ブラッドベリの『火星年代記』を所持していた。
 友人は一足早く社会人になっており、彼が仕事にいって帰ってくるまで、筆者はその社員寮の部屋で、ひとり『火星年代記』を読みながらすごした。社会に出るのが彼よりも少し遅れた自分の立場を、どこかで感じてもいたと思う。そんな思い出といっしょに、もはや古典的名作といっていい『火星年代記』の記憶は、筆者の中にある。
 今はもうない南紀湯浅の祖父母の家に、筆者は大学生や社会人になってからも訪れ、夏期休暇を過ごすことがあった。
 ある夏の午後、庭ごしに隣家の瓦屋根が見える二階の部屋で、ジェイムズ・ディプトリー・ジュニアの『たったひとつの冴えたやりかた』を読んでいた。
 この本は現在では装丁が変わっているが、筆者が持っている本は、少女漫画家の川原由美子先生のイラストで表紙や挿画が飾られていた。
 十六歳の少女コーティーが、まるで原付のような感覚で宇宙クーペを駆って飛び出し……というストーリーだが、結末がせつないのだ。まさかタイトルがこのような意味を持っているとは! と思わせた作品だった。
 この祖父母の古い日本家屋で、筆者は『地球の長い午後』や『海底二万里』や『星を継ぐもの』などを読んだ。いずれも夏だった。
 ブライアン・W・オールディス『地球の長い午後』は、筆者の偏愛の一作。遠い未来の、自転をやめて植物におおわれた地球。動く食肉植物がはびこる熱帯の異世界を舞台に、月をめざす少年少女たちがいて……という物語。面白くないはずがない。
 ジュール・ヴェルヌ『海底二万里』は、説明不要だろう。誰が読んでも面白いと思うのだが。筆者は時を忘れて読んだ。
 ジェイムズ・P・ホーガン『星を継ぐもの』は、まず月面で5万年前の遺体(深紅の宇宙服を着用)が発見され、さらに木星の衛星ガニメデで地球外の宇宙船の残骸が発見される。
 あまりにも有名な作品だが、バリバリのSFにして、論理的に謎を解明していく本格ミステリの要素も多分にあり、しかもその謎解きたるや、島田荘司ばりのダイナミックかつアクロバティックな結論に達するのだから、これも面白くないわけがないのだ。
 小松左京の『日本沈没』、読書感想文を書いた安部公房『砂の女』も夏に読んだ。
 今年は7月にカート・ボネガット・ジュニア『猫のゆりかご』と、ロバート・ヤング『時が新しかったころ』を読了。同じくタイムトラベルを扱った広瀬正の『マイナス・ゼロ』も今読んでいる。
 SFというジャンルは若い発想によるもので、だから暑い季節が似合うのか。それぞれ、その年の夏の記憶と重なった読書体験になっている。




2019.8.7

第三百五十八回 アイスあれこれ 

あえて『枕草子』の内容分類でいえば「類聚的章段」にあたるだろう。すなわち「あれこれ」ネタである。
 何の「あれこれ」かというと、夏だからアイス。あんなアイスがあった、こんなアイスがあった、という酒の席のどうでもいいような話題のひとつだと思って欲しい。
 筆者の少年時代といえば、昭和である。昭和の駄菓子屋といえば、もう二時代も前の風物になるので、今の若者たちはフィクションを通してしか知らない世界だ。
 当時、駄菓子屋は小学生男児の憩いの場だった。『ちびまるこちゃん』では、主人公のまるちゃんも通っているが、筆者は駄菓子屋で女子と顔を合わせた記憶がない(のは、ただの偶然か)。
 話を元に戻すと、駄菓子屋の店先にはアイスクリームを収納した冷凍庫がおかれていて……などと説明する必要はないだろう。子どもたちはその中から欲しいアイスを選んで店内のおばちゃんの元へ持っていくのだ。
 たとえば、銀紙に包まれた直方体のバニラアイスがあった。味は濃厚で美味しい。だけでなく、値段がなんと10円なのである! このアイスは人気商品で今でも売られているようだが、値上がりしているらしい。やむを得ないだろう。10円というのは当時にしても特価だったのだから。安くて美味しい、すばらしいアイスだった。
 スイカの容器に入ったアイスもあった。プラスチックの容器で、上が蓋になっている。中身は薄く緑色のアイスクリームだった。容器が凝っているだけで、とくに目を引いた。覚えておられる方も多いのではないだろうか。
 卵型のやつもあった。これはプラスチック容器ではなく、ゴム風船なのだ。中にバニラアイスが詰め込まれ、固まらせて、巾着のように口を縛っている。
 とくに開け方はない。ゴム風船を噛んで破る。溶けてから噛み裂くと、勢いよく中身が出てくるだろう。
 三色や四色のもあった。白はバニラで黒はチョコ。もう一色はピンクだったか。
 商品名を覚えているのは「なっチョコ」と「ジャムんちょ」だ。ともに表面をチョコアイスでコーティングされ、その内側はバニラ。「なっチョコ」はナッツがまぶされ、「ジャムんちょ」は芯にジャムが入っている。なぜ覚えているかというと、この二つは同時発売で、「森永から新発売。ウッホウッホ」というテレビCMがくり返されていたからだ。ちなみに筆者は「なっチョコ」派だった。
 水色のアイスキャンディーの中に白いアイスクリームが入っているのも好きだった。
 スナック菓子で「うまい棒」というのがあるが、「うまか棒」というアイスもあった。
 あと、秋に発売された「栗じゃ栗じゃ」という栗味のやつも覚えている。
 以上は、筆者が子どもの頃に駄菓子屋で買ったアイスたちである。
 今ならスーパーやコンビニで、「爽」や「MOWMOW」やちょっと張り込んでハーゲンダッツなどを、ほかの商品といっしょに買って、冷凍室に入れておく、という買い方になる。
 昔、駄菓子屋でアイスだけを買って、その直後に空の下で食べた商品は、もう見かけない。




2019.7.31

第三百五十七回 真夏の殺虫事件 

 都会の子の中には、窓辺にカナブンがいただけで大騒ぎする子もいる。
 男子である。怖いのだという。
 カミキリムシやクワガタなら、まだわかる。鋭い歯や長い角といった硬質の「武器」がそなわっているからだ。
 実際、カミキリムシに噛まれると血が出るし、クワガタに指を挟まれると角の出っ張りの形に肌が凹む。もちろん痛い。
 だが、カナブンなど何の武器もないではないか。カブトムシの雌を二回りほど小さくしただけの形で、筆者から見ると昆虫界の「殺られ役」という印象なのだが。
 そう、田舎の夏は虫で賑やかだ。身近にいるせいだろう、子どもたちはよく虫を殺す。
 筆者の友達は、ダンゴムシを丸めて自転車のチェーンの隙間に詰めて遊んだ。
 チェーンをつぶさに観察すると、二連の丸の連鎖になっていることがわかる。その二連のあいだのくびれた隙間(といっておわかりだろうか)に、丸めたダンゴムシを押し込んでいったという。
 何匹もそうやって詰め、サドルをゆっくりと回していくと、くびれのところに食い込むチェーンの爪によってダンゴムシが次々とつぶされていく。それを「処刑」だと言っていた。まったくもって、バカなことをする。
 蟻の穴から白っぽくなったダンゴムシの死骸が放り出されるのを見た、という友達もいた。それが事実なら、体液を吸い取られたというのだろうか。
 田んぼがあるから、カエルも身近にいる。よく聞くのが、カエルの尻の穴にストローを突っ込んで息を吹き入れ、破裂させるという田舎少年の殺傷法だ。
 虫ならともかく、「肉」が破裂するのは、筆者など「おえっ」と思うのだが。
 という筆者も、中一のころ、テニス部で素振りの練習中に、黒々とした大きなクマンバチが舞い込んできた時、それをラケットで打った。
 たぶんポーンと飛んでいくのだろうな、と思って打ったのだが、それどころではなかった。
 木っ端微塵。バラバラになって吹き飛んだ。ラケットに張られているガットの威力というのは、予想以上に強かったのだ。
 同じくテニス部にいた頃、コートの奥の藪近くに蚊柱が立っているのを何度か見た。
 それを、部員の一人がラケットで叩いた。もちろん大群の蚊に対してはろくな効果も得られない。ほとんど意味のない行為である。
 ただ、離れた場所から見ていると面白かった。距離を取ると蚊柱が見えず、彼が一人で何もない空間に向かって、「うきゃーっ」と闇雲にラケットを振り回しているように見えるのである。我々はそれを「単なる発作」と名づけて鑑賞した。
 ロケット花火にカナブンをセロテープでとめて「処刑」する、というのもやった。上空からバラバラのパーツが降ってきた。昆虫とはいえ遊びで命を奪っているのである。
 よく言われるように、小さな生きものを殺すことで命の大切さがわかる、というのは本当だろうか。あまり関係ないように思えるのだが。




2019.7.25

第三百五十六回 見る気もしないタイトル 

このブログで何度も書いているとおり、筆者は必殺シリーズの大ファンだが、必殺ならすべて受け入れるかと言われるとそうでもない。
『仕事人Ⅲ』から入ったので、再放送などで見ていない作品も多々あり、またタイトルだけで最初から見る気もしない作品もある。つまり食わず嫌いなのだが、『必殺○○人』とあってほしい題名が(とくに○の部分は漢字で、「仕」が入っていることが望ましい)、変なひらがなだと、見る前から敬遠してしまうのである。
 たとえば、シリーズ三作目『助け人走る』だ。シリーズ物なのに、この大胆なタイトルの変更には理由がある。前作『必殺仕置人』の放送期間に、世にいう「必殺仕置人殺人事件」というものが発生したことで、シリーズ作品のタイトルからしばらく「必殺」の二文字が消されることになったらしいのだ。
 それにしても、必殺の非情な世界から入った視聴者を混乱させるような、コンセプトを揺るがせるほどのカッコ悪い題名である。
『必殺からくり人』も、最初、子どもの頃に新聞のテレビ欄でタイトルを見たときは、「面白くなさそうな番組だ」と思った。けれど、「からくりにん」という音の響きは抜群にいい。キャストも豪華で、内容も後年になって実際に見てみると面白かった。
 が、『江戸プロフェッショナル 必殺商売人』となると、さすがにいただけない。『仕事人』も最初に聞いたときは違和感を覚えたものだが、いくらなんでも「商売人」はないと思う。「あきんど」のことではないか。だいたい時代劇で「江戸プロフェッショナル」とは何なのだ。ああ、カッコ悪い。
 そしてそして『翔べ! 必殺うらごろし』。なんだ、それ! という題名である。シリーズの中でも屈指の異色作なのだが、意外なことに、これが悪くない。が、従来の必殺からはかけ離れていた設定にファンは戸惑い、白けただろう。天野ミチヒロ氏の『放送禁止映像大全』によると、この作品で視聴率が激減することになったとか。
 前回触れた『必殺渡し人』も、あまり魅力的なタイトルではない。ひらがなが一文字入っているのが非常に野暮ったい。そもそも「渡し」とは何のことかというと「三途の川の渡し守」という意味らしい。はは。どうかしている。
 同じく津川雅彦主演『必殺橋掛人』も、「三途の川に橋をかける」という意味なのだとか。
 はは。様にならない。だいたい橋を「かける」という場合の字は、「架ける」なのだが、かといって『必殺橋架人』にすると、なおさら様にならなくなる。おそらくシリーズ第一作の『仕掛人』と(それこそ)掛けているのだろう。
 ダサいタイトルの極めつけは『必殺まっしぐら!』だ。必殺シリーズの魅力のひとつは、スタッフの遊び心が垣間見えることだが、ここまでいくともうダメ。最低最悪のネーミングといっていい。由来は「悪に向かってまっしぐら」というのだから、まったくもってセンスを疑う。
 その後、冒険することなく『必殺仕事人ナントカ編』という無難な路線がつづくのだが、ついに必殺シリーズを終わらせることになる大駄作『必殺剣劇人』が登場する。こうやってふり返ると、やはり『必殺仕掛人』や『必殺仕置人』はタイトルの時点で成功していたと思える。




2019.7.18

第三百五十五回 横断歩道で渡します 

『必殺仕事人Ⅲ』の後に始まったのが『必殺渡し人』だ。筆者にとっては、仕事人以外の初めての必殺シリーズということで、興味津々で第一話『涼みの夜に渡します』を見た。
 メンバーは、元締が蘭方医学を学んだ女医の鳴滝忍(高峰三枝子)、鏡研ぎ師という変わった職業の惣太は必殺初出演の中村雅俊、怪力の大吉(渡辺篤史)。この三人が殺しの担当で、必殺ではおなじみの西崎みどりが情報担当。
 彼らは、なんと「ご近所さん」で、大家と店子という関係。忍と惣太は元からの殺し屋だが、大吉はずぶの素人で、プロ仲間だった仕事人に比べて、いささか頼りない印象があった。
 出陣の際に走っていく大吉の姿に、きっと派手なアクション担当なのだろうと思い、妹に「この人が秀さんの代わり」だと話すと、妹は嫌がっていた。渡辺篤史に対して失礼であろう。ちなみに過去のシリーズでパシリに等しかった渡辺氏は、この作品で殺し屋に昇格している。
 中村雅俊が使う鏡に仕込んだ針もシンプルで、秀のかんざしに比べると見劣りはしたが、それでも第一話を見た時点で筆者は大満足だった。なにが驚いたかって、大吉の技である。
 筆者は、念仏の鉄(山崎努)の骨外しを知らなかった。心電図まで見せる『仕留人』の心臓潰しも知らなかった。怪力の殺し屋がどんな技を使うのかと思ったら、指を相手の体内に突き刺して内臓を潰す。そのシーンにレントゲン映像が使われるのだ。
 中村雅俊の殺しも鮮やかだった。必殺ではおなじみの「延髄刺し」だが、本当に針が首筋に入っていくように見えた。これは、第一話で殺され役を演じた女優さんの演技がすばらしかったのだ。口の開き方や表情など、演技力のたまものであろう。
 女元締の鳴滝忍は、演じる高峰さんがご高齢だったためアクションは控えなければならなかったのか、右手をサッと動かすだけ。先の尖った鋭利な水晶の指輪を小指にはめ、相手の頸動脈を切り裂く。動きは少ないが、それだけにクールにして鮮やかだった。とくに第四話『花火の夜に渡します』の殺陣が最高だと思う。
 しかし、回が進むにつれて、筆者は冷めていった。中村雅俊が殺しの際に毎回同じセリフ(どうだね映り具合は……)をつぶやくのである。これほんとに必要か、と思った。
 大吉の内臓潰しに、相手の「痛い痛い痛い」という間抜けな声が挿入されるのも白けた。
 それに、エロかった。『渡し人』はシリーズ中もっともエロい必殺で、筆者の女友達の中には、この作品のせいで必殺シリーズの視聴をお母さんにとめられた子もいるぐらいだった。
 最悪なのは途中から殺しのテーマが変わったことだ。中村雅俊が歌う主題歌『一瞬の愛』が好きで、レコードを買った筆者だが、なんでだろう、途中からまた『荒野の果てに』のインストに変更されたのだ。これじゃほかの作品と変わらない。
 この作品の特筆すべきは、最終回『秋雨の中で渡します』である。
 例によって解散し、皆で江戸を去るのだが、惣太だけが恋女房の直(藤山直美)を残していく。直は起きてみると、近所に誰もいない。夫も、となりの大吉夫婦も、鳴滝忍も。まるで突然の悪夢だ。理由のわからない異変に「これは夢や……きっと夢なんや」と呆然とする。
 主題歌の歌詞に合わせたのかもしれないが、筆者は衝撃だった。殉職者も怪我人も出ないが、これは必殺シリーズでもっとも悲劇的な最終回かもしれない。




2019.7.11

第三百五十四回 秀と勇次と中村主水 

久々の必殺ネタである。『必殺仕事人Ⅲ』については前にも書いたことがあるが、シリーズの視聴率としてはピークを迎えた頃で、たしかに円熟期ではあると思う。
 ただし、マニアから見ると賛否のある作品でもある。原因はシリーズ初の「受験生仕事人」ひかる一平の存在だ。
 中村主水に加えて、秀と勇次という異なるタイプの両イケメンがそれぞれ華麗な殺し技を披露するのはいい。だが、ジャニーズのアイドルを起用するというのは、やりすぎではないか(後年では当たり前になってしまうが)。
 そう、現在の必殺はジャニーズで固められているのだが、それも『仕事人Ⅲ』のひかる一平が成功したからだろう。現にその後の必殺にもひかる氏は出演し続けている。
 さらにさかのぼると、『仕事人』での秀のアイドル化によって、女子高生ファンを取り込み、視聴率的に大成功したことで、ジャニーズ戦略による女性ファンの確保を図ったものと見ていいだろう。
 そんなことなど知ったことではない筆者は、ひかる一平より年下だが、当時の若い一視聴者の立場から見ても、時代劇で「僕」という一人称を口にする「西順之介」は、チャラい存在だった。なにしろ「塾」の「模試」があるから仕事を休みたいなどと言うのだ。
 もちろんそれらは、ひかる一平のせいではない。脚本でそう書かれているのを口にしているだけなのだが、秀と勇次と中村主水という黄金コンビが確立した中で、どうしても邪魔なキャラクターに思えて仕方がなかった。  若い頃の筆者は、たとえば吉川英治の『宮本武蔵』における城太郎や、『ブラックジャック』でいえばピノコや、『あしたのジョー』なら下町の子どもたちなど、主人公に添えられている子どものキャラクターが邪魔に感じていたのである。
 必殺ファンで知られる作家の田辺聖子さんは、10代の少年に仕事(殺し)をさせるようになったシリーズの流れを懸念されていたそうだが、たしかに、ひかる一平が加代(鮎川いずみ)のように情報担当に徹していれば、筆者も納得できたかもしれない。
 もっとも、いま見てみると、売られていく女の子を助けるためにお金を作ろうと大事な蔵書を友達に売るなど、年少のキャラクターだからこそ泣かせるエピソードもある。
 リアルタイムで見ていて良かったのは最終回だ。面が割れた秀と勇次と加代が追手から逃れるために旅立ち、中村主水と順之介だけが江戸に残る。ただし、「今日から俺たちはアカの他人だ」と主水が順之介に宣告し、仕事人は解散する。
 ある夏の日、川のほとりで呆然と座っている順之介の本が、ポチャンと水に落ちる。
 それを見かけた主水が、「おい、坊主。本が落っこったぞ」と声をかける。「おじさん!」と喜びの声をあげる順之介に、「今日も暑くなりそうだな。……しっかり勉強しろよ」と、ただの通りすがりの大人として、それだけを言って去っていく。平尾昌晃のクロージングテーマが流れて画面に「終」が出る。
 殺し屋仲間だった中年と少年の、解散後の距離の取り方に、当時高校生だった筆者はいたく感動したのを覚えている。



 
2019.7.4

第三百五十三回 猫を拾った日 

三日坊主というが、早朝のランニングを一回でやめたことがある。
 二日坊主ですらない。ただの一回だけ。いや、その一回も全部走りきっていない。思わぬものに遭遇したからだ。
 高校一年の4月か5月。筆者は大きな川沿いの土手を走ろうとしていた。雨あがりの朝で、道は濡れていた。右側は川で、左側は茂みだった。
 すると、ちょうど筆者が走りすぎようとした時、茂みから「ミャ」という声が聞こえたのだ。運命のようなタイミングである。
 足をとめて見ると、左側の茂みの中に、二匹の子猫がぐったりとうずくまっていた。雨で濡れそぼり、毛がべったりと張りついていて、いかにも死にかけという様相だった。鳴き声にも力がない。
 筆者はそのまま子猫を抱いて家に帰った。
 まず風呂場で、二匹とも洗った。なにしろ汚い。それに、どうせ濡れているのだ。雨に打たれて弱っていたから、お湯のシャワーで温めるのは蘇生措置としても適切だろうと思った。
 それから、ドライヤーの温風をあてた。
 最初、濡れた毛が張りついてぐったりしている姿を見た妹は、気持ち悪がっていたのに、ドライヤーで温められた毛がモコモコにふくらんで二匹とも可愛くなってくると、現金にも態度を一変させ、触り始めた。
 牛乳をやると、子猫たちは、ぺちゃぺちゃぺちゃと猛烈な勢いで舐めだした。
 どちらも白のブチ猫で、一匹は体が真っ白で尻尾だけ黒、もう片方は片耳だけが黒、という変わった配色だった。
 その後、筆者は学校に行ったと思う。たしか。平日だったはずだから。
 帰ってきても猫たちは家にいて、夜はテレビを見ていた。
 猫はテレビが不思議なのだろう、ちょこんと座って夢中で見ていた。
 今朝は死にかけていたというのに、余裕である。うしろから見ると、頭の大きさのわりに、三角の耳が大きい。
(こちとら命の恩人なんだぞ。感謝してるか)
 とも思ったが、二匹ともあまり感謝している様子はない。
 とにかく、うちでは飼えないので、代わりに飼ってくれる人を探さなければならなかった。
 幸いにも二匹とも、もらってくれる人がいた。一匹は筆者の友人の友人の手に渡った。
 もう一匹は、筆者の家の斜め向かいに住む同学年の女の子がもらってくれた。同じ中学に通っていたのだが、クラスが別でほとんど話したことはない子だった。猫好きの娘で、彼女自身もちょっと猫っぽかった。幸福をくれたから「フクちゃん」と名づけ、ベッドでいっしょに寝ていると話していた。
 筆者も猫好きである。国分寺にはなつっこいトラ猫が3匹ほどいる路地があって、通りすがりの人に可愛がられている。筆者もこの前、頭をなでた。毛皮ごしに感じた頭蓋骨の感触が可愛らしく、このエピソードを思い出した次第である。




2019.6.20

第三百五十二回 雀について 

 ベランダの戸を開けていると、可愛らしい小鳥の鳴き声がする。
 マンションの五階なので、ときどき雀が休みにくるのだ。
 できるだけ驚かせないようにしているのだが、レースのカーテンごしに室内の気配を感じて飛び立っていくこともある。雀というのは、人間のごく身近にいながら用心深い小鳥で、滅多になつくことがない(ように思える)。
 幼い頃、お盆で母方の実家に泊まったとき、雀たちの鳴き声で目覚めたものだった。隣家の瓦屋根に集まった雀たちが鳴き立てるのである。かしましいが、雀の声で目覚める夏の朝というのは、平和の象徴のようであった。
 和歌山の実家にいた頃、ベランダの手すりに母が米粒をいくつか置き並べた。
 雀たちは食べに来たいようだが、用心して、なかなか近づいて来ない。
 それでも無関心ではいられないらしく、ベランダの向こうを、何羽かがパタパタパタパタッと飛び交っている。少しずつ接近したがっているようで、その微妙な距離の取り方が、なんとなく微笑ましかった。
 容易になつかないと書いたが、長いこと飼っているとなつくのかもしれない。経験がないからわからない。
 小学生の頃、ほんの一時期だけ、雀を飼ったことがある。
 ずっとは飼えない鳥だ、と親には言われた。ほんの一時期というのは、怪我をした雀をベランダで捕獲し、その手当てをしてから離すまでの期間である。二、三日だったのではないだろうか。
 決して派手な柄や色彩の鳥ではなく、むしろ地味なことこの上ないが、それでも雀を間近で見たり触ったりするという経験は珍しくて新鮮だった。
 どんな傷を負っていたのかは記憶にない。手当ては母がして、長く手元におくことなく離してあげたはずである。
 これは社会人になってからだが、お金に困っていたある時期、筆者は自分で昼食のおにぎりを作っていたことがあった。しかも、そのおにぎりときたら、S&Bのごま塩を振りかけただけの超シンプルなものが二つである。今でこそコンビニでも「塩おにぎり」というものが商品化されて珍しくなくなったが、当時は「具なし」というだけで貧しさを感じることひとしおであった。
 アルミホイルに包んだそれを、筆者は職場近くのベンチで食べていた。飲みものは、家から持ってきたペットボトル入りの水だ。
 すると、近くの地面にいた一羽の雀が、それを見ていた。
 筆者が指先に米粒をのせて差し出すと、その雀はパタパタッと舞いあがって、米粒をついばみ、着地して食べた。
 指の先に、小さなくちばしの当たる感触が可愛らしくて、何度かそれをくり返した。
 人になれないと思っていた雀に、手ずから餌付けできたのが意外だった。
 以上。いきなり雀ネタの回である。




2019.6.20

第三百五十一回 極真史上最強の外国人選手とは? 

「熊殺し」の異名をとるウイリー・ウイリアムズ先生がお亡くなりになった。
 猪木との試合は筆者の子ども時代だが、まったく覚えていない。当時の筆者は極真空手の存在すら知らなかったが、学校で話題になっていた記憶もない。
 が、まず海外からの訃報が伝えられ、今になって何十年も前の異種格闘技戦が持ち出されること自体がすごいと思う。
 熊にしても、実際には殺していないようだし、熊の方に闘志はなかったようだが、それにしても2メートル50センチほどもある黒々とした巨熊と戦うなど、写真で見ただけでもすさまじい。
 ウイリーの極真時代の試合もリアルタイムでは知らなかったが、ありがたいことに、今はユーチューブなどで見ることができるのだ。
 なんというか、なぎ倒していくような戦い方だった。対戦相手は誰もウイリーの前に立っていられないような試合をしている。果敢に打ち合って内臓破裂になった選手もいるらしく、これを見ると圧倒的で、極真史上最強の外国人選手ではないかと思える。
 アジアジと酒の席でそんなことを話したことがあるのだが、大会の実績でいうなら、優勝したニコラシビリ、テイシェイラ、フィリォの三者になるだろう。
 だが、たとえばニコラシビリ選手などは、非常にクリーンな戦い方をする好青年で、技術的にも感嘆の一言に尽きるのだが、競技を超えた怖さや凄味という点では、もっと目立つ選手がいるのではないだろうか。
 後にK1でも活躍したアンディ・フグは、踵落としを使うなど、非常に個性的だった。華やかな跳び後ろ廻し蹴りで何度も一本勝ちを収めたギャリー・オニールもそうだ。
 凄絶なKOといえば、ロシアのレチ・クルバノフ選手も忘れ難い。大会2日目の朝、筆者は千駄ヶ谷の駅から東京体育館に向かう雑踏の中で、ほかの人々が「レチが」と話しているのを、3回も聞いた。あのわずかな距離の中で、人々が3度も話題にするほど強烈な印象を与えているのだ。超高速の後ろ廻し蹴りによるKOを見て、次の対戦相手が棄権したこともある。
 パワーやスタミナなどの要素でいえば、ブラジルのエヴェルトン・テイシェイラもモンスター級であり、王者にふさわしい体格と個性的な風貌の持ち主だった。
 ほかにも強い選手は大勢いる。現在よりも選手層の厚かった時代には、ピーター・スミッツやゴルドーといった破天荒な選手がいたらしい(この頃は筆者も実際に見ていない)。
 が、結論として、アジアジはウイリー・ウイリアムズだと言い、筆者はフランシスコ・フィリォではないかと言った。
 ブラジル支部の道場には、天井にレールを嵌めこんだ可動式のヘビーバッグ(150kg)が吊されている。筆者は過去にテレビの映像で見たのだが、フィリォはなんと、それを一蹴りで10メートルも動かしているのだ。ということは、レールの摩擦の抵抗をなくしたとしても、体重150キロの人間を、一発の蹴りで10メートルも吹っ飛ばすことになる。パワーでもウイリーに負けないうえ、スピードや柔軟性、センスでも驚かされた。
 結局は試合を見た印象だし、それぞれが全盛期で戦うことなどあり得ないのだから、こういった最強論は酒の席の無責任な話題でしかないことは承知の上である。




2019.6.13

第三百五十回 神童の将来 

現在、また中学受験をする子が増えているという。大学入試要項が変わり、全体的に記述力が重視されることになったからだろう。つまり、単純な暗記型の学習では追いつかなくなった。記述力を身につけるには、たしかに一朝一夕にはいかず、その対応としての学力・思考力の養成が求められているのだと思う。
 かように現実は厳しい。が、現場にいると、時代の軟弱さを身をもって実感することが多々ある。このブログの過去4回分の内容に書いたが、たいへんな感覚のズレがあるのだ。
 筆者自身の中学時代は、暴力の時代だった。
 授業中、一人のヤンキーがいきなり吠えだし、椅子を振りかざして教室の窓ガラスをすべて叩き割ったことは、過去にこのブログでも書いた。そのとき教師は教卓で、「おい、やめろよ……」と小声でつぶやくだけだった。
 黒板にナイフを投げたり、スケバンが可愛い女の子のスカートをかみそりで切るなど、血生臭い出来事は日常的にあった。「世の中は少しも安全じゃない」と筆者は思ったものだ。
 それが今は、軽くポンと叩いただけで「なぐられた」ことになって謝罪している。もちろん暴力の時代が基準になるとは思わないし、そうなってはいけない。
 だが、思うのは、過保護に育てられた子どもが、自分を少しも特別視しない社会に出たときのギャップである。
 これもいつか書いたかもしれないが、筆者には過去に「神童」と称えられて育った友人がいた。
 高校時代のある時、筆者と彼は、同じコミックを買ったことがある。当時大人気だったコミックの6巻か7巻あたりだが、かりに7巻としておく。で、彼は何をまちがえたか同じ巻を二冊買ってしまい、損をしたので、その余った分を筆者に買ってくれと言うのだ。
「いや、おれも持ってるから」
「でも、友達だろ。友達なら買ってくれるのが当たり前じゃないか」
 この論理がわかるだろうか(筆者は最後までわからなかった)。
 かりに筆者が7巻を持っておらず、6巻まで買いそろえていたなら、彼の言い分は理解できる。でも、同じ巻をすでに持っているのだから、もし買ったら、今度は筆者が同じコミックを二冊所持することになってしまう。それでも友達なら買い取ってくれと言うのだ。
 後年、大学時代のこと。大雪の日に、彼は西国分寺の駅からアパートへ積雪の中を帰りたがらず、筆者に電話をかけてきたことがあった。駅まで自転車で迎えに来てくれという。
「これだけ雪が積もってるんだから、自転車に乗るほうが危ないだろ。雪が固まってるし、まして二人乗りだと余計に危険だ」
 積雪のうえ半ば凍っている道だと、不安定な二輪より、慎重に徒歩で進むのがもっとも合理的なのだが、それが元神童にはわからない。自転車で迎えに来ない筆者を薄情だと言う。
「なんで迎えに来てくれないんだ。友達だろ!」
 どれだけ説明しても通じなかった。たった一人の事例に過ぎないが、筆者の中ではこれが褒められすぎて育ったサンプルの思考停止ぶりを表すエピソードである。




2019.6.6

第三百四十九回 かわいい話 

小学生の場合、だいたいが女子に比べて男子は幼い。帰り際にエレベーターに乗ろうとすると、一人のお調子者の男子(小6)がそれを見て、ハッと何か思いついたように急いで階段を降りだした。彼の行動の予想ぐらいはつく。途中、止まった階で知らない人たちが乗ってきたので、筆者はわざと後ろに移動し、その人たちがドアの前に立った。
 一階につくとき、(やるぞ、やるぞ)と思った。チーンと鳴ってドアがあいた瞬間、待ちかまえていた彼が、両手を広げて「ワアッ!」。
 ほら、やったあ。知らない人たちにやってしまった。
 女子たちも幼い。講習会の帰りに駅で三人(小6)とばったり会った時のこと。ホームの隅で何かコソコソやっているのだが、なんと「パンツを見せ合っていた」のだという。互いに色や柄を確認し合っていたそうだ。なぜそんなことをしようと思うのか、意味がわからん。
 彼女たちはみんな一駅だけしか乗らない。降りるときに筆者を引っぱり下ろそうとするやんちゃな子もいたが(ドアを閉められなくて大迷惑だ)、ほかの子が「電車が出てもホームを見ていて」と言う。で、その通りにしたら、三人で動き出した電車を追ってホームを走ってきた(顔は笑っている)。後で聞いたところ、よくテレビドラマなどである「転校していく友達を追いかけるシーン」を実演したのだという。
 ちなみに、女子は色々なものをくれる。お菓子、手紙、クリスマスカード、年賀状。ファンルームとかいうカラフルな自作の腕輪みたいなやつ。修学旅行のお土産もよくいただく。勾玉のストラップをくれて、「自分も同じのを買ったよ。先生とおそろい」などとかわいいことを言う子もいる。旅行先で思い出してくれること自体が意外である。
「早く教室に来て」と受付まで迎えに来る子もいる。筆者の「彼女」を名乗って、毎回帰りに待っている子もいたが、これはやめてもらった。言葉だけならいいけど、行動がともなったら、こっちがヘンタイにされるからだ。
 受験が終わった後、「合格を祝う会」で、いっしょに写真を撮って欲しがるのも女子たちだ。筆者などと写っても仕方ないと思うのだが、彼女たちはスマホを友達に渡して交互に撮っている。並ぶと、肩の高さが変わっていることに気づき「大きくなったな」と思う。そうして何人かとツーショットで撮っているうちに、気づいたら男子たちは帰っている。
 ある男子(成績も良く、大人びていた)が卒業した後、その妹さんも受け持ったのだが、
「お兄ちゃん、先生の授業が大好きだったよ。帰ったらいつも先生のことを話してたよ」
 と、その妹のNちゃんが教えてくれた。
「修学旅行のお土産も三百円ぐらいのものを買うか迷ったんだけど、やめたんだって。世界一の先生に、こんなものをあげたら申し訳ないって」
 もちろん筆者が思っているのではないし、自慢でもない。彼が言ったのだ(そうだ)。
 ひとつ気づいたのは、女子たちはハッキリと形に表すが、男子はそうではない、ということ。
 この点、あきらかに性差がある。彼がそんなに慕ってくれていたなんて、筆者はまったく気づかず、妹のNちゃんの口から聞いて初めて知ったのだから。
 以上。このところマイナスの内容が続いたので、かわいい話も書いた。



 
2019.5.31

第三百四十八回 晩秋 

「ポンと、これだけですよ」
 と、その女性の先生は言った。
 生徒の肩をポンと叩いたところ、生徒は親に「なぐられた」と話し、クレームになったのだという。
 こういう場合、ことの真偽は取り沙汰されない。生徒が感じたことが真実となり、塾側は謝罪する。そして謝罪すれば、それが事実となる。冤罪を認めて罪を軽くするという発想だ。教育の現場はそれほどまでに腐敗している。
 ところで授業中の筆者は、普段とちがって声が大きいらしい(仕事だから)。その声の大きさだけで怖いと言って、最初の一回だけで来なくなった子がいた。怒鳴っていないし、怒ってもいない。ただ声が大きかっただけ。
 小4の男子だが、その子の家庭では、よく学校を休ませているらしい。
「今日は塾へ行くから学校を休む」
 という理由を聞いたときは、耳を疑った。そんな欠席理由、聞いたことがない。またそれを通用させてしまう親の感覚も理解できなかった。
 塾は習いごと。一回きりではなく習慣的に通うものなのに、出席するたびに、義務教育である学校を休むのだろうか。っていうか、そもそも時間帯がちがうのだから、普通に両立できるのでは?
 かなり前のことだが、個別指導塾で働こうと思って面接に行った時、廊下の長椅子に座っている小学生男児がいた。そこへ塾長がやってきて、ニターッと笑いながら(いやな笑顔だった)子どもの前にかがんで何か話しかけていた。
 身を低めている塾長の前に、子どもはデーンと座っている。なにか「王子と従僕」という感じがしたものだ。筆者はここでは働かなかった。
 イレギュラーで入った講習会のクラスで、授業に出るのをぐずっている子がいた。それを、ほかの先生がなだめ、機嫌を取って、なんとか教室に入れている。
 誰でもたまには気が乗らないこともあるだろうが、その子はいつものことらしい。自分で塾に入ることを決めたはずなのに、おかしな光景だった。
 最初に出席を取ったとき、その子は名前を呼ばれると「いませーん」と返事した。
 筆者はその後、彼が手を挙げても当てなかった。だって、「いない」のだから。
 授業が終わってから、その子は打って変わった態度で、いろいろ話しかけてきた。
 これは筆者の憶測だが、彼は「過保護に対するストレスを感じていた」のではないか。
 自分でワガママを言いながら、それが通用して先生たちが媚びていることに、「こんなはずはない」という不安に似たものを感じていたように思えた。思春期の少年が、母親の溺愛に危機感を抱くように。
 そして、どこまでワガママが通じるのか、どこまで大人が媚びるのか、知りたかったのではないか。去勢を拒んでいた、といってもいい。よほど鈍感でなければ、「社会に出ても、こんなに大事にあつかわれるわけがない」と気づくはずなのだから。




2019.5.23

第三百四十七回 中秋 

 サブタイトルに意味はない。しいていえば前回の内容と関連づけただけの話である。
「K君は毎回、ちょっとした日記のようなものを書いて見せにきますよ」
 と、前の担当の先生からそんな話を聞いた。もう十年以上前だが、5年生から6年生に変わるときの引き継ぎの時だ。
 そのとおり、K君は見せに来た。日記といっても、ほんの二、三行のメモ代わりのような短文で、内容はこんな感じだ。
『おとといの日曜日、ぼくはサッカーの練習試合をしました。とても楽しかったです。』  と、これだけ。
 前の担当者は女性で、やさしかった。これまでの内容にも「そう、それはよかったですね。また教えてください。楽しみにしています」などと赤ペンでコメントしている。
 筆者は一読して、思わず「だから何?」ときいた。
 この反応は冷たいだろうか? でも、考えてもみて欲しい。
『おとといの日曜日、ぼくはサッカーの練習試合をしました。とても楽しかったです。』
 というメモを満面の笑顔で差し出されても、「だから何?」としか返せないではないか。
 前任者のように、また教えて欲しいとは思わないし、もちろん楽しみでもない。思ってもないことは言えない。
 彼はそれから見せに来なかったので、ちょっと可哀想に思ったが。
 でも、幼稚園じゃないのだ。三、四年生でも、まだいいだろう。しかし、中学受験をしようとする六年生がこれでは心許ない。少なくとも、この時点でそろそろ甘えた感覚から卒業して、客観視点を意識しておく必要がある。
 ちなみに彼は、まだお母さんといっしょにお風呂に入っているとのことだった。
 お母さんといっしょ、といえば、まるで幼児を対象とした教育テレビの番組のようだが、実際に体験授業の見学で、お母さんがいっしょに入った子もいた。
 ほかの生徒たちにまじって、体験をする息子とその母が教室の中にいるのである。想像するだに異様な光景であることは言うまでもない。
「この子は気が弱いので、どうか当てないでください」
 と、授業前に頼まれた時は、耳を疑った。
 あの、中学受験をするのでは……?
 志望校の判断は容赦ないんですけど……。
『カイジ』の利根川ふうに言うなら、「志望校は君のお母さんじゃない!」といったところか。
 だが、保護者様のご要望なので当てなかった。途中、授業が盛りあがって本人が手を挙げたが、当てなかった。泣かれたら困る。なにより、お母さまに頼まれているのだから。
 ちなみに、休み時間になると、その母親は息子を連れて男子トイレに入っていった(この話をすると、女性の先生たちはそろって「気持ち悪い!」と言う)。
   この子も、もう成人しているはずだが、いったいどんな大人になっているのだろう。社会に出たら、ママは守ってくれないんですけど。




2019.5.16

第三百四十六回 初秋 

世間は風薫る初夏なのに、なんで「初秋」なのか。
 これはアメリカの作家、ロバート・P・パーカーのハードボイルド小説にスペンサーという探偵が主人公のシリーズがあり、その一作の題名なのだ。
 別居している両親のあいだで、何ら主体性を持たず、流されるように生きている少年を見かねたスペンサーが、探偵稼業の任務をこえてその少年を引き取り、料理、大工仕事、ボクシングなど、彼が自立して生きるために必要と思われることを教え込んでいくというのが大筋である。
 近年、こういう植物的な少年はどこにでもおり、たしかに見かねるところがあって、勉強とはべつのことまで教えたくなってくる。
 そして多くの場合、男子の覇気を奪う最大の原因は、母親の過干渉であるようにも思える。
 これは女子とはちがう点だ。女子のほうが母親の影響を多大に受ける。そして女同士で活気づく(もちろん反発する場合もある)。特定の人物に対する見解も母親と見事に一致するように見える。男子は逆に精気を吸い取られてしまう。
 例によって、これもずっと前。質問を持ってくるのだが、いっさい無言。ただ黙っている子がいた。
「それはなに?」ときいても黙っている。こっちから意図を察して、「ああ、質問なの? 見せてごらん」と誘導してくれるのを待っているのだ。
 お母さんに聞くと、家でもそんな調子であり、母子で無言のコミュニケーションがおこなわれているらしい。
 見方を変えれば、優しい子なのだろう。優しいから、母親の過干渉を撥ね除けられずにいる。そして自分がダメになっていく。
 受験当日、移動するための電車の中で、教え子の母子にばったり遭ったこともある。
 午前の受験を終え、午後受験に向かうところだったが、この期におよんで受ける学校で迷っているという。
 午前の受験の出来がかんばしくなかったので、お母さんとしては午後は安全路線でいきたい。本人はチャレンジ受験をしたい。それで意見が分かれているのだ。
「悔いが残らないように、ご本人の希望を聞いてあげてください」
 ここまできたのだから、と思って筆者はそう助言した。彼はとてもいい子なので、志望する学校に合格して欲しかった。だが、肝心の本人がなにも言わない。筆者だって子どもの頃は果てしなく無口だったから、気持ちはわかる。
 しかし、大一番の勝負の時に、近い存在である親に自分の希望を強く主張できないようでは困るではないか。
 後で知ったのだが、彼はその日の午前の受験で合格していた(受験生の心理というのは、間違えたところばかり気になるものなのだ)。それならチャレンジ受験をすればよかったのに。午後は結局、お母さんの言った学校を受験したそうだ。
 はたして彼は後悔しなかっただろうか。筆者としては、それが気になるところである。
 



2019.5.9

第三百四十五回 年号が変わった 

 月が変わるとともに年号も変わった。
 先月は、やたらと「平成最後の」が耳についた。テレビを見る習慣のない筆者でもそうなのだから、よほど報道されていたのだろう。
 筆者も、このブログで「平成最後の『もうひとつの独り言』」をネタに提出しようかと思ったのだが、やめた。ちなみに「令和最初」は前回になる。
 明治より前のコロコロ変わっていた時代とちがい、人生の中で年号が変わる経験は滅多にあるもんじゃない。世間が騒ぐのも当然といえば当然で、年号が変わるのにまったく無関心だと素っ気ない。 
 という筆者自身は、どんな年号になるのかは興味があったが、ひとたび発表されると、たちまち関心は失せた。だいたいみんな、そんなものではないだろうか。
 平成はちょうど30年だったわけだ。「ちょうど」じゃないけど。
「平成」が発表されたときは、和歌山南部の田舎町に住んでいる友人の家に泊まっていて、テレビで新年号の発表を見たことを覚えている。「平成」と書かれた紙を殊勝に持っているおじさんが後に首相になったのも有名な話。
 あのときは1月7日で唐突な改元だった。今回は前もって知らされていたので、「平成最後」を惜しむ声が多々聞こえたのだろう。
 ところで、漢字の画数でいえば、「昭和」は17画、「平成」は11画、「令和」は13画になる。
 筆者はかつて姓名判断の画数に凝っていたことがあり、50画あたりまで意味をいえるが、上記の三つはいずれも吉数だった。
 昭和の17画は、積極的でまっすぐに突き進む意味を持つ数。そういえば、戦前の軍部も、戦後の経済復興も、ストレートにずんずん突き進んだといえる。
 平成の11画は、コツコツと再興や立て直しをする意味を持つ数。バブルの夢から覚めた頃から今年までだ。立て直しの時代だったということか。
 そして、令和は、13画。これは大吉数。穏やかで頭脳明晰を表している。そのとおり賢明な時代になることを祈る。
 以上の画数の意味は筆者の記憶だけで書いているので、もし本当に詳しく知りたい方はご自分で調べていただきたい。
 改元というのはオオゴトだから、考えた人は当然、漢字の画数まで配慮したことだろう。もちろん、画数だけでなく、どんな漢字が当てられるかも興味深い。
 ここで筆者が思い浮かべるのは、(やや飛躍するが)織田信長がつけた「天正」の二文字である。
 ときは戦国。それまでの「元亀」などという縮こまったような年号に不満だった信長は(足利義昭との確執による)、一五七三年、天正と改めた。
 これから新たに切り開く時代をどのような世の中にするか、作る人間の精神と志が、年号を構成する漢字に表れる。筆者は「天正」という年号から、織田信長の人格が推し量れると思うのだ。




2019.5.2

第三百四十四回 国分寺道場、昼間部の効用 

 今年のゴールデンウイークは、珍しく道場が開放されていないらしい。……という掲示を見たのだが、あらためて今日確認してみると、稽古がおこなわれているようだ。
 GWに道場が開放されている場合、大勢が自主トレに集まる年と、そうでない年がある。
 前者の場合でも、休みの日だから一種独特のまったりした空気があり、稽古後にみんなで食事に行ったことがあった。仕事がないので、昼間からビールを飲んだりして、それはそれは大変な解放感なのだ。
 ある年のゴールデンウイークに、筆者は自主トレに行ったものの、うかつにもトレパンを忘れてしまった。
 そのときすでに自主トレを終えたアジアジが、「これで良かったら」と言って、着替えて脱いだばかりの自分のトレパンを差し出してくれた。心優しい仲間である。
 でも、そのトレパンは汗でびしょびしょだった。「それで良く」なかったので、筆者は丁重にお断りした。
 たとえば、道場の着替え場の棚に放置されている忘れ物の中に、臑サポーターなども見かけるが、筆者は自分が臑サポを忘れたとしても、それを借りて使いたくないのだ。もちろん洗濯されているのなら話は別だが。
 忘れたくせに勝手な言い分であることを承知でいうと、あの放置されている臑サポを使うと「なんだか痒そう」な気がして、スパーリングもマスでやるほうがマシだと思う。
 さて、平日の稽古といえば昼間部だが、かつてある人から「同じメンバーとばかり稽古している」と言って、昼間部をバカにする発言を聞いたことがある。
 だが、昼間部には、稽古内容とはまた別の、意外な特典があるのだ。
 それは、江口師範から学べる、ということである。
 誤解を避けるためにいうと、江口師範から直接の指導を受けられる、という意味ではない(師範はご自分のメニューをこなされている)。
 ただ、トレーニング中の師範と時間帯が重なっているだけなのだが、そばにいるだけでも、学ぶ気になれば、そこから吸収できることは山ほどある。
 余談だが、昔は小説家志望の若者が「弟子入り」をして、大家の自宅に同居するようなことがあったらしい。いや、本当にあったかどうかは知らないけれど、明治や大正の文学作品にはそんな話が出てくる。
 それで文芸の腕が上達するのか、と疑問に思うが、ようは尊敬する人の作品だけでなく、日常を通して、何かを掴み取ることが目的なのだろう。
 それほど向上心がある人なら、師匠の些細な言動や習慣や癖などからも、考え方の影響を受け、得るものがあるのだと思う。
 盗み取る、といえば言葉は悪いが、昼間部はそういう意味で江口師範を観察し、影響を受けられる機会でもあるのだ。今は出席していないが、筆者はかつてそうさせていただいた。
 空手で得た法則は、意外なまでに汎用性が高い。とくに何か精進したいものがある場合は有効である。昼間部には、そういうひそかな「弟子入り」に似た効用がある。




2019.4.25

第三百四十三回 メイウェザーはスーパーマンである 

4月21日、横浜アリーナ。那須川天心が、今度はパッキャオの推薦選手と試合をした。
 筆者は録画予約も忘れ、アジアジと飲むので見られなかったが、結果は天心選手の3RでのKO勝利。実に強い。
 正真正銘のスターであり、キックボクシングでは無人の野をゆくがごとき那須川天心だが、たった一度だけ負けたのは、ボクシング・ルールでの試合だった。
 もう賞味期限切れのネタだが、去年の大晦日におこなわれたボクシングの五階級王者、フロイド・メイウェザーとの試合。日本のみならず、世界中の格闘技界で話題を呼んだ夢のカードである。
 ボクシングの階級でいえば、両者のウエイトは二階級もちがうらしい。天心選手のほうが軽い。
 試合の結果はメイウェザーの一方的な勝利で、1ラウンドで3度のダウンを奪い、TKOという決着だったのは報道のとおり。
 筆者がこの試合を知ったのは、大晦日の当日だった。まず思ったのは、試合が実現されたことの驚きだ。
 天心選手がどれだけ強くても、キックボクサーがキックを封印されて試合に出るということは、空手家が突きだけで戦うのに似ている。つい蹴りが出てしまいそうだが、キック一発につき、莫大な違約金(億単位)を取られるとか。
 しかも、ボクシングの試合としてはデビュー戦なのに、その相手が五階級制覇のチャンピオンというのは、いくらなんでも無茶だろう。
 それでも試合が成立したのは、天心ならもしかするとやってのけるのではないかという期待が周囲にあったからではないだろうか。正直、筆者もありえると思った。
 結果についていえば、やはりメイウェザーがとんでもないモンスターにしてスーパーマンだったこと、そしてボクシングという競技の土壌の豊かさだ。
 メイウェザーの戦績は、50戦(20年間)無敗。勝利するのが当たり前のボクシング人生で、負けることなどわからないのだろう。
 当日も銀座で買い物を楽しみ、叙々苑で焼肉を食べ、一時間も会場入りを遅れて試合に臨んだらしい。3ラウンドのエキジビションとはいえ、余裕というか、舐めている。いや、自分の実力と試合展開を冷静に分析したうえでの行動、ともとれる。
 ファイトマネーは900万ドル、つまり約9億8000万円! 1ラウンドTKOだから、実質は3分以内の労働で稼いだ金額ということになる。汗水垂らして働いている一般人からみると泣けてくる。
 ちなみに日本へは、自家用ジェットで来たという。自家用車すら持っていない筆者からみると、文字通り「雲の上の存在」である。
 試合後はそのジェット機に乗って、そっこーでアメリカに帰る予定だったらしいが、日本で新年のカウントダウンを迎えたのだとか。太平洋をひとっ飛びにできるのだから、その意味でも「スーパーマン」である。




2019.4.18

第三百四十二回 歯は命(完結編) 

 10年以上も前だが、筆者が神奈川に住んでいた一時期に通っていた歯医者さんのこと。
 そこの担当医は女医さんで、「唾さんを吸い取りますよ」などと言う。
 唾液に人格を与えるとは尋常な感性ではない。なんでもそこは児童が主な患者であるらしく、いつもの話し癖がつい出てしまったのだという。
 そのことを友人にメールで送ったところ、
「そこは本当に歯医者さんか(笑)」
 という返信がきた。コスプレ関連の風俗になぞらえた切り返しなのだろう。
 さて、時は流れて、12年ぶりに歯科医院に通うと、これまでの怠慢が明るみに出てしまう。
 左右の上の奥歯に大きな虫歯、右の下に小さな虫歯が三つ発見された。
 杜撰な歯みがきで12年も経っているのだから、虫歯は当然かもしれず、よく歯周病にならなかったものだと思う。
 で、久しぶりに治療をしてもらった。最初は抜いてほしいと言ったのだ。そのほうが一日で治療できる。つまり一気に解決できると考えていた。
 だが、歯というのは、あらゆる健康に通じているらしく、抜歯することのリスクを説明され、治療することにした。なんでも、いきなり抜歯を希望する患者は珍しいとのことだった。
 麻酔は迅速で、昔は曲がった針のやつを長く打たれたものだが、現在はスピーディに済むよう発達している。
 歯科治療といえば、いかにも痛そうな、あのドリル音だ。
 ギューンとドリルがうなり、ガリガリと振動が頭蓋に伝わるのは、なんとも迫力がある。なんと、自分の口の中で「工事」がおこなわれているのだ。
 三連のプチ虫歯は、麻酔を三本打たれて治療した。そこが歯磨きの際、磨き落としになりがちな部分なのだろう。
 歯の麻酔はすぐに効いてくる。治療後もしばらくはつづくが、この「無感覚」というのが実に奇妙な「感覚」なのだ。
 大人のくせに、と笑われそうな話を書くと、あまりに感覚がないことに違和感を覚えて、筆者は頬の内側の肉を噛んでみた。
 普通ならある手応えがない。おかしい、まるでガムか粘土でもを噛んでいるような感触だけがあって、そのくせ強く噛んでも痛みがない。
 こんなはずがない、としきりに噛み噛みしていた結果、後で見ると頬の内側の肉がグシャグシャの血だらけになっていた。子どものような失敗である。
 ここは今まで通った中で一番いい歯科医院なのだが、予約が取りにくく、次の治療までの期間が二週間あいてしまうことも珍しくない。
 左上の奥歯は神経を抜いた。これは根管治療といって再発が多いらしく、筆者もすぐ歯茎が腫れ、化膿もあった。歯の根が割れているのなら、もう一度治療しても根本的な解決にはならず、痛み出すのを待って抜歯するしかないらしい。
 たぶんそうなるだろう。ふたたび痛み出すのを待つことにする。




2019.4.11

第三百四十一回 さよならポール先生 

さて、前回のべたポール先生のエピソードだ。
 たとえば、焼肉を食べに行ったときのこと。日本人は江口師範と筆者だけで、あとはポール先生と、来日されていたニュージーランド支部の方々だった。
 ポール先生は変な日本語を知っていて、乾杯の時に、
「かんぱーい、いっぱーい、おっぱーい!」
 と言いながら、生ビールのジョッキを合わせることがある。日本語を習得する過程で、それらの言葉の語尾に「っぱい」が共通していることに気づいたのだろう。
 そのとき、同席していたニュージーランド人の女性が「おっぱいって何?」とポール先生にたずねた。大山総裁の著書『What is Karate?』ならぬ『What is Oppai?』である。
 なるほど、日本語のテキストに「胸」はあっても「おっぱい」という名詞など載っていないだろうから無理もない(ポール先生には誰が教えたのだろう)。
 するとポール先生は、真剣な表情で、おしぼりを片手になにやら説明している。
 筆者程度の語学力でも、あきらかに嘘を教えていることがわかった。どうやら「おしぼり=おっぱい」と、まちがって覚えさせようとしているようなのだ。
 たとえば、店で彼女がおしぼりを落とした時などに「おっぱい落としてしまいました」とか、「すみません。おっぱいください」などと、誤用させるための悪戯だろう。
 で、筆者は口を挟み、その女性に本当のことを話したら、ポール先生、
「ダメー! 言っちゃダメよー!」
 あくまでも嘘を教えたかったらしい。
 ポール先生は、空手の指導もする一方、英会話教室の先生をされていた。国分寺の北口でバッタリ会ったとき、ポール先生はスーツ姿で、やはり英会話教室の同僚らしいスーツを着た白人男性と連れており、「これから、ビールを飲みに行く」と言っていて、なんだか日本での生活を楽しんでいる感じがした。
 中学校や高校でも英語の教員をされていて、かつての教え子の中に、きゃりーぱみゅぱみゅさんがいたという。きゃりーぱみゅぱみゅさんといえば、芸能人の中でも一風変わった個性と感性の持ち主だが、ファンならエピソードも聞きたいところだろう。
 ひとつ思い出すのは、国分寺道場が南口の地下にあった頃のこと。筆者と指導員の先輩(この人は辞めた)がダラダラと雑談していると、ポール先生がやってきて、ひたすら砂袋を蹴り出した。サンドバッグも筋トレもなし。
 コツコツと。黙々と。ただ砂袋を蹴りつづけ、それが終わると帰っていった。
 メニューをはっきりと決めていて、わずかな時間を割いて道場に立ち寄り、目的を遂行すると、余計なことはせずに帰った。そんな様子だった。無駄におしゃべりしている自分たちとはちがうと思った。同時に、稽古に対する姿勢を学ばせていただいた。
 ちなみに、帰国される直前に開かれたお別れ会の席で、筆者はサイン帳の一ページににメッセージを書いていただいた。英文の中で、ひらがなで書かれた「かんぱい いっぱい おっぱい」という一行が、やけに目立っていた。




2019.4.4

第三百四十回 春の墓前で 

ニュージーランド元重量級チャンピオンであり、世界大会代表選手でもあり、国分寺道場の指導員でもあったポール・クレア先生が、このたびニュージーランドに帰国されることになった。
 それもあって、3月なかばの日曜日、江口師範に声をかけていただき、筆者もお車に便乗して、市村直樹先生のお墓参りに行った。メンバーは、江口師範、ポール先生、師範の娘さんのミキちゃん、筆者の四人である。
 のどかで暖かな絶好のお墓参り日和で、不謹慎を承知でいうなら、霊園までの一時間弱は春の楽しいドライブのようでもあった。
 霊園の敷地は相当に広く、見晴らしが良くて、つねに高いビルに囲まれて行動している我々のような都市生活者には、時間の流れまでが優しく悠長に感じられた。できれば田舎に引っ越して、日常的に自然の中で生活したいものだ。
 市村先生のお墓のまわりには、とくにゴミも見当たらず、きれいに片づけられていて、供えられたばかりの花もあった。誰かが参りに来たばかりなのだろう。
 そういえば、市村先生はきれい好きだった。亡くなってからお墓のまわりがきれいなのも、やはり人徳なのだと思う。
 ちなみに、筆者が市村先生のお墓参りするのは、このときが初めてだった。それどころか、霊園の名前も知らなかったのだ。江口師範もそうだが、市村先生は人に心配させたり、気を遣わせたりすることを極力さける方だった。
 墓前では、缶ビールで乾杯した。(注・車を運転される江口師範は、もちろんノンアルコールで)。
 自分たちがお墓の前にいる間に、市村先生の道場で教わっていた方が来られて、いっしょにビールを飲んだ。墓前で誰かと会うようなこともあまりないと思うが、こういうのも市村先生の人徳か。
「亡くなることで縁は切れない」と師範はおっしゃった。
 年齢を重ねるほど、知り合いが亡くなるという経験が珍しくなくなり、子どもの頃から知っていた有名人の訃報も頻繁に聞くようになる。
 人の世の縁は運命的でさえある。長くつき合っていた交友関係が完全に断たれることもあるし、筆者などはけっこう平気で自ら断つこともある。その一方で、ポール先生のように、祖国に帰られても切れない縁があるのだ。
 先日、帰国される直前に開かれた送別会では、ポール先生との別れを惜しむメンバーが集まって、濃く充実した時間となった。4月になった現在、ポール先生は日本ではなく、ニュージーランドにいらっしゃるのだ。
 さて、お墓参りの帰りの車内で、このブログにポール先生のネタを書きたい旨を話し、ご本人から快く何を書いてもいいという許可をいただいたのだが……。
 どこまで書いていいことやら。市村先生といい、アジアジといい、ポール先生といい、どうして極真の人たちは、こうも大っぴらに書けないことが多いのだろう。




2019.3.28

第三百三十九回 アニメ版『あしたのジョー』にツッコミ 

前回書いたTVアニメ版の『あしたのジョー』を見ているのだが、まだアニメの黎明期だったのか、ミスがあまりに目につくので、いつのまにかアラ探しをするようになってしまった。
 いくつか挙げてみる。
 たとえば、ジョーがアルバイトをしている乾物屋の娘・紀ちゃんにトランクスをプレゼントされ、はしゃぐ場面があるのだが、そこにプリントされた「J」の下側の向きが逆になっているのだ。つまり右側に曲がっている。恥ずかしいミスである。正しい向きのカットもあるので、紀ちゃんの製作上の失敗という解釈はできない。現実ではあり得ない現象だ。
 それと、白木ボクシングジムのビルの上につているアルファベットが、本来「SHIRAKI」であるところ、「SHIRAK」になっている。
 また、ジョーを慕うドヤ街(って何だろう)の子どもたちの中で、サチという女児が背伸びをして、スカートの下から下着が見えるのだが、次のカットでは白タイツに替わっている。
 物語には、たとえどんなに荒唐無稽であっても、押さえていなければならないリアリティというものがある。それが杜撰だと、フィクションとはいえ世界そのものが崩壊しかねない。
 白木ビルの「SHIRAK」は、「業者の手違いだった」という苦しい解釈ができないわけではないが、「J」の曲がる向きがコロコロ変化したり、登場人物の服装が一瞬で替わっていたりするような矛盾は、それに気づいた瞬間、一気に白けてしまう。
 ストーリー上、洒落にならないミスもある。ウルフ金串との試合だったと思うが、ラウンド数がちがっていた。試合が進んでいるのに、電光掲示板の表示が「RAUND1」になっていた。これなどは本気で視聴していると混乱する。
 力石戦の直前に、ジョーと段平のセリフの順が逆、というのもあった。

ジョー「どうもこうもあるかい」

段平「ジョー、どうしたってんだよ」

 というやり取りだが、段平にどうしたのかと聞かれる前に、ジョーが「どうもこうもあるかい」と答えているのだ。声優さんたちは気づかなかったのだろうか。
 ちなみに、試合に不満を抱く観客たちの野次が汚いのは時代背景かもしれない。現在の観客はもっと上品だろう。彼らによって投げこまれる座布団が、まるで編隊を組んでいるように同じ軌道で列をなし、X字型を描いて飛んでいるという演出も、なんだか可笑しい。現実ならランダムに乱れ飛ぶはずである。
 そんなこんなで第54話まで見たが、その回でも、白木会長と葉子がハイヤーで夜の街を帰る場面で、車の窓の外を流れていく繁華街のネオンが同じというミス(手抜き)があった。
「グランドコンパ」「クラウン」「サウナ」「クスリのタカセ」などのネオンサインが延々とくり返し流れつづけていくのだが、これが現実なら、ハイヤーが同じ区間をぐるぐる走っていることになる。放送当時は一般家庭にビデオデッキなどが普及していなかったから、そんなことまでチェックするやつがいなかったのだろう。
 それにしても、これだけ不可解な現象がつづくと、もうボクシングアニメというより、世にも不思議なアメージング・ワールドを舞台にした作品を見ているような気がしてくるのだ。




2019.3.21

第三百三十八回 『あしたのジョー』を見る 

「春休み」という言葉に一種の甘い響きがあるのは、宿題というものがないからだろう。
 気候と同じようにのほほんと過ごせるしばしの休暇は、子どもにとって『ドラえもん』のシリーズをはじめアニメ映画が上映される時期でもあり、筆者も昔『幻魔大戦』などを春休みに見たものだ(大駄作だったが)と懐旧。
 梶原一騎×ちばてつやによる不朽の名作『あしたのジョー』劇場版が公開されたのも、はるか昔の春休みだった。
 そのころ筆者は、非戦闘的なおとなしいタイプの小学生で、西宮の商店街を歩きながら、おぼたけしの歌う「男なら、戦う、ときぃがくる」という主題歌がスピーカーから流れているのを聞いて、「そうとは限らない。戦わない男もいる。それは僕だ」と思ったものだった。
 当然、格闘技には興味がなく、ボクシング漫画・映画である『あしたのジョー』も見たいとは思わなかった。
 それはさておき、去年が『あしたのジョー』50周年とかで、テレビ版の『あしたのジョー』と『あしたのジョー2』全話が収録されたDVDマガジンが刊行されている。
 筆者らは梶原一騎のブームが過ぎて、どちらかというと松本零士のSFが最盛期だったころの世代なので、一作目はリアルタイムでは見ていない。
『2』のほうは、どういうわけかエンディングだけ見ていた。ジョーがシャドウをしている向こうで、丹下段平が傘を持ってたたずんでいるシーンがあり、それがあたかも仮想敵のようで、段平の容貌から、「こいつが敵のボスなんだな」と思った記憶がある。
 子ども心には、それまでに見てきた番組の先入観から、敵キャラとしか思えなかったのである。まさか味方で、しかもコーチだとは夢にも思わなかった。
 段平はしかし、窮地になると選手よりも取り乱しているのだから、あまり優秀なコーチとはいえないだろう。自分がジョーをボクシングの世界に誘いこんだくせに、試合を投げだしている時もある。
 筆者が『あしたのジョー』を初めて見たのは、二十歳を過ぎてから。TVシリーズではなく、レンタルビデオショップで借りた劇場版アニメだった。
 友人に驚かれたものだ。彼はビデオの絵を見せて「(ジョーが)こんな人だっていうのも知らなかった?」ときいたが、有名な作品だから、さすがにキャラクターは知っていた。
 その劇場版を見て、『あしたのジョー』とはこんなにいい作品だったのかと思った。
 コミックも読んだが、ちばてつや先生の絵が味わい深い。作品の評価はもはや不動のものなので多くは触れないが、やはり力石の減量の描写が心に刺さる。マンモス西のうどんのエピソードも、誰がバカにできるだろう。身につまされるぐらいだ。
 原作者の梶原一騎先生は「『巨人の星』で野球を描き切り、『あしたのジョー』でボクシングを描き切り、『空手バカ一代』で空手を描き切り、『タイガーマスク』でプロレスを描き切った」という意味のことを豪語されていたが、それがあながち否定できないのが凄い。
 筆者はこの機会にTVアニメ版をすべて見ようとして、前述のDVDマガジンを買っている(と、いきなり終わる)。




2019.3.14

第三百三十七回 白い日 

なぜ「White」な「Day」なのかという疑問はさておき、今回の更新が3月14日なのでホワイトデーについて書く。
 といっても、ネタがないかもしれない。今までその回のネタを決めると、無理矢理にでも規定の分量(1600字・原稿用紙で4枚分)まで引っ張って書いていたのだが、今回こそはまとまらないのではないか。というのは、筆者はチョコをくれるような奇特な方がいたとしても、ほとんど返すことがない不義理者だからである。
 記憶をたどってみると、ホワイトデーといえば、サラリーマン時代にこんなことがあった。
 文房具メーカーで、7人の部署にいた頃である。男性が5人、女性が2人だった。
 ホワイトデーが近づいた頃、男性全員からチョコを贈るので、お金を集めると係長が言った。このときの金額は、たしか600円ぐらいだったと思う。
「えっ、返すんですか?」
 筆者が聞き返すと、係長は「当たり前じゃないか、もらったんだから」という。
 たしかに、何かをいただいたら返すのが礼儀なのだが……。
 筆者は聞いていたのである。バレンタインデーに、2人の女性社員がデスクに5枚のティッシュペーパー(男性社員5人分)を並べ、その上に大きな袋に入ったチョコを均等に分けながら、「こんなのでいいよね」と話していたのを。
 そんな程度にしか思われていないのに、一人600円として5人で3000円のものを買い、女性社員2人で分けると、1人1500円ほどのお返しをするというのはどうなのだろう。
 どうやら男性社員のほうがロマンチストというか、チョコのやり取りを大げさにとらえているらしく、それが滑稽であると同時に、また哀愁も感じさせた。
 そういえばよその部署へ行っても、もらったチョコの箱をデスクの上にのせている人が多かった。筆者などはどちらかというと、そういうものは見られないようにしたいのだが、それもまた意識過剰なのかもしれない。
 一度、バレンタインデーに同期入社の女子社員から内線がかかってきて、「いいものをあげるから、(うちの部署まで)取りに来て」と言われたことがあった。
 もちろん行かなかった。理由は、犬じゃないからだ。人をなんだと思っているのだ。
 年賀状と同じで、チョコのやり取りも儀礼的になったら中止したい。
 職業柄、受験が終わった時分には、職場にチョコが散見される。ゴディバなどの自分では買わない豪華なものを多く見かけるが、これは女子の親御さんからいただくお歳暮のようなものかもしれない。生徒がくれるのも、もちろん「お礼」という意味のもので可愛らしい。
 そういえば、もうずっと昔のことだが、個別指導していた子から宅配でチョコを贈られたことがあった。家にいるときに届けられるのはサプライズがある。
 読書好きの子だったので、筆者はミヒャエル・エンデの『はてしない物語』を贈ったことを覚えている(ほんと、ずっと前だ)。いっしょにクッキーも送ろうと思っていたのだが、同封するのを忘れてしまい、後になって自分で食べたという行為は「はしたない物語」だろうか。
 そんなこんなで、今回も無理やりいつもと同じ文字量まで引っぱって書いた。




2019.3.7

第三百三十六回 歯は命(後編) 

 歯科医院の待合室というのは、子どもにとっては複雑な空間だ。
 治療室から恐ろしげなドリルの音などが聞こえてくる一方、本棚に並べられている書籍には不思議と興味を引かれてしまう。自分から選んだわけではないだけに、思わぬ情報がもたらされるからだ。
 小6ぐらいの一時期、マウスピースのような透明プラスチック製の歯科矯正具を前歯に嵌めていた筆者は、友達と二人で歯の定期検診に通わされていた。
 余談だが、極真の試合で義務づけられている「マウスガード」は、「マウスピース」とどう違うのだろう。
『あしたのジョー』では、いとも簡単に吹っ飛ぶ「マウスピース」だが、マウスガードはがっちりと歯に嵌っていて、手を使わなければ外れることなど無さそうなのだが。……などと白々しく書けば、「この人はフィクションの表現を真に受けてる」と思われそうだ。
 話を戻すと、筆者は小6のとき、歯医者の待合室で読んだ雑誌で、初めて「ノストラダムスの大予言」を知った。
 天から恐怖の大王が下りてくる!?
 1999年に自分が何歳になっているのか、その場でただちに計算し、その年齢で死ぬのかと思うと凹んで、子どもながら虚無感に支配された。
「いま歯を治療したところで、どうせ……」と暗澹たる気持ちになったのだ。
 ノストラダムスが恨まれるのは当然だろう。いらぬ予言をするほうが悪い(いまの若者は、ノストラダムス自体、知らないのではないか)。
 さて、永久歯が生えそろうと、今度は親知らずという厄介なものが発生してくる。
 レントゲンで検査したところ、筆者には親知らずが3本見つかり、その3本ともサラリーマン時代に抜いてもらった。
 そのとき通った歯医者さんに、ひとつ申し訳ないことをした思い出がある。
 サラリーマンだったので、予約は土曜日の午後に入れていた。
 その日、午前中に外出し、いったん家に帰って昼食をとる予定だったのだが、所用が長引いてそんな暇がなくなり、外で餃子定食を食べた。そして帰路、予約の時間が迫っていることに慌てた。
 今ならこんな失敗は決してしない。年を経るにつれて時間のコントロールは上達していくが、若い頃というのは実に愚かな失敗に満ちているのだ。いったん家に帰る時間がなくなってしまったのである。
 予約時間に間に合うためには、医院へ直行するしかなくなった。
 で、そのまま行った。つまり歯を磨かないまま、だ。
 思い返してもゾッとする。餃子定食を食べた後、口をゆすがず、細かい食物の破片を残した状態で、歯科医に口を開けたのである。
 こんな失礼なことはないだろう。歯医者さんにはなにも言われなかったが、過去にさかのぼって謝罪したい相手の一人に数えられる。




2019.2.28

第三百三十五回 歯は命(前編) 

 記憶にあるかぎり12年ぶりで歯医者さんに通っている。  きっかけは去年の初夏、サラリーマン時代に治療した奥歯の詰め物が経年劣化してポロッと落ちてしまい、穴があいてしまったことだ。
 結果、そこに食べたものが詰まるようになり、師範とアジアジと筆者の3人で食事しているとき、それが妙に気になって箸の先でほじっている(なんて行儀の悪さだ)と、師範に爪楊枝を使うように言われた。そう、筆者はこれまでの人生で爪楊枝を使う習慣がなかったのだ。
 さらに放置して、歯科医院に足を運んだのが、去年の11月。いい年をして大きな虫歯が2つ見つかった。左右の上の奥歯で、これは歯みがきを雑にしていた結果といえる。
 ところで、普通は皆、一日に何回、どのくらいの時間、歯みがきをしているのだろうか。
 筆者は一日一回、出勤前に超高速でザッと30秒ぐらいだった。それが今通っている歯医者さんでいろいろ話を聞いたところ、寝ている間に菌が繁殖するとのことで、寝る前の歯みがきに5分はかけるべきだという。
 それを守って、今現在は、出勤前の超高速歯みがきは変わらず、寝る前に5分以上かけて念入りに磨くようになった。これは歯みがきの話と磨き方を聞いてから一ヶ月以上欠かさずつづいているので、もう習慣になったといえる。
 歯医者さんのネタを書くついでに、過去に通った歯科医院を思い出してみると、小3のときに前歯の歯茎を手術した和歌山市の医院が記憶のはじめにある。
 手術というと大げさだが、当時の筆者は前歯の間が少し開いており、その処方として、歯茎をメスで切って縫い合わせることで、隙間が閉じ合わされるというのだ。
 そのころはもう手塚治虫の『ブラック・ジャック』を読んでいたので、自分が「手術」されると聞くとドキドキした。が、むしろ好奇心のほうが強かったせいか、不思議なことにそれほど恐怖は感じなかった。
 医師はそれこそブラックジャックのように愛想のない先生で、医療機器を売りにきた業者に対し、「ええ値段やな」と返していた。そのセリフからして、ますますブラックジャック的だと思った(こんな会話を覚えているということは、やはりそのときの筆者にとって手術されるという経験は「事件」だったのだろう)。
 そして、いざ手術という段になって、その医師が助手の人に、メスを「もっとスパッと切れるやつ」と指示していたので、内心で「ひえーっ」と思った。
 メスでスパッと切る。小3には刺激的すぎる一言である。局所麻酔なので、チェアユニットに横になったまま、やり取りは聞こえるのだ。
 にしても、今から思えば、「スパッと切れないメス」がそこにあったということか。どういうことなのだろう。
 で、言葉通り「スパッ」と歯茎を切られ、その切り口を3針縫って閉じ合わせるという簡単なものだったが、子どもながらにおとなしく手術を受けていたので、医師からは褒められた。子ども時代に褒められた筆者の数少ない経験のひとつである。
 なんにせよ、それで前歯がくっつき、隙間はきれいになくなった。(次回に続く)




2019.2.21

第三百三十四回 インフル? 

キーンと、うなじを寒気が突きぬけた。  帰りの夜道。午後11時近く。凍えるような冷たい風が背後から首筋を貫通し、皮膚の奥まで冷気が直撃した。後から思えば、それが原因だった。
 その夜から朝にかけて、脳をじかに締め付けられるような痛みに見舞われ、夜通しうなされた。とても眠っていられない。頭だけでなく、なにやら眼底まで圧迫される感じだった。
 年末あたりからインフルエンザが「猛威を振るっている」というお決まりの形容で報道されていたので、さてはかかったか、と思った。
 で、屈辱的に仕事を休み、頭痛薬を買いに消耗しきった状態で薬局に向かっていたのだが、途中、道場の一番近くのビルにある内科が(土曜日だが)やっていたので、飛び入りした。
 受付の時間を過ぎていたので、断られても仕方がない。とにかくフラフラだったし、明日以降の仕事のために、風邪かインフルかの診断をしてもらいたかったのだ。
 受付前のソファにはびっしりと人が並び、「行列ができる診療所」という最悪の混雑状態。シーンとしている中で事情を告げるのは嫌だった。前から疑問なのだが、病院などで「○○さん(名字)、○○○○(フルネーム)さん」と呼び出すのは、個人情報保護の観点からどうなのだろうか。ファストフード店のように「番号札○番の患者様」で十分だと思うのだが。
 受け付けてくれるというが「ただし割増料金が発生します」と言う。もちろんかまわない。座席の隅っこで、先に来ていた予約の人たちが呼ばれていくのをひたすら待っていた。その間、ただグッタリと頭痛に耐えるだけで、院内の雑誌を読むエネルギーもなかった。
 予約していた人たちが全員呼ばれ、待合室は筆者だけになったが、それからも一向に呼ばれず、一人だけの状態で50分以上待った。昼時だったので、たぶん医師が食事を取っているのだろう。そんなことで不満は言わない。誰だって食事ぐらいは取る。
 だが、午後受診の時間に入って、後からポツポツとやって来た人たちが先に呼ばれ始めたのだ。予約していたからだというが、それなら何のための割増料金なのだ。筆者の倒れそうな状態を目の前で見ているのに、受付も非情である。
 ここは健康診断でも一度来たが、医師がもっさりしていて説明にも要領を得なかったことを思い出した。それに横になりたくてたまらなかったので、我慢できずに帰った。合計2時間待ったのだ。予約者は後を絶たないから、あのままいたら一番最後まで待たされただろう。
 こんなことを書くのは大人げない? そう、愚痴です。愚痴を聞いてもらいたくもなります。
 筆者が自覚している立腹のツボに「きちんと仕事をしない人」というのがある。でも相手の店(病院)に良くなってもらおうとは思わない。自分が関わらなければいいのだから。
 バファリンを飲むと、急場しのぎだが、とりあえず割れんばかりの頭痛は治まった。
 月曜日に別の病院へ行き、綿棒を鼻の奥まで突っ込まれて検査すると、意外なことに結果はインフルエンザではなかった。風邪にしてはかつてないほど重い症状だったのだが。
 その後も軽い頭痛は二週間ほどつづき、実はこれを書いている現在も本調子には戻っていない。なんとなくまだ芯に残っている感じがして、今はマフラーを巻いて出かけている。必殺シリーズのようにうなじを刺し貫いたあの寒気は何だったのだろう。




2019.2.14

第三百三十三回 浮世の義理でぃ 

333回なので東京タワーのネタにするか、それとも2月14日の更新なのでバレンタインデーのネタにするか迷ったのだが、筆者は東京タワーに一回した上ったことがないので後者を選んだ。以下、ギャグになりそうなエピソードを集めておく。
 筆者などは職業柄、子どもからチョコをもらう機会があり、小学生でも手作りのやつをくれるのだが、中には世にも不可解な「味なしチョコ」があった。
 たぶん甘味料を入れ忘れたのだろう。一口食べて「なんだ、これは!?」と思った。甘くないどころか、まったく味がしないスカスカの不思議なチョコで、柔らかくて粘土を噛んでいるような感触なのだ。「無味の食物」を口にするという稀有の食体験だった。
 不可解な渡されかたもあった。授業後にみんな帰ってから、ひとり残った子(中1)が、無言で、パシンと置いていったのだ。笑顔でもなく、いっさい無言。小ぶりのチョコを「王手!」という感じで、机に叩きつけて去っていった。あれはいったい何だったのだろう。
 中には「お兄ちゃんにあげた」などとかわいらしいことを言う子もいるが、筆者にはその真逆の経験がある。すなわちバレンタインデーに、妹にチョコをあげたのである。
「なんでだ、変態か!?」と思わないでほしい。これには説明が必要だろう。
 チョコなどたいしてもらわない筆者だが、人生の中でもっともたくさんいただいた時期が、高校生の頃だった。そしてその頃、「かい人21面相」を名乗る愉快犯が、バレンタインの時期に某メーカーのチョコに毒を入れてばらまく、という声明文を発表し、世間を騒がせたのである。伏せる必要もないだろう。「グリコ・森永毒入りチョコレート事件」だ。
 皮肉なことに、そんな年にかぎって、筆者はたくさんチョコをもらった。
 10個以上あったか、妹はそれを羨ましがっていた。「男はいいな」と言う。妹の感覚は幼く、「誰が誰にあげる」というような関心ではなくて、ごく単純にお菓子としてのチョコが(男というだけで)この時期になると手に入る、ということが羨ましいというのである。
「そうか、それなら」と筆者はチョコを妹に分けてあげた。……グリコ・森永のやつを選んで。
 ひどい兄だと思われるだろうか。流通は厳重にチェックされ、大丈夫だといううわさは流れていたが、万が一ということがあるかもしれないではないか。
 一方、同級生の女子に悪戯されたこともある。高1の2月14日、友達と話していると2人の女子が筆者の前に来て、1人が教室で人目もはばからず、深々と体を折って、きれいに包装された箱を両手で渡してくれたのだ。友達は「おおーっ」と言い、筆者は悠々と受け取った。
 あけてみると、中身は木片だった。振ったらカラカラ鳴るのでおかしいとは思った。たしかに一言もチョコとは言ってない。仲のいい子だから冗談ですんだが、ややムカついたのは事実だ。彼女が渡すときに下を向いていたのは、笑いを隠すためだったのかもしれない。
 微妙な距離の子からもらったときは緊張した。しかもメッセージ付きで、迷路のパズルが添えられており、それを解くと秘密のメッセージが浮き出してくるというではないか!
 ドキドキして迷路パズルに挑んだところ、出てきた言葉は、「う・き・よ・の・ぎ・り」。
 そんなことはわかっているのである。なにもわざわざ複雑きわまる迷路パズルを解かせてまで伝えてくれなくてもいいのである。




2019.2.7

第三百三十二回 アジアジとは何か!? 

 このブログに時たま登場する「アジアジ」とは何なのか?  大山総裁の著書『What is KARATE!?』になぞらえるなら、『What is AJIAJI!?』といったところか。
 ところで、今回のネタは、江口師範のリクエストによる。1月に当ブログの更新を飛ばしてしまったので、そのお詫びもかねて御希望のテーマを尋ねてみたのだ。
 筆者としては必殺シリーズの線が濃厚だと予想していたのだが、案に相違して、こともあろうにアジアジとは! 大変な出世ではないか。アジアジは必殺シリーズを超えたのである。
 特定の人物のことを書くので、書いてもいい内容を打ち合わせるため飲みに誘ったが、時間が合わず、メールでのやり取りになった。返答は「好きに書いてくれ」とのことだった。
 いや「好きに書いてくれ」と言われても、こっちがこまるのだ。この男、問題が多くて書けないことも多すぎるのである。合宿の夜に窓を開けて叫んだ内容を書いてもいいと思っているのだろうか。なにが好きに書いてくれだ。
 アジアジのほうでは、筆者のことをあまり知らない人に対しても、事実無根の誹謗中傷をすり込んでいるようなので、こちらだけ遠慮する必要はないのかもしれない。それに「アジアジ」というのは本名ではなく、符号のようなものだし、気を遣うのも馬鹿らしくなってきた。
 そこで内容を絞ることにしたのだが、アジアジといえば、なんといっても「顔面殴打」である。代名詞であり、一番の得意技といっていい。筆者はスパーリングで度々もらってしまった。
 そのときの言葉が、「ごめんごめん。わざとわざと」だ。笑いながら言う。これほど誠意のかけらもない謝罪文句は、そうあるものではない。ムカつくし、反則なのだが、たとえ反則でも空手家ならもらっちゃいけないという気持ちもあるので、こっちも文句は言えない。
 そこでつけたあだ名が、「国分寺の守友完矢」だ。
 これには説明が必要だろう。守友完矢氏は、全日本大会で活躍されていた先輩にあたる方だが、呼び捨てにしているのは有名人だからである。たとえば、我々が普段の話題の中で「森善十郎は」とか、大山総裁のことを「大山倍逹」というようなものだ。(以上、言い訳)。
 守友選手は、全日本の試合などで顔面殴打が多かったのである。対戦相手を何人マットに沈めたか数知れない。そのシーンがスロー再生され、片手をあげて「ああっ、ごめん」と謝っている姿が、東京体育館のオーロラビジョンに大写しになっていたこともある。
 やや話は変わるが、顔面殴打といえば、筆者は極真の飲み会の翌朝、なぜか顔が痛いことがあった。泥酔していたので前夜のことは記憶にない。で、アジアジに「顔が痛いんだけど、ゆうべの飲み会で何かなかった?」ときくと、「そういえば○○先輩が殴ってたよ」という。
 こんな世界なのである。といっても、これを読んで入会をためらっている人がいるなら、初心者にそんな心配はいりません。これは、ただれきった惰性の付き合いでの話です。
 アジアジのことで、いいことも書こうと思って探したのだが、とくに見当たらなかった。
 ただ、ともに組んで事業をするなど、金銭が絡むビジネス系の付き合いはしたくないという。アジアジは、筆者との関係を「殴るか蹴るか、酒飲むか」だと言っていた(七五調だ)。
 殴るのはいいが、顔面は反則だという認識も必要だろう。「国分寺の守友完矢」は今日も顔面殴打を繰り出しているのだろうか(それとも筆者に対してだけか)。




2019.1.31

第三百三十一回 年賀状を廃止しました 

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
 ……というのも時季外れで、もう正月はとっくに過ぎている。ぎりぎり1月の提出に間に合ったが、これが今年最初の更新なのだ。
 このブログを定期的に閲覧されている奇特な方はお気づきだったかもしれないが、今年になってから更新できなかった。詳しいことは省略するとして、筆者の場合、こういうのはまず大抵パソコンおよびネットワーク上の不備である(そしてこのたび、とうとうMacに買い換えた)。
 さて、冒頭に年賀の挨拶のようなことを書いたが、今年の分から、筆者は年賀状というものを出していない。
 いや、よく考えたら去年からだった。市村先生が亡くなっことがきっかけで誰にも出さず、そのまま「もういいかな、年賀状は」と思ったのだ。
 昔は面白かった。初めて年賀状をもらったのは、幼稚園の年長組のときだ。相手は、幼稚園でペアになっている子、といっても意味不明だろう。
 ようするに、その幼稚園では、遠足などで外を歩いたり、なにかイベントをするときに、しょっちゅう男児と女児で二列になって行動しており、そのとき筆者とペアになる相手の子がくれたのだ。両親だけでなく、自分にも年賀状が届いてうれしかったのを覚えている。
 異性から届いた年賀状を意識するようになるのは、中学生あたりだろうか。とくにそれが、これまであまり口をきいたことのない女の子だったりすると、ちょっとした「事件」である。この年賀状にはどういう意味があるのだろうと勘ぐったりもし、実は何の意味もなかったことが後にわかったりもする。
 中学や高校のころ、同級生の女子から届いた年賀状には、筆者の似顔絵が描かれていることが多かった。もちろん手書きである。イラストにすると面白かったのだろうか。特徴のない外見をしているはずなのに、なぜだろうと思った。
 このブログの第261回と第262回に書いた同級生のホズミ君は、高校時代、同じ年に年賀状を4枚も送ってきた。そのうち3枚が自作の4コマ漫画で、一枚につき二作ずつ描いてある。どこかに保管しているはずだが、絵がうまい。これに加えて「だめ押しの4枚目」として普通の(4コマ漫画ではない)年賀状もくれている。
 凝りまくっているではないか。同じ相手に対して異様な情熱である。
 そうなのだ。若いころに年賀状が面白かったのは、エネルギーと情熱にあふれていたからだ。大人になると、ダイレクトメールのような大量印刷されたうちの一枚、という年賀状になり、もらっても感慨がなく、また自分自身も、それほどの情熱を年賀状に注いでいられなくなる。
 今でも生徒がくれた年賀状には、やはり子どもならではの純粋な気持ちがこもっていて微笑ましい。筆者の個人情報は伏せているので、届く住所は校舎のものであり、もちろん返事にも住所は書かず、手渡しで返す。今後、年賀状を書くのはこの場合だけになるだろう。
 今年、大人からいただいた年賀状には、寒中見舞いを返した。何十年ものあいだ続けてきた慣例や習慣も、変えたり辞めたりすることができるのだ。