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もうひとつの独り言 2013年
2013.12.20
第八十九回 じぇじぇじぇ!
なんで今ごろ「じぇじぇじぇ!」なんだ、というツッコミはおさえていただきたい。
NHKの朝の連続テレビ小説『あまちゃん』は、とっくに終わっている。しかも筆者は観ていなかった。観ていなかったが、実家に帰った時にちょっとだけ観たら、なんとなく面白そうだったので、10月に放送された『あまちゃん 総集編』を録画し、ずっと放置していて、先日やっと視聴したのである。
ついでに言うと、現在の筆者は仕事でエネルギーを放出して帰ると、ぐったりして、もうそれから持ち帰った仕事などをする気力はない。で、もっぱら飲食しながら必殺シリーズ等のDVDを観て過ごしている。つまり、夜は受け身になっているわけだ。
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「じぇじぇじぇ!」に話は戻るが、NHKの朝ドラって、なんであんなに視聴率がいいのか、それこそ「じぇじぇじぇ!」である。筆者の父親はNHKに勤務していたので、子供のころから、毎朝、連続テレビ小説はつけられていた。日曜日の夜8時も、大河ドラマにチャンネルが決まっていたが、子供だったせいか、当時は同時間帯の『西部警察』や『宇宙空母ギャラクティカ』のほうが観たかった。それに大河ドラマはともかく、朝ドラは通勤ラッシュの時間帯に重なっているのに、あんなに視聴率が取れるのは不思議だ。
で、『あまちゃん』だが、面白いことは面白かったが、筆者はてっきり海女の活躍を全面的に押しだしたストーリーだと思っていたのである。
でも、半分以上は芸能界ネタだった。もっとも、夢をかなえるというポジティブな軸はブレていないし、そもそも「先入観による期待はずれ」で作品の評価を語るべきではない。
主演の能年玲奈は、今や国民的レベルにまで知名度があがったが、不安げな顔で駅のプラットホームに降り立つ初登場のシーンでは、まさか現在のようになるとは思っていなかったにちがいない。
ちなみに、受け持ちの生徒の1人が、能年のことを「あの女、ブサイクだ」と言っていたが、たぶん大げさな「じぇじぇじぇ顔」の印象によるものだろう。もちろんブサイクだとは思わない。取ってつけたような役作りではなく、あの大口を開けた笑い方が素朴で、可愛いヒロインだったと思う。
それと、小泉今日子が演じる母の、80年代のシーンで出てきた少女が、しばらくは当時のキョンキョンの映像を合成して使っているのかと錯覚したほど似ていた。あのころ流行った「聖子ちゃんカット」の髪型のせいかもしれない。『あまちゃん』には、そういう80年代へのノスタルジーを楽しむという見方もある。
思えば、80年代はアイドルの全盛期だった。筆者はキョンキョンと誕生日が同じだが、レコード!(CDではない!!)は持っていなかった。石川秀美や、音痴の役で出ていた薬師丸ひろ子なら持っていた。二人とも年上だが、相当可愛いと思ったものだ。アイドルかどうかはともかく、西崎みどりの『流星』(必殺シリーズ『新・必殺仕舞人』の主題歌)も持っていた。
などと書いていると、また聴きたくなってきた。当時の彼女たちの歌が収められたベスト盤CDは今でもネットで手に入るんじゃないか、となかば本気で買う気になっている。これも『あまちゃん』効果である。
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2013.12.12
第八十八回 過去問の季節
塾講師の仕事には無償奉仕が多い。現在、中学受験生(小6)の過去問の持ち帰り添削をしているが、タダ働きのわりに忙殺されている。過去問というのは、文字どおり、志望校別に過去の入試問題をまとめた問題集が市販されていて、生徒は自分が受験する学校の問題集を買い、解いて、見てほしいと言ってくるのである。
質問の箇所は、たいてい「○○字以内で答えなさい」と文を書いて答えさせる記述問題である。生徒は模範解答を見ても、自分の答が正解かどうか判断がつかないが、自分たち先生は、どこを押さえていればいいかというアドバイスができる。模範解答というのは、あくまでも模範であって、絶対解答ではないのである(中には「模範」とは思えないものもある)。
記述でなくても、国語は一瞬で解けるものではなく、まず長文を読まなければならないので、それなりの時間はかかる。それから、解く手順を赤ペンでびっしりと書いていく。
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本文中に線を引いたり囲んだりそれらをつないだりして、視覚的にもしめす。本当は、生徒自身ができていないとダメなのだが、本人の書き込みを見ていると、まだ解法が身についていないな、とわかる。
国語は教えるのが一番難しいと言う先生もいるが、筆者は一番おもしろいんじゃないか、と思う。といっても、国語と社会しか教えた経験がないから、算数・数学と理科についてはわからないが。
国語の解き方には、どの言葉が手がかりになって、どうつながっていくかを説明することに、まるで推理小説で謎解きをしているような論理的カタルシスがあるのだ。感覚で解いていると、自分とフィーリングの合う文章なら解けるが、そうでない長文には手も足も出なくなる。あくまでも論理で解くことを実践させていく。
添削もやっているうちに熱中してくる。わかりやすいだろうという自信はある。プロなら当然だし、それぐらいの自負がないと、やっていられない。
一回出した子は次からも出してくるが、出さない子は一度も出さない。それでいいのか、受験するのに大丈夫なのか、と言いたくなるが、全員に出されるとこっちが過労死してしまうので、言わない。情熱には情熱で応える。水を飲みたくない馬を、わざわざ水辺まで引っぱっていく無駄な労力は省きたい。ただでさえ今年は、去年の2~3倍の分量を受けとっているので、これ以上出されると困るのである。
中には「国語の授業、大好きです」と書いたメモが添えられていて、こっちも「おっしゃー」と気合いが入ることもある。でも、テキストにのっている知識事項まで片っぱしから質問する子もいて、「んなこと、自分で調べんかい」と書き返したくなることもある。提出する際のオキテは説明しているのに、なかなか守られない。4年分まとめて出すやつもいる。つまり4人分だ。前回の授業で説明したばかりのことをきいてくる子もいる。まったく質問がなく、何をしてほしいのかわからないケースもある。
「もうイヤッ、こんな生活ッ!」と、思わず『必殺仕置屋稼業』の小松政夫のような古いギャグが飛び出しそうになるが、この時期は仕方がないと開きなおって、今日もひたすら机に向かっている。
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2013.12.5
第八十七回 冬がまた来る
街をゆき 子供の傍(そば)を通るとき 蜜柑の香せり 冬がまた来る
これは、木下利玄の短歌である。「香せり」というからには、つんと酸っぱい香りのするような、まだ青い蜜柑のことだろう。この短歌が国語の問題に使われると、「冬」のところが空らんになっていて、そこに季節を表す語を当てはめなさい、と問われたりする。
たまに「夏みかんっていうから、夏だ!」と答える子がいるが、わざわざ「夏」をつけるからには、それが柑橘系の中でも別種の果実であるからで、普通のみかんがお正月の餅の一番上に乗っているのを思い出せば、冬の季語であることは簡単にわかる(注・ただし、正月の風物は春〈新年〉の季語になる)。
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さて、筆者は和歌山県の出身だが、和歌山といえば紀伊国屋文左衛門の時代から、みかんが有名だ。みかんだけでなく、梅も柿も日本一の取れ高という、知られざる果実王国(ようするに田舎)なのである。
そんな紀州人にとって、みかんは「冬になると自然に出現するもの」で、生まれてこの方、筆者は一度もみかんを買ったことがない。冬が来れば、甘くて美味な南紀の「有田みかん」がコタツの上にあるのだから。
梅のほうも、母の友人が無農薬で栽培していたのを譲ってもらっていた。梅につく虫は夜に出てくるので、農薬を使わないために、割りばしでつまみ取って駆除するという手間をかけてくれていたらしい。
むろん保存料も着色料も不使用の、栄養価の高いホンモノの紀州梅だったが、残念なことに今年から手に入らなくなった。これは、そのおばさんのやむを得ない事情なので、筆者がいくら残念がっても仕方がないのだ。
「でも、有田みかんは送ってもらうぞー」と今年も楽しみにしている。
話はまったく変わるが、筆者は中学生のころ、みかんを空に投げたことがある。
いくら和歌山でみかんの稀少価値が低いといっても、罰当たりな所業である。なぜそんなことをしたのかは自分でもわからない。その年齢のオスガキのすることに、もっともらしい理由などなく、ただ投げたくなったから投げたというしかない。
場所は、空き地だった。投げたら驚いた。ものすごく飛んだのだ。
手から離れたオレンジ色の球は、野球マンガのホームランのように、カキーン(柿ではないが)という感じで空いっぱいに放物線を描き、空き地の向こうの民家の屋根を飛びこえて、ついには見えなくなってしまった。
軟式ボールを投げるぐらいの感覚だったので、これには本当にびっくりした。もし落ちた先で人に当たったらどうしよう、と考えると、焦りはつのり、早々にその場から退散した。
この予想外の飛距離は、筆者の肩が特別に強かったせいでは、もちろんない。
思うに、内部に水分と食物繊維が詰まっていて適度な重量があったことと、外皮の表面の細かな凹凸によって空気抵抗を減らす構造になっていること(ゴルフボールと同じ)がその原因ではなかろうか、と後になって考えたのだが、どうせなら投げる前に考えるべきであった。
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2013.11.28
第八十六回 最高のラストシーン
今回は、不朽の名作映画『ゴッドファーザー』について書く。
ご覧になって「いない」方はいらっしゃるだろうか。マフィアの抗争を描いた暴力映画と断じるのは早計であり、誤解である。筆者は、映画があまりに良かったから、マリオ・プーゾの原作(早川書房版)にも手を伸ばしたのだが、小説はやはり事細かに書かれていて、とくに「馬の首」のあたりの事情はよくわかった。
もちろん、映画の完成度もハンパではない。よくこれほどの作品ができあがったものだと思う。というか、最高である。フランシス・F・コッポラは、この一作だけで映画史に永久に残る監督といえるであろう。
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あらゆる点でいいのだが、とくにラストシーンは、筆者の中で映画史上最高である。
コルレオーネ・ファミリーの後を継いだ若き二代目マイケル(アル・パチーノ)は、競争相手を次々に粛正し、兄ソニーを陥れた裏切り者である妹婿まで抹殺を命じる。それは組織のドンとしては当然の処断であったが、当然、コニー(妹)にはなじられ、妻ケイにも「本当にあなたが命令したの」と問い詰められる。
「仕事には口を出すな」と突っぱねるマイケルだが、「今度だけだ」と言って答える。「やってない」と。安堵の表情を浮かべ、ケイは飲み物を作りにキッチンへ行く。
この後のシーンが、何度観てもしびれる。
「ドン・コルレオーネ」とかしづく配下たち。閉じられるドア。ケイの一瞬の表情。……いや、分析めいたことを語るのは無粋なので、これ以上は書かないことにする。
ケイ役の女優(ダイアン・キートン)も、「あんな表情ができるなんて、タダ者ではない」と思って調べたら、別の作品でアカデミー主演女優賞を取っていた。ちなみに2作目でも、彼女はやはり「ドアを閉められて」しまう(笑)。←笑う場面ではない。
音楽がまた、すばらしい。ご存じ、あのニーノ・ロータである。『太陽がいっぱい』と、この『ゴッドファーザー』(とくに「愛のテーマ」)がニーノ・ロータの代表作のようになっているが、筆者としては『ゴッドファーザー partⅡ』のテーマにも同じく心を打たれる。
この続編で、若き頃のビトー・コルレオーネを演じるのが、ロバート・デ・ニーロだ。1作目のマーロン・ブランドの声帯模写までやってのけて、オスカーに輝いた。デ・ニーロの場面で基調となるセピア色の画面が、また何ともたまらん味わいを出している。
そして『ゴッドファーザー partⅢ』。今回、なぜ『ゴッドファーザー』のネタを書こうかと思ったかというと、かねてより敬遠していたパート3を、ついに観たからである。
3作目だけは今まで観なかったのだ。期待が大きくなかったせいか、落胆するほどひどい出来ではなかったが、むろん1や2にはかなわない。
マイケルの言動に、なにか『罪と罰』の終盤のラスコーリニコフにも似た違和感や軟弱さを覚えた。完結編がこうだと、『ゴッドファーザー』という大河作品が、結局は「こういう話」なのかと思ってしまう。
やはり、1や2が完璧すぎる、ということだ。筆者はこれからも、1と2はくり返し観るだろう。そして、観るたびに感動することは間違いない。
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2013.11.21
第八十五回 棒立ち小僧、走る!
シュンの担当が他の先生に代わってからは、余裕をもって彼の粗忽ぶりを受けとめられるようになった。
いわば「おばあちゃんの立場」である。親の立場なら責任があるので、志望校に合格させるための指導をしていかなければならないが、別のクラスにいけば、他人事として彼のキャラクターを楽しめるようになる。そうなると、シュンは問題児にはちがいなかったが、子どもらしくてかわいいところはあった。
筆者が彼のことを面白がっているので、同じ学校に通っている子が、学校での情報を伝えてくれる。
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たとえば、体育でサッカーの時間、最初から最後までコートの中でまったく動かずに棒立ちしていたとか、遅刻で38回連続記録を樹立した(一カ月以上ではないか。どうやったらそんな「偉業」が達成できるのだ)とかである。
「シュンはいいなあ、気楽で」
と思わず言ったら、「そんなによくないよぉ」と、ほわんとした顔で返したので、本人は本人なりの悩みがあったものと思われる。
そのわりに、忘れ物の多さは相変わらずだった。ある年の最初の授業、つまり冬期講習中で、年あけの日の朝だ。一時間目の授業に向かう階段の途中で、彼は忘れ物をして、早くも受け持ちの先生に怒られていた。
くり返すが、年始の、まだ一時間目が始まる前の時間である。
「もう怒られてら……」
と筆者は、その横を通りながら思ったものだ。
こんな調子だから、シュンは入試本番にも遅刻しそうになった。応援に行った先生の話だと、会場に入るぎりぎりの時間になってもこないので、ヤキモキしたそうだ。そしたら、遠くから走ってくる三人の人影が見えたという。
シュンと、その両親であった。シュンでも走ることがあるのだ。サッカーの時に、コートの中でまったく動かない棒立ち小僧でも。
そして、さんざん周囲を心配させた挙げ句、ちゃっかり志望校に合格しているのである。
こんなシュンだが、なにか学ぶことがあるのかもしれない。「他山の石」であり、「我以外皆師」である。
筆者はシュンのことを、「Child of Children(チャイルド・オブ・チルドレン)」と呼んでいた。すなわち「子どもの中の子ども」である。
また「考えない葦(あし)」と名づけたこともあった。「人間は考える葦である」とはパスカルの言葉だが、考えない葦といえば、ようするにただの葦である。
しかし、シュンの場合、ほわんとしていて何も考えていないところが、彼の幸運につながっていたような面もある。心配しすぎるあまり、頭の中がマイナスのことでいっぱいになって受験に失敗する子もいる。やつの楽天的で悪びれないところは、愛嬌となって、周囲の協力を招いていたようにも思えるのである。
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2013.11.14
第八十四回 こんなやつがいた
シュンというやつがいた。いた、というのは筆者の交流圏内のことで、今でもどこかで生きている(はずだ)。どこかで鼻水を垂らしていることだろう、と思って年齢を数えてみると、もう成人していた。
あのシュンでも大人になるのだ。誰かって、過去に受け持っていた生徒(もちろん仮名)のことである。
このシュン、5年生の時は筆者が担当していたのだが、生徒の人数が増えてクラスを増設することになり、彼は当然、下のクラスになった。
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しばらくして、筆者はテスト監督の仕事で久しぶりに彼の勉強ぶりを見たのだが、相変わらずの忘れんぼうで、「先生、消しゴムを忘れたので貸して」と、ほわんとした顔で言ってくる。
テストを受けるのに、筆箱の中身が完全ではないのである。本当に、よくこれだけ忘れ物を繰り返せるものだと思う。
いっそのこと、貸さないほうが本人のためではないかと迷ったが、結局は貸した。
そしたら、こいつ、テストとテストの間の休憩時間に、その消しゴムで遊んでいる。ミニカーがわりにして、消しゴムを机の上で動かしているのである。一番前の席なので筆者の目の前だった。人から消しゴムを借りておいて、よくやれるものだと思う。
「シュン、全然かわってないなあ」
と呆れて言うと、
「T先生の教育が悪いの」
と、しれっとした顔で言った。T先生というのは、その時の彼の担当者だが、「教育が悪い」も何も、自分が今、消しゴムで遊んでいるのである。
(だいたい、センセイは文房具として消しゴムを貸したのであって、オモチャを貸したのではないんだぞー)と思うと、ついに堪忍袋の緒が切れて、消しゴムを取りあげた。
この後のテストで、もし答を書きまちがえても消すことができないから、けっこう思いきった処置だったが、それは自業自得というものだ。今後の彼のためには、こうしたほうがいいかもしれない、と考えた末でやった。そしたらシュンのやつ、
「先生、やっぱり持ってた」
と言って、自分の消しゴムを取りだしたのである。
なんというか、一枚うわてというか、筆者はこの時、「もしかしたら、こいつにはかなわないんじゃないだろうか」という、一種の《敗北感》に似た思いさえ抱いたものだ。
ある日、筆者が授業に向かっていると、通りすがりの教室から、
「先生、エアコンが……エアコンが変なんだよ!」と、シュンが飛びだしてきた。何があったのかは知らないが、どうせエアコンの不調だろう。
筆者は急いでいた。「変はおまえじゃ」と無視していくと、
「なんだよ、先生だって変じゃんかよ!」
と後ろからシュンの声が……。
早くもエアコンの異状から意識がはなれたようである。(つづく)
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2013.11.7
第八十三回 全日本大会を観戦
今年も第45回オープントーナメント全日本空手道選手権大会が開催された。出場された選手の方々、お疲れさまでした。会場は、去年の両国国技館から変わって東京体育館。初日は仕事で行けず、筆者が会場に足を運んだのは、2日目の11月3日だけである。
開会式では、松井館長が原稿を手にせずスピーチをされていた。
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政治家や企業の重役などが公の場で話す時、原稿を片手に話すのがほとんどである。ひどい場合は、ずっと下を向いて読みつづける人もいるが、あれはみっともない。ああいうのは他の人が書いた文章の「朗読」であって、誰が発表しても同じ、という印象を受ける。
本当に伝えるべき言葉があるなら、たとえ少々の間違いはあっても、自分の言葉で語れるはずだ。大山総裁がそうであったし、江口師範も試合や審査の場でそうされている。極真の人はそうであってほしい。
さて、試合といえば、例年よりも派手な展開が多かったように感じた。
ちなみに、ここに書くのは、門下生としてではなく、まったくの一観客の立場としての感想であり、しかもそれは2日目の内容にかぎられている。選手の名前は、敬称略である。
荒田昇毅、ゴデルジ・カパナーゼの欠場で、すでにAブロックは最初から大荒れに荒れていた。Cブロックでは、森善十郎が残念にも一本負けするなど、波乱の多い大会だったように思う。ほんとに、空手は何が起こるかわからない。
もっとも盛りあがったと感じたのは、準決勝の小沼隆一とアレハンドロ・ナヴァロとの一戦だった。小沼選手はすでに消耗が激しかったように思うが、果敢であり、一方のナヴァロ選手はほとんど無傷だった。そんな状態での激闘で、引き分けかとも思ったのだが、ナヴァロの方に旗があがった。
筆者はS席でアジアジと共に観戦していたのだが、アジアジは、ゼッケン25番の安島喬平選手を、同じ「アジ」のよしみもあって応援しているようであった。
その安島選手が優勝し、ふたたび日本が王座を奪回するという結果に終わったのは、ご存知の通りである。決勝戦でのナヴァロは、準決勝の時よりも精彩を欠いているように見えたが、気のせいだろうか。
外見も、中近東の呪術師のように恐ろしげで、テイシェイラと張り合うほど特異な風貌のナヴァロ選手だが、決勝戦の後で子どもたちからサイン攻めにあっているのを見た。
全体に、判定の基準は、これまでよりも減点にかなり厳しくなっているようだった。すなわち競技としてスポーツ化が進んでいるということだが、それも松井館長にお考えがあってのことである。スピーチの中で触れられていたが、なんでも来年は、極真会館が創立50周年を迎えるらしい。
50年といえば半世紀である。個人でも組織でも、生きのびるためには常に代謝(変化)が必要なのだと思う。実際、極真はこれまで、良くも悪しくも変わり続けてきた。筆者は今、『大山倍達の遺言』という本を読んでいるので、残念なことに「悪しくも」という言葉も入ってしまったが、50周年という節目を堺にこれからの極真がさらにどう変化していくのか、内部から見届けたいと思う。
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2013.10.31
第八十二回 絢爛たる魔人たち
ランニングの途中で、これまでに何度か江口師範とすれちがったことがある。
キイィィインン…とジェット機が通過したような、あるいはフウゥゥウンン…とF1が走り去ったような感じで、とんでもなく速い。まるで超人さながらの走りだが、超人といえば江口師範の大胸筋はバロム1の上半身を連想させる。「バロム1って何だ?」と若い読者は思うだろう。
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『超人バロム1』という番組が、かつて放映されていたのである。『仮面ライダー』と同じような特撮ヒーローもので、ガキ大将で腕っぷしの強いタケシと、ガリ勉で秀才のケンタロウが、腕を組み合わせる「バロム・クロス」によって、超人バロム1へと変身するのだ。
宿敵は悪の化身・ドルゲ。そのドルゲが毎回送りこんでくる魔人と戦っていく、というのがストーリーの骨子だが、メインとなる魔人の手先、つまり『仮面ライダー』でいえばショッカーに相当する「その他大勢のやられ役」に、アントマンというのがいる。
一様に中肉中背の体型で、黒と白のうずまき模様のタイツスーツに身を包み、中に入っている人はおそらく体操の心得があるのか、身軽な動きをこなす。わらわらと沸いて出るが、バロム1になぐられただけで「ホイーッ」っと奇声を発して吹っ飛び、倒れると消えてしまう。そういう役どころなのだから仕方ないが、文字どおりアリ程度の戦闘力しかないのである。
アントマンのデザインもシュールだが、バロム1が、ほかの特撮ヒーローものと大きく一線を画しているのは、魔人たちのデザインである。これに尽きると、筆者などは思う。
大ボスが「ドルゲ」なので、魔人たちも「~ゲルゲ」や「~ルゲ」といった名前になっている。「イカゲルゲ」とか「キノコルゲ」のようにだ。外見もイカやキノコを模した化け物で、けっこう怖い。だが、特筆すべきは「人体魔人」のシリーズだろう。
たとえば「クチビルゲ」というのは、頭部が巨大な口になっており、それで人を襲って食うのである。「ウデゲルゲ」は上半身が「手首から先」になっている(こんな説明で伝わるだろうか)。つまり巨大な手に足が生えているわけだ(これでも伝わる気がしない)。人差し指に一つ目がついていて、かなり不気味。でも、手首から先なのに「ウデゲルゲ」という名称はいかがなものかと思う。「フィンガー、フィンガー」とうめきながら人を襲うが、そのくせ「ユビゲルゲ」でもないのである。ほかにも「ヒャクメルゲ」という目玉だらけの化け物や、上半身が脳みその塊(おえっ)になっている「ノウゲルゲ」など、人体のパーツをモチーフにした魔人がいて、おぞましいと同時に、その柔軟な発想と秀逸なデザインに圧倒される。
ずばり天才の仕事であろう。原作は、かの『ゴルゴ13』のさいとう・たかを氏であるらしいが、テレビ化された際のドルゲ魔人のデザインまでさいとう氏が手がけていたのなら凄い。
きわめつけは「トゲゲルゲ」である。興味のある方は検索していただきたい。筆者も検索して久々に見たが、もうたまらんデザインだ。前面が合わせ貝みたくフタになっており、拷問具「鋼の処女」のように、バタンと人をはさんだら、毒のトゲが刺さるのである。
ちなみに、天野ミチヒロさんの著書によると、当時、神戸在住のドイツ人音楽教師「ドルゲ氏」が、「息子が学校でいじめられるかもしれない」と懸念し、敵ボスの名称変更を求めたらしい。困ったテレビ局側は、番組内で敵ボスのドルゲは架空の存在であるというテロップを流すことで対処した。それが「この番組はフィクションであり……」のルーツであるという。
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2013.10.25
第八十一回 POINT OF NO RETURN
極真会館で空手の修行をしている我々は、しかし、ただ突き方や蹴り方や防御といった空手の技術ばかりを学んでいるわけではないはずだ。武道をやっているのだから、精神面での成長をうながされる出来事が否応なくある。
たとえば試合、たとえば審査、そして普段の稽古を通して、きついとか怖いとか痛いとか、日常では経験しないような試練に直面し、なおかつそれが避けられない、という局面だ。
サブタイトルの『POINT OF NO RETURN』は、直訳すれば「帰還不可能点」。ここからは、もう引き返せない、という地点のことである。
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入門当初の方はともかく、極真の空手をある程度の期間修行されている方は、みんな多かれ少なかれ、その「POINT OF NO RETURN」を経験している。試合や審査などで、ひとたび申し込み書を提出したならば、その後どんなことが待ち受けていても引き返すことはできないのである。やるのなら、早いめに提出して覚悟を決めてしまったほうがいい。
また空手にかぎらず、人生にはそんな局面がいくらでもある。誰も助けてくれない、これまで培ってきた自分の技量だけを拠り所をしなければならない場合だ。逃げるか越えるかは、紙一重ということだってある。紙一重だが、その後の差は大きい。帰還不可能点を越える勇気がなかったら、なにも変わらない、以前の自分のままだろう。自分の弱さを知っているからこそ、あえて踏み越えることで、みずから退路を断つ場合もある。
今年も11月2日、3日に全日本大会が開催されるが、それに出場される選手の方々の気持ちを、出場したことのない筆者らは知ることができない。
日本一を決めるレベルの大会だから、選手の方々のレベルも凄い。国分寺道場でお会いする選手の先生・先輩方は、普段着の時は紳士でも、ひとたび空手着を身にまとえば、その動きに筆者などは驚嘆する。「こんな体勢から、あんな蹴りが出せるのか」と思う。つくづく選手というのは凄いと感じるのである。
全日本大会や全世界大会といえば、過去に観戦していた時、怪我をしていないのに棄権する選手がいたことを覚えている。黒澤浩樹(先生)と当たる選手や、ロシアのレチ・クルバノフと当たる選手で、どちらも外国人だった。いずれも理由は「戦意喪失」である。
目の前で驚異的な下段廻し蹴りの威力や、豪快な後ろ回し蹴りのKOを見た後、その相手と自分が戦うことになるのだから、「戦意」が「喪失」してしまうのも無理はない。筆者も試合や審査で強い人と当たることになって、内心、「このまま逃亡できたらいいんだがな」と思った経験があるから、その気持ちは推察できる。
だが、彼らも空手の試合に臨むために海を越えてきたのだから、相当な覚悟があったはずだ。それなのに戦わずして背中を見せたら、応援するために来日した仲間やセコンドはどう思うだろう。誰も責めないかもしれないが、本音ではカッコ悪いと思うのではないか。
一方で、日本人選手が戦意喪失で棄権するのを、筆者はいまだに一度も見たことがない。それどころか、空手母国の威信を背負って果敢に戦うところしか見ていない。
その姿には胸を打たれる。心から尊敬する思いである。みずから帰還不可能点を越え、全日本という大きな舞台で戦う先輩方の姿から、自分たちもプラスの影響をいただいている。
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2013.10.18
第八十回 国分寺北口慕情
道場の最寄り駅、JR国分寺駅の北口が広くなっている。階段を下りた駅前が風とおしのいい空き地に変わり、フェンスで囲われていたりなんかする。
駅前だけではない。ちょっと歩けばあちこちに空き地が見られ、パワーシャベルが土を掘り起こし、大型トラックが行き来している。
ご存知、国分寺北口再開発のあおりである。
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すでにマクドナルドが消え、老舗の和菓子屋さんも見かけなくなり、路地にあったうどん屋さんも移転した。道場の飲み会に使われた『華のまい』も撤去された。特急が止まる駅なのにマクドナルドがないのは珍しいかもしれない(そのうち「再発生」しそうだが)。
将来的には、道場の手前のラインまで再開発が進められるそうなので、国分寺界隈はかなり大規模な変貌を遂げることになる。
たしかに、北口のメイン通りは狭いと感じていた。人通りが多くて道幅が狭いのに、タクシーやバスまで通るのだから、計画性も何もあったもんじゃない。中央の通りがそんなごちゃごちゃした有様なので、筆者は駅から向かってひとつ左側の細い筋を通っていたくらいである。でも、そんな北口もみるみる変わっていく。
何ごとも変わらぬものとてないのであろう。パワーシャベルの鎌の音、諸行無常の響きあり。古き街並みも、ただ春の夜の夢のごとし……である。ゆく川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず、(略)人も住みかもまたかくのごとし、でもある。
国分寺には、新しい高層ビルやマンションに混じって、驚くほど古い情緒のある店や民家を見かけるが、長くこの街にお住まいの方にとっては、北口の風景が様変わりしていくのは、ちょっと淋しく感じられるかもしれない。
筆者も長い年月帰っていなかった故郷の街などに、久しぶりに立ち寄った時、その変わりように驚くと共に若干の淋しさを感じたことがある。無常観といえば大げさだが、故郷だけでなく、各地を転校して回った筆者などは、中学生のころ過ごした街や、高校生のころ過ごした街など、それぞれ記憶の中にあった風景と変わっていると、そういう感慨を覚えることがあった。
だが、今現在、なじみのある国分寺の街が、こうやって進行形で、つまりは目の前でどんどん変わっていくという経験は初めてである。開発にはお金もかかるであろう。国分寺の市民税が相対的に高く感じられるのは気のせいではないと思う。
さて、冒頭で書いた北口駅前だが、もともとそこに何があったのか、早くも思い出せなくなっているのはどうしたことか。
道場はもちろん、よく足を運ぶ店の位置は、当然はっきりと認識しているので、ようするに自分と関係のないものは目に入っていない、ということだろう。我ながら呆れるが、毎日歩いている通りでも、どの辺りにどんな店があるのか、よく認識していないらしい。
では、自分は歩きながら、いつも何を考えているのだろう? 駅までの道を、毎日たしかに歩きながら、いったい何を見ているのだろうか。
たぶん、何も考えていないのだろうな、という結論に落ちつくしかないようである。
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2013.10.11
第七十九回 真っ赤な秋
昔は「体育の日」といえば10月10日だった。東京オリンピックが開催された日にちなんでのことらしいが、それなら7年後にも、また新しく祝日が制定されるのだろうか。
この時期はスポーツの行事にちょうどいい気候なので、多くの学校で運動会がおこなわれる。筆者は小学4年で兵庫県の西宮市に引っ越したが、西宮の小学校では、「小体連」(たぶん「小学校体育連合」)といった組織に加盟している学校が甲子園球場に集まり、組み体操をするのが秋の恒例行事となっていた。
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野球音痴の筆者でも、甲子園ぐらいは知っている。高校球児にとって憧れの聖地であり、阪神タイガースの拠点である甲子園球場で、小学生児童にすぎない自分たちが組み体操を競うのだから、考えてみれば贅沢な話である。組み体操の後は、文部省(当時)唱歌を歌って終わる、というのも恒例になっているらしい。
ただし、ひとつ警告があった。
「土を持って帰るなよ」というものである。
西宮市の小学6年生(男子)が集まるのだから、全員がこぞって球場の土を持って帰ろうとすれば大変なことになってしまう。第一、迷惑だ。そんなことは許さない、と学年担当でもっとも怖いT教諭がクギを刺すのである。
それはおっしゃるとおり、一片の隙もない言い分であったが、小学生のオスガキというのは理屈で動く動物ではない。
球場の土の上に座って組み体操の順番を待っている時、友人Sをはじめとする何人かが、体操ズボンの尻ポケットに土をかきこんでいるのを見て、まじめに座っている自分が、なにか「ソンをしてる」ような気分になった。
これは、あの有名な「甲子園の土」なんだ、持って帰らなきゃ、と思い、自分も尻ポケットに土を入れたのだ。
T教諭はそれを見ていたのだと思う。持ち帰ろうとするやつが後を絶たないのは、毎度のことだったのかもしれない。組み体操が終わってから、筆者を含む「容疑者」たちを問い詰め、土を取ったことがわかると、かたっぱしから頬を平手打ちしていった。
ようするにビンタである。今では、こういう体罰は禁止だろうが、当時はちがう。筆者も友人Sも、バシーンと容赦なく叩かれた。
この頃だって、なにも体罰が茶飯事だったわけではない。自業自得なのはわかっているが、痛かったし、イヤだったから、こうして覚えているのだろう。
この行事のしめくくりは、全員で『真っ赤な秋』を歌うことになっていた。
「真っ赤だな 真っ赤だな ツタ~の葉っぱが真っ赤だな もみじの葉っぱも真っ赤だな」
という、あの唱歌である。秋を満喫できるかのような歌だが、こっちは頬がじんじん痛むので、とても歌など歌いたい気分じゃない。
「真っ赤なほっぺたの 君とぼく~」
というところで、筆者と友人Sは何となく顔を見合わせた。
愚かしくも歌詞そのままの二人だった……。
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2013.10.4
第七十八回 ゼロの夏
去年の夏前の当ブログで、筆者はもう何年も映画を観に行っていないという話を書いたが、今年の夏、ようやく久々に映画館に足を運んだ。
観た映画は『風立ちぬ』である。宮崎駿監督の作品は、過去に『ラピュタ』と『もののけ姫』と『ハウルの動く城』を映画館で観ているが、『千と千尋』や『ポニョ』などは、機会をのがしていまだに観ていない。
今回の『風立ちぬ』は、零戦をつくった堀越二郎と、同名小説の作者である堀辰雄へのオマージュでもあり、一人でもいくつもりだったが、和歌山の実家に帰省する時期と重なったので、三人の姪を連れて観にいった。
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口に出すのはやや恥ずかしいが、筆者は堀辰雄の文体が好きである。少女趣味と言われても『風立ちぬ』などの諸作品はいいと思うし、『雉子日記』という随筆などは、混乱の時代によくこんな悠長な文章を綴ることができたものだと思った(特権階級といった感もある)。
本といえば、堀越二郎の『零戦』もオススメである。零戦が世界一の性能を持つ戦闘機であることは聞いていたが、これほどダントツだとは知らなかった。また、どういう工夫からその性能が生み出されていったのかが詳しく書かれている。生粋の技師なのだ、この人は。
零戦といえば、百田尚樹の『永遠の0』も話題になっている。こちらは買ったまま未読だが、ともに零戦をあつかった作品が同じ時期にヒットしているのも不思議な偶然だと思う。
筆者はしかし、零戦の性能をうんぬんする前に、まず、その機体を「美しい」と感じていた。たたずまいというか、ストイックなまでに無駄の省かれた流線のフォルムが、である。
堀越二郎の著書にも、宮崎駿の『風立ちぬ』にも、やはり「美しい」という言葉が出てきたのが、ちょっと嬉しい。
映画の話に戻る。姪っ子たちは「面白くなかった」とか「泣いた。あくびして」とか、人の金で観ておきながら好き勝手なことを言っていたが、筆者の感想は長くなるので省こう。
ただひとつ、最後に流れる松任谷由実の『ひこうき雲』は、これ以上ない最高の選曲だと思った。40年前につくられた歌なのに、歌詞もメロディーもこの映画のために用意されたような、他には考えられないほどの主題歌だった。普段ユーミンの曲を意識して聴くことはないが、映画館で聴いてみると、やはりまごう方なき天才だと感じた。ここで、もし松田聖子の『風立ちぬ』が流れていたら、たちまち場内は騒然、異様な雰囲気に包まれていただろう。
余談だが……。25年ほど前、たしか『トトロ』が公開される前だったと思うが、ジブリの前で宮崎駿監督とすれちがったことがある。そのころ筆者は、吉祥寺のジブリの近くの場所に通う用事があったのだ。
前から宮崎駿が歩いてきた。手に紙を持ち、仕事関係者らしき人と並んで歩きながら、何か話している。すれ違う瞬間、「ここはEのナントカカントカにして」と話しているのが聞こえた。たぶんアニメの色の指定なのだろう。仕事の鬼は、歩きながら仕事の話をしていたのだ。
吉祥寺では、楳図かずおともすれ違った。横縞のパジャマのような派手な服装だったので、よく目立つのだ。いっしょにいた友達に、思わず「あ、楳図かずおや!」と言うと、楳図氏は一瞬、ふり返った。はしたないことをしてしまったと、今では赤面のいたりである。
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2013.9.26
第七十七回 メディアによるトラウマ ベスト3
夏ごろ、ちまたで話題になっていた『はだしのゲン』は、筆者も小学校3、4年のころに読んだ。今読んだら別の感想があるかもしれないが、当時はショックのあまり、夜になかなか寝つけなかった記憶がある。米ソ間の核戦争をテーマにした映画『ザ・デイ・アフター』を観た時は、アメリカはこんな程度のもので震えあがっているのか、と鼻白んだくらいだ。
その後アニメ化された『~ゲン』は観ていない。観る勇気がないのである。
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これは生徒に聞いた話だが、その子たちの学校では給食の時間に毎回なにか映像が流されるらしく、たまたま『はだしのゲン』のアニメを上映していたところ、一人が吐いてしまったという。学校も食事中に見せる映像を選んでほしいものである。
子どものころ、漫画や映画やテレビなど、メディアによってトラウマともいうべきショックを受けた作品を3つあげるなら、筆者の場合は、まず『はだしのゲン』があげられる。
それから、同じ3、4年生のころ、ゴールデンウイークに、和歌山城公園で子ども祭りが開かれていた時に観た『猫は生きている』という映画(題名は正確ではないかもしれない)。
その祭りでは、「ウナギつかみ」や「鯉すくい」や「焼き物塗り」などを経験できた。焼き物塗りというのは、素焼きの花瓶に自分で色を塗り、それを持ち帰れるのだが、塗って焼きあがるまで少し時間がかかる。その待ち時間に、友だちと会場の片隅にあるホールで映画を観ようということになったのだ。
人形劇の映画で、上映時間は1時間もなかったと思う。配られた紙に猫の絵が描かれ、ふきだしがあって「ぼくは生きてるぞ」と書いてあった。内容の見当はまったくつかない。
始まってみると、それは戦争の映画だった。おそらく東京大空襲の話だと思うが、筆者は和歌山市が舞台だと思って観ていた。炎に包まれている隅田川は、紀ノ川(和歌山市を流れる川)だと思った。
父は出征しており、主人公の少年と母と妹が空襲の夜に逃げ走る。まず妹の防空ずきんに火がつき、妹死亡。主人公は気絶した時に母と離れてしまい、最後は燃えさかる川に落ちていく。「父さんがくれたラッパ」と言ってラッパだけおいて、自分は力つきて落ちていくのだ。母は地面に穴を掘り、家によく来ていたネコの子どもたちを穴に入れて、自分はそれをかばい、炎に焼かれて黒こげになって死んでいく。子ネコたちは助かり、翌朝ネコの母親が、母の死体にありがとうと言うのである……。
「ただで映画見れるぞ!」と、喜び勇んで会場に入った筆者と友だちだったが、出てきた時は、二人とも、ショボーンとなっていた。五月の午後の日差しの中で、入場前の楽しい気分とは打って変わって落ちこんでいた。
なにが怖いかって、「現実」である戦争の理不尽さだろう。たとえば『四谷怪談』には理由がある。復讐という理由が。
だが、赤ん坊や小学生まで殺す原爆や空襲という圧倒的暴力には、論理云々を差しはさむ余地すらない。その不条理が怖い。
ちなみに、メディアから受けたトラウマのもうひとつは、日野日出志という漫画家の作品だが、もうスペースがないので省略。
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2013.9.20
第七十六回 少年の旅立ち
先日、伝説の国語教師と呼ばれる先生が101歳で亡くなったというニュースを聞いたが、その先生は中勘助の『銀の匙』を3年間かけて読み込んでいくという、一風変わった授業をされていたらしい。私立中学校ならではの教育で、塾ではとても実行できないが、教材が『銀の匙』であることに興味を惹かれた。じっくり読み込むには、たしかに最高の選書ではないかと思う。
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『銀の匙』は、中勘助が自分の子ども時代の思い出を描き込んだ自伝的小説で、日本文学における筆者のオールタイム・ベストである。ベストというわりには、夏目漱石の『吾輩は猫である』をはじめ他にも複数あるのだが、とにかく『銀の匙』といえば、日本語の繊細な美しさをこの上なく堪能できる一冊であることはまちがいない。
自身の子ども時代を書き込んだ自伝的作品といえば、井上靖の不朽の名作『しろばんば』もある。この作品も自分の中では、オールタイム・ベスト(の一つ)だ。ため息が出るほど素晴らしい。
『しろばんば』の続編には、『夏草冬濤』と『北の海』があり、同じ主人公(洪作)が幼年期から十代後半まで成長していく教養小説の三部作ということもできる。
『北の海』は、「こんなに面白くていいのか」と思いながら読んだことを覚えている。現在とは学制がちがうが、高校受験を前にした主人公の青春がのんびりと描かれ、主人公・洪作の、のほほんとした雰囲気が全編に漂っている。先生や友だちとの悠長なやり取りが面白く、大正時代(?)の夏の空気が紙面から伝わってくるような、すぐれた青春小説である。
その『北の海』でも、幼少期を描いた『しろばんば』でも、ラストは洪作がそれまでの暮らしを捨てて新天地へ旅立つところで終わっている。
筆者は、少年の旅立ちに弱い。たとえば『銀河鉄道999』の第一話とか、『ゴッドファーザー partⅡ』の冒頭で幼いコルレオーネがニューヨークに到着するあたりとか、少年が故郷を捨てて、新しい世界に出ていく姿に心を打たれる。自分も18歳で東京に出てきたので、それまで馴染んできた環境、家族、仲間たちと離れて、たった一人で見知らぬ異郷へと出て行く時の気概や不安を思い出すのかもしれない。
ただし『北の海』の場合は、一風変わっている。
というか、洪作がなかなか旅立たないのだ。前半で旅立つことが決まっていながら、柔道の稽古に打ち込んだり、里帰りして親族に挨拶する場面が続いたり、ちょっとした恋を経験したり、周囲をヤキモキさせながら、のんべんだらりとした生活をつづけているのが、いかにもこの主人公らしくていい。
受験生でありながら、柔道部での稽古に明け暮れているのだから、のどかな時代である。洪作は体格には恵まれていないので、一人の登場人物が口にした「練習量がすべてを決定する柔道」という言葉に惹かれている。この「柔道」を「空手」に置きかえてみれば、自分たち国分寺道場生にとっても興味深く受けとれないだろうか。
最後に、井上靖の言葉を。
『努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る』。
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2013.9.12
第七十五回 号外です!
9月8日、日曜日。JRのある駅の構内で号外を受けとった。
号外、という言葉に一種不穏な響きを覚えるのは筆者だけだろうか。
緊急事態発生! 臨時ニュースをお知らせします! という、ただならぬ気配を感じる。筆者の中で、号外というのは、たとえば戦争が起こった時などに出されるイメージが強い。
今までに号外を受けとったのは一度だけ。1991年、湾岸戦争で地上戦が勃発した時だった。どこかの駅の売店に置かれていたので取っていった。もちろん無料である。
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だが、今度は朗報だった。
普段、街中で人が配っているものを手に取ることは(ポケットティッシュ以外は)まずないのだが、「号外です!」と言われれば話は別である。
「なんだろう。国際情勢で悪い事態が起こったんだろうか」と、一瞬思ったが、差しだされた紙面に『2020年 東京五輪』という文字が見えて、進んで手を伸ばした。
筆者は新聞を取っていないし、テレビも滅多に観ないので、このニュースに触れたのは、いまだにネットと号外だけなのだが、新聞やテレビではどれほど派手な扱いだったのか、想像に難くない。ネットのニュースは見出しがどれも同じ大きさなので、その点はちょっと物足りなかったりもする。
2020年の東京オリンピックは、なんでも1964年から数えて、56年ぶりの開催となるらしい。2度目の開催はアジアでは初めてのことだという。
めでたいことである。喜ばしいことである。
妨害や逆風があっただけに、決まって良かったと思う。姑息な工作よりも日本チームの率直なスピーチが票を動かしたのだろう。
2020年に日本が、この東京がどれだけ盛りあがるか、興味深い。前回の時はまだ生まれていなかったので、「オリンピックで盛りあがる東京」というものを見てみたいのだ。世の中が盛りあがれば盛りあがったで、みんなと反対の冷めたリアクションを取る人が出てくるのも、また微笑ましい。
あとはテロや誤判定などなく、無事に開催されることを祈るのみである。といっても、まだまだ先なのだが。
誤判定といえば、2000年に開かれたシドニーオリンピックでの柔道の篠原選手がかわいそうだった。ご覧になっていた方は記憶されていると思うが、誰がどう見ても篠原選手が一本を取って勝っていたのに、相手の方に旗があがったのである。血を吐くような努力を懸命に続けてきた選手に対して、こんな判定じゃ「参加する意義すらない」と、あの時はテレビの前で立腹したものだ。
ちなみに、空手はオリンピックの種目にはなっていないが、柔道やボクシングとちがって、空手界の不統一を考えるとそれは当然かもしれず、また個人的には正式種目にならない方がいいようにも思える。
今、現役で活躍されている選手の方々にとって、7年後の2020年はかなり先のことになってしまうが、どうか母国で実力を発揮する勇姿を見せていただきたいものである。
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2013.9.6
第七十四回 夜店にて
前々回『4つの太陽』の内容で、A二段に対して失礼だとか、ふざけているとか、顰蹙を買っているとの声を聞くこともあるが、とんでもない誤解である。前々回に限らず、このブログで書いていることなど、まず戯れ言なのである。まさか本気にする人はいないだろうと思っていたので、こちらも意識していなかった。読者の方は、どうかあまり大真面目に受けとらず、さらっと流していただきたいが、そうもいかないのだろうか。
では、無難なネタは何かというと、筆者の「子ども時代」に関するものだろう。おバカな内容だし、昔のことだから、こんなに無難な内容はない。
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筆者は転校や引っ越しをくり返してきたので、子ども時代に過ごした土地は、距離も記憶もはるかな彼方にある。小・中・高で住んでいた街がちがうのだ。
そのうえ自身もたびたび引っ越しているため、同窓会の案内状が届くこともない。子ども時代の友だちと顔を合わせることはまずなく、故郷にも近年まで帰っていなかったせいか、ここにきて郷愁が生じているのかもしれない。
実家は現在、和歌山市の本家に戻っている。小学四年生まで住んでいた街だ。
今年の夏に帰省した時、姪っ子らとお盆祭りに行った。
最寄りの小学校が主催する盆祭りで、小学校の裏手の大広場で祭りが開かれ、広場の隅にはたくさんの夜店が出ていた。
小学校は筆者の母校で、その盆祭りも夜店も、子どものころからあった。
広場の中央に櫓が組まれ、四方に伸びた電線に色とりどりの丸いちょうちんがぶら下げられて、夜風にゆれている。櫓を囲んで盆踊りを踊る人が飛び入りで加わり、スピーカーからは盆踊りの歌が流れている。ラムネやカップ入りのかき氷が売られているのも、筆者が小学生だったころと変わらない。
小学校が、子どものために開いている夜店なので、射的や輪投げの基準がすこぶる甘く、輪投げなどは、放った輪のはしが景品にちょっと触れているだけで、その景品をもらえる。たいした景品ではないが、姪たちは嬉しいようだ。
子どものころ夜店で得られた景品は、魔術をかけられたように、宝石や貴金属のごとく輝いて見えた。つりあげたヨーヨー風船は、あたかも伝統工芸品の紀州手まりのようであり、すくった金魚は錦鯉さながらであった。
今見れば、吹けば飛ぶような金魚である。それでも、何年か前に姪がすくったやつは、池に放されて、今では7倍ほどに成長している。
夜店では、かつての友だちのお母さん二人に会った。男の子と女の子の友だちで、筆者は「○○君はどうしてますか」とか「○○ちゃんは元気ですか」など、今でもごく自然に「君」や「ちゃん」などつけて口にしていたことに、後になって気づいた。記憶の中では、彼らは子どものままなのである。
その小学校は、創立140周年とかで、卒業生のスタッフたちが募金を集めていた。もし引っ越すこともなく、ずっとこの街に住んでいたら、自分もそういうことをしていたのだろうかと思った。生まれた街でずっと暮らす、そういう人生もいいもんだなと思ったのである。
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2013.8.29
第七十三回 真夏の死
サブタイトルをご覧になって、三島由紀夫の短編を連想された方は、おそらく文学マニアであろう。だが、同タイトルの短編集『真夏の死』の表題作とは関係がない。
三島ではなく、ドロンである。
アラン・ドロン。かつて美男の代名詞とさえ言われた彼の出演作を、今年は立て続けに観る機会があったので、そのことを書いておきたくなった。
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『さらば友よ』『友よ静かに死ね』『危険なささやき』『危険がいっぱい』『太陽がいっぱい』『太陽はひとりぼっち』『太陽は知っている』……等々、こうやってタイトルを並べると、なんだか「しりとり」をしているみたいである。
上記の中で、もっとも一般に知られている作品は、前回のブログでちょこっと出してしまった『太陽がいっぱい』ではないかと思う。筆者は、夏になるとこの映画を観たくなる。
主人公のトム・リプリーは、なにも持っていない若く貧しい青年。一方、連れのフィリップは大金持ちのどら息子で、放蕩を尽くし、家柄の卑しいリプリーのことを露骨に軽んじている。物語が進む中で、やがてリプリーの心に、フィリップのすべてを奪ってやろうという野望が芽生えていく。
真夏の地中海に浮かぶ一艘のヨット。白昼、太陽のもとでおこなわれた一つの殺人。筆跡模写やアリバイ工作など、周到に手回しされた計画と、その実行。そして明かされる意外な盲点。
ニーノ・ロータの甘くもの悲しい旋律が、物語を引き立てる。映画における音楽の力の大きさが、つくづく感じられる作品でもある。その美しいメロディーにのって、リプリーの犯罪は忘れがたい結末へと向かっていく。
「太陽がいっぱいで最高の気分だ」
貧困と屈辱のどん底から、明晰な頭脳と大胆な行動力を駆使し、すべてを手に入れた彼が、海岸のデッキチェアにもたれて口にするラスト間際のセリフである。そして彼は、笑顔のまま画面から退場していく。
ちなみに、マット・デイモン主演の『リプリー』のほうが、パトリシア・ハイスミスの原作(筆者は読んでいない)に近いらしい。まったく別の切り口から主人公リプリーを描いた力作には違いないが、リメイクである以上、どうしても先行作品と比較される宿命にあることは否めず、総合的な評価では『太陽がいっぱい』に軍配が上がってしまう。
それにしても、なぜアラン・ドロンは犯罪者を演じることが多いのか。上記の作品のほかにも『地下室のメロディ』や『レッドサン』(極悪人だった)などをはじめ、殺人者や犯罪者の役を数多く演じている。
たしかに絵になる。美形には「悪」がよく似合うのかもしれない。また、単純に『太陽がいっぱい』の印象が強烈すぎたので、それが後続の出演作に影響しているせいもあるだろう。
筆者にはよくわからないが、役者としてのアラン・ドロンに、もし犯罪が似合う危険な雰囲気があるのなら、もろさもまた同時に合わせ持っているのかもしれない。彼が演じる悪人たちは、たいてい最後に破局を迎えてしまうのだから。
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2013.8.23
第七十二回 4つの太陽
太陽が4個もあるなら、『スター・ウォーズ』の砂漠の惑星タトゥーインより多いではないか。って、なんの話かといえば、猛暑日に走ったときに見下ろす武蔵国分寺公園の池や和歌山城のお堀などの水面のことである。
4つどころじゃない。ギラギラと反射して、無数に散らばっている。太陽がいっぱい、とくりゃ、これはアラン・ドロンか。
いや、本家ブログの江口師範の回を拝読し、日頃めったにそんなことをしない筆者も、ちょっと真似をして37度の日に走ってみたのだが、もう脳も体もオーバーヒートして、タマランチ会長。夕方なのに参った。参ったぞ、地元の刺田比古神社へ。……と、暑さのせいか今回は尻滅裂、いや、支離滅裂です。
・・続きを読む
ようするに、和歌山市に帰省している間、毎日じゃなくて4回だけど、自宅から和歌山城まで走ったのである。
お城の周囲の堀は2キロあり、城の中に入って石段をあがって一番上まで行って引き返せば、合計だいたい5キロのコースになる。37度の日にそんなクレイジーな所業をしている人物は、さすがに自分以外には見かけなかったけれど、34度や35度の日には、いるいる、ほかにも走っているクレイジーが何人か。世の中どうかしているぜい。
お堀なんか、どろっとした緑色に変わっていて、もうお湯になってたんじゃないだろうか。アヒルやカモはどこかへ姿を消してまったく見かけなかったし、あれじゃ鯉やフナもたまらないだろう。よく『魚が出てきた日』みたいに浮きあがってこなかったもんだ。
ちょっとのぞき込んでみると、太陽が複数に分裂してきらめく水面を、鯉が気怠げに、のたーっと泳いでいて、なぜか亀が懸命に一方向へ進んでいるのだった。亀の野郎、このクソ暑い中そんなに急いでどこへ行くつもりだ! と考えながら筆者も走る。
でも、帰ってシャワーを、ほとんど冷水で浴びて、その後ビールをあおれるなら、まだマシだろう。いったい「暑さ地獄のロックンロールのような昼稽古」、略して「アジロ稽古」と呼ばれる昼間部って、どんなすさまじさなのだろうか。
筆者など、そんな稽古に参加する勇気はないけれど、もしエアコンを入れないことに意見を求められたら、
「はいっ」
ガタッと立ちあがって、
「そういうのは、いけないと思います!」
と本音を言えるだろうか。クーラーなどは文明の恩恵なのだから、迷うことなく素直に利用すればいいのに……という本音を、おそらく言えまい。
だいたい、この異常な暑さの中で100本蹴りをくり返したり、1ラウンド4分のスパーリングを何ラウンドも延々とやったりするなんて、科学的でも合理的でもないと思う。
だが、それがいい(隆慶一郎調)。ニヤリ。
って、どこらへんがいいのかわからないままオシマイ。今回は、勢いまかせ、筆まかせの記述でした。
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2013.8.9
第七十一回 2013年、夏合宿(後編)
気を引き締めて臨むべき夏合宿だが、ハードスケジュールの最中にいる筆者は、東京を離れて空手仲間とすごす1泊2日に、正直、解放感も感じていた。
初日の稽古で大量に汗をかき、風呂に入ってさっぱりすると、さっそくビールを飲んだ。失われた水分を、スポーツドリンクではなくビールで補おうとしたのである。夕食までに、2リットル以上も飲み、酒宴でも延々と飲みつづけ、翌朝は酒が抜けきっていないという始末。本多先生はスコッチの瓶を半分あけても、翌日は普通だったが、筆者はそんなにタフじゃない。自己管理という意味で、いかがなものかと思う。
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アジアジもテンションが高く、起きているあいだは騒ぎ、寝たら寝たでイビキがすさまじかった。酔いと疲れで爆睡した筆者は、二日目の早朝4時半、アジアジの放屁によって起こされた。
いつもは、セットした目覚まし時計の「ピピピピッ、ピピピピッ」という電子音で起床するのだが、この日は横で寝ていたアジアジの「ププププッ」というオナラの連続音で起こされたのだから、屈辱的な目覚めである。
赤い顔で参加した早朝稽古は、去年につづき、江口師範による体の使い方の講習であった。
例によって内容は非公開だが、たとえば、今まで動かせなかった相手が意識を変えるだけで、ひょいと動いたり、抵抗できなかった圧力をモノともせず立ちあがったりできる不思議な体の使い方なのである。筋肉に頼らず、意識を変えるだけでこれほどの差が出るのだから驚きだ。師範は否定されるかもしれないが、やはり達人技だと思う。もちろん、すぐに身につけられるものではなく、朝食前の稽古といっても「朝メシ前」ではない、って去年も書いたような気がするが、十代二十代ならともかく、筆者などは年齢も考えて、筋力やスタミナを競うわけにいかないな、と思っているので、こういう幾つになってもできる動きには関心がある。
競技としての空手ではなく、武道としての空手に基づくもので、どこの空手道場でも学べる内容ではないだろう。江口師範が身につけているので、我々はそれを、わかりやすい説明で教わることができる。合宿はその機会だから、興味のある方は参加していただきたい。
それにしても、道着を2着持っていかなかったのは失敗だった。汗が乾ききっていなかったせいで、臭い。少年部のU太郎は、部屋に戻ってきたとたん、「この部屋、酒臭い」と言い、筆者はドキッとした。前のブログで、酒のにおいをさせていた先生のことを書いておきながら、自分が子どもに顰蹙を買ってはしょうがない。稽古が終わって風呂に入り、自分でも辟易するほどくさい道着から解放されたときはホッとしたのである。
【告知】来週はお盆のために、このブログはお休みさせていただきます。筆者の実家はインターネットが通じていない環境下におかれているので、送信できないのです。
【追記】去年の合宿の内容を確認するため、当ブログをさかのぼっていて気づいたのですが、ところどころ意味の通じない文章が散見されました。どういうわけか、「内容」とあるべき言葉が、一括置換されたように「続き」になっています。なぜそんなことになったのかはわかりませんが、当ブログの文責は氏村にあるので、この場でお知らせしておきます。
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2013.8.1
第七十回 2013年、夏合宿(前編)
今年の夏合宿は昨年と同じつくば山中の体育館で行われ、国分寺道場からは、カツイチ君やヤスオ君やサンローラ君も参加して、一年前より盛りあがったように思う。U太郎君やシオン君など、少年部からの参加もあった。
ただし、比較的涼しかった去年に比べて、蒸し蒸しと湿度も高く暑かったので、江口師範の指揮の下、みっちりと基本や移動の稽古をすると、終わったころにはみんな水をかぶったように汗をかいていた。その後さらに1時間もスパーリングをしてヘロヘロになるが、普段とはちがって、いろんな道場のメンバーと稽古できる機会でもあった。
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城西下北沢支部長の市村直樹先生にも胸をお借りできた。もちろん、相当に手加減をしていただいているのだが、筆者の出す技など、市村先生はすべてお見通しであるように思えた。動こうとすると、あらかじめその動作が予想されていたかのように、ことごとくストッピングを合わされる。強さの次元がちがうというか、市村先生ほどのレベルになると、そういうことまでできるようである。
世界タイトル5連覇の佐藤七海さんとも当たったが、さすがに動きが柔軟だった。ちなみに、アジアジと佐藤さんがスパーしている時、「余り」に入っていたカツイチ君は、「七海ちゃん、行け、がんばれ!」と、いつも同じ道場で汗を流しているアジアジではなく、なぜか佐藤さんのほうを、しきりに応援していたそうだ。終わった時には拍手までしたらしいので、あえてスパーに勝ち負けがあるとするなら、カツイチ君の判定では、佐藤さんの方に旗があがったことになる。
さて、そのカツイチ君とヤスオ君がビールを大量に用意してくれていたおかげで、夜の飲み会は大いに盛りあがった。ビールは350ミリ缶の24個入りケース×6箱、つまり144本もある。それも発泡酒ではなく、キリンラガー・クラシックやサッポロ黒ラベルといった本物ビールである。十分な量だと思われたが、なんと一晩で130本ほども消費された。
夕食後、国分寺の部屋に20名以上も集まり、市村先生や倉成先生や小沢先生も来て下さって、にぎやかな酒宴になったのだ。滅多にない機会である。やがてTさんによるAKBの歌唱ショーに発展し、それを夢中で聴いていた少年部のU太郎君とシオン君が、子どもの寝る時間になってから、別部屋に移されていった。
U太郎は現代っ子らしく、いつでもゲームを手放さず、いじり通しだった。こういう時なのだからシオンと遊んだらいいのに、と思った。子どもが騒いで、大人が注意する展開になるものだと思ったが、国分寺の少年部は優等生的であるようだ。
羽目を外している人物は、どちらかというと大人の方にいた。アジアジが窓から雄叫びを上げたのである。極真勢だけでなく、他の宿泊客もいるというのに。
外は山の上の闇だった。関東平野が見渡せるといっても、夜景はさびしい。いかにも田舎といった風情の、まばらにちらばる街の灯だが、かえってそれが旅愁を誘う。その夜空に向けて、アジアジは窓をあけて吼えたのだ。それも、下ネタを。
別部屋のU太郎は聞こえたと言っていたから、それより近い江口師範のお部屋には、まちがいなく声が届いたことだろう。(次回に続く)
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2013.7.25
第六十九回 第3の少年
前回のブログを書いたら、もうひとつ思い出したことがあった。
中2の2学期末にもらった通知表のことである。筆者は、中学2年の夏に転校しているので、転校先の学校で初めて渡された通知表ということになる。
いまだに、それを広げて見たときの衝撃が忘れられない。
・・続きを読む
白紙だったのだ。
パッとあけてみると、なにも印刷されていなかった。
すなわち、無……。中学生にとって、これほどショッキングな「評価」はあるまい。
心配になって、終業式のHRの後、職員室へ行った。
担任の先生は、授業中に酒の臭いをさせていて問題になったこともある美術の担当である。筆者が白紙の通知表を見せると、担任は「うーん」と、うなった。
あきらかに担任の手落ちだったのだ。転校生ということで、新しい通知表を用意したものの、各教科の担当に渡すのを忘れており、結局は評価が無記載のまま配られてしまったようなのである。
それから担任は、おもむろにデスクの上にあった数字のハンコの「3」を手に取ると、それをスタンプ台につけ、通知表の空欄に、ぽんぽんぽんぽんぽん、と押していった。筆者が見ている目の前で、である。
中学校だから、評価は5段階だ。筆者の中2の2学期の成績は、すべてド真ん中、あっという間にオール3ということになった。
これは今なら、大問題になっただろう。なんで美術の先生が、国語や数学など他教科の評価を、担当教諭に聞くこともなく、独断で決めてしまえるというのか。
「先生、いいかげんな評価はやめてください!」
「もうちょっとマジメに考えてください!」
と、もしその場で担任に言っていたなら、筆者は学園ドラマの主人公だった。物語の主要キャラクターたりえる少年だった。
が、現実はドラマとはちがう。
筆者はこのとき、安心したのだ。
担任も担任なら、生徒も生徒というべきか。もともと成績には無関心なほうだったから、「4」や「5」などなくていい。「1」や「2」がなけりゃ満足だった。それどころか、通知表が「白紙」=「無」ではなかったことで、ホッとして家に帰ったのである。
親には、職員室で見たことを話さなかった。もし話していたとしても。筆者の母は学校にクレームをつけるタイプではなかったし、父だって「おまえが実際、3なんだろ」と言って笑い飛ばしていたにちがいない。
たしかに、筆者は担任の教師から見てパッとしない存在だったのかもしれないが、どう考えても、この担任の行為は軽率であり、プロの教師のものとは言えないだろう。
だが、それ以上に、現在の筆者はオール「3」を押されて安心していた当時の自分に、呆れや情けなさのまじった忸怩たるものを覚えるのである。
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2013.7.18
第六十八回 氏村は「できる」小学生だった!?
夏休みが目前に迫ったこの時期は、子どもたちの気持ちもうわついている。
終業式の日は嬉しいものだ。ふり返ってみると、筆者は終業式に夏休みの宿題をもらうことさえイヤではなかった。もちろん宿題をするのが嬉しかったのではない。それらの教材を手にすることで、「夏休みがきた」という実感が得られたからである。
通知表も渡されたが、小学校低学年のころは、たしか「よい・ふつう・がんばろう」の三段階だった。
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ところが、三年生になったとき、学校側がなにを考えたのか、「とてもできる・できる・がんばろう」に表記を変えたのである。上っ面だけの余計な配慮だ。内実はなにも変わっちゃいない三段階評価なのに、えらく気をつかってくれたものだと思う。
通知表は、親に見せなければならなかった。が、このとき筆者は、「自分で言うから」と言って通知表を広げ、評価を母に読んで聞かせた。
「国語、できる」
「えっ」
「算数、できる」
「ええっ」
「理科、できる。社会、できる」
「…………」
「図工、できる。体育、できる。音楽、できる」
「ちょっと見せなさい」
取りあげられて、結局、なんだ表記が変わっただけのことじゃないかと笑われたのだが、それにしても見事に「できる」=「ふつう」がそろっていたものである。勉強よりも遊ぶほうが面白かったのだから仕方ない。
だから、夏休みは最高だった。40日もの長い休みがあって、毎日遊んでいられた。朝からカブトムシを捕りに行って、駄菓子屋でアイスを買って、たまに映画にも行って、麦茶飲んでスイカ食ってかき氷食って、クーラーのきいた部屋で昼寝して、夜は花火をしたり夜店があったりして、おばあちゃんの家にも行って海で遊ぶのが楽しかった、という記憶があるせいか、筆者は今でも夏が好きである。
でも、考えてみると、大人になった現在は仕事に明け暮れないといけないので、暑くて忙しくて、あまり愉快な季節じゃないはずなのだ。それでも夏がくると、なんとなく嬉しくなるのだから、幼いころの記憶の影響は大きい。
あえて、本音を言う。
筆者は今でもカブトムシを捕りに行きたい、駄菓子屋でアイスを買って、毎日のように海で遊んでいたい、という気持ちが、皆無ではない。「それなら実行すればいいだけの話」と言われそうだが、まあ、田舎で暮らしていないと無理だろう(田舎でも無理だ)。
でも、せめて「大人も、もっと夏は休んでいいんじゃないか」というのが、かつて「できる小学生」だった筆者の感慨である。
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2013.7.11
第六十七回 極真の大先輩
『新必殺仕置人』で山崎努のことを書いたら、なぜか千葉真一のことにも触れたくなった。現在、サニー千葉と改名されているようだが、この場では、昔からの千葉真一という表記で通したい。
千葉真一といえば演じた役は限りないが、その中でも『影の軍団』シリーズの伊賀忍群の頭領、服部半蔵。そして『柳生一族の陰謀』などで演じた柳生十兵衛が、筆者としては印象深い。とくに柳生十兵衛の役は「特級」だと思う。
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『影の軍団』シリーズは、忍者ブームもあってか、海外でもかなり好評だったらしく、アメリカの大富豪の娘さんが大ファンになって、『影の軍団Ⅲ』に出演したという話を聞いたことがある。
テレビ版『柳生一族の陰謀』では、座敷で、誰か(たぶん但馬守あたり)と話していて、ふと背後に気配を感じた瞬間、ズバッとふり向きざま抜き打ちに刀を払う。すると、障子の影に潜んでいた忍びが倒れてくる。子どもの頃に観ていたので驚いた。フィクションとはいえ、めちゃめちゃ強い、と思ったものだ。
映画版『魔界転生』(1980年)でも柳生十兵衛役に起用されたのは、深作欣二監督も十兵衛役は千葉真一しかいないと考えたのではないだろうか。2003年版の『魔界転生』では、佐藤浩市が十兵衛の役を演じていたが、筆者は骨太な「千葉十兵衛」と比べてしまったので、どうしても物足りなく感じた。
もちろん、佐藤浩市が稀有の才能をもつ演技派であることに異論はないが、『GONIN』や『大いなる助走』で発揮されているように、佐藤浩市の持ち味はもっと都会的で、スーツを着て映える野性味なのだと思う。
千葉真一は武道家でもあるから、骨格からしてちがう。身のこなしもダイナミックにしてスピーディーだ。まさに柳生但馬守の嫡男で、柳生新影流の達人、十兵衛三厳を演じるにうってつけなのだ。
アクションに対するこだわりは、アクション監督を担当した映画『激突 将軍家光の乱心』からもうかがえる。
のっけから、とんでもない矢の豪雨。そして、ありえない湯船の大仕掛けに始まって、全編が、もう漫画さながらだが、フィクションにはダイナミズムが必要だと考えている筆者は、思わずDVDを買ってしまった。ケタ違いの迫力が、さすがに極真の大先輩の仕事だと思えるのである。
そう、千葉真一は大山道場時代からの大山総裁の弟子であることを、ご存知だろうか。つまり、我々極真会館の門下生にとっては、大先輩に当たるのだ。
この映画には、緒方拳も出ている。千葉真一は伊庭庄左衛門という役で、最後に緒方拳と対決するのだが、伊庭といえば、『戦国自衛隊』で千葉真一が演じた陸上自衛隊の三尉の名前と同じである。
しかし軍馬のあつかいはひどい。爆発でもんどりうって一回転したりするのだから、動物愛護協会からのクレームは必至かと思われるが……。
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2013.7.4
第六十六回 説明無用(後)
前期必殺シリーズのいいところは、各作品がそれぞれ強い個性を放っていて、まったく型にとらわれていないところだ。こういうのが今受けているから同じような路線で……といったマーケティングなど、はなっから頭になかったのではないか。
『新必殺仕置人』は遊び心が満載の作品で、途中から「屋根の男」というキャラクターまで登場する。赤ふんどし一丁の裸で、高台に張り渡した板に腰かけ、何もつけていない釣り竿をずっと垂らしている、ちょっと頭の弱そうな役だ。実は最終回で正体が明かされるのだが、ストーリーには関係のない彼が、毎回なにか珍ゼリフを口にするのだから、スタッフまで遊んでいる。その遊び心が、ハードな展開がありながらも作品のカラーを明るくしていると思う。
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いでたちにしても、時代劇なのに、レギュラーキャストの中でちょんまげを結っているのは、主水と寅ぐらいである。巳代松や死神は後ろで小さく髷を結んでいるが、ほとんど現代の髪型に見える。鉄は坊主頭で、ピアスやブレスレットまでしている。正八などは髷さえない。仕事人の秀と同じく、そのまま現代の若者で通じる長髪だ。
作品の斬新さは、主題歌の『あかね雲』からもうかがえる。
歌っているのは川田ともこ。エンディングで流れる『あかね雲』を聴いて、その神がかった声の伸びかたに驚嘆していた筆者だが、収録時の年齢を知ってさらに驚いた。12歳。なんと小学6年生を、主題歌の歌手として起用していたのである。
川田ともこは、第3話『現金無用』にゲスト出演しているが、演技も上手だった。まだほんの子どもなのに、抜群の歌唱力だけでなく、感情まで込めて歌うという天才ぶりを発揮したものだと思う。現在、活動していないのが残念だ。
ちなみに、筆者は江口師範が道場でサンドバッグを叩きながら『あかね雲』のBGMを口ずさんでいるのを聞いたことがある。
(もひとつ)ちなみに、BGMのサントラCDには、主題歌の『あかね雲』と『つむぎ唄』の再録したヴァージョンが収録されているが、この挿入歌の『つむぎ唄』もいいのだ。筆者のように田舎で子ども時代を送った者にとっては泣かせるメロディーと歌詞である。
とにかく、かように『新・仕置人』は、配役の演技も、スタッフの情熱も、主題歌も、すべてにすぐれた作品なのである。筆者はこの作品を愛するあまり、市販のDVD・BOX3巻セットを購入している。全41話が収録されていて、価格は5万円近かったが、練られた脚本、凝った演出、型にはまらぬ演技、その他、観るほどにすばらしいと思う。
3巻セットといっても1・2・3巻ではなく、「子」「丑」「寅」と名づけられているのがニクい。今回の当ブログも、3回に分けたのは初めてのことだが、最初からそうなるとわかっていれば「子・丑・寅」にするんだった。
このDVD・BOXを持っている方が、国分寺道場(と、その関連)にまだ2名いらっしゃる。このような、どちらかというとマイナーな印象のある一作品のDVD・BOXを、近い範囲内に、筆者も含めて3名も買っているというのは、珍しいほどの高密度だと思う。
その3名とは、筆者、天野ミチヒロさん、そしてほかでもない、国分寺支部長の江口師範なのである。
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2013.6.27
第六十五回 説明無用(中)
重要なことを書いていなかった。従来の必殺シリーズとちがって、『新・仕置人』には、作品全体の大がかりな設定がある。
それは、「寅の会」という仕置人ギルドの存在だ。表向きは俳句を読む集まりをよそおい、その実、仕置人の元締・寅(元阪神タイガースの藤村富美男)が依頼人から受けた殺しを競りにかけ、集まった仕置人たちが競り落とすという仕組みになっているのだ。寅の会には、それぞれのグループの一人が代表として参加している。
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第一話『問答無用』で、寅の会の競りにかけられたのが、中村主水だった。
冒頭で「八丁の 堀に中村 主水かな」と五・七・五のリズムで仕置の的が読み上げられ、鉄が「なぬ?」という感じで顔をあげる。昔の仲間だったので、それから正八やおていを使って主水をアジトまで誘導し、狙われていることを教えるのである。
「お前、まだ生きてたのか」
主水が、鉄の顔を見て言う。久しぶりに会って、一言めがこのセリフ。仕置人などを続けていれば長生きできないことから、素で言っている。この件から主水がまた仕置人の仲間入りすることになって物語が始まる。
主水と鉄とのコンビは「仕置人」以来だが、今度は巳代松が加わっている。巳代松は鋳掛け屋だが、殺しの武器は竹製の単筒、つまり「銃」で、火薬を詰めこみ、花火のような弾を発射する。超接近戦の鉄とは対照的な、飛び道具を使う殺し屋である。ただし、射程距離はわずか2間(3・6メートル)しかない。
飛び道具といえば、もう一人。元締の寅には、死神(河原崎建三)と呼ばれる恐ろしいボディガードがついていて、この死神が神出鬼没、どこからともなく現れるのである。
たとえば仕置人が寅を通さず勝手に仕事を引き受けたり、競りにかけられた人物との取り引きを試みたりすると、吹き溜まりの落ち葉がザザザーッと舞いあがると共に、黒装束の死神が地から湧いて出るかのごとく、うっそりと立ち上がるのだ。
「寅ハ…トリヒキヲ、ユルサナイ。…コロス」とつぶやき、手投げの銛を放って仕置人を仕置きしてしまう。ギリヤーク人という設定の寡黙な青年で、寅に対しては絶対の忠誠を誓い、殺人機械のように冷徹に任務を遂行する。仕置人の目付役という、これまでのシリーズにはなかったキャラクターだ。
その死神が、最終回のひとつ前の第40話『愛情無用』で、生まれて初めて愛情を抱いた女性が殺されたことから、寅の会の掟を破って破滅への道を選ぶのである。そこに正八が関わり、全話を通して屈指の泣かせる回となる。へらへらした軽いノリの正八と死神とのあいだに生じた意外な友情が泣かせる。正八が大きく関わっている回は涙を誘う話が多い。
寅が死神をなくし、寅の会の基盤がゆるんで、最終回『解散無用』につながるのだが、この『新必殺仕置人』の最終回は、当時のテレビ書評で、「必殺シリーズはもう終わった」とまで言われたらしい。これ以上見事で完璧な最終回はもう作られない、というのである。
そうかもしれない。これからご覧になる方にとってはネタバレになるし、サブタイトルのとおり説明は無用だと思うので、ここでは書かないことにする。(後編につづく。)
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2013.6.20
第六十四回 説明無用(前)
複数の才能が結集し、偶発的にも神がかった傑作が生まれる、ということがあるらしい。
なにがって、必殺シリーズ第10作『新必殺仕置人』のことである。
必殺ファンのあいだでも、シリーズ最高傑作との呼び声が高い作品だが、筆者としては必殺シリーズどころか、いや時代劇どころか、いやいやテレビドラマ史上でのベスト作品ではないかと(自分の中では)位置づけている。観ていると、位置づけたくもなるのだ。
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登場人物は、中村主水(藤田まこと)、巳代松(中村嘉葎雄)、そして念仏の鉄(山崎努)、この三人が仕置(殺し)を担当し、情報・探索担当の仲間として正八(火野正平)とおてい(中尾ミエ)がいる。
この作品の目玉のひとつは、なんといっても念仏の鉄というキャラクターだろう。元破戒僧で、表の稼業は骨つぎの医師、裏に回れば凄腕の殺し屋(仕置人)だ。殺しの技は本職を活かした骨外し。武器を持たず、素手(指二本)で仕留めるのだが、そのシーンでは、なんと骨が外れるレントゲン映像が挿入される。
実生活では、せっかく稼いだ仕置料をほとんど遊郭で使い果たし、いつも金に困っている始末。快楽主義者なので、ものを食べるシーンは美味しそうに見える。
演じるのは、名優にして怪優・山崎努。同じ配役を演じないことで知られている山崎努だが、この鉄の役を例外的に引き受けたところをみると、よほど気に入っているキャラクターなのだろう。演じるにあたって、山崎努は「鉄とはこういう人物だ」という内容を箇条書きでプロデューサーに渡していたというほどの入れ込みようなのだ。
実際、山崎努以外のキャストは考えられない。映像業界には、「特級」という言葉があるらしく、登場人物とそれを演じる俳優のはまり度を表す段階で、特級というのはその最高レベルだという。まさに山崎努と念仏の鉄は「特級」である。
ちなみに本作は、必殺シリーズ第2作『必殺仕置人』の続編ということになっているが、実質はまったくの別モノである。鉄も、本作のほうがあきらかに活き活きとしている。
仲間とのやり取りがまた面白い。第5話の仕置では、鉄が押さえている相手を、中村主水が障子ごしに刀で刺すのだが、仕置料の分配になって、鉄は主水だけ半額にする。
「これはねえだろ」と言う主水に、鉄は「これはねえだろって、おめえ、障子のあいだから刀突きだしただけじゃねえか。あんなものはバカでもできる」と返す。主水の闇討ちは、後期必殺では当たり前になるのだが、「それを言っちゃあオシマイでしょう」というか、身もふたもない一言である。
中村主水と鉄は、最強コンビとも言われるが、鉄はどちらかというと巳代松と息が合っているように見えるし、さらに正八とのかけ合いでは、アドリブとしか思えない言葉が連発される。
アドリブでなくても、遊びがすごい。「スカッとさわやか」とか「仲よし五人組」などと平気で口にする。仕置のシーンで、ロックバンド『KISS』のようなメイクを施したこともある。
火野正平(正八)のインタビューによると、「僕だけでなく、出演者にもスタッフにも、みんなに『俺のものだ』という意識がうかがわれ、現場はいつも燃えていた』とある。そうやって作られた作品が、傑作にならないわけがないのである。(次回に続く)
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2013.6.14
第六十三回 授業参観日の忘れ物
やれ「テキストを忘れました」とか「筆箱を忘れました」などと言って生徒が忘れ物をしてきたら、当然、呆れる。(まったく、テニスをする時にラケットを忘れるのかねえ。剣道をするのに竹刀を持たないのかねえ)と思うのだが、考えてみると人のことは言えない。
自分だって、空手の稽古をやりに道場へ行きながら帯を忘れていった経験がある。このときは江口師範に「じゃあ、僕の帯を使ってください」と完璧な切り返しをされた。
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そう、人はうっかり忘れ物をしてしまう。小学生のころは特にそうだ。
今でも苦い思い出として残っているのは、6年生の時の算数の時間。しかもその日は、よりによって授業参観日だった。前の晩、「忘れちゃいけないな」と意識して、算数の教科書を用意したはずが、当日になって教室で取り出してみると、それは社会だったのだ。
算数と社会の教科書は、よく似ていた。どちらもクリーム色で、ページ数の厚みも同じぐらい。筆者は裏表紙だけを見て、無造作に社会のほうをカバンに入れていたのである。
仕方ないから、社会の教科書で授業を受けることにした。あとは(どうか当てられませんように)と、ただ祈るだけだった。
結果は案の定、「私がもっとも恐れていたことが、私にふりかかった」と聖書のヨブ記にもあるように、授業が始まって、ものの数分で当てられてしまった。
何ページの問○をやってみなさい、と先生は言うのだが、筆者があけているそのページには問題など載っていない。なんせ社会の教科書なのだから。
「わかりません」と答えるしかなかった。教室の後ろでは母が見ている。ここですんなり次の子に移ってくれたら、まあ笑ってすまされる程度だろう。だが、先生も罪なことをする。執拗に引っぱるのである。「まちがえてもいいから答えてみましょう」と、やたらくり返す。
こっちは正解どころか、問題自体が「わかりません」なのだから、答えようがないのだ。あまりにモジモジしているものだから、教室がざわつきはじめた。
この拷問に近い時間に耐えきれなくなり、筆者はついに打ち明けた。実は算数の教科書を忘れていて、今広げているのは社会の教科書だということを。
さんざん引っぱった後のカミングアウトだったので、生徒も父兄も含めてクラス中が笑いに包まれた。母はいたたまれなくなったのか、教室を出て行ってしまった。
(あーあ)と思った。でも、まあ、これでもう恥ずかしい瞬間は終わった。この後は当てられる心配もなく、のんびりとくつろいでいられる。と思ってくつろいでいたら……。
しばらくして、廊下を母が歩いてくるのが見えた。なんと、手に算数の教科書を持っているではないか。小学校は通学の距離が短い。家に帰って取ってきたのだ。
母は教室に入ると、筆者の席まできた。そして皆が見ている前で、思いきり筆者の頭をパーンと教科書で叩き、そのまま一言もなく、教科書を机に叩きつけて出ていった。
普段は滅多に怒らない温厚な母なのだが、この時はよっぽど悔しかったのだろう。
教室は静かだった。笑いが起こるのは、あるレベルを超えるまでで、ここまでくるともう誰も笑わないのである。筆者も恥ずかしかったが、内心で思った。
「もう、今度こそ本当に、この後はくつろいで……」
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第六十二回 神か悪魔かデ・ニーロか
ロバート・デ・ニーロ。
その名前は、数ある映画俳優の中でも特別な輝きを放っている。畏敬という言葉があるが、筆者などは文字どおり「畏れの入りまじった尊敬」を覚えるのである。
デ・ニーロはとくに目立つ外見をしているわけではない。顔だちは整っているが、女性受けする美男の俳優なら、ハリウッドにはゴマンといる。身長もごく平均的だろう。
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それなのに圧倒的な存在感がある。小さな素ぶりや表情にも、目が離せないほどの吸引力がある。主演でなくても、脇役でちょっと出るだけで、その映画全体が引きしまる。ひとえに演技力が神がかりなのだ。
デ・ニーロの演技には、つねに狂気の影がつきまとう。
筆者が持っているDVDの特典映像で、共演者が語る彼の印象に「怖い」という言葉が共通して出てきたのが興味深かった。むろんデ・ニーロ本人はコワモテではなく、人を威圧する素ぶりも見せていない。それなのに怖いという理由は明白だ。
たとえば『タクシー・ドライバー』。この作品は筆者のオールタイム・ベストなのだが、都会の片隅で生きる新米のタクシー・ドライバーが、選挙活動をしている女性に振られ、その候補者の暗殺を試みて失敗する。さらに今度は娼婦との邂逅によって、たいした因縁もないのに、三挺の拳銃とナイフで武装し、単身、売春宿に乗り込んで撃ち合いを繰り広げるのだ。この主人公トラビス・ヴィックルの役作りのために、デ・ニーロは実際に3ヶ月間、ニューヨークでタクシーの運転手をして働いたという。
『ミッドナイト・ラン』で賞金稼ぎの役を演じた時は、本物の賞金稼ぎと行動を共にして、追跡や逮捕の瞬間にまで立ち会っている。
『アンタッチャブル』では脇役でアル・カポネを演じたが、額の生え際を後退させるためにみずから髪を抜き、また顔だけを太らせてみせた。
『レイジング・ブル』は実在のプロボクサー、ジェイク・ラモッタの物語だが、引退後の激太りしたラモッタを演じるために、デ・ニーロはなんと25キロも増量した。ダイエットに躍起になっている女性から見れば気を失いそうなエピソードだが、筆者もぶくぶくに太った登場人物を見て、最初それがデ・ニーロだとは気づかなかったぐらいだ。一方で現役ボクサー時代のシーンでは、いつも眉間に皺を寄せて周囲に当たり散らす主人公の不快なことなんの。これは素でやってるんじゃないか、ラモッタ本人じゃないか、と思えるぐらいなのだ。
そして不朽の名作『ゴッド・ファーザー』の続編、『ゴッド・ファーザーpartⅡ』では、シチリアに移り住んでイタリア語まで習得。ドン・コルレオーネの若い頃を演じきった。
20キロ超の体重コントロール、外国語の習得、舞台となる土地で地元の人を演じるために撮影の数ヶ月前からそこで暮らして馴染むなど、異常なまでの役づくりは、しかしデ・ニーロにとっては当たり前のことなのかもしれない。こういった役づくりに懸ける執念、そして演技の集中力が、おのずと鬼気せまる迫力となって共演者たちを圧倒するのであろう。
役者以外の人生があり得ない、生粋の役者の生きざまを、ロバート・デ・ニーロの出演作で見ることができる。
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第六十一回 鋼の尻を持つ男
何年か前に、フィットネス・クラブの体験で、ウエイト・トレーニングの各マシンを使用したことがある。
極真の大会に出場する選手なら、ウエイト・トレーニングは必須であろう。だが、筆者などは、そんなレベルではない。筋トレの延長ぐらいの感覚でしかなかった。
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スタッフの説明を聞いてから、ベンチプレスやスクワットなどの各マシンを、普通にこなしていった。
が……。尻の筋肉、ようするに大臀筋であるが、これがまったく物足りなかったのだ。
ウエイトのプレートをいくら増やしても、まだまだ余力がある。
ついに、一番下にバーを差し込んだ。ようするにプレートすべて……そのマシンの最大値の負荷をかけてやってみた。それを10回×3セット。
それなのに、まったく苦しくない。平気のへっちゃら。普通なのである。
これはいったいどういうことなのだろう?
ケツの筋肉だけが、ずば抜けて発達している、ということになる。
いつのまに鍛えたのか自覚はなかった。ニコライ・オストラフスキー著『鋼鉄はいかにして鍛えられたか』ではなく、『鋼ケツはいかにして鍛えられたか』である。
いきなり話は変わるが、今年の新年会では、寺嶋先輩にカンチョーされた。
カンチョーといっても臀部である。寺嶋先輩いわく「真ん中はさすがに抵抗があったので」とのことだが、なにも無理をしてカンチョーする必要はないのではないかと思う。
寺嶋先輩といえば、全日本ウエイト制の上位ランカーで、三回チャンピオンになった選手を降したほどの実力者である。華麗なテクニックを使い、頭脳明晰で、精神年齢も高いと思っていたのだが、こういうところは普通の若者と変わらないようだ。とにかく、寺嶋先輩の指攻撃にも耐えうる大臀筋なのである。
ハガネのごとき尻だけに、よく凝ってしまう。人には見せられない姿だが、「あ~、ケツ凝った」と自分で揉みほぐしたり、棒でぐりぐりすることもしょっちゅうだ。
受け持ちの生徒の中には、頼んでもいないのに勝手に肩を揉んでくれる子がいて、筆者としてはどっちかというと、肩よりも尻の凝りをほぐして欲しいのだが、
「ちょっとケツを揉んでくれ」
などと頼めるはずもない。また、かりに実行してもらったら、
「タントン、お尻を叩きましょう~♪」
といったように、珍妙きわまる構図となる。
それにしても、鍛えた記憶もないのに、特定の部位の筋肉が発達するということがありえるのだろうか。いや、実際に我が身で実感しているのだから、筆者としては、この事実を謙虚に受け入れるしかないだろう。
でも、どうせなら、空手技を使うのに有効な部分の筋肉だったらよかったのに、よりによってなんでケツなんだろう、と少々残念に思ったりもするのである。
ケツの筋肉を活かせる技がないものだろうか?
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第六十回 オススメの一冊とは?
オススメの一冊とは?たまに保護者の方から、子どもに読ませるのに何かいい本はありませんか、と訊かれることがある。小学生の生徒本人から求められることもあり、真面目に答えようとすると迷ってしまう。本音を言うなら「自分で見つけてくれ」というのがその返答である。
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だいたい本というものは、書店でそれを目にとめて、興味をひかれたら買えばいいのだ。そういう出会いから楽しんでもらいたい。ただし、子どもの場合は世界が狭いから、最初のきっかけは大人が与えてあげるのも自然なことではある。
オススメ本に話を戻すと、親御さんからの要望であっても、あまり真面目すぎるような学校推薦図書のたぐいは、小学生が夢中にならないように思える。過去の自分がそうだった、という程度の根拠だが、たいていは面白くないと読まないし、下手をすると逆効果になる。そして本が好きになれば、そういう文学作品にも自然に手を伸ばしていくだろう。
そのへんを考慮してオススメするなら、無難なのは星新一だろうか。
というのは、好みに合う合わないの幅が、きわめて狭いと思うからである。
それからラストに意外な結末がある。あっと驚いたり、ゾクッと怖くなったりして、飽きさせない。またショートショートだから数ページで一話完結し、本が嫌いな子でも苦労せずに一冊読んでしまえる。
と思っていたら、先日たまたま休み時間に山中恒の本を読んでいる子がいたので、同じ作者の小説、『おれがあいつであいつがおれで』を思い出した。
本を紹介してほしいと言った子は小6だ。『おれがあいつで…』はもともと『小6時代』という雑誌に連載されたもので、読者対象も6年生だからちょうどいい。
読者の方はご存知だろうか。『おれがあいつであいつがおれで』を。
名前が一字ちがいの、斎藤一夫と斎藤一美という幼なじみの小学6年生がいて、ふとした拍子に体が入れ替わってしまうという物語である。
これを原作にして、かつて大林宣彦監督が『転校生』という映画を撮ったのだが、映画のほうも面白くてせつない作品だった。主人公たちの年齢は中学生に引き上げられているが、原作の良さは十分伝わる青春映画だ。
話を原作に戻す。
筆者もこの際、家にあった同書を再読した。物語は面白おかしく、全編にギャグを盛り込まれて進んでいくのだが、やがて相手の性の立場を知ることによって不条理も知り、いたわりの心が芽生えていく。
これを授業で話したら何人か読んできて、面白かったと言っていた。ストーリー上の必然として、ちょっとエッチな部分もあり、保護者の反応はどんなものかと思ったが、まあ許容範囲だろう。生徒が面白かったのならいい。
(追記。前回の内容について。実際に勧誘を受けて移籍したのは4名ほどで、いずれも江口師範のことを直接知らない人ばかりです。師範の指導を受けている道場生は誘いを一蹴しており、甚大な被害を受けているわけではありません。国分寺道場に対する妨害工作であることは確かなので、告知する意味もあって書いておきました)。
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第五十九回 無料でも高いと思うこと
今回、あまり愉快な内容ではない。というのは、また引き抜きの噂を耳にしたので、そのことについて触れてみようと思うからである。
・・続きを読む
かつて国分寺道場で指導員をしていた人が、べつの団体・道場の「師範」になる。それだけなら問題はないが、その人は国分寺の道場生に連絡を取って、江口師範に関する事実無根の中傷を吹き込んだり、引き抜きの工作をしているのだ。
誘い言葉には、甘い餌がついている。
「こっちに来れば、月謝を無料にするよ」
「指導員をしてくれたら、段をあげるよ」
といったもので、これは一種の「取り引き」の感覚に近い。なかには実際にその餌につられて移籍してしまった人も、複数いる。つい最近もそんな噂を聞いて「愚かだなあ」とイヤな気分になった。
「なにもすぐに辞めろとは言ってないんだよ。極真会館に在籍したままでいいから、うちにも通いなよ」という誘い方もしているらしいが、それはむろん二股在籍になるから、発覚次第、除籍になる覚悟は必要だろう。
だいたい月謝無料や昇段といった姑息な取り引きで成立した関係は、そういった餌が「目的」すなわちゴールであって、もともと信頼などないのだから、それが得られてしまった時点でつき合いも終わりになる。
なるほど、お金に困っている人にとって、月謝無料ほどありがたいことはない。単純にステイタスをあげたい人にとって、厳しい審査を通過することなく昇段できるのは、このうえなくオイシイ話であろう。
だけど……そう、かつてベンツかBMWだったか、高級車の広告で、こんなのがあった。
『100円で高いと思うこと。100万円で安いと思うこと』
記憶だけで書いたので正確じゃないが、秀逸なコピーだと感じたものだ。
もし現在、引き抜きの勧誘を受けて迷っている人がいるなら考えて欲しい。あなたに声をかけている人物は、かつて指導員でありながら江口師範から2000万円(!)を横領し、当然の結果として道場を追い出された犯罪者なのです。詳細は省くが、経理上の操作で着服を続け、海外に進出しようとした際にみずからボロを出してしまったのである。
それで現在は、「反江口同盟をつくりましょう」と言って引き抜きをしているのだから、国分寺道場に対する妨害工作にほかならない。空手のセンセイなのに、逆恨みに取り憑かれて、目標が空手に向かっていないのだからひどい。
そんな人から空手を学びたいと思いますか?
その人は空手の実力においても、人格においても魅力的ですか? ろくに稽古をしていない名目上の「師範」から、タダでゴミをもらって嬉しいですか? 今の月謝より、無為な時間のほうが惜しくないですか? 正規の審査を経ることなく宴会芸用のオモチャの黒帯をもらって、自分自身が納得できるのですか?
……以上は、極端な比喩だと思われるかもしれないが、実質は同じことである。
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第五十八回 南半球からの来訪者たち
5月2日、GW中の木曜日。ニュージーランド支部の方々が国分寺道場を来訪された。
・・続きを読む
4月の26日~28日にかけて開催された国際大会のために、選手やセコンド、少年部の保護者、先生として来日された総勢25名ほどの方々で、子供も10人ほど、道着にゼッケンをつけたままの若者も混じっている。
筆者はその日、事情があって少年部の指導補佐に入っていた。一般部の前のクラスで、その時間からニュージーランド人の少年少女が飛び入り参加したのだが、「こういう時、英語が話せたらよかった」とつくづく思った。
終わってから、ニュージーランド支部の子どもたちが日本の子どもたちにお土産のお菓子を配ってまわり、筆者もニュージーランドのお守りらしいキーホルダーをもらった。そういうのを用意してくれている心遣いが嬉しい。
一般部は、ポール・クレア先生や、ニュージーランドのクリス師範も参加して、相当な賑わいとなった。江口師範が話される内容を、サンローラ健さんが同時通訳でニュージーランドの道場生に伝える。国分寺道場にはいろんな能力を持った人がいるが、この通訳によってニュージーランドの道場生も、江口師範の説明が受けられた。
基本稽古の後はずっとスパーリング。道場いっぱいに集まっていたので、たぶん移動稽古ができるスペースはなかったはずだ。スパーも、一人一人と当たっただけでも終了時間は延長になる。
終わるとみんなで記念撮影をし、国分寺支部が発足から20年以上たったことを祝う記念の楯が、クリス師範から江口師範に贈られた。
しめくくりに、師範は「極真会館は、世界の多くの国に支部道場があるので、門下生はどこの国に行っても稽古できます」という意味のことを話された。空手を通して、ひとつの家族のようなものであると。
ちょっと考えてみてほしいのだが、国際大会が終わったのは28日なのである。出場者たちは当然、初日(26日)の前から来日し、早い人なら29日には帰国しているだろう。が、ニュージーランドの方々は、5月2日の師範稽古に参加するために、帰国の日程を4日ほど遅らせてくれたのだ。
試合後は観光もしただろう。物価の高い東京でホテル暮らしをしながら1週間近く滞在するのは、経済的に楽ではなかったはずだが、そこまでして木曜日の師範稽古に参加したいと思っていたのである。これは江口師範がニュージーランドに行かれた時に、空手を通して築かれた本物の関係があったからだと思う。
この日は江口師範も大変な事情の中にあり、普通なら指導を欠席しても仕方がない状態だったが、もし欠席されていたなら、赤道を越えてまで来訪されたニュージーランド勢はがっかりしただろう。師範が遅れてでも道場に来られたのは、そういう気持ちを酌まれていたからにちがいない。
軽薄なつき合いではないのだ。我々が言葉の通じない相手と拳を交えて稽古し、終わってから一人ずつ握手をしていくのも、空手という軸があればこそである。
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2013.5.2
第五十七回 最強の敵、その名は……
筆者は今、最強の敵に直面している。とんでもない奴が目の前に立ちはだかっているのである。
その男の名は……。
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氏村という。ようするに、自分自身のことだ。
なにっ!? 最強ということは、じゃあ江口師範よりも強いのか? あるいは全日本代表選手や指導員の先生たちよりも、氏村が強いというのかっ? ……という危険なツッコミは無視させていただく。
よく言われるように「自分との戦い」という意味であって、いわゆる「克己」が問われているのである。
「ああ、氏村か。たいしたことないな」と、筆者も最初は軽んじていたのだ。が、戦ってみると、これが思いのほか手強い。なにしろ一日中いっしょにいる。取り外せない。どこへ行ってもついてくる。サボったらごまかせないし、言いわけも通じない。
だいたい言いわけというのは、聞かされる立場に立ってみるとイラつくものだ。
仕事がら生徒の言いわけを聞くことがある。たとえば「時間がなくて宿題ができませんでした」とか「電車に乗り遅れて遅刻しました」とか。
「宿題をやってなくてすみません」と言う子もいるが、いったい誰に謝っているのかと思う。不合格になって泣くのは自分なのに……。謝るとしたら、ほかでもない「未来の自分」に対してだろう。
言いわけは、まだ「やらされている」気持ちでいるから口にするもので、本気で目的が定まったらそんな言葉は出なくなる。もしかりに真っ当な理由があって勉強できなかったとしても、入試の際に、志望校がその「無理もない理由」を考慮し、合格にしてくれるはずもない。
やったかやらなかったか、なのだ。
いや、ちがう。やっても身についていなければ合格できない。
かくも単純明快にして非情な世界の中では、他者に対しての言いわけも謝罪も無意味である。やらなかった結果が、すべて自分に降りかかってくるのだから。
以上のことを生徒の姿を通して客観視していると、自分も道場を休む時に、どんな理由であっても連絡しなくなってきた。
話を元に戻すと、筆者は今、時間のやりくりと戦っている。はた目にはのほほんとして見えるかもしれないが、自分のキャパシティ以上に課題を詰めこみすぎてしまい、それらをこなすのに悪戦苦闘しているのが現状だ。
空手の練習だけではなく、先延ばしになっている課題が複数あって、正直、切り回せていない。自己管理できていないのは格好悪い。ここしばらくズルズルときたけれど、こうなったら睡眠時間を大幅に削るしかないと思う。
と、なんでこんなことをわざわざ書いているかというと、この場で発表することで、人目を意識することができるからである。
なにっ!? 道場のツールを自分のために利用しているのかっ? というツッコミは……。
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2013.4.26
第五十六回 一期一会の昼ビール
四国を旅していたときの話である。
4月中旬のその日は、夏のように暑かった。高知県の塚地という辺りで、トンネルの手前に塚地休憩所というのがあり、自販機の前でジュースを買おうとしていると、おばちゃんが飛び出して来て「お冷やを出すから休んでいきなさい」と言ってくれた。
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言われるままに東屋でリュックをおろし、おばちゃんがお接待(サービス)してくれたおしるこを、ありがたく味わう。紙コップに入ったおしること、冷水、アラレ、そしてキュウリの薄切りが二切れ、上品に添えられ、その下には自然の美しい緑の葉っぱが敷かれていた。心遣いが細やかなのである。
そのとき東屋にいたのは筆者だけでなく、地元の男たちが三人、卓上コンロを出してインスタントラーメンを作り、昼間から酒盛りをしていた。そういうことをするのも四国では自由なんだな、と思っていると、彼らに呼ばれた。こっちに来て酒盛りに加われ、というのである。
「そんな水とおしるこなんかより、ビールのほうがええやろ」
まあ、たしかにそのとおりなんだけど……。
天使「昼間っから酒を飲むだって。不謹慎な。これからも歩かなきゃいけないんだぞ。そんなことをしてるから、また行程が遅れるんじゃないか」
悪魔「いや、せっかくの誘いを断るのは失礼だろう。地元の人との交流を大切にしないで、なにがお遍路だ。それにこれは《ツアー》じゃなくて《旅》なんだ。予定どおりに行動するする必要なんかない。予期せぬ誘いに応じて遅れるのも旅の醍醐味じゃないか」
そうだ、悪魔の言うとおりだ。いいこと言うなあ、悪魔は。というわけで酒盛りに参加。
こういう時、酒を飲める人間は得だと思った。暑い日だったから喉が渇いている。そんな時にビールをごちそうしてくれて、お礼を言いたいのはこっちのほうなのに、飲めば飲むほど喜んでくれるのだ。
我ながら現金なもので、それまでは水とおしることキュウリなどの細やかな心づくしに感動していたのに、ビールを前にしてそれらは一気に消し飛んでいた。
暑い昼間から、土佐の地で見知らぬ人たちと飲む冷たいビール。地元で取れた新鮮なマグロのぶつ切りの刺身、サバ寿司、インスタントラーメン、どれもこれも抜群においしい。
「即席ラーメンら、家で食ても全然うまないのに、こうやって食たらうまいな」
と、おっちゃんらも言ってた。
「どっから来たんな」「何日目よ」「なんでお遍路さんしようと思たん」などと訊かれながら、談笑して過ごした。筆者は社交的なほうではなく、初対面の人とはあまり打ち解けないのだが、四国ではごく自然にこういう展開になるのだった。
その後、トンネルを越えて宇佐大橋という橋を渡った。手摺りが極端に低く、カーブの曲線が美しくて、歩いていく視点からは、空に向かって伸びていくように見える橋だ。下の砂浜をのぞくと、この陽気で、もう海で遊んでいる人たちがいた。
宇佐大橋を渡りながら、さっきの人たちのことはずっと忘れないだろうな、と思った(事実、このとおり覚えている)。
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2013.4.18
第五十五回 春はタケノコを拾って
和歌山市の郊外に、大池遊園と呼ばれる公園がある。
公園、としかいいようがないのは、大きな緑色の池が広がっていて、個性的な橋が架かっていたり、ボート遊びができたりするのだが、ほかに遊具があるわけでもないからだ。桜と紅葉の名所で、春先や秋には観光に訪れる人が多いらしい。
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地元の者は「おいけ遊園」と縮めて呼んでいた。筆者は小学校低学年から足を運んでいないので、もう土地鑑がなく、どこらへんにあるのかわからない。和歌山市からすぐ行けるほどの近くでもなかったが、遠かったわけでもないと記憶している。
とにかく、その大池遊園の近くの竹林で、筆者はタケノコを拾ったのだ。
小学二年か三年の春だった。家族で花見にでも行ったのだろう。タケノコは自分で掘り当てたのではなく、誰かが落としていったものを、たまたま珍しく思って拾っただけにすぎないはずだ。
ところが、それを親に見せると、褒められた。いや、褒められたというか、「こんなものをどこから持ってきたの」という感じで、意外がられた。
なんにしろ親の反応がよかった。そして、それを、当時まだ幼稚園児だった妹が見ていたのである。
それから数日たったある日、妹は家の近所にある公園から、「タケノコを見つけた」と言って戻ってきた。
両の手のひらを上に向け、その上に大事そうにタケノコ(?)を載せて帰ってきたのだ。筆者は、家の玄関の前で、それを見た。
タケノコではなかった。どう見ても犬のウンコだった。だいたい和歌山市街の公園なんかにタケノコが落ちているわけがない。
「これ、犬のウンコや」
と言うと、妹は必死になって否定した。
たしかに、形は似ている。円柱の片方の先がスーッとすぼまった砲弾型、つまりタケノコの相似形で、サイズだけ縮小したような感じ。色も、砂埃にまみれて白っぽくなっているので、ぱっと見たところタケノコとそっくりなのだ。でも明らかに大きさがちがう。
公園でそれを見つけた妹は、きっと「こういう形のもの」を持って帰ったら褒められる、と思ったのだろう。
「タケノコやもん」
「犬のウンコや」
「ぜったいタケノコやって」
と言い合いし、「そんじゃ、割ってみい」と筆者は言った。
力を加えられたそれは、チョークのように呆気なくパカッと折れた。
断面は、あざやかな黄色だった。筆者は爆笑し、妹はそれを持ったまま泣き出した。
……タケノコの美味しい季節、ふと思い出して今回のネタにしてみたのだが、今度姪っ子たちに会ったら、「お母さんの小さい頃の話」として、この話を聞かせてやろうかと思う。
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2013.4.13
第五十四回 ○○が放送禁止になった理由
天野ミチヒロさんの新刊『蘇る封印映像』が刊行された。
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版元は宝島社で、サブカルチャーのコーナーなどに置かれている。昭和の特撮モノ、アニメ、時代劇などの「封印された映像作品」に関する蘊蓄が、これでもかというほど詰まっているので、興味のある方にはたまらない一冊だろう。おそらく、封印映像に関する書籍の中で、天野さんの著作以上に凝縮度が高い本はないと思う。
さて先日、江口師範と美幸先生ご夫妻、天野さん、アジアジ、筆者(どんな組み合わせだ!)の5人で会食する機会があったのだが、いやもう話が弾むのなんの、ものすごく面白くて、あっという間に4時間が過ぎ去った。
その時に筆者は、天野さんからおみやげとして『ウルトラセブン』の第12話と、『怪奇大作戦』の第24話が収録されたDVDをいただいた。ともに「封印映像」で、入手は現在のところほぼ不可能と言っていい。『怪奇大作戦』についてはDVD・BOXを購入しようかと思っているぐらいなのだが、第24話はBOXにも収録されていない曰くつきの作品なので、それを視聴できるのは、はっきりいって感涙ものなのだ。
『ウルトラセブン』は去年から少しずつ視聴し、今の時点で第40話まで観ている。細部までこだわった円谷プロの念入りな仕事ぶりには、ただただ圧倒される思いである。
問題の第12話『遊星より愛をこめて』は、予備知識なしに観ていたとしても、なにがいけないのかはわからなかったはずだ。本編には何ら問題がないのに、そういう作品を欠番にするのはいかがなものか。
たまたま筆者が仕事で使う教材の中に実相寺監督の文章があり、「朝焼けの光の中に立つのはミラーマンだが、ウルトラマンには夕焼けがよく似合う」という意味のことが書かれていたのだが、この12話にも夕焼けの場面が効果的に用いられていた。そういえばメトロン星人が出てきた回も、昭和40年代の下町を背景にした夕焼けの中での戦いが非常に美しくて印象的だったことを思い出す。
『怪奇大作戦』の第24話は、サブタイトルがずばり『狂気人間』。これは真っ向から「そういう問題」に取り組んだ内容なので、欠番という措置はまったく的外れなのだが……。
ラスト近くで騒ぎが一件落着した後、談笑するメンバーから離れて、一人で窓の外を眺めている岸田森の淋しそうな表情がよかった。第25話『京都買います』や、必殺シリーズの鳥居耀蔵役でも思うが、岸田森ほどの俳優が早々と逝去してしまったことは、とても残念だ。
『怪奇大作戦』といえば、筆者が最高傑作だと思っている第7話『青い血の女』について、なんと江口師範からも「これまでに観た映像作品の中で一番怖かった」との感想を聞いた。
そうなのだ。それほどの傑作なのである。終盤、あるキャラクターが「私は大人よ」と言うシーンがあり、そのセリフと、サブタイトルが『青い血の〈少女〉』ではないことを照らし合わせてみると、改めて恐怖が迫ってくる。調べてみると、彼女の声を担当しているのは、『ど根性ガエル』の京子ちゃん役の声優であるらしい。
ちなみに、『ウルトラセブン』の第12話や『怪奇大作戦』の第24話が、どんな内容で、なぜ〈封印〉されるに至ったかは、天野さんの新作で確認していただきたい。
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2013.3.29
第五十三回 どたんば勝負
必殺シリーズはやはり前期がいい。とくに秀逸なのが、第5作『必殺必中仕事屋稼業』。大富豪の元締がおせい(草笛光子)。おせいの依頼で殺しを請け負うのが、半兵衛(緒形拳)と政吉(林隆三)である。この政吉が、実は幼いころに生き別れになったおせいの息子であることが、第一話のラストでほのめかされる。
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ほかのシリーズと大きく異なる点は、半兵衛と政吉が博打打ちであり、プロの殺し屋ではないということだ。殺し屋としては、ずぶの素人なのである。それが第一話で初めての殺しを経験し、毎回危なっかしい展開を見せながら成長していく過程が面白い。
半兵衛を演じるのは、緒形拳。必殺シリーズで、緒形拳はほかにも第1作『必殺仕掛人』の藤枝梅安、第8作『必殺からくり人』の夢屋時次郎を演じており、どれもいいのだが、筆者としてはこの作品の半兵衛が、もっとも味わい深い役どころであるように思える。
半兵衛の妻・お春(中尾ミエ)とのやり取りは、普段はほのぼのしているのだが、最終回のひとつ前の第25話では、殺し屋であることがお春にバレてしまう。どこへ出かけるのかと追及するお春に、「これから人を殺しにいくんだ」と思い詰めたように言い放つ半兵衛。ただでさえ緊迫した見所だが、演じているのが日本のデ・ニーロともいうべき超演技派の緒形拳なのだ。当然、それは鬼気迫るものになる。実際、この作品の魅力の大半は半兵衛のキャラクターにあるといっても過言ではない。殺しから帰り、執拗に手を洗っている半兵衛に、
「そんなことしたって、汚れなんか落ちないわよ」とお春は言う。「子どもなんかできなくてよかった。あんたの子なんか」というすごいセリフもある。
そして、最終回の『どたんば勝負』。半兵衛は指名手配となり、ついにお春を残して一人で姿をくらまさなければならなくなる。最後の仕事に向かおうとする半兵衛と、お春がそれをとめようとするシーンは、シリーズ屈指の名場面だ。二人とも演技の枠を超えている。
終盤。政吉が死に、半狂乱になって自害しようとするおせいを、半兵衛はたしなめる。
「俺たちはぶざまに生き残ったんだ。人間、生きるため死ぬために大義名分を欲しがる。そんなものはどうだっていいんだ。明日のない俺たちはぶざまに生き続けるしかないんですよ」
第一話『出たとこ勝負』では完全な素人で、おせいによって殺し屋の世界に足を踏み入れることになった半兵衛が、最終回では完全なプロとして、おせいを諭すのである。
すでに江戸の各所には、半兵衛の人相書きが描かれた手配書が貼られている。その人相書きに見入り、ビリッと破いて振り向くストップモーションが、最終回の終わり方である。逃亡者となった半兵衛に明日はあるのか、これからどうなるんだろう、と視聴者に思わせる。第1話から見ていた者にとってはシビれるように印象的なラストシーンだ。
この作品は、主題歌、挿入歌、ともにすばらしい名曲でもある。歌っているのは、小沢深雪(おざわ・みゆき)さん。……なんとなく国分寺道場を思い起こさせる名前である。
挿入歌『夜空の慕情』のインストルメンタル版が殺しのテーマとして使われ、主題歌『さすらいの唄』は、必殺スペシャルの『仕事人大集合』で、半兵衛の登場シーンにも流れた。筆者はそれを市販のDVDで持っているのだが、半兵衛は作中で仕事人・秀(三田村邦彦)とコンビを組んで登場する。そう、半兵衛は生き延びていたのである。
(今回、ぎりぎりの提出となったので、サブタイトルは最終回と同じ『どたんば勝負』)
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2013.3.21
第五十二回 ハードボイルドの一言(後編)
以前、道場のある先生から「最近どうですか、仕事は?」ときかれ、筆者はそのとき非常に忙しい時期だったので、「いや~、仕事仕事の必殺仕事人ですよ」と冗談まじりに答えると、「必殺!……カナラズ・コロス……ですか」と返された。
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(い、いえ、そういうわけでは……)と思ったのだが、漢字に直してみれば、そのとおり物騒で、狙った相手はかならず仕留めるというのが『必殺』の殺し屋なのである。
必殺シリーズの中でもっとも視聴率が高かったのが『必殺仕事人Ⅲ』であるらしい。この作品で中村主水は、秀(三田村邦彦)や勇次(中条きよし)と殺しのコンビを組んでいる。
ともに美形の二人だが、秀はどちらかというと寡黙な硬派で、勇次は女たらしの軟派。筆者が高校生だった頃は、クラスの女子どもが、秀さん派と勇さん派に分かれるほどの人気だった(中には高校生のくせに「断然、主水派」というツワモノもいたが)。
飾り職人で、日常はコツコツとかんざしを作っている秀は、真鍮製のかんざしで敵の延髄を一突き、三味線屋の勇次は三味線の糸を投げてあざやかに吊す、という技を見せる。
主水は武士なので刀を使う。剣術は凄腕だから、まじめに稽古していた時期もあったらしい。初期のシリーズではよく派手な殺陣を演じていたが、後期にいくほど闇討ちが多くなった。油断している相手を、後ろから刺すのである。
必殺シリーズにおいて刀を使う殺し屋は主水のほかに何人もいるが、こんな不意打ちというか、後ろからズブリという技は主水ぐらいしか見当たらない。
トランペットのアップテンポな殺しのテーマにのって、秀は、屋根の上から飛び降りたり、水中から現れたりと、派手なアクションを見せ、勇次は三味線の糸を自在に操って華麗な技を披露する。そして、たいてい悪党の中でも一番悪い奴が最後に残り、哀調を帯びたスローバラードにのって、闇の中から中村主水が登場。悪人は、お役人とみて、主水にすがる。
「た、大変です、旦那。し、仕事人が出やした」
「なに、どこだ」
ときかれ、案内しようとしたところ、後ろから刀で刺されるのだ。
「だ……旦那ぁ」
不意打ちもいいところで、やられる側にとってはわけがわからないだろう。その耳元に、主水が一言。
「安心するのは、まだ早え。仕事人ならここにもいらあ」
この決めの一言がいいのである。
だが、視聴率が取れたことで、このパターンは以降の作品に踏襲されていく。秀と勇次のコンビは村上弘明と京本正樹に焼き直されるなどして、必殺シリーズも守りに入ってしまい、とんがった部分が削がれ、この頃から衰退に向かっていったように思えるのだ。
殺し屋に美形をそろえるのもいいが、最近のスペシャルのように、すべてジャニーズでかためるというのはどうかと思う。といいながら、放送してくれるのは嬉しく、結局は新作も見てしまうのがファン心理の弱いところだが……。
案の定、2回でもまとまらなかったので、いきなり終わります。
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2013.3.14
第五十一回 ハードボイルドの一言(前編)
ずいぶん前のことだが、電車に乗っていると、ちょっと頭の弱いオジサンが車両の中を歩きながら何やらつぶやいていた。
「中村吉衛門、中村勘三郎、中村メイコ、中村玉緒…」
と、なぜか中村姓の有名人の名をあげながら歩いていく。
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乗客たちは聞こえないふりをしていた。筆者も関わり合いになりたくないので、文庫本を広げたまま下を向いていた。
「中村敦夫、中村雅俊、中村……」
と続き、「中村主水」といったところで、乗客の中からついに失笑がわいた。
筆者もニヤリとした。実は内心で期待していたのだ、その名が出るのを。
中村主水(なかむら・もんど)。必殺シリーズと呼ばれる時代劇の作品に登場するキャラクターである。
演じる俳優は、故・藤田まこと。うだつのあがらない奉行所の平同心で、上司にはしょっちゅう叱られ、昼行灯(ようするに役立たず)と呼ばれている。家庭では婿養子の立場で、嫁と姑に頭が上がらない。仕事も真面目にやっているとは思えず、市中を見回りしては、裕福な商人から平気で袖の下(賄賂)をもらう時代劇のヒーローなのである。
この一見ダメ男の主水だが、江戸末期の不景気の世の中、生活が楽ではないため、なんと裏稼業で殺し屋をしているのだ。登場する作品によって、その殺し屋は仕置人や仕業人、そして仕事人などと呼ばれ、『必殺仕事人』といったようにタイトルになっている。
その日常はコミカルなのだが、ひとたび裏の仕事、つまり殺しになると、中村主水はメンバーの中でもっとも底知れなさを垣間見せる。ボロを出しそうな仲間を粛正するようなことを口にするし、平気でそれを実行しそうな気配もある。
筆者が必殺シリーズを見始めた頃、『必殺仕事人』のあるスペシャル番組を再放送していたのだが、主水は大仕事を前に尻込みをし、仕事を受けるかどうかで迷いを見せているのが、子供心にも驚きだった。こんな時代劇の殺し屋がいるのか、と思った。裏の稼業(仕事人)がバレてしまうことを、やたらと恐れているのである。舞のように人を斬っていく『桃太郎侍』を見慣れていたので、「俺たちは、人を一人殺るのに命がけなんだ」という主水のセリフも、現実的で新鮮だったことを覚えている。
江戸時代も、法で裁かれない悪が存在し、不条理がまかり通っている。そんな中、知り合った人間が悲劇に見舞われていても、市井の民として暮らしている仕事人たちは、社会的に助けてあげるだけの力を持っていない。体制側の人間である主水も同じ。彼らは趣味で殺し屋をしているわけではないのである。
だが、ひとたび「仕事」として依頼を受けると、プロの仕事人として殺しに向かう。風采の上がらないキャラクターとして描かれているが、軸をなす骨格はハードボイルドなのだ。
クライマックスの殺陣シーンだけが格好良く、それが終わるとまたズッコケの日常に戻っていく、というのが主水のパターンである。
(今回、前置きが長くなりすぎたので、後編に続きます。)
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2013.3.7
第五十回 1周年
前回のブログで、筆者が師範と同じ距離を走っていると誤解されているなら、とんでもないことである。同じなのはコースだけであって、筆者の走行距離はもっと短いです、と訂正。
さて、3月に入って温かくなったが、これからは黄砂の季節でもあるので、ますます中華人民共和国から飛んでくる汚染物質の被害が大きくなるだろう。まったく迷惑なことこの上ない。
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北京の風景を映像で見たけれど、まるで濃霧のようだった。過去のロンドンのように、そのうち万単位で死者が出るんじゃないかと思えてくる。その場しのぎの空気清浄機などを取りつけたところで、根本的解決にならないのに。これも責任を取らないお国柄の表れか。
大気も海も、そして土壌も汚染された中国では、収穫した野菜を「毒菜」と呼び、基準値をこえた農薬の使用で、その野菜にとまったハエが死んだらしい。そんなものを平気で他国に輸出するとは、もはや殺人の確信犯といってもいいのではないか。
現代の人口や流通のシステムを考えると、ある程度の農薬の使用は仕方ないが、だからこそ無農薬の野菜は最高の贅沢であるといえる。
余計なものが使われていないから、素材そのものを味わえる。スーパーで売られているものより大ぶりで、土壌の栄養分をたっぷりと吸収し、味が濃く、豊潤である。これが本来の野菜なのだろうと思える。
白菜をめくっているとたまに虫が出てくるが、それこそ無農薬の証である。白菜につくやつなので汚い虫じゃない。自分の周りがすべて食料という、自然界の生きものにとって理想的な環境にいたせいかプリプリと肥えている。隔離してしばらく観察したのだが、まったく動こうとしなかった。白菜の衣に幾重にも包まれて、このまま冬を越せると思っていたのに、哀れ、いきなり寒い中に放り出されて縮こまってしまったのだろう。
さてさて、いきなり話は変わるのだが、このブログ『もうひとつの独り言』も、今回で1周年を迎えることになった。去年の3月第1週からスタートし、なんだかんだで1年続いて、きりのいいことに今回でちょうど50回。
今後、いったいいつまで続くのか、書いている氏村もわからない。道場のブログだから、なるべくなら空手のネタで書くことが望ましいと思われるが、なかなかそうもいかないのが現状である。こんな内容じゃ楽しんでいただけないだろうな、と思う回も多々あるのだが、どれほどの方がお読みになっているのかまったくわからず、またお求めの傾向もつかめないので、勝手に何でもありのテーマで書かせていただいている。
といっても、あまりに偏愛の強いネタは、これでも控えているつもりなのだ。
そう、趣味の面で書きたいことがあるのだけど、同じようにそれが好きな読者がどれだけいらっしゃるのかわからず、まったく興味のない方にとっては退屈じゃないだろうかという懸念から遠慮しているネタがある。
でも、1年がすぎた。本家ブログを見ても、先生方のお好きなことを読むのは面白いし、今まで1年間ガマンしてきたので、自分だってそろそろ書いても許されるかもしれない。
ということで、筆者も次回から好きなテレビドラマのことを書かせていただきたい。なにを書くのか、おそらく江口師範はおわかりだと思う。
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2013.2.28
第四十九回 鍛錬は孤独に
冬枯れの武蔵国分寺公園。一周500メートルの円形広場のふちを2周まわって(自宅および道場に)戻ってくるのが筆者のランニングコース。この道を、道場生のHさんといっしょに走ろうという話があったのだが、結局は筆者が膝を痛めたことで延期になり、お流れとなった。
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なんだか「断続」が「連続」になりそうで怖い。尼子家の山中鹿之介は「我に七難八苦を与えたまえ」と月に祈ったというが、筆者のような小市民は、ものごとがスムーズに進むことを願う。よって、もし運命の神様が存在するなら、この場を借りて申しあげておきます。わたくし、試練は、い・り・ま・せ・ん。
ちなみに、ランニングコースの途上で、筆者はこれまでに三度、江口師範とすれ違ったことがある。もちろん偶然のニアミスである。気づいた時には、あっという間にすれ違っていて、「押忍」ぐらいしか言う暇がなかった。
なにしろ、ものすごく速いのだ。三回とも師範が帰りで、筆者が行きだったが、師範は軽快で呼吸が乱れている様子など皆無であり、とても8・5キロの帰りとは思えなかった。しかも加圧ベルトを巻いたうえである。
筆者の速度などは、師範の半分以下だろう。軽量級のHさんも自分より速いペースでいくはずなので、いっしょに走れば合わせてもらうことになる。
そうなると気をつかう。自分としては、一人でやるほうが性に合っているのである。
だいたい筆者は不器用なほうで、たとえば、型をひとつ習得するにしても、教わりながら同時に覚えていくということができない。
そういう能力は、ほかの人よりも格段に劣っていると思う。一人で型のDVDを、それもスロー再生で見ながら、しょっちゅう一時停止しつつ真似していかないと覚えられない。基本的にどんくさいのである。
でも、自主トレを一人でやりたいという心理は、それだけが理由ではないようにも思う。
とどのつまり、自分はトレーニングにかぎらず、ものごとを一人でやるのが好きなのだ。
トレーニングの時間は、走る日だと70分(ランニングの時間も含めて)取っているのだが、その進行を人と合わせるだけでなく、たとえばこの時間から走るので何時に道場で待ち合わせよう、などと決めるだけでも、ちょっと面倒に感じる。
これは、あきらかに自分に欠けている要素であろう。そう自覚していながら直す気になれないのは、自主トレだからと割りきっているせいなのか。
もちろん、稽古となると話は別だ。空手は格闘技なのだから、スパーリングや受け返しの練習などは、相手がいないことには始まらない。だからこそ(世間的に見れば)物好きにも殴り合いや蹴り合いの相手を務めてくれる仲間に、お互い「ありがとうございました」と言うのである。
しかし一方で、空手は武道でもある。たった一人、孤独な中で己と向かい合い、鍛錬に努める時間も必要であるように思うのだ。……などと、またもっともらしいことを言っているが、ようは不器用者が自分のペースで気楽に進めたいだけだったりして……。
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2013.2.22
第四十八回 断続も力なり
このブログで殊勝なことを書くと、まるで運命の神に試練を与えられるかのように、覚悟を試されるようなことが起こるので困る。
たとえば、「自分で決めた日課はなにがあっても(熱があっても)こなす」ということを書いたら、その直後、12月に体をこわして寝込んでしまった。2日間なにも食べられなくて、稽古も休んだ。たぶんノロウイルスだったと思う。
・・続きを読む
そんな試練はいらないのだ。その時は、ランニングをどうしよう、無理してでも走るべきなのかと迷った。たとえば町内のブロックを一周して「はい、走った」と思うこともできるが、そんな気力もないほどへばっていて、結局、トレーニングもしなかった。
また、先月はインフルエンザになった。病院に行く前の晩、悪寒を覚えながらアジアジと5時間も飲んでいたのだが、咳もひどかったのに、よくアジアジにうつらなかったものである。やはり日頃の鍛錬のたまものか。
かくいう筆者も、小学生を卒業してからずっとインフルエンザとは無縁で、もう一生かからないだろうと思っていたので、診断が出たときは意外だった。長年の記録が破られたと思った。もしかしたら、過労のせいもあったのかもしれない。
「だから、試練いらないっつーの」とぼやきながら、ごく軽いレベルで日課をこなしたが、けっこうきつかった。熱でしんどくて、だるさも続いていて、ランニングはしなかった。
国分寺支部の20周年パーティーでいただいたタオルには『継続は力なり』の言葉が大きく印刷されている。至言である。極端に言うと、継続しないのなら、やらないのと同じなのである。ことが成るには蓄積が必要だ。続けないと何ごともモノにならないことは間違いない。
筆者は毎日走っているわけじゃないけど、走ると決めた日に走らないと、自分への負い目になる。それに、やる気がなくなってしまう。こうなると人の決心は弱いもの。いったん崩れると、水が低い方へ流れていくように、楽な道へと向かっていく。
そんなときはどうするのか。病院に行く前夜に飲んだ席で、アジアジは『断続も力なり』と言っていた。「継続」は言うまでもなく力だが、「断続」もまた力なのだという。
続けていたことがいったん途切れたとしても、あまり気にせずに、またやればいい、という意味の言葉だ。いつも馬鹿話にばかり花を咲かせている我々だが、たまにはアジアジもいいことを言うのである。そんなわけで今回のタイトルはアジアジの名言を借りた。
継続してきたことができない日が続いた時、「ああ、せっかくやってきたのになあ」とイヤになって、そこでやめてしまうことがある。他人事として見ると、実にもったいない。
長い目で見て、本来の目的を考えれば、やめてしまう理由がないのだ。
それなら平然と気を取り直して、しきり直せばいい。完全停止と一時停止はちがう。心の中だけでもアイドリングしていれば、また再開できる。
このところ当ブログのネタで受験のことを書くことが多かったが、入試に成功した子は、もちろん努力も続けていたが、あまり物事を深刻に考えすぎない楽天的な性格の子が多かった。
できなかった時は「まっ、いいか」という軽いノリでもいいのである。そのままやめてしまうよりずっといい。「また、やろうっと」につながれば。
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2013.2.14
第四十七回 思い出の2月14日
どこでもそうなのだろうか。筆者が通っていた高校では、毎年2月14日に、もうすぐ卒業する3年生を送り出すための予選会というイベントがあった。その日は授業がなく、全校生徒が体育館に集まって、2年生の出し物を見物するのである。
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2年生の時、自分らのクラスは演劇をすることになり、なぜか筆者が台本を書くように先生から命じられた。期末テストが終わったばかりの日で、2月14日から逆算して練習の日取りを考えると、時間がない。明日までに書いてくるように、と言われた。
どんな劇にするかも話し合っていないのに、明日までだって! こんな面倒なことを一人に押しつけていいのか……とブツブツ思いながらも、晩飯の後に考えた。とりあえず『赤ずきん VS 三匹の子豚』という題にして、めちゃくちゃな内容で書いた。ストーリーはないのも同然。文句があるなら代わりにやってくれ、と思った。質よりも納期が優先なのだ。
しかも、ただ書くだけではいけない。持ち時間20分の中に納めなければならないので、セリフ回しでどれだけ時間がかかるか、いちいち朗読しながら計り、長さを調整した。清書までして、深夜の3時ぐらいまでかかっただろうか。はっきりいって、ひどい出来だった。
でも一応、台本を書いた立場なので、自然と演出の指示をした。どうせなら大勢を参加させたい。たとえば、緑のジャージを着て、顔を茶色に塗った「樹」の役が立っていると、木コリがきてそいつを足もとから刈り倒し、舞台を引きずっていく。あるいは、顔まで真っ黄色に塗りたくって、くちばしと羽根をつけた鳥が「チュンチュン」と横切っていくとか、ちょい役も含めてだ。どうせ中身のない台本なので、こうなるとアドリブが主体になる。
配役は、赤ずきんは、もちろん男子にやらせる。三匹の子豚は、女子から(あえて)立候補を募らなければ面白くない(今思えばヒンシュクだったろう)。
赤ずきんの顔はべったりと白く塗り、およそ舞台に出る男は全員、絵の具でめちゃくちゃにメイクした。当日、みんな互いに描きながら爆笑していた。盛りあがってきた証拠である。
筆者も、言葉に熱が入ってきた。それが生意気に見えたのだろう。「おまえもメイクせえ」と「樹」や「赤ずきん」に言われ、絵の具を顔に塗られて急きょ舞台に出された。フルカラーに色分けされた顔で縄とびをするという、出る必然のまったくない「縄とび小僧」の役だ。
劇が終わってから、部活の後輩の女子に「恥ずかしかったです」と言われた。でも、いいのだ。こういうのはお祭りなのだから。お利口ぶっていてもしょうがない。
客席から笑いは起こっていたが、ときにそれは「冷笑」かもしれず、途中から音響面での不備でいきなりセリフが聞こえなくなるというハプニングもあって、結果は大失敗だった。
「アカンかったなあ」と洗面所で顔の絵の具を落とし、教室に戻ったら、なにやら騒がしい。
「氏村君、氏村君、台本ありがとう!」
と、〈三匹〉のうち一匹の役を演じた女子が言った。クラスの女子全員が、男子全員にチョコレートを渡しているのだった。
「音、失敗やったなあ。受けへんかったけど、でも面白かったね!」と、子豚ちゃんは言う。
クラスの団結の力とか、そういう大げさなものじゃない。結局、自分たちだけで盛りあがったようなものだけど……このしめくくりは、なんか、よかった。
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2013.2.7
第四十六回 神と悪魔がせめぎ合う
前回「生徒から学ぶことがある」と書いたが、これはきれい事でもなんでもなく、言葉どおりの事実である。
受け持ちの子どもたちの面倒をずっと見てきたうえで、入試の結果を知ると、どういう子が成功し、どういう子が失敗するか、そこに法則のようなものが見えてくる。
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冷めた言い方をすると「データには困らない」のだ。その法則は入試に限らず、世の中すべてに当てはまるようにも思える。もちろん、空手にも。あらゆる精進の道に必要な姿勢を、反面教師という面でも生徒から学べるのである。
またひとつ、具体的な事例をあげる。過去のクラスから、ある同じ学校を2人の生徒が受験した。男子と女子である。かりの名を、ワタルとアヤカとしておく。
初日の受験で2人とも不合格になり、2人とも泣いた。
でも、3回までチャンスがある。励まして2度目を受けた。
また2人とも不合格だった。第一志望校なのに二度ダウンを奪われたのはきつい。まだあと一回チャンスはあるのだから最後まで受けよう……とフォローしたが、2人とも精神的ダメージは深かった。とくにアヤカのほうは「もう、絶対イヤ!」と言って、大泣きに泣いていた。
翌朝、筆者が受験会場で待っていると、寒風の中をワタルがやってきた。
彼はちょっと照れくさそうだったが、吹っ切れた顔をしていた。だが最後まで待っていてもアヤカはこなかった。残念だけど、前日から気持ちは変わらなかったようだ。
この受験でどんなことが起こったか。
なんと、国語の試験で、授業でやった文章がそのまま出題されたのである。
文章だけでなく、問題までかぶっていた。入試では、あまりにもドラマチックなことが起こるので、筆者は時々そら恐ろしくなることがあるくらいだが、まぎれもない事実である。
国語は最初の受験科目なので、これで点数が取れれば、あとは勢いづく。
ワタルは合格した。いや、こんな偶然が起こらなくても、彼は合格していたと思う。立て続けに2度の否定を受けて傷ついていたが、土俵ぎわまで追いこまれながら、ワタルは最後の最後に勇気をしぼり出した。そのひとかけらの勇気が明暗を分けたのだ。
一方で、アヤカはどんな気持ちだっただろう。
入学してしまえば、何回目の受験で合格したなんて関係ない。この子は1回目、この子は3回目、などと札をつけて校内を歩くわけじゃない。3回目でも合格してしまえば同じなのに。
神と悪魔がせめぎ合う修羅場で、どっちに引っ張られるかは、紙一重の差であると思う。最後の最後で踏ん張れるか、あきらめてしまうか、その差はしかし、どこからくるのだろう。
そういえば、いつだったか授業の後で、アヤカの隣の席の女子が「先生、アヤカちゃんが……」と報告にきたことがあった。テスト中「私に協力して」と言って答を見せてほしがるので困るという。それが実力向上にまったく意味をなさないことは本人も理解していただろうが、どうしても刹那的な見栄のほうを選んでしまう子だったのである。
以上は、後づけの理由にすぎない。だが、アヤカが最後に勇気を出せなかったことと、おそらくそれは無関係ではない
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2013.2.1
第四十五回 教える側が学ぶこと
現在、筆者の意識は中学受験のことで大きく占められており、このブログも受験関連の内容が続いているが、なにぶん1年間の仕事の総決算のような時期にきているのだから、ご了承していただきたく思う。
今回は講師の経験で、ひとつ思い出したことを書く(分量は2回分になります)。
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ずいぶん前のことだが、筆者が受け持つことになった新6年生のクラスに、2人の生徒が入塾してきた。実質は5年生だが、進学塾では学校より一足早く、2月から新学年に変わるので、もう受験生あつかいである。
2人の名を、かりに秋子と晴美にしておく。ともに仮名である。同時入塾の2人は非常に仲がよく、志望校も同じK女子だった。K女子は毎年うなぎ登りに偏差値が上昇している人気校で、1年ばかしの受験勉強で合格できるような学校ではない。ただでさえ中学受験に必要な情報量はハンパではなく、社会や理科の知識だって、一般の大人がテキストを見たら「こんな難しいことをやっているのか」と驚くほどなのだ。
秋子は、しかも国算の2科で受験するという。学習量についていけない子が「理社を勉強しなくてもいい」という理由で2科受験を選択することがあるが、国算がその分、かなり高いレベルを要求されることになる。
筆者はその年、6年では国語と社会を担当していた。理社の授業は4年生から始まる。6年生といえば、社会科では地理や歴史をすでに終えていて、公民分野に入るあたりだ。
晴美はきつかっただろう。公民分野が終わって総復習の段階になると、他の子がすでに知っているのに、自分は知らないことばかりになる。何も答えられなくて可哀想なくらいだった。
それでも、おっとりした性格の子だったので、あまり焦ることもなく淡々と学習をこなしていた。そうやってめげずにやるべきことをこなしていると、えらいもので、そのうち知っていることと知らないことの割合が逆転してくる。
とにかくスタートが遅かった分、宿題はみっちりやること、と言っておいたが、2人は結局ただの1度も忘れなかった。4泊5日の修学旅行の時は仕方ないから、やってこなくても叱らないつもりだったが、驚いたことに2人とも提出した。いつやったのかと訊くと、5日間勉強しないことが不安だったから、行く前にやったという。なかなかできることではないと思った。
秋子と晴美にイチモクおくようになったのは、この時からだ。2人のお母さんもまた、ともに利発で明るくて面白い方で、家庭内でのサポートもしっかりされていたことは間違いない。
ついでに、師範やアジアジに爆笑されることを覚悟で言うと、2人のケイタイの待受画像は筆者の近影だった。筆者は写真を撮られるのが嫌いだから、写るのを拒んでいたのだが、不意打ちで撮影されたのである。
先生が生徒になつかれた場合、生徒がとくをする。塾にいる時間よりも(当然だが)家で過ごす時間のほうが長い。だから家庭学習(宿題)が重要になってくるのだが、小学生のことゆえ、なかなか自己管理が難しい。でも、先生との関係が良好だと、家でテキストを開くのに、まったく抵抗がなくなる。自主的に机に向かうようになる。むろん、その科目の成績は伸びていく。
晴美はいつしか社会の知識で、ほかの子を上回るようになった。そして秋子は驚いたことに、k女子の偏差値を超えてしまったのだ。こんなことは滅多にあるものではない。この子は、まあ言ってしまうと、努力もしていたが、頭がよかったのである。さらに高偏差値の学校を志望することもできたが、入りたいのはあくまでもK女子だという。
ただ晴美のほうは、直前になっても、まだ10以上も偏差値が足らなかった。1年ほどの勉強でよくここまでたどりついたと思うほど向上していたが、なにしろスタートが遅かった。でも、そんなことを言っても仕方がないし、数値というのは参考材料であっても絶対ではない。
上のクラスでもK女子を受験する子はいた。その子は休み時間に廊下を走り回っていたり騒いだりしていて、態度が悪かったのだが、担当の先生は注意していなかった。あいつが合格して晴美が落ちたら最悪だな、と筆者は思った。実際、2人の懸命ながんばりを知っているだけに、もし不合格だったら……と思うと、やり切れない心境になっていた。秋子と晴美のうち、どちらか1人だけ合格しても、そうじゃないほうが可哀想だ。2人とも合格してほしい。
2月1日、筆者は正門前に応援に行った。2人はお母さんに連れられて一緒にやってきた。受験会場へは一緒に行かないようにと話してある。が、途中で会ったのだという。どこまでも息の合っている2人だった。やがて上のクラスの子もやって来たが、日ごろの弾けっぷりはどこへやらという感じで、ガチガチに緊張していた。
その後、塾で結果連絡を待っている時。筆者と算数担当の先生は向かい合わせに座っていた。同時に電話が鳴った。我々は同時に受話器を取りあげた。筆者が名乗ると、
「秋子です! 秋子です! 秋子です!」
という弾んだ声が耳に飛び込んできた。その声だけで結果がわかるというものだ。
なんと、算数担当が取った電話は晴美からのもので、こちらも合格だった。本当にどこまでも息の合っている2人なのだ。自分らはお祝いの言葉をかけ、デスクごしに受話器を交換した。晴美にもおめでとうを言い、受話器を置いた時、涙がこぼれ落ちた。
2人とも初日で合格。不覚にも泣いてしまった。本当に、よくがんばったと思った。
これは稀有の成功例の自慢話だと受け取っていただきたくない。みんなこのようにいくなら先生は苦労しない。そんなことはわかっている。
合格した生徒や親御さんは、たまに「先生のおかげです」と言ってくれるが、とんでもない。受験には先生の領分と生徒の領分がある(保護者の領分も)。先生の領分は教えるべきことを教えること。通じなければそれまでという、言葉だけに頼るしかない非力な存在である。
試験会場で、実際に鉛筆をもって解答用紙に答を書き込むのは生徒本人であり、それ以前に、先生が見ていないところでコツコツと宿題に取り組むのも、やはり生徒本人なのだ。
入試本番は誰も助けてくれない。孤独な戦いである。そんな中で、一生懸命がんばって自分の領分をこなしてきた子には、どうやら追い風が吹くらしい。いや、神風だって吹く。その大風は、偏差値の足りない分など呆気なく覆してしまう。秋子と晴美の実例は、それを実感した最初の経験だった。
先生が、生徒から学ぶこともある。この経験から筆者が学んだことは大きい。
ちなみに、いつも廊下で騒いでいた例の上位クラスの子は、3回目まで受けてもK女子に不合格だった。偏差値は足りていたのに、である。
今年も2月1日から、幼い魂が全力をかけた数々のドラマが展開される。そして合格不合格の結果にかかわらず、みんな何かを得ていくことだろう。
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2013.1.25
第四十四回 危機に立つ小学生
押忍、6時起きでも仕事が回らないので、ついに5時起きに切りかえた氏村です。忙しいのは、やることを抱えすぎた自分のせいだけど、この状況がいつまでつづくのやら。
答、2月のあたま。なんでか、中学受験が終わるから。
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でも、すでに1月入試というものが始まっている。1月入試というのは、あけすけに言ってしまうと、2月1日にいきなり第一志望の学校を受験する前に、度胸をつけるため、とりあえずどこかの学校を受験しておくことだ。たとえ行きたくもない学校でも、ひとつ勝ちを取っておくと気持ちに余裕ができる。いわば、本番に慣れておくための受験である。そんなつもりの受験なんて学校に失礼じゃないか、と思われるかもしれないが、学校のほうもお金が入ってくるから1月入試を開催しているわけだ。
ところが、この1月入試に失敗してしまうと、生徒はショックを受ける。
無理もないと思う。11歳か12歳の子どもである。大事に育てられてきた身で、これまで「お前はいらない」と拒絶された経験などないはずだ。就職活動で不採用になったこともなければ、異性に告白してフラれたことも(たぶん)ない。言ってみれば、人生で初めての「否定」を受けてしまうのである。当然、彼・彼女たちは泣いてしまう。
我々はそのフォローをすることになるが、そのたびに思うのは、不合格がかならずしも不幸ではなく、合格がかならずしも幸とは言えない、ということだ。
たとえば、ある子に、それまで何度も同じ弱点を指摘し、アドバイスし、ときには叱咤しても、本人がのほほんとしていたり、フシギ君やフシギちゃんであったりして、いっこうに直らなかったりする。もどかしいのだが、肝心の本人がいたってのん気なのである。言葉は万能じゃないな、と痛感し、我々は教育の限界を感じる。
しかし、1月受験で不合格になり、初めて「現実」というかたちで己の不備を突きつけられることによって、ようやく本人が謙虚にそれを自覚することもある。危機に立った時こそ正念場といおうか。そのときは泣くのだが、2月の入試まで2週間というときになって、遅まきながら本当の受験生に変われることもあるのだ。
逆に1月受験で合格したことによって、「なんだ、受験ってこんなものか。ちょろいな」と勘違いし、気がゆるんで、2月の第一志望受験でコケてしまうことだってある。
勝った時、負けた時の気持ちの持ち方が、(今後につなげるという意味で)その結果以上に重要になってくるのだ。
これは受験に限ったことではないと思う。このブログの読者にとってもっとも身近な例でいえば、空手の試合であるかもしれない。
人と人との出会いや別れ、縁についてもいえる。「禍福はあざなえる縄のごとし」とはよく言ったもので、筆者もこのようなことは何度も覚えがある。
生徒を見ていると客観視できるから冷静に分析できるのだが、もし自分が当事者であれば、やはり自信が揺らぎ、落ちこみがちになるものだ。その時、したたかに立ちあがるためには、あたかも他人事のような目線で、失敗に意味を、課題を見出すことだろう。
こうやって言葉で言うのは簡単なのだが。……でも、それしかない。
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2013.1.18
第四十三回 演歌の季節
最近のこのブログ、空手の話から遠ざかっているとは感じているのだが、そうでないと続かないから、いたしかたなしだ。
というわけで、高倉健が主演の『駅 STATION』。筆者は市販のDVDを持っているのだが、倉本聰の脚本と健さんの演技がよくて、何度観ても飽きない。映画の中で、音楽の果たす役割が大きいことは言うまでもないが、この作品では八代亜紀の『舟唄』がテレビを通して流れるという、ちょっと変わった使われ方をしている。その『舟唄』がまたいいのである。寒い季節には、しんみりとした演歌がよく似合う。
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自分の経験で恐縮だが、筆者は子どものころから歌謡曲に疎く、とくに小学生の頃は同級生たちの歌の話題についていけなくて、遠足のバスの中でマイクが回ってきた時などは困ったものだ。
「知ってる歌がないからやめとく」と言って断ると、「じゃあ、クリスタルキングの『大都会』を歌え」と言われた。大ヒットしている歌だったので、同級生は、それぐらいなら知っていると思ったのだろう。
が、筆者は知らなかった。そのころ、渡哲也主演の『大都会 パート3』という刑事ドラマが再放送されていたので、「それのことだな」と思い、エンディングに流れる主題歌を歌った。
「なんのために安らぎに背を向けて なんのために一人ゆく 日暮れ坂 ほこりに汚れた上着を肩に 出会いと別れ今日も重ねる 振り向いたら何もかも崩れ去る 振り向かずに一人ゆく 日暮れ坂」
と渡哲也が渋い低音で歌う『日暮れ坂』である。バスの中で、同級生たちは、きょとんとしていた。筆者もウケを狙ったわけではなく、それが『大都会』なのだと、素で思ったのだ。
学期の終わりにある「お楽しみ会」では、小学1年生の年末に、中条きよしの『嘘』と殿様キングスの『なみだの操』を歌った。
『嘘』は、「折れた煙草の吸い殻で あなたの嘘がわかるのよ」という、ものすごい歌詞の歌である。「ああ半年あまりの恋なのに ああエプロン姿がよく似合う 爪も染めずにいてくれと 女が後から泣けるよな 悲しい嘘のつける人」
渋い。筆者は現在よりも、小1のこの当時のほうが渋かったのではないか。
「あなたのために守り通した 女の操 今さらひとに 捧げられないわ」
というのが、同時に歌った『なみだの操』の歌詞だが、もちろん意味などわかっていない。当時20代だった担任の女性の先生は、その日の夕方うちに来て、「お母さん、私、びっくりしましたよ」と母に話したというが、そりゃあ驚くだろう。
筆者だって、子どもだてらに演歌が特別好きだったわけではないが、石川さゆりの『津軽海峡冬景色』や『天城越え』などは名曲だと思うし、たとえば極真の全日本で流れるあの古めかしい演歌調のメロディーもなかなか素敵だ。あれはなんの曲だろう。『空手バカ一代』関係だろうか……と、なんとか無理やり空手のほうに話を持っていこうとするのだが、さすがに今回ばかりは無理があるな。いや、演歌の話題などを持ち出してくるにいたっては、「そろそろ空手のネタを書け」という師範の声が聞こえてきそうなのである(でも書けないと思う)。
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2013.1.11
第四十二回 2013年をどんな年にするか
ジョージ・オーウェルという作家の著作に『一九八四年』というSFがある。なんでも全体主義社会と化した不気味な「近未来」を描いた作品であるらしい。
刊行されたのは1949年。筆者は未読なのだが、「近未来」といっても、1984年はとうに過ぎ去ってしまった。近未来を描いたSF作品には、小説・映画・漫画を問わず、こういうことが宿命的にある。
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『鉄腕アトム』では、主人公のアトムの誕生日が、2003年4月7日になっているらしい。2013年を迎えた現在からみると、もう10年前だ。
映画であげるなら、1997年にマンハッタン島は巨大な監獄にならなかったし、2000年にデスレースは開催されなかった。2001年にも2010年にも宇宙の旅は実現していない(すべて元ネタがわかりますか?)。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のシリーズをご覧になった方は多いと思うが、2作目の『バック・トゥ・ザ・フューチャー2』で描かれた未来は、2015年という設定になっている。つまり、あと2年で、あんな世界になるのである。
『ブレードランナー』は2019年。あと6年……。
いずれも80年代に作られた映画だが、あの頃から見て2010年代というのは、エアカーが飛び交うまでに変貌を遂げる余地のある近未来だったのだ。
かように、フィクションで描かれた世界と現実は異なっている。現実の世界で、昔みた未来SFを想わせるものといえば、まずは電車のデザインだろうか。とくに新幹線の型などはシュールだ。最初の型が一番かわいいとは思うけれど。
未来の予測といえば、筆者はかつて「今年はどうなるのか」ということにやたら関心を持っていた時期があった。それが高じて風水にも凝り、『高島易断』の本暦を毎日めくっているという期間が何年か続いた。まるで『必殺仕業人』のやいとや又右衛門のような縁起かつぎ屋で、日々の吉凶から、出かける先の方位まで気になっていた。こういうことはこだわり始めるとキリがなくなる。
ある時から、そういうものをいっさい見なくなったのは、たとえ閏年などを設定していても、毎年生じる微妙な時間の誤差は完璧に修正できないのではないか、と、ふと疑問を抱いたからだ。太陽の軌道だって500年前とは違っている。風水が科学であればあるほど、誤差は認めざるを得なくなる。
東北を大震災が襲った一昨年、ためしにある風水の本の巻頭にある「今年の自然災害」というところを見てみたら、地震のことはまったく書かれていなかった。
気楽に見ている限り、風水や占いは楽しい。だが、こだわりすぎると、行動力が鈍る。なにかをしなければならない時に、日が悪い、方位が悪い、では身動きが取れないのである。当たり前じゃないか、と思われるかもしれないが、はまっていると脱却には意外と勇気がいる。
「どんな年になるか」は受け身だが、「どんな年にするか」と考えるのは、自分が主体だ。
さて、新年。読者様にとって今年は、どんな年にするご予定でしょうか。
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