もうひとつの独り言 2012年
2012.12.20第四十一回 2012年→2013年
今年の更新は、12月20日に提出するこの回を持って最終となります。年末年始の休みを挟んで、次回の更新は、来年の1月10日以降になる予定です。さて、暮れも押し詰まって、2012年も残すところあと10日ばかり。
ミサイル騒動といえば、そもそも筆者は「ミサイル」というものを軽く見ているところがあった。いや、もちろん、恐ろしい兵器であることは頭では理解しているのだが、どういうわけか心の底では「なんだ、ミサイルか」とバカにしていたのである。
なぜだろうか。考えてみると、その理由はどうやら幼少期に観ていた『マジンガーZ』なる番組にまでさかのぼることになりそうだ。
言わずと知れた永井豪原作のロボットアニメなのだが、番組中に登場する幾多の武器の中で、ミサイルはもっともショボいものだったのである。マジンガーZを引き立てるための脇役ロボットなどは、ミサイルしか装備しておらず、しかもそれが不格好で効果のない武器だったので、その脇役キャラをバカにしていた。子ども心には、そりゃあ、ロケットパンチ(鉄拳が飛ぶ)やブレストファイア(決め技の熱光線)のほうが、はるかに圧倒的でカッコいい武器だった。
などと書けば、また昭和アニメのネタになって、若い読者には意味不明のことだろう。もちろん筆者も現実のミサイルがどれだけ恐ろしい破壊力を持っているかぐらいは認識している。また、かりに北朝鮮からロケットパンチが飛んでくるとなれば、それはそれで(別の意味で)怖かったりもする。
危機感といえば、ミサイルだけではなく、マヤ暦の人類滅亡説というものが話題を呼んでいるようだ。今年の12月21日あたりに人類が滅亡するとかいうやつ。もし事実なら、この更新したブログはどなたにも読まれないことになる。
いたずらに人心を惑わす世迷い言といえば、20世紀にも、ノストラダムスの大予言というものがあった。1999年の7の月に恐怖の大王が降りてきて、人類が滅亡するという予言がされているというのだ。筆者は小学生のころ、歯医者の待合室に置かれていた雑誌でそれを読んで、1999年に自分が何歳になっているかを計算しては、ちょっとショックを受けたものだった。
マヤ暦については生徒にも気にしている子がいて、本当に当たるかどうかを訊かれたことがあるのだが、そんなとき筆者は、 「大丈夫。絶対に当たらないから、心配いらない。もし当たったら100万円あげる」
と答えた。「ええっ、ほんとにくれるの?」と生徒はいくらかの期待をこめて訊き返していたが、実現した時には人類が存在しないことに、その子は気づいていないようであった。
こういうことは心配するだけ馬鹿を見る。じゃあ、なぜマヤ暦は2012年の12月21日で終わっているのかって? そりゃあ、どんな暦でも、いつかは書きる終わる時があるでしょう。
それでは、よいお年を(と、いきなり終わる)。
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2012.12.13
第四十回 さらば宇宙戦艦タケちゃん
タイトルを見て「なんだ、また昭和アニメのネタか」と思われたなら、それは違う。ヤマトではなく、タケちゃんである。国分寺道場の指導員で、先月末に故郷の三重に帰った蔀剛仁初段のことである。では、なぜタケちゃんが宇宙戦艦なのかというと、「波動砲」を装備しているからだ。
これを喰らったらひとたまりもない。居酒屋で、そろそろ酔いが回ってタケちゃんの口数が減ってきたら「エネルギー充填」だとみていい。泥酔したらエネルギーは120%である。
ヤマトと同じく艦首(口)から発射される最終兵器は、これまで国分寺界隈の幾多の居酒屋の床に拡散し、また座布団を使用不能にしてきた。
ある時は、出入り口に置かれた椅子で動けなくなったタケちゃんを介抱しようと、Kさんが背負い、くるりと向きを変えた拍子に、背中に発射されたこともある。
発射後はしばらく動けない。でも、そのまま回復を待つわけにいかないので、皆で励ましながらタケちゃんを自宅へ送っていくのが、いつのまにか国分寺道場の飲み会の風物詩となっていた。
二階の座敷から、階段に座り込んだまま、それでも「極真魂」で一段一段下りていったこともある。
そんなタケちゃんが、残念なことに三重県の実家に帰らなければならなくなったのは、ご存知のとおり。いささか古い話だが、道場の隣の焼肉屋で開かれたお別れ会には、かつてないほど大勢の方が詰めかけ、ほとんど貸し切りのような状態で、今さらながらタケちゃんがみんなに愛されていたことがわかった。
居酒屋の座敷に場所を移した二次会も盛況だった。皆、タケちゃんとの別れが惜しいのだ。お別れ会に参加できないので、さしで飲もうと話している人もいた。
筆者もタケちゃんと二人で飲んだことが、幾度かある。稽古が終わった後、スーパーの地下で缶ビールを片手に。ときには南口の公園で深夜の2時頃まで。先月は最後なので、ちゃんと道場の近くの居酒屋で飲んだ。
これほど皆に好かれるキャラクターも珍しいのではないか。タケちゃんのことを嫌っている人を、筆者はいまだ見たことも聞いたこともない。お別れ会の盛りあがりは、優しくて純粋で感受性の強いタケちゃんの人気の表れだった。
ただひとつ、物足りなかった点をあげるとするなら、例の「波動砲」が発射されなかったことだ。道場の飲み会といえば、これはもう波動砲でフィナーレを飾るものと決まっていたのだが、タケちゃんも飲み会に慣れて、酒が強くなっていたのだろう。
東京で過ごした4年半は、タケちゃんにとってどんな期間だったのだろうか。楽しくて、得るところが大きかったなら言うことはない。 今ごろは三重の道場に戻って空手の修行をしていることだと思うが、果たして故郷の四日市市でも波動砲は発射されるのだろうか? と筆者はそんなことが気になっている。
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2012.12.6
第三十九回 1年は12月から始まる
もしかしたら、お気づきの方もいらっしゃるかもしれない。このブログ、前回と前々回の間が二週間あいている。つまり1回分、更新できなかったのである。
ふん、開始時に毎週かならず更新するなどと言っておきながら、このザマかい、ザマアミロだ、という罵倒の声が聞こえてくる。そんな意地悪なことを言ったり思ったりする人がいるのかって?
できなかった理由は、パソコン上の都合である。さる事情で(猿の事情ではない)10日間もインターネットがつながらない状態だった。よって送信もできなかったという始末。というのはすべて言い訳で、更新できなかったことに変わりはないですね。実はひそかに「無念……」と落ち込んでいた氏村だった。
たとえブログ上で発表せず、自分の心の中だけで決めたことであっても、それを果たせないと悔しいものである。
たとえば日課。
筆者は毎日これはかならずこなすという日課を決めている。トレーニング内容にかぎらず、読書とか仕事なども含めてだが、日課と決めたからには、それは死守すべきだ。
なにがあっても……たとえば、雨が降ろうが旅行に行こうが熱が出ようが、365日のうち1日たりとも欠かしてはならないものである。だからこそ、設定する際には念を入れねばならぬ。計画を立てる時は勢いこんでいるから、つい無茶な設定をしがちであるが、そうすると後が大変なことになる。
塾講師をしている筆者には、夏期講習というものがあり、この期間のシフトは通常とひどく異なるので、立てた計画がめちゃくちゃになってしまう。早朝に家を出て夜更けに帰ることもざらで、なにもできなくなる日が多い。春期や冬期の講習なら短いので問題ないが、夏期は長期間である。だから、いっそのこと夏期講習の期間を空白にして、アメリカの学校のように9月始まりで年間の計画を立てようか、と思ったこともある。
「1年は12月から始まる」と言ったのは、税理士をしている筆者の友人だ。12月スタートで計画し、実行すれば、1ヶ月分の余裕があって新年からスムーズに発進できるのだという。
筆者もそれに共感して12月始まりで(つまり11月中に)年度の計画を立てている。手帳も12月始まりのものが多いので、ちょうどいい。話はそれるが、この時期、大量に売り出されている手帳を眺めていると、売れ残る手帳が可哀想に思えてくる。あれだけ大量に出回っていると、売れ残る分も相当だろう。
ともかく、1年を12月始まりにすると、ちょうど1カ月たった時に、みんなが1年をスタートする元日がきて、また1年の計画を見直せるというメリットがある。計画の進行の具合を、1カ月後にまた微調整できるのだ。というわけで、筆者はもう年が変わった気分になっているのです。皆様、新年あけましておめでとうございます!
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2012.11.28
第三十八回 祝、国分寺道場20周年!
城西国分寺支部が発足して20周年(21周年)という節目の年を迎え、その記念パーティーが、23日金曜日、立川グランドホテルで開催された。ブログにあるとおり、松井館長、郷田師範、山田師範、待田先生といった方々、そして城西の各支部長の方々がお越しになり、大変な盛りあがりだった。松井館長もお若いが、山田師範のなんとお若いことだろう。還暦前だとは、とても信じられない。外見、身のこなし、話し方、すべて颯爽とされていて、40代に見えた。
筆者は、『放送禁止映像大全』の作者の天野ミチヒロさんといっしょにいたのだが、あまりゆっくり話す暇もないほどの盛りあがりで、またたく間に3時間がすぎ去った。ちなみに天野さんはこのブログの存在をご存じなく、筆者も秘密にしているのだが、どうやらブルーノアは宇宙に飛び立ったようです。
通常のパーティーではまずありえないことだが、用意された食べ物がきれいになくなっていたのが、いかにも空手家の集まりらしかった。筆者はこの後で仕事に行かなければならなかったので、お酒を目の当たりにしながら飲むことができず、それが拷問といえば拷問。
途中、国分寺道場の歴史と江口師範の日常などを紹介するVTRが流されたが、これは道場の過去と現在を見ることができる貴重な映像だった。筆者が知るかぎりでは、国分寺道場はもちろん過去よりも良くなっていると思う。などと言うのもおこがましいのだが、どういうことかというと、多くの人が入門し、多くの人が去っていった中で、結局は悪い要素がこそぎ落とされていったように思えるのだ(おっと、ここらあたりは気をつけて書かねば)。
今回のパーティーでも思ったことだが、江口師範は顔が広く社交的で、それだけに道場が自由な気風をもっており、開放されている分、集まってくる道場生たちの個性や職業もバラエティーに富んでいる。ほんと、いろんな人がいて面白い。ただ、それだけに、道場にひどい害をもたらしかねない悪質な人物が入ってくることもあるわけである。
が、あたかも道場に自浄作用があるかのごとく、そういった分子がごく自然に(まさに)淘汰されていったように思える。
もちろん、今月のタケちゃんのように、ちゃんとした理由で去ることになった人も大勢いる。そういう場合はまた条件が調えばいつでも戻ってきてくれるから問題なしである。
江口師範のご挨拶で、師範は壇上で涙ぐまれていた。筆者は江口師範が涙ぐむのを見たのは、これで二度目である。熱い先生だと思った。道場生の自分が言うのも何だが、師範は豪快な武勇伝がある一方、非常にきちんとされた方で、育ちの良さを感じる。昔の飲み会でも、皆がマーカーで顔に落書きし合ったり、道場外の器物を破損をしたり、全裸になったりして(その他自粛)大荒れに荒れていても、師範だけは節度を守られていた。血が熱く、きちんとした人のところに弟子たちは集まり、パーティで見たような道場の繁栄があるのだろう。
(今回、ややタブーに触れたかもしれないと恐れつつ)江口師範、美幸先生、道場の20周年おめでとうございます。城西国分寺支部バンザイ!
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2012.11.15
第三十七回 地球空母ブルーノア
最近の子どもは「宇宙人」という言葉に反発する。「地球だって宇宙の中だよ。だから地球人も宇宙人なんだ」と言うのである。どこで覚えたのかはわからないが、子どもたち自身の発想ではないだろう。
たしかに、宇宙人とは変な言葉で、正確には「異星人」と呼ぶべきだろうが、こまっしゃくれた反発をされるとこっちも切り返したくなってくる。日本は世界の中の一部だが、我々が「自分は世界人だ」と自覚していないのと同じで、ベクトルの向きが外側に向かっている場合に使う言葉だから、「宇宙人」でもいいのである。
「だいたい、地球の海に浮かんでいる船を見て、君はそれを『宇宙船』だと思うのか。そんな船があるのか」
と言いそうになって、ふと思い当たった。
あった。そんな船があったのだ。
その名は、宇宙空母ブルーノア。ギャラクティカではなく、ブルーノアである。
前置きが長くなったが、『宇宙空母ブルーノア』という昭和のアニメを、読者の方々はご存知だろうか。タイトルからして『宇宙戦艦ヤマト』のヒットのあおりを受けて製作されたことは見当がつくが、今度は戦艦ではなくて空母である。
ただし、この作品、肝心のブルーノアが、なかなか飛び立たない。宇宙に向けて発進するどころか、しょうちゅう潜水艦モードになって、海底に潜ってばかりいる。ブルーノアは空母としての機能を発揮する時は変形し、艦載機が発着できるよう、左右に滑走路を供えた飛行甲板を広げるのだが、その形にさえ、なかなかならないのだ。物語の大半は潜水艦の姿で、しかも地球が舞台であった。
そもそも、目的地が地球から見えているのである。『スターウォーズ』のデススターみたいな機械化惑星が月のように浮かんでいる。それならわざわざ宇宙空母などという仰々しいものを建造しなくても、ロケットで十分ではないかと思う。
片道14万8千光年の彼方にあるイスカンダルまで行かなければならないヤマトに比べ、(差別化を図った結果なのかもしれないが)スケールの小ささは否めない。戦いの場面もほとんど地球上で、ようするに侵略者がそこまで制圧しているのだが、地球側にとっては本土決戦なのだ。本土決戦なのに宇宙空母も何もあったもんじゃない。
ストーリーも、ヤマトなら毎回、手に汗握る戦闘シーンや、ドラマチックな展開があったのに、ブルーノアには乗組員の食中毒事件のような、なにも壮大なSFアニメで取りあげなくてもいいような回もあった(気がする)。
主題歌はオープニングもエンディングもカッコよかったし、なんだかんだいって毎回楽しみにして観ていたのだが、いったいいつになったら宇宙に飛び立つのだろうかと、子供心にもやがて疑問が生じてくるというものだ。最終回のあたりは何かの都合で見ることができなかったのだが……ブルーノアは結局、宇宙に出たのだろうか? 今度、天野ミチヒロさんとお話しする機会に訊いてみようと思う。
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2012.11.9
第三十六回 全日本をA氏と観戦
毎年、秋が深まって空気が冷たくなってくると、全日本の時期だな、と感じる。第44回になる今年の全日本選手権は、国分寺ブログにあるとおり、この前の土日(11月3日・4日)に両国国技館で行われた。出場された選手の皆様、スタッフの先生方、お疲れさまでした。
今大会のトーナメント表をご覧になった方は、まず外国人選手の多さに驚かれたことだろう。出場枠が大幅に拡大されて、さながら世界大会を想わせる様相を呈し、緊張感が漲って大会としては盛りあがる。中には大きな日本人と小さなロシア人という対決の構図も見られた。
三回戦四回戦と進み、昼過ぎ。筆者は、わざとアジフライを二つ(一つだと意味がない)入れた弁当を持参しており、それを「アジアジ弁当」と言って見せると、呆れ顔でシカトされた。そんなアジアジは、少年部の演武で阿曽健太郎選手が出て来た時に「あそう・たろう」だと素で間違え、なおかつそれに気づいていなかった。麻生太郎なら元総理大臣だが、名前の読み方が部分的に共通しているとはいえ、人物としてはまったく似ても似つかない。
そんなこんなでトーナメントは進み、決勝はゴデルジ・カパナーゼ(ロシア)とアレハンドロ・ナヴァロ(スペイン)の間で行われた。全日本では初めての、外国人同士による決勝戦である。優勝はナヴァロ選手。アグレッシヴでトリッキーで、5年前の世界大会から目立った活躍をしていた選手だが、決勝では両者ともに力尽きていたようだ。
試合の模様は11日にテレビ放映されるそうなので、また試合の模様を観ることはできる。だが道場生の中で、極真の大会をテレビでしか観たことのない方は、ぜひ次の機会から会場に足を運び、生でご覧になることをお勧めしたい。
メディアを通すと、当然だが、どうしても編集された映像になってしまう。
筆者は、たとえば美術館や絵画展などに行った時でも、イヤホンを通しての音声解説などは希望しないほうだ。必要ないどころか、むしろ邪魔だと思っている。絵を観る時は自分の目(と脳)だけで十分だからだ。極真の試合も、それとまったく同じだとは言わないが、現場で観るにこしたことはない
。 ライヴだと、極真の歴史に残る試合が目の前で行われ、その現場に自分も立ち会い、時間と空間を共有している、という点が違う。この違いは大きいと思う。
たとえば、古い話だが、フィリォが優勝した時の世界大会など、決勝戦の再々延長が終わって引き分けになった時点で、もうブラジル側のセコンドが大騒ぎしていたのである。このあたりのことはテレビに映っていない。
なんだなんだ、もしかしたら体重判定でも差がなくて、試し割りの枚数でフィリォが数見に勝ってるのか、と一緒に行った仲間が慌ててパンフレットをめくっていた。いわば格闘技の歴史が変わる瞬間にも立ち会うということなのである。
チケットは買いに行かなくても、道場で購入できます。
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2012.11.2
第三十五回 山寺の秋
前回のような内容を書いている氏村さんは、子どものころからさぞ勉強ができたんでしょうね、と思われるかもしれないので、一言つけ加えておきたい。大人になって教職の仕事が当たり前になると、勉強ができなかった頃を忘れがちになる。自分のことは棚に上げて、まったくこの子たちはしょうがないな、などと思ってしまう。前回、フシギ君を揶揄するようなことを書いたが、自分だって中3の今ごろはたいして変わらなかった(あるいはそれ以下だった)。和歌山南部のTという田舎町である。東京とは違う。お寺の鐘が鳴って、晩秋の空に夕焼けが広がり、あたりが暗くなり始めると家に帰った。「夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘が鳴る」という童謡の歌詞そのままの長閑な秋であった。 帰って晩飯を食べた後も受験勉強に打ち込むのではなく、親に「Aの家で勉強してくる」といって出かける。もちろん勉強などせず、また懲りもせず山寺へ向かう。何をするかというと、墓場の探検である。 そのお寺は、以前このブログで紹介した博物学者・南方熊楠や、植芝盛平(合気道創始者)のお墓などもある、T市では有名な古刹だった。筆者とAはロウソク一本の灯をたよりに広い墓地の中を散策し、敷地の端から開けて見える暗い海とT湾の街の灯を眺めた。時にはどちらかが灯を吹き消して逃げたりするなど、受験生とは思えない愚かな遊びを続けていた。
そして進路面談の日がやってきた。
事前に聞かされていたのは、学年の順位が10番あがっていたら成績表の右下に○(マル)がひとつ、10番さがっていたら△(サンカク)がひとつ印されている、ということだった。
面談の当日、母と共に担任の先生と向かい合い、成績表をパッとあけてみると、 △△△△△△△△△△
という記号の羅列が目に入った。サンカクが10個。あれ、おかしいな。目のサンカク、いや錯覚かな……と、これが自分の目を疑った初めての経験。
ろくに勉強していなくても上位にいるという鼻持ちならない小僧だったので、正直、勉強を、いや世の中を舐めていたのである。が、なんのことはない、それまでは他のみんなも勉強していなかっただけなのだ(実にのどかな環境だった)。そして筆者の勘違いと思い上がりは、「停滞は後退」になるこの重要な時期に手痛いしっぺ返しとなって自分に跳ね返ってきた。100番以上さがったということは、100人以上に抜かれたということである。
こんな経験をしても、まだ受験生の自覚が出なかった。依然として勉強を避け続け、自覚が出たのは年明けだったように思う。楽な道や面白いことのほうにばかり気持ちが向かい、結局は現実から目をそらしていた、あるいは現実が見えていないほど心が幼かったということか。……現在もそれを引きずっていたりしないかな、と書いているうちにどんどん自信がなくなってきたところで、今回はオシマイ。
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2012.10.25
第三十四回 フシギ君とフシギちゃん
ハロウィンをはさんだこの時期は、受験生たちの心も揺らぎがちになる。習い事を休まず受験勉強を続けている子は、思うように伸びない成績に悩み、10月や11月ごろに迷いが生じて、今からでも休会したほうがいいですか、などと言い出したりする。不注意による交通事故やつまらない怪我やいじめなども、なぜかこの時期によく起こる。筆者が受け持っていた中3のA君も、授業中いつもボケーッとしていた。当てると、決まって「スッ」と息を吸い、わざとらしく首をかしげてから「わかりません」と答える。
いったん息を吸ってから首をかしげるという仕草は、一見その問題を真剣に考えているように見せるための演出である。その実、まったく考えていないことは明らかなのだが、いちいちそういう素振りをしてみせるところが面白い。
ある日「Aって、当てると必ず息を吸うよなあ」と言ってみたら、やはりそれを面白がっている生徒が多かったようで、男子連中が真似をし始めた。いかん、いじめになる、と思って、「息吸い禁止令」を発令。なんで中3の受験生にそんな馬鹿らしい指示を出さなければいけないのかと、頭が痛くなる。
ちなみにAの奇行は授業内にかぎらず、下りエスカレーターを逆走して駆けあがっているところを、丸井国分寺店の7階付近で同級生に目撃されている。中学生のことだから、連れがいるなら受け狙いでそんなはた迷惑な行動をすることもあるだろう。が、彼の場合「一人で」それを行っていたというあたりが、さすがにフシギ君の面目躍如たるところである。
フシギ君に比べ、概してフシギちゃん(女子)のほうがフシギ度の比率は高いようだ。たいていは、おっとりした性格ゆえなのだろうが、太陽がなくなっても「月があるから暗くならないよ」とか、5・15事件で暗殺される前に「話せばわかる」と言ったのは「リンカーン」だとか、日露戦争前の1902年に締結したのが「日明同盟」(正解は日英同盟)だとか、電力を発生させる方式(水力発電や火力発電や原子力発電など)の種類のひとつに「電力発電」があるとか、そういう珍回答を真顔で口にする。おかげでこっちは笑いのネタに困らない。
ある時、入塾したばかりの小学5年の女子が二人いた。見るからにボーッとした二人だったが、初日に何かの都合でテキストがなかったので、コピーすることにした。 で、コピーして渡したら、「熱っ」と言う。
「熱っ、熱っ、熱ーっ」
真顔である。触れるのも熱いと言わんばかりの反応。それも、二人そろってだ。
たしかに、コピー機に通した直後なので、まだ余熱が残っている。だが、そんなに熱がるほどの温度だろうか。渡す際に筆者も手にしているが、せいぜい「温かい」程度である。
「熱っ、熱っ、熱ーっ」
コピー用紙を手に、しきりに熱がっている二人を前にして、これからこいつらに中学受験用の国語と社会を教えていかなければならないのかと思うと、筆者は早くも暗澹たる前途に気が重くなっていくのであった。
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2012.10.18
第三十三回 50年前の13日間
『13日間 キューバ危機回顧録』(中公文庫)という本を、先日読了した。書いたのは(口述で)ロバート・ケネディ。キューバ危機当時、アメリカ大統領の立場にあったジョン・F・ケネディの側近にして実弟である。
自分たちが生まれる前にそんなことがあったのかと思うと、ちょっと寒心に堪えない。50年前の10月16日(火)から28日(日)までの13日間、つまりちょうど今頃のことで、奇しくも曜日まで今年と一致している。
筆者は国際情勢の本を読むのが好きだが、この本はキューバ危機におけるアメリカ側の当事者の一人が回顧するという形で書かれており、具体的なやりとりが詳述されていて、とても面白く読んだ。
キューバといえばカリブ海に浮かぶ社会主義の国で、地図の上ではアメリカの東海岸からほんの目と鼻の先にある。そこにミサイルの基地を建設するということは、アメリカにとっては喉元にナイフを突きつけられるに等しく、傍観していられないわけである。
フルシチョフも大胆なことをしたものだが、冷戦まっただ中の出来事で、ことは米ソだけの問題では済まず、最悪の場合は人類滅亡にいたる可能性もあったのだ。
当事者たちの重圧はどれほどだっただろう。自分たちの采配いかんによって人類全体が核戦争に巻き込まれるかもしれないというプレッシャーと戦いながら、最善の決断を下さなければならなかったケネディ大統領の心中は、察するに余りある。
筆者が今までキューバ危機に対して漠然と抱いていた印象は、ケネディの「これ以上やるなら戦争も辞さないぞ」という強硬姿勢にフルシチョフが折れて、この未曾有の危機を防ぐことができた、というものだった。逆説的だが、国家間であれ個人であれ、戦う姿勢を見せることで戦いを防げることもあるからだ。
だが、この本を読んで意外だったのは、強硬姿勢を主張したのは他の側近で、ケネディ自身は細心を払ってソ連側の体面を保たせ、いわば「逃げ道を作ってあげている」ことだった。ソ連が譲歩し、撤退してからも、決してアメリカの勇気で立ち退かせたような宣伝はしないように気を遣っている。対立する立場にありながら、フルシチョフとは、政治家として互いに認め合う部分もあったようである。
キューバ危機から半世紀たった現在、核兵器は依然として存在し、その保有国は当時より増えている。
もし再び全世界を巻き込むような核の危機が発生した場合、それを防げるほどの器を、現在の国家元首たちは持ち合わせているだろうか。筆者は懸念する。精神力と決断力を備えたケネディほどの頭脳を彼らに期待できるのだろうか。そしてまた……このブログの読者は、今回の堅苦しい内容に退屈してはいないだろうか。
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2012.10.11
第三十二回 「押忍」の重さ
まずは、どこかで聞いた松井館長のエピソードから。現役選手時代のある日、大山総裁に呼ばれて館長室(当時は大山総裁が館長)に行くと、
「君ぃ、いつやるんだね」
と、いきなり切り出されたそうである。いつと言われても、何のことかわからない。
「やるのかね、やらないのかね」
「押忍。やります」
と答えたところ、大山総裁はすぐに人を呼び、「松井に百人組手の用意だ」と告げたそうである。そして周知の通り、それは実行された。何とも凄まじいエピソードだが、これが極真の世界なのだろう。
さて、もっともらしく殊勝なことを書いている当ブログだが、その殊勝な内容と書いている本人が一致しているかといえば、首をかしげざる(あるいは横に振らざる)をえない。
身近にいる仲間を見ると、立派なものだ。江口師範に言われたことに、ほとんど「押忍」の一言で答え、実行している。ごちゃごちゃ自分で考えたりしていない。
対して筆者の場合は、余計な自我が入ってしまうのだろう、(え、それはちょっと……)という感じで、いかにも歯切れが悪い。朱に交われば……というように、歯切れの良い返答をする仲間と接していると、そういった自分の欠点が目立ち、これじゃいかんという影響を受ける。江口組の構成員なら、組長の言葉には「押忍」の一言で応じるべきなのだ。
先日の昇段審査の前も、他の人は言われるがままにひょいひょいと対戦者の蘭に名前を記入しており、筆者はその気軽さに内心で驚いた。後になって「自分はそうじゃなかったな」という、そんな自覚があった矢先である。やはりこれは変えるべきであると思う。
ためらう理由というのは、そんな課題は今の自分にはちょっと難しい、無理なんじゃないか、という腰が退けた思いからだ。しかし、踏み出さなければ、永久に「今の」ままで、「いつか」はこないという逆説が成り立つ。
実際、過去に江口師範に言われて(そんな無茶な)と思ったことでも、実行すれば無茶ではなかったし、やって良かったと思った。後悔したことは一度もない。師範は空手を知り尽くしている人なので、道場生がどの段階で何が必要かということもわかっているし、多少まだ早いことでも実践すれば向上できるということも配慮の上なのだろう。
大人になれば誰でもインプットよりアウトプットの機会のほうが多くなる。だから、勉強しなくてもいい年齢になってから、人は余暇を英会話などの習い事に使いたくなるのだと思う。
空手も同じ。筆者のように、アウトプットを職業にしている人間は、尚のこと何かを教わる(インプットの)場を新鮮に感じる。そしてアウトプットの場合、自我は強力な武器になるが、インプットの際にはむしろ障壁になるのではないか。道場では意識して思考をシフトチェンジし、「押忍」の一言と共に小さな自分を切り捨てたほうが向上の近道になるはずだ。
などと、またこんな殊勝なことを書いたら、師範からものすごく過酷な命題を課されたりして……。やはり、ここはそれぞれの段階に応じた無理のない程度の修練を……。
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2012.10.4
第三十一回 嵐を呼ぶ男たち
「通過儀礼」という言葉がある。ある段階から、さらに上の境地に達するために経験しなければならない儀式のことで、その多くは試練をともなう。マサイ族なら一人でシンバ(ライオン)を倒す、修行僧なら断食をおこなう、などと過酷なものだが、過酷だからこそ、それを達成することに大きな意味があるのだろう。先日の日曜日、9月30日に国分寺道場で初段と二段の昇段審査がおこなわれた。
暑い日だったし、道場の中には対戦者や見学者も詰めかけて、80人以上も入っていたので、体温と呼吸でさらに温度はあがり、受審者の方々は連続の組手で消耗が激しかったはずだ。
筆者も末席を汚すというか、道場の片隅にまぎれ込んで拝見したが、その感想といえば「皆さん、凄いな」という感服の一言に尽きる。
途中、天気予報のとおり台風17号が到来して雨が降り出したが、あたかも熱戦が風雲を呼びよせたかのような二十人組手であり、十人組手であった。
二段に挑むアジアジも最初からガンガン飛ばしていった。もともとスタミナの尽きない人だが、二十人と組手をするというのにペース配分などおかまいなし。
バカなのかな、とこっそり思ったが(念のために補注・ここでいうバカとは『空手バカ一代』のバカと同義である)、感動した。
あとで酒の席で本人に聞くと、江口師範から「後のことは考えないでやるんだ」と言われたそうだ。
男の中の男である。極真魂を見せていただいた。これが極真空手の昇段審査なのだ。こうして掴んだ昇段というのは、さぞ価値があることだろう。
世に空手道場は多くあるが、どこでもこのような厳しい審査が行われているわけではなく、大学の空手部(伝統流派)に所属していた筆者の知人は、一年間続けてペーパーテストを受けただけで初段をもらえたという。ある伝統流派では、一般的に初段には、長い稽古のスタートという意味も込められているらしい。
だが、中には何の意味もない昇段もある。そこのセンセイが、自分の元いた道場の知り合いに声をかけて、こっちにくれば月謝をタダにしてやるから、とか、指導員になってくれたら段をやるから、などと言って誘い、月謝無料や昇段を餌にして引き抜き工作をしている空手道場も実際にあるらしい。
そういうところは、道場主自身が、帯を商売の道具として考えているのだろう。不幸にして愚かなのは、そういった言葉にのせられてしまった道場生だ。これじゃ、通過儀礼でも何でもないのだが。
まあ、いい。よその道場のことだ。我々は極真の本流にいて、強くなるために非常に恵まれた道場に所属している。先日の昇段審査を見ても、帯の価値が本物であることは、とてもよくわかる。
受審者の皆様だけでなく、対戦者にとっても一日で多くの経験ができる稀有の機会であったし、見学の方々にとっても得たものは多いのではないだろうか。
ともあれ、午後1時から8時半までの長丁場となった昇段審査会、江口師範、審査員の先生方、対戦者の方々、そして受審者の方々、お疲れさまでした。押忍。
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2012.9.27
第三十回 怪奇大作戦
若い読者にとって意味不明の内容は、まだ続く。申し訳ないことである。と言いながら、本当は申し訳ないと思っていないから書くのだが。少年時代の一時期、『スター・ウォーズ』が上陸した時に、不遜にも円谷プロ作品を「卒業した」などと子供心に思ったことがあったが、今から思うと赤面すべき錯覚であった。たしかに当時『スター・ウォーズ』の特撮は衝撃だったが、CGがこれだけ広まった現在、円谷プロ作品の味わい深い特撮技術は超一流だと感じ入る次第である。
最近観た中で面白かったのは『怪奇大作戦』。名優・岸田森が出ているホラーテイストの特撮ものだが、まず脚本がすぐれている。一話25分完結とは思えないほど見応えがあるのだ。この作品は、以前よく国分寺道場にトレーニングに来られていた天野ミチヒロさんの著書『放送禁止映像大全』や『蘇る封印映像』にも紹介されている。
天野ミチヒロさんは、UMA(未確認静物)の研究までされている多才な方で、昭和期の特撮物や怪獣物、アニメ、映画、時代劇などの映像作品に、とてつもなく詳しい。お話ししていると、その博識に圧倒される。頭脳の容量が違うというか、筆者などは観終われば忘れてしまうことが多いが、天野さんは膨大な数の作品を観ていながら、そのシリーズの何話にどんなエピソードがあったか、などを克明に記憶し、しかも独自の論評まで付加して話せる人なのである。お話をうかがっていると、時が経つのも忘れてしまうほど面白い。
文春文庫から出ている『放送禁止映像大全』は(道場のロッカーの壁に広告が貼られています)そういう蘊蓄のたっぷり詰まった一冊で、放送禁止になった主に昭和期の映像作品のエピソードが、ユーモアをまじえた文章で紹介されており、面白いこと請け合いなので、ぜひご一読をお勧めします。
さて、その天野さんと電話で久しぶりにお話しした時、『怪奇大作戦』を観始めたことを言うと、数ある傑作エピソードの中でも、特に第7話『青い血の女』が怖いということを聞いた。どのくらい怖いかというと、子ども時代のトラウマになったほどで、天野さんの著書『蘇る封印映像』には、「最大最悪の恐怖を味わった」とある。
筆者はその時点でまだ第3話までしか観ていなかったので、楽しみにしていたのだが、先日ようやくその第7話、問題の『青い血の女』を観てしまった。
まだ観ていない方、そしてこれから観る方のためにネタバレは避けるが、結果は予想以上だった。ははあ、なるほど、こういう話か……と思って観ていたら、ラストで……。ぞぞぞぞぞーっと背筋が寒くなった。それは、ちょっと悲しみのともなう怖さである。大人でもショックを受けるのだから、子どものころに観たら強烈だろう。筆者が語れる感想など、せいぜいこの程度なのだが、後で天野さんの著書でもう一度確認してみると、『怪奇大作戦』にはまだまだ秀作があるようだ。日々の雑事をテキパキこなせなくて、観るペースは遅いけれど、当分は『怪奇大作戦』が寝る前の30分の楽しみになる。
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第二十九回 子どもたちは変身したい
竹島、尖閣に続いて、今回はロシアとの北方領土問題について書こうかと思ったが、国際情勢を語ると、筆者はどうしても感情的になってしまう。平和路線を取り続けている日本に対して、軍事大国の示す無節操な恫喝に憤りを覚えるのである。それに、もっと大量のページ数がないと語りきれない。またこのブログであまり重い内容が続きすぎるのも考えものなので、今回は軽いネタにしたい。
どうせ面白くないだろう、と観てもいないくせに生意気な〈感想〉を抱きそうになる。
たとえば子どものころ観ていた『妖怪人間ベム』は本気で怖かったし、とくに最終回などはトラウマを残すほどの衝撃だったが、近年ドラマ化されたものは、身近にいる子どもたちに感想を訊くと「全然怖くない」とのことだった。やはり昔のアニメほどの迫力はないのだろうな、と思いながら、そのくせリメイクされると何となく嬉しい、という複雑な思いがある。
さて、『ひみつのアッコちゃん』といえば、コンパクトを使って何にでも変身できるという女の子の夢をかなえるような作品だが、筆者が感心するのは、アッコちゃんのコンパクトやサリーちゃんの魔法のステッキなどを、玩具メーカーが発売したことだ。
番組で観ているのと同じデザインの魔法のアイテムが、自分のものになるのである。
これは夢が現実になるようなものだ。子どもたちの変身願望を見事に捉えた商魂がそこにはある。きっと多くの女の子たちがアッコになりきってコンパクトを開きながら「テクマクマヤコン、テクマクマヤコン」を口にし、サリーになりきってステッキを振りながら「マハリクマハリタ、ヤンバラヤン」と唱えたことだろう。
男の子の場合、それは『仮面ライダー』の変身ベルトである。藤岡弘のように表情を歪ませ、両腕を回しながら唱える言葉は、「へぇんしぃん」。筆者の友人のアルバムを見れば、幼いころの写真はたいていこの仮面ライダーベルトを巻いていて、変身ポーズで写っている。いや、人のことは言えない。自分もそうなのだから。実際、ボタンを押せば風車が回転するライダーベルトは、男の子にとっては大満足のおもちゃで、女の子用の魔法少女アイテムと並んで爆発的に売れたようである。
ただ、筆者は『仮面ライダー』以上にもっと好きな『超人バロム1』という番組を取り憑かれたように観ていたので、バロム1のベルトも欲しくてたまらず、買ってもらえた友人が羨ましくてならなかった。そのベルトにはボップという半球形のシロモノがついているのだが、バロム1ベルトの持ち主たちの間で、ボップを壊してしまうものが続出した。
番組ではバロム1がボップを投げると、マッハロッドという車に変わる。
子どもたちは、その通り空に投げたのである。マッハロッドになると思って。
「んなもん、なるかあ!」と大人はツッコミを入れたくなるが、それだけ子どもたちのヒーローやヒロインに対する変身願望は本気だったのだ。そして、そういう熱い想いというのは、将来なにかの原動力にもなるような気がするのである。
今回、若い読者には意味不明の内容になって陳謝。
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第二十八回 すぐそこにある悪意
巷で話題の領土問題part2。尖閣諸島って、日本と中国、どっちのものだ?1895年から日本領(沖縄県)で、中国もそれを認めていた。かつては中国の地図でも日本領と記され、日本の色に塗られていた。では、いつからゴネだしたのか。
中国は喉から手が出るほど石油を欲している。まったくわかりやすい。「俺のものは俺のもの。お前のものも俺のもの」というジャイアンのような国である。
清朝時代の領土に戻すことを国家の目標にしている中華人民共和国の領土問題は、日本との間に限ったことではない。中国の地図を見れば、びっくりする。南シナ海が、ベトナム、フィリピン、マレーシアの本土ぎりぎりまで中国の海域になっている。それらの国は、中国の軍事力にごり押しされている状態である。第二次大戦後も近隣諸国と10回以上も戦争や紛争をくり返し、チベットでは現地の子どもに銃を渡して親を射殺させ、「民族浄化」を唱えている国なのだ。陸地の国境問題ではインドと戦争し、旧ソ連とも険悪になっていた。
核による被爆の犠牲者が日本人だけではないことも、意外と知られていない。読者はご存知だろうか。広島、長崎、ビキニ環礁での第五福竜丸は有名だが、チベットと同じく中国が侵略して自国の領土にしている東トルキスタン(中国名・新彊ウイグル自治区)で、50回以上も核実験をしていることを。それも居住区から10キロ程度しか離れていないところでも予告なしに実施し、現地の住人を20万人以上も殺していることを。
こんな無法が21世紀になってもおこなわれているとは、戦慄すべき事態ではないか。
また1995年には李鵬首相が「日本という国は20年後にはなくなっている」と発言し、会談相手のオーストラリアの首相を唖然とさせている。領土拡大に躍起になっている中国がなにを企んでいるのか、薄気味悪くならないだろうか。
公害問題でもまったく責任を取ろうとしない。日本でも経済の成長期に公害問題は発生したが、改善する方針を取った。将来を考えるなら当然の処置である。が、中国はお金をかけることを嫌って毒を垂れ流しにしている。その結果、二つ首のある豚や、三本足のヒヨコなど奇形の動物がウヨウヨ生まれても、珍しがって喜んでいるのだ。上海の海はどろどろの状態で、汚染の影響は日本や韓国にも及んでいるのに、平気な顔である。
こんな国に日本は過去3兆円をこえるODA(政府開発援助)をしている。その金を中国は軍備拡張に当てているという事実。我々の税金が中国の軍拡に使われ、しかもそれで製造した核ミサイルを日本にも向けている。日本の政治家なにやってるんだ、と誰でも思うだろう。
尖閣諸島に話を戻すと、すでに中国は東シナ海の海底で勝手に石油を採掘している。軍事力を背景に、「なんか文句あんのか」と言っているようなものである。隣の家のヤクザが、武器を持って庭を横切っていったり(領海侵犯。潜水艦で、なんと津軽海峡を通過)、勝手に庭を掘って埋蔵金を奪ったりしているのを、我が家の家長は、「あ、あの…」と言ったきり黙認しつつ、ご丁寧に多額のみかじめ料まで払っているのである。
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第二十七回 国際法で解決を
ある日突然、隣家のお父さんが我が家の庭に入ってきて勝手に線を引き、「ここまではウチの土地だから、そのつもりでね」と言ったらどうするだろう。1952年、李承晩という韓国の大統領が、竹島を含む海域を自国の領海として一方的に定めた、いわゆる李承晩ラインがそれである。
親日的内容のHPまで規制するとなっては、かの国は全体主義だったのかとさえ思えてくる。国がらみで情報を統制し、ひとつの国を憎むように方向づけるなんて、とても民主主義国家のやることではない。38度線を越えた北側となんら変わりがない。次世代を担う子どもたちへの影響を考えると、将来にわたって友好的なつき合いをしないと宣告しているようなものだ。
ちなみに韓国のこのような強硬姿勢は、日帝支配の過去が原因ではなく、そのもっと前、日本が近代化を進めていた明治初期のころからで、いわばお国柄といえる。中国から文化的な影響を受けてきたので、半島を経由して、その先にある日本を軽んじているのである。
さて、先のばしにしてきた問題が、ここにきていよいよ噴出しているという感があるが、都知事の強気発言にしても、世論を見定めてから姿勢を決めているようで、相変わらず自分の人気取りしか頭になく、つまりは国内にしか目が向いていない。韓国の大統領の行動も同じ。今年の12月におこなわれる大統領選に向けて、票欲しさに竹島を利用しただけのこと。
ただし、韓国の国民感情は本物であろう。本気で竹島は韓国のものだと思っているので、日本の言い分を横暴だと感じている。なぜなら、そのように教育されているから。
「独島(竹島)は我が国固有の領土なのに、日本が領土権を主張している」と学校で教わり、「なんて国だ、ムカーッ」ときている。一方、日本のテキストでは、「日韓両国の間で領土問題になっている」というあやふやな表記をしており、これじゃ日本の子どもたちは実際どっちのものかピンとこないだろう。なんでそんな曖昧な書き方をしているかというと、「生徒の中には、在日の韓国人や中国人の子もいるかもしれないから」気を遣っているのだという。
それじゃ、日本人の子どもはいないのか、と言いたくなる。たしかに在日の韓国人・中国人の子どもが肩身の狭い思いをしないための配慮は必要だが、だからといってテキストにどちらの国の領土かを歴史的事実を踏まえて明記しないのなら、社会科教育の意味はない。
中国では大使の公用車が襲われ、韓国では大使館に汚物入りのペットボトルを投げられ、また国旗を燃やされている中で、日本人学校の子どもたちは身の危険を感じているというのに、本国の教育現場はいたって悠長なのである。相手国が最初から仲良くするつもりがないのに低姿勢を取ったところで、それは調和とは言わず、対等の関係は結べないと思うのだが。
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第二十六回 紀州の夏 一人さすらい編
女の子が三人いると、相当にかしましい。姪たちは関西の少女なので、ボケとツッコミを知っている。二女と三女が自作の漫才をするというので見ていたら、冒頭、三女「いや~、良い天気ですね」
次女「今日、雨やないか」
と言って次女のツッコんだ裏拳が、モロにみぞおちに入り、三女がうずくまってしまった。続行不可能で、結局そのまま終わり。漫才よりも面白い、とひどいことを思ったが、いいかげん姪の相手にも疲れると、一人で外をぶらつきたくなってくる。で、ぶらついた。
八代将軍・徳川吉宗が赤ん坊のころ捨てられていたという刺田比古神社に参る。うちの氏神様でもある。近くに洗濯機を外に出した平屋の集合住宅があって、その一軒の外におばあちゃんが一人、椅子に腰かけて、なにをするでもなくジッとしているのを見た。神社に参って戻るときも、まだ同じように座っていた。紀州の夏の夕方、ただ座って無為に時間を過ごす老婆は、なにを思うのか。なんとなく異国の街のような情緒があった。
市の繁華街であるぶらくり丁にまで足を運んだが、昔よりずいぶんさびれているように見えた。和歌川の映画館も、橋のたもとの喫茶店もつぶれていた。水車のある喫茶店も、東映の映画館も、丸正も大丸も長崎屋もサティもつぶれているとは、どういうことだ。一番大きな書店だった宮井平安堂までない。
先祖のお墓参りに行くと、墓がひとつになっていて(これには親族間での事情がある)、お寺の様子も変わっていた。お寺なんて、変わるはずもないだろうと思えるものが変わっている。考えてみれば、この前に墓参りしてから何年にもなるのだから、そう考えれば様変わりしていても不思議ではない。立ち寄ていなかったので知らなかった。そう、自分がずっと和歌山を離れていただけのことなのだ。
故郷に対する愛憎のような思いがあって、とにかく筆者は葬儀などの用事のほか、お盆や正月にもずっと帰省していなかったのである。不義理としか言いようがない。
正月など、14年も帰っていなかった。客観視して、まともではないと思う。
それが最近になって解けてきたのは、年齢的な理由もあるだろう。いつまでも故郷に背を向けていることはできないと思うようになった。また、故郷とか、自分が育ってきた背景を否定している人の話を聞いて、その胡散臭さに嫌気がさしたせいもある。
そういう人は空手の世界にもいる。たとえば極真を去っていった人が極真の悪口を言っていたりするが、あれはみっともない。それまでの自分を培ってきた背景を、みずから否定するなんて、結局は現在の自分を否定しているのと同じだ。そのくせ平気な顔をして自分を正当化し、不満や悪口を言っている。反面教師のモデルケースである。筆者は故郷に対して、それに気づくのが、かなり遅かったとは思うけれど。
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第二十五回 紀州の夏 三姉妹編
やっぱり人間、遊ばなきゃいけないな、と思ったのは、東京でクソ真面目な生活を送っている氏村が、帰省して久々に遊んだからである。具体的に何をしたかというと、海水浴とか、お盆祭りとか、夜店とか、ボウリングとか、スマートボールとか、動物園とか……って、まるっきり子どもの遊びだ。中1、小5、小3の三姉妹なので、エネルギーが凄い。和歌山城にのぼってお城の見物という社会科見学的なこともしたが、その下の公園で遊ばせていると、筆者が幼稚園のころからあった遊具がまだ健在で、つい懐かしくなって自分もいっしょに遊んでしまった。ブランコをこいだのは、何年ぶりだろうか。最大振幅時の浮遊感と加速感が新鮮だった。
夜店でも、輪投げや射的で、景品を手に入れて喜んでいる姪らに刺激され、筆者も思わずヨーヨー釣りをした。夜風に揺れるちょうちんに、ラムネの味。童心に返るってやつか。
海水浴では、小さなエチゼンクラゲを見つけた。全長7センチぐらいのやつが、カサを動かして泳いでいる。お茶を飲んだ後の紙コップで捕獲しようとしたが、姪にとめられた。
その6日間の後、姪っ子らは両親と合流して南紀・太地町へのリゾートに向かった。紀州の夏を思いきり満喫しているというか、遊び三昧で楽しい夏休みになっただろう。
そして思ったのは、中学受験をする生徒たちのこと。たとえ小学生でも、受験をするなら夏休みでも遊んでいられない。毎日塾に通って、6年生なら帰宅は9時をすぎる。
どっちがいいというわけではない。一番いけないのは、受験すると決めたくせに、塾にきて勉強しない子。お金と時間を無駄にしている。一生懸命なら得るものは大きい。ひとつの目標に向かって努力すると自分で決めたのなら、中途半端にではなく、徹底して頑張るべきだし、教える側もそのつもりになる。筆者はそれに全面協力する立場である。
でも、何のために? と思うことはある。遊びたい盛りの年頃、貴重な小学生時代の夏休みに、塾に通い詰めるのは、ほんとに何のためだろう。いい大学に進んで、いい会社に入って……というコースのためだろうか。それが今どき安定の保証になるはずもないことは周知の事実である。また、私立にいけばイジメがない、なんてわけでもない。
姪っ子らの名誉のために言っておくと、彼女たちだって一応、勉強はしている(らしい)。ただ夏休みに、母方の実家にきて(三人ともウチが大好きなのである)長い休みを思いっきり楽しんでいるのであって、宿題はちゃんとやっている(らしい)。
楽しく遊んでいる姪っ子たちを見ていて、筆者は自分が子どもだったころの夏休みを思い出した。筆者も海で遊ぶのが大好きで、よく潜ってガンガラという貝を捕ったが、今、姪っ子らもそのガンガラ捕りに夢中である。「海の中で、水中メガネで見た時は大きかったのに、外に出してみると小さい」と言っている。そんなことは、都会で進学塾に通っている子は知らない事実である。ちなみに捕ったガンガラはもちろん酒のつまみになる。
もし、もう一度、自分が小学生に戻ったら中学受験をするか、と胸中で自問すると、やっぱり自分にはできない。夏休みに遊ぶほうを選ぶだろうな。
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第二十四回 4つのホント
「4つのホント」という遊びがある。内容は問わないが、口にした5つの言葉の中にひとつだけ嘘がまじっていて、そのひとつの嘘を言い当てるという簡単なゲームである。ここで筆者もやってみよう。
夏だから海のネタにする。筆者の故郷は和歌山県である。下記の内容はいずれも紀州の海での、筆者自身の体験であると思っていただきたい。5つのうち、どれが嘘かおわかりだろうか。
その2。野生のサメを素手でつかまえた。
その3。海水浴場でウンコに追いかけられた。
その4。魚が脚で歩いているのを見た。
その5。私は泳いだことがない。
回答を決めていただけましたか。
検証していくと、紀伊半島は黒潮の流れが当たるので、生物の種類は豊富である。タツノオトシゴだって見かける。筆者は高校2年の夏、水深が胸のあたりのところで、ふと見るとタツノオトシゴが浮かんでいたので、手ですくった。よって、その1はホント。
その2は、あたかも全長15メートルのホオジロザメと格闘したような書き方をしているが、実際は全長15センチほどのサメの稚魚が5、6匹、脛ぐらいの水深の波打ち際でスイスイ泳いでいたので、その一匹をパッとつかみ取ったというだけのこと。それでも「野生のサメを素手でつかまえた」ことには変わらないから、これもホント。小学生の頃である。茶色のサメだったが、裏返すとジョーズのポスターみたいな口をしていて、噛まれたら危険だな、と思った。
その3は、汚い話で恐縮だが、紀南に白浜という、大阪あたりからも大勢の人々が訪れて夏は大混雑する有名な海水浴場があるのだ。誰かがやったのだろう。筆者は高校1年生の時、そんなものがすぐ前に浮かんでいるのを見て、悲鳴をあげたくなった。大慌てで水を掻き、逃げようとすると、ちょうど満ち潮だったのか、掻いた水が沖からの水流に跳ね返り、ウンコさんを推進させる結果となったのである。逃げながら振り返ると、波に乗ったそれが後から迫ってきていたので焦った。つまり、これもホント。
その4。ご存じない方は、ホウボウという魚を検索していただきたい。奇妙な魚で、体側に羽根まで生えていて、両脇から昆虫のような細い脚が対になって伸びている。その三本の脚で海底を歩いているところを、潜っていてこの目で見たのだ。それだけの話。「魚が脚で歩く」といえば荒唐無稽だが、嘘は言っていない。推理小説でいう叙述トリックである。
よって、答はその5ということになる。この遊びは、まさかいくらなんでもそんなことはあり得まい……と思えるような内容のことを、言い回しに細工して並べるのがコツである。
追記。筆者、お盆の期間に帰省するため、第23回と第24回の2回分をまとめて提出しました。
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第二十三回 聖域にして魔界
4年に一度、国の代表として大舞台に立つ緊張と重圧は、経験した者でないとわからないだろうが、それにしても柔道の結果は残念だった。なにがって、ロンドンオリンピックである。オリンピックといえば、どの大会だったかは覚えていないが、大山総裁の生前のエピソードでこんな話を聞いたことがある。出場前の実績からみて世界一、つまり金メダルは確実という前評判の高い代表選手がいたのだが、その選手の練習風景をテレビで見て、大山総裁は「○○は絶対に金メダルを取れない」と言い切ったそうなのだ。
ただ、筆者は塾講師の経験で、それと非常によく似た出来事を知っているので、今になって、もしかしたら……と思うことはある。
直接受け持っていたクラスの生徒ではなかったが、ある難関中学校を受験しようとしている小学6年生の生徒がいた。担当の先生に聞くと、模擬試験を受けても、志望校の過去問題を解いても、余裕で合格点をクリヤしているという。
ちなみに模擬試験の合格率は、20%から80%の間で表される。0%がないかわり、100%もない。それは当然で、すべり止めのつもりで受けたとしても、当日にかぎって体調が悪く、実力を発揮できないこともあるだろうし、逆に玉砕覚悟の受験であっても、たまたま解ける問題ばかりが出題される可能性がないわけではないからだ。
ともあれ、その生徒は事前の数値からみて、志望校合格は固いと思われていた。
だが、落ちた。担当の先生たちは頭を抱えていた。数値的には不安要素などなかったのだ。なのに、なぜ不合格になったのか、原因がわからないという。
筆者も、受け持ちの子ではないので、もちろんわからない。だが、ふと思い当たることがあった。廊下などですれ違ったときなどに見かけた、その子の様子である。
(そういえば、やけにはしゃいでいたな)
と思い出したのだ。模擬試験でも過去問でも、毎回毎回合格点を取れているので、その子はひょっとして、すでに「合格した気分」になっていたのではないだろうか。
だから、ほかの子たちがナーバスになっているのに、一人で舞いあがっていた。自分だってまだ受験していないのに、である。100%の保証がない世界で、本番に臨む前に、早くも安心してしまったのだとしたら、そこに隙が生じないわけがない。安心の反動は、試験当日、すべて自分自身に降りかかってくる。そして決死の覚悟で挑む者にツキが回る。
勝負の神様がもっとも嫌うのは、過信であり、慢心であろう。油断と言い替えてもいい。
受験の会場にしても、極真の全日本や世界大会にしても、人が人生を賭けた大勝負に挑もうとする場は、聖域であると同時に、魔界でもある。そこには神も悪魔も棲んでいるとしか思えない。油断がなくても、予想外の事態が突発することだってあるのだ。ましてや慢心があればたちまち陥穽に陥ってしまうだろう。
オリンピックもしかり。冒頭の大山総裁のエピソードを思い出して、筆者は今頃ようやくその断言の理由がわかるような気がしているのである。
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第二十二回 つくば2012年、夏合宿
まずはオキテ破りの報告から。オキテといっても氏村が執筆の目安として勝手に決めていることですが、このブログは毎回、40字×40行の書式で1ページ分、きっかり最後の一行まで書いて、管理して下さっている方に提出しています。でも今回は合宿のレポートということで、通常の倍、すなわち2回分になるということです。
さて、国分寺ブログでご存知のように、今年の夏合宿は、7月21日と22日にかけて、つくば山中で行われた。
幸い両日とも涼しく、暑気バテせずにすんだが、それでも空手の動きをすれば大量に汗をかく。初日の稽古では、基本・移動・型・スパーリングと、稽古内容は通常と変わらないが、なにが違うかって、その量である。すべてにみっちりと時間を取って進められた。
稽古場はホテルから徒歩3分ほどのきれいな体育館で、ホテルに戻ればもう部屋に入れる時間になっている。バスの中から見た時はそれほど高い位置にあるとは思えなかったが、部屋からの見晴らしは良く、関東平野が一望できた。
皆、汗みずくの空手着を干すと、すぐに露天風呂で汗を流し、近くの酒屋までビールを買いに行って乾杯する。同室の人には酒飲みが多く、氏村も夕食までに、1・35リットル飲んだ。
夕食は品数が多く、ご飯もおかわり自由で、けっこうお腹いっぱいになるのだが、食事が終わってもまだ7時半ぐらいだから、おっさん連中は大人しくしていられない。
ホテルの人の話では近くに居酒屋はないらしく、最寄りの繁華街の土浦かつくば市までタクシーで飲みに行こうという話も出たが、ホテルの中に居酒屋があることを知って、そっちへ行った。営業時間は8時半から10時半。中はガラッガラで、自分らの貸し切り状態。おつまみは枝豆とラーメンだけ。メニューに載っているものの大半ができないのも、また趣である。ホテル内居酒屋のおばちゃんは気を利かせて、ねぎチャーシュー(いかにもラーメンの具を使ったものと思われるおつまみ)を出してくれた。
面白いと思ったのは、みんな江口師範に言われたことを、しっかりと意識しながら飲んでいること。たとえば、合宿というのは住んでいるところを離れて稽古するのだから、空手のことだけを考えて過ごす機会である、というお話があったが、
「今は(酒を飲んでいるのだから)空手のことだけ考えてないな」
「いや、でも『親睦を深める』ことにはなってる」
と、アジアジやシンシンが話している。途中、未成年が一人参入したが、もちろん師範に言われたように彼はソフトドリンクしか飲まず、我々もアルコールを勧めなかった。
店を出てから、シンシンがラーメンを食いたいと言い、もちろんラーメン屋などない山中なので、シンシンの車でコンビニを探しに出かけた。念のために書いておくと、運転したのは酒気帯びのシンシンやアジアジや筆者ではなく、ソフトドリンクしか飲んでいないN氏である。
ぐねぐねした真っ暗な夜道を里まで下りて、コンビニでカップラーメンやつまみや酒を買って帰り、ホテルの部屋でまた飲んだ。何時まで酒盛りしていたか定かではないが、酒と疲れのせいでスコーンと意識不明になり、みんな爆睡。
二日目の朝稽古と午前稽古では、江口師範の直接指導で、体の使い方を学んだ。
これが凄かった。数メートル先で目の当たりにした濃密な情報(国分寺ブログ参照)は、氏村ごときのレベルでは、ちょっとすぐには消化しきれなかった。
空手という膨大な〈知〉の海の深層部を垣間見たというか、武道としての空手に触れたというか、「いにしえより伝えられし知恵」を目の当たりにした、という感じ。朝食前の稽古だが、けっして文字通りの「朝飯前」ではない。ただし、わからないにしても絶対に覚えておこうというポイントは心にとめておいたので、それだけでも大収穫だった。
極真を含め、世に数多くある空手の道場に入門しても、これほどの指導を受けられる機会はそうそう得られないだろう。まず、指導できる先生が日本にどれほど存在していることか。
ありていに言って、達人技なのである。氏村も過去に、合気道の映像などでは見たことがあるが、演武者はたいてい高齢の館長あたりで、江口師範の年齢で使えるなんて聞いたことがない。内容については、国分寺ブログにあるとおり、参加者の特権として伏せさせていただく。実際、師範は説明が巧みだし、DVDに収録して市販されるような内容である。
どうしても興味のある方は、来年、参加されるといい。今年、ちょっと無理して都合をつけた方も、参加して後悔している人はいないと思う。 初日から二日目にかけて、江口師範から皆に出された宿題があった。攻撃・防御・間合いについて、それぞれ自分の課題を見出し、それを意識して二日目に臨むということだ。
氏村が自分で考えていたことはまったく的外れだったらしく、ハマちゃんとスパーしている時、江口師範に直接教えていただいた。こういう翌日までの「宿題」があるのも、泊まりがけで稽古が行われる合宿ならではだろう。
ホテルを立つ前の昼食はカレーライス。おかわりしたかったのだが、朝食のバイキングを(稽古前だというのに)和洋ともにけっこうな量を食ってしまったので、二杯は入らず、アジアジやシンシンがおかわりするのを、ただ見ているだけだった。
そのアジアジだが、部屋をあける時になって、ひとつ不可解な出来事があった。
アジアジ、「これ、誰のですか」と言って、枕元に放置されていたパンツを、さも汚そうに指先でつまんで皆に呼びかけたのである。
みんな知らないという。自分のものではなく、心当たりがないという。
失くしたのならともかく、誰のものでもないパンツが「増えている」というのは、遊んでいた仲間の数がいつのまにか変化している話に似て、なにやら怪談めいている。結局それが誰のものであったか、わからずじまいだった……。
最後に、また報告を。このブログ、毎週木曜日の昼頃に小野先輩に送信しているのですが、今回、初めて金曜日の提出となりました。ここ最近の過労が原因です。氏村、机に突っ伏して昏睡していました。文字数も納期も自分だけで決めていたものですが、ずれてしまったのでお詫びします。まあ、「毎週の更新」は守れているということで。
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第二十一回 宇宙にとって人類とは?(小松左京一周忌)
去年の7月26日に、SF作家の巨匠、小松左京が亡くなった。享年80歳。星新一と並んで日本のSFを切り開き、宇宙にとって「知」とは何か、人類とは何かを問い続けた人で、筆者はその壮大なスケールの作品を愛し、手に入るものは全部読んだ。地殻変動によって日本列島が水没し、漂流の民となるその後の日本人を描いた『日本沈没』。直径60キロ、高度1キロの渦巻き状の雲に閉ざされ、東京の機能が全面停止するという『首都消失』。そして太陽系に接近してくる不気味なブラックホールが、2年後には太陽を呑み込んでしまうため、その軌道上にある木星を吹っ飛ばすという『さよならジュピター』。
とにかく発想のスケールが大きく、しかもその娯楽性を、圧倒的な博覧強記の裏づけで描いているので、実際に起こりえるようなリアリティがある。博覧強記はお兄さんもそうだったらしく、『小松左京自伝』によると、終戦直前の8月7日、たった一発の爆弾で広島が消滅したというニュースを聞いて、お兄さんは「あ、それは原子爆弾だ」と言ったそうである。
戦争をテーマにした短編も切れ味が鋭く、こちらの方が本領ではないかと思える。『地には平和を』『恋と幽霊と夢』『二〇一〇年八月一五日』など、胸が痛くなるような作品がある。『二〇一〇年八月一五日』は、少年時代に終戦を迎えた主人公が、戦後65年たった2010年8月15日に、戦争のことなどまったく知らない家族たちに看取られ、病院のベッドでその生を終えようとしながら、「あの年の15日に空襲はあっただろうか」と、いまだ鮮明に焼き付いて忘れられない当時の記憶をたどっていく話である。死の床で、それが気になっているのだ。筆者は「この日に読まずしてどうするものか」と思い、一昨年(2010年)の8月15日に再読したが、やっぱりすごい迫真性があった。
小松左京の書くホラーも、とてつもなく恐ろしい。氏村はホラー小説を読んで、面白いと思うことはあっても、あまり怖いと思うことはなく、恐怖を感じるという点では漫画作品(山岸凉子の短編など)のほうが多かった。
だが、小松左京の短編『骨』、これには参った。文字通り骨に響くような怖さがある。どういう種類の恐怖かというと、「人類という種の愚かさ」を目の当たりにするという、これまたスケールの大きな絶望感である。『くだんのはは』も似たような後味があった。
話は変わって、筆者は小学生のころに転校を経験しているのだが、転校した先の学校というのが小松左京の出身校だった。ほとんどが鉄筋コンクリートの校舎だが、4年生の春休みに取り壊されるまで、ひとつだけ木造校舎が残っていた。そして筆者のいたクラスは、その木造校舎にあった。古くてボロボロの校舎なので嫌がる同級生もいたが、考えてみると、小松左京が学習していた可能性がある教室は、その木造校舎しか残っていないのである。
同じ教室で過ごしていた……。そう考えた方が、モノゴトは楽しい。当時は子ども向けに書かれた『宇宙人のしゅくだい』すら読んでいなかったけれど。
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第二十回 受験生の夏、「停滞は後退」ナリ
梅雨が明けて、季節は完全に夏。日差しが強く、暑く、街の風景もすっかり明るくなる。筆者はいまだに夏が来ると嬉しい。子どものころのように40日も遊べる休みがあるわけじゃないのに、どうしてだろう。それどころか、暑くて多忙だと大変なだけなのに。
この季節の到来を強烈に喜んでいた子ども時代の高揚感が、心の奥底に残っているのだろうか。
塾業界では、よく「夏は受験の天王山」と言われる。天王山とは、秀吉が明智光秀を討った山崎の戦いで、そこを制することが勝敗の決め手となった場所であることから、スポーツや受験などの勝負事で、明暗を分けるポイントとして表現されることが多い。
では、受験において、なぜ夏が(夏期講習会の取り組み方が)天王山と言われるのだろうか。冬期講習会の方が受験に近いではないか。
筆者の塾講師の経験からいうと、冬期講習会ともなれば、それまでどんなにぼんやりしていた子でも尻に火がついたように勉強をする。直前だけに焦ってくるのである。逆に合格できないと判断してあきらめてしまう子もいる。みんなが懸命に勉強するから、なまじっかなことでは差が出ない。かといって勉強しないでいると、たちまち下がってしまう。
一方、夏期講習会の時点では、受験生たちの意識に、まだ差がある。のんきに構えている子も多いので、ここで頑張っておけば、大きく差が開く。志望校への合格を、より具体化することができる。制すれば天下が近づくという意味で、まさに天王山といえる。意識的に早く目覚めた子が飛躍的にリードできるチャンスのだ。
なるほど、それはわかった。でも氏村よ、それが空手となんの関係があるんだ、ここは空手道場のブログだぞ、という読者の声が聞こえてきそうである。
答は二つ。ひとつは毎回のことなので、空手のネタばっかり書いていられないから。
もうひとつは、空手にも通じるところがあるはずだから。
なにかのインタビューで、松井館長が「停滞は後退である」とおっしゃっていた記憶があるが、みんなが一生懸命がんばっている極真会館のような環境では、受験生にとっての冬期講習会と同じで、怠ればたちまち下がってしまう。全日本レベルの選手ともなれば、尚更そうだろうと思う。相対的に誰かと比べてのことだけでなく、絶対的にもだ。
リヤカーつき自転車で坂道をのぼっているようなイメージである。ペダルをこぐ足をとめれば、その場で停止するだけでは済まない。下に向けて後退することになる。精進とは、かくも厳しい道なのか、と思う。
いや、でも空手にかぎらず、何かを好きでやっている人にとっては、それを苦痛だとは感じないだろう。モノゴトは、一生懸命やっているうちに楽しくなってくる。そして、こなすことが当たり前になる。
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第十九回 バットマンとスパイダーマン
なんてこった、『アメージング・スパイダーマン』がもう公開されているではないか。しかもバットマンの新作『ダークナイト・ライジング』も今月末に公開らしい。ちっとも知らなかった。今年の夏休み映画は、アメコミの代表ともいえる二つのヒーローが競い合うのだ。彼らに共通するのは、二つの顔を持っているという魅力だろう。マーベル社作品ではないが、スーパーマンも普段クラーク・ケントとして新聞社に勤務し、ひとたび事があれば、赤と青を基調としたコスチュームに着替えて人助けをする。さすがに師範が空手を始めるきっかけになったヒーローだけあって、普通に空を飛べるし、ほとんど不死身ともいえる能力を惑星環境の違いから得ている。
でも、思春期を過ぎれば、スーパーマンの臆面もない健全さに辟易する向きもあるかもしれない。そして対照的なまでに暗く不健康なバットマンを新鮮に感じることだろう。
バットマンの主人公(ブルース・ウェイン)は異星人でもミュータントでもなく、生身の人間なのだが、ずば抜けた身体能力と財力を駆使して、架空の都市ゴッサム・シティを悪の手から守っていく。その悪役たちのキャラクターが面白く、ジャック・ニコルソンやトミー・リー・ジョーンズといった豪華キャストを起用して、主役のバットマンを食ってしまうこともある。『バットマン・フォーエバー』では美貌の心理学者を演じていた女優ニコール・キッドマンも存在感が強かった。「バットマン」よりも「キッドマン」の方が印象的だったぐらいだ。
さて、『スパイダーマン』のシリーズといえば、繊細な悩める主人公とその成長、個性的な悪役たち、蜘蛛糸を使った空中戦のスピード感など、前3作とも相当に詰め込まれた見応えのある作品だった。
でも、なかなか続編が製作されないな、と思っていたら、ギャラのことで折り合いがつかず、主演俳優との交渉が難航していたらしい。
『大いなる配役(キャスト)には、大いなる報酬(ギャラ)がともなう』のである。
などと揶揄するつもりはない。でも、若いファンは「正義の味方がギャラに執着するなんて」と、無償奉仕で街を守っているピーター・パーカー(スパイダーマン)とのギャップに幻滅するかもしれない。正義の味方も楽じゃないが、正義の味方を演じるプレッシャーも相当なものだろうと思う。
今回の『アメージング』では、『バットマン』がそうだったように新シリーズになるらしく、キャストが一新されている。007のジェームズ・ボンドもしかり、長期化したシリーズの宿命かもしれない。もっとも渥美清以外の寅さんよりは受け入れることができるし、ジョディ・フォスター好きの筆者としては、『ハンニバル』でクラリスのキャストが変わっていた時の方がショックだった。
と書きながら気づいたのだが、そういえば筆者はここ何年かはまったく映画館に足を運んでいないのだ。この夏もバタバタしているうちに上映期間が終わってしまうのだろうか。
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第十八回 金がない
「都~会では~」と、井上陽水がギターをつま弾きながら口ずさめば、それは『傘がない』だが、氏村が電卓を叩きながら、今月中に必要な出費を弾き出して口にする一言は……「金がない」。
そんなわけで、前回に続いてビジネス・啓発書の話である。
亀田潤一郎・著『稼ぐ人は、なぜ長財布を買うのか?』(サンマーク出版)という本を、これも友人に紹介されて読んだ。著者は税理士で、いわばお金のプロという立場だが、そのプロが、長財布というアイテムに焦点を当て、お金論から人生論にまで共通する法則を語っている。
ちなみに、タイトルの「なぜ」という謎の提示は、「○○力」と並んでよく使われているが、謎とその解決を売りにした推理小説では、氏村は2例ぐらいしか思い出せない。新書やビジネス書の方で、そういうタイトルが圧倒的に多いのは、虚構よりも、やはり現実に即した謎の方が人を引きつけるというわけか。
さて、著者は税理士という職業柄、この本の執筆時までにおよそ500人近い社長の財布を見ており、統計的に「その人の年収は財布の値段の200倍」という法則に気づいたという。
そして「お金には人格がある」というように、お金に人格を認めて大切に扱う人は、他の物(持ち物や人間関係まで含む)に対してもおろそかにはしていないということだ。長財布を勧めるのも、まずは紙幣を折らないためで、きれいなお札を同じ向きで入れておくなどして、お金に対して関心を持ち、扱いにまでこだわることを推奨している。
たしかに、モノへの接し方には、その人のすべてが体現されるかもしれない。人を見ていてもそう思う。お金は、それを計る代表的なモノということか。
人類が文明の黎明期から共にしてきたものでありながら、氏村もお金に関してあらためてそこまで考えたことはなかった。といっても関心がないわけじゃない。お金があるということは、行動の自由につながる。
道場生の中には、お金を追い求めることはもちろん、お金に対して必要以上の関心を持つことに「人として上品じゃない」と抵抗を覚える方もいらっしゃるだろう。とくに若い人の中には。
だが、食事をするにもお金が必要であるように、空手を学ぶにも当然お金はいる。
道場の月謝に関して言うなら、氏村はそれを高いと思ったことは、一度もない。学んでいることの内容を考えれば、むしろ「金でこの時間が得られるなら」とさえ思う。
ただ、金額そのものの重みというものは間違いなくある。
お金が有り余っている道場生ばかりではないはずだ。苦しい家計の中で月謝をやりくりして通っている方もいらっしゃると思う。そんな中で、この本がお金に対する考え方の参考になればと思う。
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第十七回 これまで選ばなかったことをやる
新書が流行っている。小説や雑誌が売れない時代と言われても、新書やビジネス書の勢いは止まらない。氏村はしかし、その手の書籍を、長い間ほとんど手に取ることがなかった。
ちょっと見ただけでも、「~しろ」とか、「~するな」といった偉そうな命令調の、なんと多いことか。
でもそういう書き方が受け入れられているのは、読者が求めているから、でもある。
著者が傲慢なのではなく、きっとそれはビジネス書や啓発書の定型のようなもので、読み手が誰かに力強く叱咤激励されたいのだろう。大人になっても迷える子羊は多いということか。
……などと言ったら、そういう本が好きな人に怒られそうだ。いやいや、なんのことはない、私も読んでみたら、やはり面白かったのである。
読んだのは『バカでも年収1000万円』という風変わりなタイトルの本。
きっかけは友人の勧めだった。2年ほど前になる。自分で買ったのではない。友人はその本の著者と仲が良く、「本を紹介したいし、内容もいいから」ということで贈ってくれたのだ。
その本の中で白眉だと思ったのは、「自分を大きく変えようと思ったら、いままでチョイスしなかった選択肢を選ぶ」という項目である。 一部、抜粋。
「いまの自分に向いているもの、いまの自分に合っているものだけを選んでいたら……? いつまでたっても、いまと同じ自分のまま!? 自分を大きく変えることはできないのではないか……?」
「食べたものが、自分の体をつくっているように、いままで選んできたチョイスが、いまの自分をつくっているのではないか……?」
というあたりにもっとも共感した。共感したが、氏村の中から出た言葉ではなく、ひと様の言葉なので、出典を明らかにした次第である(本の宣伝ではありません)。
なるほど、たしかに今現在の自分を作っているのは、過去に選択してきた行動だ。そして何をするかという選択には、おのずと傾向があるに違いない。その選択は、意識していなくても今の自分に合わせていることが多い。となると、向上の速度も知れている。
空手の場合でも、殻を打ち破れない時は、やり方を変えてみるのもひとつの方法なのかもしれない。
条件が調わなかったり、ちょっと「今の自分」にはきついと思えたりすることでも、選択しなければ、いつまでたっても「今の自分」のままということか。
……などと、優等生的なことを淡々と書いていても、自分自身、なかなか向上できずにいるのだが。
ちなみに、これまで選ばなかったことをやるのもいいが、ルーティンワークの効果も否定できないと思う。やると決めたことを、たとえそれがどれだけ単調であっても、日課にしてコツコツこなしていくことが精進なのだろう。
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第十六回 台風一過
服装が若い、と言われる筆者だが、べつに無理して若作りしているわけじゃない。単純に、Tシャツも柄シャツもジーンズもカーゴパンツも、ずっと同じものを着ているだけのこと。なんらかの強制力が働かないかぎり、なかなか買い替えないのである。スーツやワイシャツなどのフォーマルも同じで、「まだ当分は着られそうだ」と考え、人に話せば驚かれるほど長く所有している。
クリーニングに出すことも少ない。形状が崩れないワイシャツは、普通に洗濯して乾かしている。
でもそろそろ買い替え時かな、と、ずらりと干し並べられた6枚のワイシャツと1枚の柄シャツ(15年着用)を眺めて思った。
この日(19日)は出がけに雨が降り出したが、天候に無頓着な筆者は、天気予報など見ていない。いや、まずテレビを観ることがない。台風が接近していることを知ったのは、職場で同僚に聞いてからである。
夜の帰宅時には、中央線が20分ほど吉祥寺で止まった。折れた木の枝は道に落ちているし、強風にあおられて傘が折れ飛んでしまった。
部屋はマンションの5階で、ベランダ側に高い建物がない。はるか彼方にビルが見えているぐらい。よって、風がまともに吹きつける。
なんてことか、洗濯物はひとつも無くなっていた。6枚のワイシャツと1枚の柄シャツが、すべてどこかへ吹き飛ばされてしまったのである。
往年の角川映画『人間の証明』の主題歌を思い出した氏村だったが、折りからの風に飛ばされたのが麦藁帽子ではなく、ワイシャツときては、詩的でもなんでもない。滑稽な後味を残すだけだった。加えて、可愛がっていた小鳥に逃げられたような、一種寂寞たる喪失感さえ覚えた。
でも、これでワイシャツを買う理由ができた、ともいえる。消失したのだから補充しなければならない。強制力が働いたのである。
それにしても、新天地を目指したかのように、やつらはどこへ飛んでいったのだろう。
翌20日、近所を探してみたが、影も形も見当たらなかった。むろん、小鳥のように帰ってくることもない(当たり前)。
以前、やはり風の強い日に、干していたカーテンが飛ばされてしまい、回収しようと思って探していたら、東八道路沿いの街路樹の上に見覚えのある柄の布を発見して閉口したことがある。今回はそのときよりも風の勢いがはるかに強く、ワイシャツはカーテンより何倍も軽いのだ。
梅雨どきの曇天に向けて翼を羽ばたかせ、はるかな高みへと舞いあがった筆者のシャツたちは、そぼ降る雨の中どこへたどり着いたのか、つまり今どこにあるのか、ぜひ知りたいものである。
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第十五回 一本の糸を切らさないために
道場生たちはみんな忙しい。社会人なら仕事をしながら道場に通っている。中学生や高校生なら、定期テストの前は試験勉強に時間を取りたくなるだろう。「受験生」と呼ばれる一年間ともなれば尚さらだ。
だが、空手には、それを超えてしまう力があるように思える。
他の習い事と違う。……と言い切ってしまえば、それは自分のやっていることを特別視しがちな主観にすぎるかもしれないが、稽古で得られることも、道場での人間関係にしても、月謝を払って習って云々、というだけで終わる質のものではない。趣味とか習い事といった範疇を超えている。趣味でこんなことができるか、とも思う。
だからこそ気をつけなければならない。
それが外部の人には通じないからだ。自分にとって、生活や意識の中で大きなウエイトを占めている空手であっても、職場および学校の人から見ると「習い事」のひとつとしか思われないのである。
となると稽古の出席回数にはこだわらず、仕事や学業に支障が出ないよう、できる範囲で通うしかないだろう。空手で生活していない人が空手のほうを優先すると、生活に歪みが生じてしまう。極端な話、職を失えば稽古に出ること自体できなくなるからだ。
でも、両立できないわけじゃない。当人のキャパシティにもよるが、忙しい時でも何らかの形で空手と仕事(学業)を両立させることは、けっして不可能ではないと思う。
筆者は、江口師範から、「どんなに忙しい時でも、5分あれば拳立てぐらいはできる。一日に5分取れないことはない」と言われたことがある。
たしかに、24時間のうち、5分なら取れる。日中が難しいなら、起きる時刻を5分早めるか、寝る時間を遅らせればいい。そして5分やれば、人はその時間をもっと増やそうと考えるようになる。
長く休んでいると、誰だって次に稽古に出るのが億劫になるものだ。きついだろうな、ついていけないのではないか、という不安も生じてくる。
だから休む期間が長ければ、たいていみんな辞めていく。せっかくシャープな上段をもっていた高校生の某君も、受験のために休会して、そのまま戻ってこなかった。半端ではない情熱を持つ某君は、高校受験を終えて戻ってきたが、彼などは稀有の例である。
稽古に出られない時、まったく完全に何もしないでいるか、たとえほんのちょっとでもいいから自分なりに続けているか、この差は大きいと思う。
その、ほんの少しのトレーニングが、せっかく続けている空手と自分とをつなぐ一本の糸になるかもしれないのだ。
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第十四回 国分寺道場の特徴って
聞くところによると、国分寺道場のHPのアクセス数は相当なもので、筆者の予想をはるかに上回っていた。というか、ケタが違った。城西国分寺支部の道場生でない方々や、極真会館の会員でない方々もご覧になっているとしか思えない数字であった。筆者なりに何人かに直接訊いてみたことがある。
「雰囲気がいい」「明るい」という回答が多かった。よその流派から移ってきた人は、前にいた道場と比べて、こっちのほうがフレンドリーだという感想を持っている。
たしかにそういう雰囲気はある。飲み会での盛りあがりは半端ではなく、夕方の4時台から始まって、終電の時間にまで飲んでいることもざらにある。
中には、前にいた流派を辞める時に脅されたとかいう前時代的な話も聞くが、国分寺道場では、そんなことはまったくない。
壮年の方々からは、「師範が強い」とか「師範自身がよく稽古されている」という意見も多く出た。なるほど、戦国武将でも、大将が本陣から動かないのと、先陣に立って突っ込んでいくのとでは、勝敗の流れがまるで違ってくる。後者は、皆の士気が奮い立つことは言うまでもない。
空手にかぎらず何かを教える立場の人にとって、その分野に秀でていることや情熱を持っていることは必須条件だろうが、武道の団体なら、先生は人間的魅力だけでなく、まずは強いことが尊敬を集めると思う。
人は、言葉の内容ではなく、それを口にする人の背景まで見るからだ。同じ言葉を口にしていても、まるで重みが違う。
たとえば顔じゅう潮焼けして、サメに噛まれた傷痕のある、30年も漁師をしている男性が「海ってのは、恐ろしいぞ」と重々しくつぶやくと、その人が経験してきたであろう数々の修羅場が偲ばれるが、一方で渋谷を歩いているギャルが「海って、怖いよねー」と言ったところで、こいつクラゲにでも刺されたのか、としか誰も思わないのである。
他に筆者が思うのは、国分寺道場にはいろんな個性の人がいて面白い、ということ。
大人と子どもが拳を交え、普通なら出会わないような各種さまざまな職業や立場の人と交流し、それぞれの話を聴ける。そういう開放された空気がある。
HPのブログだからといって、べつに意図して自分のいる道場を持ちあげているわけじゃない。空手は特殊な世界であり、インチキがまかりとおることも珍しくないので、ここのようにきちんとした道場の良さも伝えたいと思った次第。
派手な宣伝はしていないけれど、国分寺道場(城西国分寺支部)は、空手を学ぶ環境として抜群だと言って間違いないと思うのです。でも結局それは、入門しないとわからないことだったりする。
追記。本家ブログで師範がお書きになっていた「奇妙な看板」を、氏村も発見しました。
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第十三回 新緑の季節に
訃報はいつも突然だ。火曜日の朝に、母方の祖母が亡くなったという連絡が入り、翌日の水曜日、お通夜に間に合うよう地元へと向かった。新緑の季節である。斎場の外壁にツバメが巣を作っており、四羽の雛鳥が収まっている。巣の縁に丸い頭が四つ並んでいるのを、筆者の姪っ子が見つけた。親鳥が餌を運んでくると、雛たちは大きな口をあけてピイピイ鳴き立てる。親のツバメは山の樹木の中に消え去り、またすぐ戻ってきて、頻繁に餌を与えている。それを姪っ子たちは喜んで見ていた。
姪は、中1、小5、小3と、三人とも女の子で、三人とも空手を習っている。残念なことに松井極真ではないらしい。伝統流派のようだが、どこの流派かは「わからない」とのこと。常設道場ではない(看板がかかっていない)とはいえ、自分が学んでいる流派がわからないとは何事か。辞めたいとか言ってたし、あまり空手に関心がないみたいだ。
さて、葬式といえば、もう随分前だが、父方の祖父が亡くなった時、ひとつハプニングがあった。従兄弟の一人が何を思ったのか、なんと遺骨のかけらをこっそり持ち帰っていたのだ。何ともおバカな話である。一応、従兄弟の名誉のために言っておくと、そのとき彼はまだ小学生だった(でも高学年だった。……十分、分別のつく年頃だ)。
納骨を済ませた後である。今さら骨を持ち出されても伯父たちは困っただろう。結局、その骨のかけらは、自宅の庭にでも埋めることになったと思う。
今回は幸い、滞りなく進んだ(それが普通)。
ちなみに亡くなった祖母の父、つまり筆者の母方のひいじいちゃんは、日露戦争に従軍して、旅順の死闘から奇跡的に生還している。なんでもロシア軍の銃撃で、左目から耳に貫通する銃創を受けていたという。よって左目は義眼であり、うちの母は子どものころ、その義眼を抜いて見せられたことを覚えている。その祖々父が亡くなった時は、「野焼き」といって、屋外で火葬にしたらしい。当時の田舎では、まだそういう風習が残っていたのである。
筆者もその場にいたそうだが、幼くて覚えていない。広場に木を組み合わせて積み、炎に包まれて、燃え崩れた棺から腕がダラリと下がるのが見えた、と母から話を聴いた。
今回、祖母の場合は、もちろん野焼きではなく、無味乾燥な火葬の装置に入れられて、喪主の叔父がスイッチを押して行われた。筆者としては、できれば野焼きのほうが皆で盛大に見送る感じがしていいように思う。むろん、現代では無理なことは承知しているが。
ちなみに祖母の享年は八十八歳。大往生といっていい。寝たきりだったから、本人にとっては楽になっただろう。それでも悲しいのだから、これが年端もいかぬ子どもで、悲劇的な死を迎えたのなら、どれだけやり切れないことか。
死は、物語の中では、茶飯事のように描かれる。だが、現実に経験する親族の死は、かりに感情を排除し、葬儀の手順だけをたどってみても、ひどく重い。
生前に言われた言葉や交わした会話など、二十年前のことでも鮮明に思い出された。
祖母からは与えられるばかりで、結局、こちらからは何も返せずじまいだった。与えられる一方だった恩は、これからも自分の中に残り続ける。
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第十二回 その男、天才につき
南方熊楠(みなかた くまぐす)なる博物学の巨人(あるいは奇人)について書きたい。水木しげるをはじめ何作品もの漫画で取りあげられているから、ご存知の方もいらっしゃると思う。とにかく常識外れで、キャラクターが立っていて、きっと漫画にしやすいのだろう。
その熊楠は和歌山市の生まれ。子どものころは読みたくても本が十分になく、たくさん本を持っている友だちの家で読ませてもらっていた。でも、貸し出しは駄目だったらしい。
そこで熊楠は、なんと、読みながら文章を脳内にインストールした。
ようするに暗記した。そのまま自宅に帰り、脳内の手本を元に「筆写」してのけた。挿絵まで正確に再現した。そうやって100冊以上、自筆で蔵書にしている。一種のバケモノではないかと思う。
人間のエネルギーは目に表れると言われる。筆者は『南方熊楠アルバム』というものまで持っているが、写真で見る熊楠(若い頃)の目の光の強さは尋常ではない。内側から発光している。大山総裁のような武人の眼光ともまた異質の、宇宙人を見るような、ちょっと同じ人類とは思えない目をしている。
エネルギーに溢れかえっているから、行動もとんでもない。あの『坂の上の雲』の主人公の一人、秋山真之や夏目漱石や正岡子規などと東大で同級だったが、勉強せずに大酒を食らい、植物の研究ばかりしていて退学になっている。また留学先のロンドンでも、実力は評価されながら、向こうの学者と大喧嘩し、暴力沙汰を起こして帰国することになった。故郷である紀州に帰っても、山の中で植物採集をしていて、ふんどし一丁の丸裸で「うおーっ」と叫びながら里に駆けおりてきて、「てんぎゃん」(天狗さん)と呼ばれた。
熊楠はまた、奇妙な得意技をもっていて、嘔吐をコントロールできるのである。
つまり自在にゲロを吐ける。このため子どものころからケンカに負けたことがないという。ケンカでゲロをぶっかけられる相手こそ、たまったものではないだろう。
そういえば国分寺道場の指導員であるTちゃんも、飲み会のフィナーレにはいつも花火のように豪快な嘔吐で締めくくるという特質をもっているが、花火のようにといっても、花開く先は夏の夜空ではなく、居酒屋の床である。筆者はそれを「波動砲」と命名させていただいた。ご存知のとおり宇宙戦艦ヤマトの最大の武器だが、共通点は、艦首(口)から発射される究極兵器であることと、発射後しばらくは動けなくなってしまうこと。その動けなくなったTちゃんを皆で自宅まで連れていくのが、今では国分寺道場の飲み会の風物詩となっている。
話を熊楠に戻す。最後に、筆者が好きな熊楠のエピソードをひとつ。
時の政府は神社を合祀させる方針を取っており、熊楠は自然保護の立場からこれに反対し、その結果、投獄されているのだが、なんと、監獄の庭で新種の粘菌を発見しているのだ。転んでもただでは起きない学者魂というか、何ともしたたかで、どこか微笑ましくもある話ではないか。
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第十一回 試合の時に出るもの
筆者の高校時代の友人Aが、地元の関西から上京してきた。元々タイミングの悪い男で、今回の上京の日取りも気が利かないことこの上なかったが、十代後半の時期に3年間を共に過ごした相手というのは、気心が知れているから、会うのが久しぶりであっても急速に打ち解けられるものだ。
友人Aと会って久々にBのことを思い出したのだが、彼は、筆者に一度ならずこう語ったことがある。
「俺が極真をやったら、絶対に強いで」と。
根拠はなかった。せいぜい、腕相撲が平均よりもやや強い、というぐらい。あとは本人の「強い自分」に対する思い込みだ。
そんなことを語ること自体がナンセンスだ、と何度説明しても通じなかった。話が噛み合わないどころか、私が彼の「空手の実力」を認めないでいるのが、ひどく不満そうなのだ。念のためにいうが、Bは空手着の袖を通したことすら一度もないのである。
スパーリングでも試合でも、消耗してへろへろになった状態でどれだけ動けるか、どれだけ技が出せるかなのに、腕相撲が多少強いぐらいで「もし自分が空手をやったら、きっと強い」と信じられるのだから、思い込みの力というのは凄まじい。
彼はむろん、打たれる痛みも、息があがる苦しさも知らない。師範や先生方をはじめ、明らかに自分より強い相手と対峙した時の緊張や恐怖感、そして開き直りなど、想像もできないだろう。そして結局、一生変わることがないのかもしれない。
試合といえば、先日(13日)府中総合体育館で春期の支部交流試合が行われたが、筆者も会場に足を運び、日頃いっしょに練習している人の戦いぶりを観戦して、強い人が多いな、とつくづく思った。そして試合による学習効果についても考えた。
人間の考え方の傾向を、絶対思考と相対思考に分けるとするならば、筆者などは完全に前者のタイプである。
他者と違っていても、あまり気にしない。マイペースというか、ライバルを意識することもなく、人に合わせて行動を変えない。といえば、いかにも揺るがないようでカッコよく聞こえるが、それらは表裏一体の短所でもあり、自分は自分だと思っていると、競争心に欠けてしまうのである。性格だから仕方ないが、悔しさを覚える感覚が人より希薄なのではないか、とも思える。そうなると、向上の速度も自分独自の遅々たるペースになりがちである。
だが、そんな絶対思考者にも、そして相対思考の人にも共通して、試合というものは圧倒的な影響を与える。勝っても負けても、結果にかかわらずだ。自分の実力のほどが、絶対的に、また相対的に、否応なく突きつけられるからである。
ということで、最後に江口師範語録からひとつ。
「試合では、日頃の稽古で身についてないものは出ない。身につけたものしか出ない」
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第十回 さらば愛しのアイテム
前回のランニングシューズに続いて、高級品の話。筆者は十代の頃、3万5千円もするスウェットの上下を親に買ってもらったことがある。普段から贅沢が許される家庭ではなかったが、そのとき着ていた普段着があまりにみすぼらしかったから、親も見かねたのだ。
部屋着がわりのスウェットなど、ピカソに行けば、上下セット千円で手に入る。現に筆者は数年前にそれを買った。部屋着としては十分それで間に合う。馬鹿馬鹿しいものだと、お思いになるだろうか。高級品は贅沢だろうか。……そんな話を、何年か前に友人としていて、「実は今はいているのが、それじゃあ~」と言って見せたら、友人は驚いていた。
20年以上たっても、まだ穿けるのである。上は袖がほつれてしまったが下は現役だ。
恐るべし、ゴムがまだ生きている。引っ張れば、パァンと勢いよく戻る。
生地も丈夫である。正確には24年ぐらいたっているのに、破れていない(破れかかってはいるが)。ちなみに、ピカソで買った千円のモノは、2年でゴムが死に、ビロビロになって捨てた。
もっとも、まだ穿けるとはいっても、さすがに毛玉がひどくて、もうそろそろ今年で引退させるべきかと考えている。
すると、名残惜しくなる。長いこと自分の生活を、すぐれた品質で支えてくれたアイテムに対して、愛着がわき起こる。感謝の気持ちさえ生じている。
これは初めての感覚ではない。たとえば、筆者が小学生のころ習字で使っていた墨も高品質だった。なめらかで使い心地がよく、硯で墨をするのが楽しかったぐらい。たまに友だちのを借りると、ひどく勝手が悪いと感じたものだ。
多少は贅沢だったかもしれないが、筆者は今でも、あの墨のことが記憶の中に残っている。いい道具だったな、ありがとう、と思える。もし粗悪品だったら、捨てる時も惜しくないし、とうの昔に忘れ、思い出すこともなく、もちろん感謝の気持ちも起こらない。
多少お金がかかっても、道具にはこだわるべきなのだ。
ソムリエの修行でも、まずは一流品のワインを覚えることから始まる。最高のものを知らなければ、ものの良し悪しがわかるようにならないのだという。
筆者も、つい安い商品に引かれてしまいがちだが、いい道具の持つ効果を考えると、代価は無駄にならないと考える。
同じ事が、人間関係にも言えるのではないか。
どうでもいいような薄っぺらなつき合いを限りなく重ねても、得るものは少なく、何も残らない。ただ表面上のやり取りがあるだけで、相手に対して敬愛も尊敬も親しみもなく、別れぎわに何も感じない安物の関係になるだろう。どうせなら、数は少なくても、一生ものの濃厚なつき合いを選びたい。
例のスウェットは、引退させるとしても、やっぱり捨てられない。使わなくても残しておこうと思っている。
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第九回 「氏村、ランニングシューズを買う」の巻
ドラえもんに出してもらった道具のようだ。普通の運動靴と、履き心地がまるで違う。とくに初動時の無抵抗感は、電動アシスト自転車のそれを思わせる。などとややこしい言い方をしているが、ようは踏み込んだ際、踵にかかる負担が少ないのです!
去年、道場に通えない時でも、なにか一人でできるトレーニングはないだろうかと考え(そんなもの、いくらでもあるわい、というツッコミはさておき)、氏村は走ることを思い立った。
NHK教育テレビ『一人でできるもん』ではないが、ランニングなら空いている時間に一人でできるもん(客観視して今回はやけにテンションが高いようだ、と自己分析)。
氏村にとって、スタミナの強化は必須課題である。で、自宅から武蔵国分寺公園まで走り、円形広場を三周して戻ってくるという、計5キロのコースを走ったのだが、4、5回目で膝を壊してしまった。結果、痛くて普通に歩くこともできないほどになった。
イヤンなって、やめた。
さすが流通センターのワゴンセールで買った890円のシロモノだ。膝への負担がくるのなんの。
やっぱり、安物はいかん。膝に悪いだけでなく、靴の内側にはささくれがあり、そこで擦れた部分が腫れて、水疱もできていた。
でも走ることは必要だから、数ヶ月後に再チャレンジ。
そしてやはり膝を壊し、また2、3日は足を引きずって歩いた。
イヤンなって、もう完全にやめた。
高校生の頃、走り幅跳びの着地に失敗して、膝の半月板損傷とやらになったことはあるが、あれは電気治療で完治したはずだ。今になって痛め癖がついてしまうのは怖い。でも、やはりスタミナは必要だし、走ることは身体の総合的なコントロールにもいいような気がする。
そこで今回、ランニングシューズを買ったのだ。靴選びの際に最優先にした条件は、もちろん衝撃の吸収性だ。そのためには値が張ってもかまわない。
氏村は生意気にも一流品の道具にこだわっている。弘法筆を選ばず、というのは嘘で、弘法(空海)の筆へのこだわりは尋常ではなかった。どうでもいいことならともかく、本気でなにかをしようとするなら、いい道具を求めるのは当然であろう。
また一流品を持つことは、心理面での効果もあると思う。
氏村は、ランニングが大嫌いである。『カリメロ』の「走るの大好き走っちゃお」という歌詞に顔をしかめたほど嫌い。
だが、すぐれたアイテムがあれば、それを使うことが楽しみになる。ランニングシューズともなれば、なまくらな肉体をチューンナップするための投資であり、けっして楽ではないトレーニングの伴侶なのだから、できるだけ性能のいいものを選びたいのだ。
と思って買ったら、最近は雨の日が多い。来月には梅雨入りだろう。天候で予定を変えたくないので、今度は雨でも走れるように、防水の上着とキャップを買わないと。
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第八回 四国路は屍をこえて
記憶の鮮度というものは、どうやら情報の量に反比例するらしい(引き続き、お遍路の話です)。後日、お遍路を勧めた友人といっしょに『ロード88』という四国遍路の映画を観にいき(ニコラス・ペタスが外人遍路の役で出ていた)、二人して涙ぐんでしまったが、それはメロドラマのストーリーに感動したのではなく、スクリーンに映る四国路の風景、それを目にしただけで感慨無量になったからだ。
四国では野宿が基本だったので、日暮れ時になると寝場所を探さなければならない。
道ばたでも無人駅の駅舎でも山の中でも、どこにでも寝たが、そんな生活を40日ほど続けていると、東京に戻ってからもしばらくは、公園を見て「今夜はここにテントを張れるな」などと思ったりした。寝場所は、水道やトイレが確保できて、できれば地面が土や芝生だったら言うことはない。おあつらえ向きの寝場所があれば、もうちょっと先へ進める時刻でも、早々と歩くのをやめてテントを張った。
そう、「旅行」と「旅」は違うのだ。後者は、このように自由気ままなのである。
だが自由な分、責任はすべて自分に降りかかる。極端な話、歩くのが嫌になれば歩くのをやめてもいいのだが、その結果は、野垂れ死にあるのみ、なのである。食料が手に入らなかったり病気になったり、予想外のことだっていくらでもある。
徳島市内の温泉(銭湯)に入った時のことだ。番台のおばさんが風呂代をお接待してくれて、さらに「覚えていたらでいいから」と言って、筆者は500円玉を手渡された。なんでも徳島を通るたび、いつもその温泉に寄っていた歩き遍路の僧侶が亡くなったのだという。その菩提が弔われている3×番のお寺に回った時、あなたがジュースなどを飲んで残った額でいいから、私の代わりにそのお坊さんの冥福をお祈りして欲しい、と言われた。
お遍路の行程は遠い。徳島の時点では、88番札所がイスカンダルのように思えていたので、3×番のお寺もかなり先に思えた。着いたのは二週間ほど後だったが、取っておいたその500円玉で、見知らぬ僧侶の冥福を代理供養した。
このようなことが現代でもあるのである。主にお坊さんだが、延々と遍路道を巡り続け……そう、死ぬまで巡り続ける旅人が、この平成の世にもいるのだ。
石仏群が延々と立ち並ぶ道もあった。平安時代から続いている巡礼の道である。88箇所を結ぶ道のどこかで、数えきれぬほど多くの巡礼者が亡くなっているのだろう。
余談だが、四国路には88の札所の他にも番外の霊場が20あり、合わせて108、世の煩悩の数になるらしい。もし私が今度お遍路に挑戦するなら、その番外霊場も合わせて巡りたい。
ちなみに、お遍路をした頃の私の胸囲は、108センチあった。煩悩が胸にいっぱい詰まっていたものと思われる。
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第七回 花遍路
10年前の今日この日、そして今ごろの時刻、あなたは何をしていましたか?そう訊かれて、すぐに答えられる人は滅多にいないだろう。
なぜなら、歩くこと以外していなかったから。
税理士をやっている友人に強く勧められ、四国に渡ったのが3月の下旬だった。弘法大師(空海)が定めた八十八もの札所を巡って歩く、いわゆる「お遍路」の旅に出たのである。
勧めた友人は、その二年前にお遍路を経験していた。彼の家に泊まった時、夜通し体験談を聴き、いたく感銘を受けた私は、ちょうどそれまでの勤めを辞めていた期間だったこともあって、今こそチャンスとばかり四国へと旅立ったのだ。
出発に際して、友人は手首に巻く念珠と般若心経の冊子を贈ってくれ、彼が四国で使った独り用のテントも貸してくれた。そう、向こうでは基本的に野宿なのである。
ジーンズとトレーナーの上に、第一番札所で買った白装束をはおり、金剛杖をついて編笠をかぶり、春の四国路を歩く。
ただ、ひたすら歩く。メシは食うし、たまには休む。だが、ほとんどの時間は歩いている。時折り「こんなことしてていいんだろうか」という不安が湧きあがってくるが、それでも歩く。
四国はいたるところにうどん屋さんがあり、安くて美味しいので、よく利用させていただいた。長距離を徒歩で進まなければならない行程において、炭水化物は有効なエネルギー源になる。だが阿波でも土佐でも伊予でも「讃岐うどん」になっているのは、これいかに?
四国ではお遍路さんは大事にされ、見知らぬ人から金銭や食べ物などの施しを受けることも頻繁にある。そういう時は「お接待させてください」と言われた。お金を渡す側が「させてください」と言うのは、こちらへの配慮だけでなく、お遍路さんに「接待」することで功徳を積むという意味もあるらしい。
野球部の少年たちが自転車ですれ違っていく時は、みんな「こんにちは」と挨拶していった。ある地域では「さよならー」という子たちもいた。そういうふうに教わっているのだろうが、出会った挨拶が「さよなら」とは。
高知県は、夏でなくても雨が多い。傘などは持っていないので、雨が降ってくると急いでリュックと編笠をビニールのカバーで覆い、カッパを着て歩く。黒いカッパに編笠という格好は『地獄の黙示録』などに出てくるベトコン(南ベトナム解法民族戦線の兵士)のようだ。
編笠には、毛筆で「同行二人」と書かれている。それは自分と、空海との二人旅であるという意味である。孤高にして、ストイックな言葉ではないか。
空海に関しては、調べれば調べるほどに、その知性の巨大さに驚かされる。一人の人間が一回の人生で成しえたとは思えない質と量の仕事をやってのけている。私見だが、空海と織田信長は、日本史上どころか、人類史上でもトップクラスの、超弩級の天才だろう。
私は無宗教で、まったく信仰を持っていないが、東京での生活から離れてぼーっと考えごとができる静かな山寺の時間と空間は、いいものだと思った。
桜の花が咲く季節にお遍路することを、花遍路(はなへんろ)というらしい。今でもこの季節になると四国路を思い出し、ふと、もう一度行きたいと考えたりもするのである。
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第六回 この世に「絶対」はない。とくに4月。
かの有名なタイタニック号が氷山と衝突し、北極海に沈んだのが、今からちょうど100年前(1912年)の4月14日、深夜のことだった。4月といえば、1945年の4月7日、日本の戦艦〈大和〉も沈没した。
軍艦の流れはその後、航空機を主戦力とするため巨大空母の時代となり、さらには原子力潜水艦の保有が核バランスの鍵を握るようになるので、大和はいまだに史上最大にして最強の戦艦のままである。
ともあれ、よもや沈むことはないと思われた艦船が、4月に二隻も沈んでいるのだ。
大和の場合は、還らぬことを前提とした出航だったし、海戦の前にすでに情報戦で敗北していたとも言えるが、タイタニックの運命は皮肉としかいいようがない。
この世に「絶対」はないということか。
若い人は実感が伴わないかもしれないが、それなりの年齢になった人は、「まさかこんなことが起こるなんて!」というような経験を、幾度か重ねていることだろう。
絶対といえるような保証など、どこにもない。変わらないことも何もない。大げさに言えば、その達観(および諦観)が、無常観へとつながっていくのかもしれない(おっとぉ、話が理屈っぽくなってきた。ギャグを、ギャグを入れねば)。
そういえば、チェルノブイリ原子力発電所の事故が起こったのも、やはり4月だった。
1986年の4月26日。あれも最新設備が自慢の施設だったのに、よりによって最悪の事態を招くことになったとは。
4月26日といえば、我々極真会館の門下生にとっては、創始者の命日として忘れられない日でもある。
1994年のその日、大山倍達総裁がお亡くなりになったのだ。
まさかの逝去である。人間である以上、不老不死とはいかないものでが、それしてもゴッドハンドでもお亡くなりになるのだ。やはり、この世に「絶対」はないのである。
追記 「絶対」はないが、結局ギャグもなかった。
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第五回 高校野球とプロ野球
ビジネスの場では「思想・宗教・野球」の話題がタブーとされているらしいが、この場では、それに「国分寺道場」および「師範」という項目も加えるべきかと思う。ただ、このブログは別にビジネスとは関係ないので、上記の三つの話題について触れることは厭わない。
三つのタブーに共通するのは、「ゆずれない」という点だろう。思想や宗教に関しては、戦争を起こす原因にもなり得るので言うまでもないが、そこに野球も入っているのが面白い。ファンにとっては、好きな球団も、やはり「ゆずれない」というわけか。
プロ野球といえば、今が開幕シーズンだが、私はいまだかつてテレビのプロ野球中継を最初から通して観たことがない。
柔道やボクシングの試合は(もちろん空手も)一瞬の攻防に目が離せないが、プロ野球では、ピッチャーがマウンド上でベンチに目をやったり、キャッチャーとうなずき合ったりしてなかなか投げないでいると、待ちきれなくてチャンネルを変えていたのだ。当然、野球に関する知識には疎い。
子どものころも、ほとんどキャッチボールをしなかった。つき合いで草野球に入ったことはあるが、ストライクとボールの違いが分からなかったし、「エラー」というのを聞いて何が偉いのかと思った。
自分の番にたまたま打って、そのまま棒立ちしていると、友だちに「走れ、早く走れっ」と言われ、「えっ、なに?」と慌てて三塁に向けてダッシュしたほどの野球音痴である。仲間のプレーもろくに見ていなかったのだ。
それでも友だちが好きな球団のファンクラブに入って、会員証や手帳を楽しそうに眺めているとちょっと羨ましくなったし、夏の高校野球なら最初から最後まで観たこともあった。
高校野球の面白さは、K-1の面白さに通じるところがあるかもしれない。技術の差が大きいから、思いがけないミスや派手な展開が起こり(K-1では異種格闘技のぶつかり合いでそれが起こる)、ドラマチックで飽きない。
でも本当に野球の好きな人にとっては、プロ野球の試合運びに醍醐味を覚えることだろう。マウンド上でのピッチャーの「間」からも、目の肥えたファンなら、様々な思惑や駆け引きを読み取ることができて、楽しめるのかもしれない。
私も最近になって、あの「間」がいいのではないか、と思うようになった。これは大相撲にもいえることだが、気心の知れた人間とビールでも飲みながら、好きな選手や力士のことをああでもないこうでもないと語って観戦する、そういうゆっくりとした時間を過ごせることが何よりも楽しいのではないか、とあくせくした日常の中で思う次第である。
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第四回 国分寺〈青空〉道場の秘密
第一回で「ここはいい道場」だと書いたが、それでは一体どういいというのか。ちっとも具体的じゃないので説明が必要かもしれない。もともと極真会館は、大山倍達という天井知らずの空手家が創設した団体である。その流れを正統に受け継ぐ松井極真でも、鍛錬を続けている支部長は、やはり天井知らずの強さになっている。そして組織がこれだけ大きくなれば、道場生たちは極真空手というより、所属道場の師範の空手を学んでいる、という言い方もできるのだ。
師範の影響力は大きい。道場生たちは、そこの師範の姿を通して「空手を学ぶ姿勢」まで学ぶ。広い空手界には、師範の立場になればあぐらをかいて稽古しなくなる人も、もしかしたらいるかもしれない。そういう道場に入門した人は、空手とはそういうものだと思うだろう。
国分寺の江口師範は、いつも冗談ばかり言って皆を笑わせているが、恐ろしく頭の切れる人である。
言語能力にも長けているので、師範稽古に出たことのある人なら、目からウロコが落ちるような説明を受けている。
でも、そんな師範が、かつて出場した全日本大会で怪我を負い、口の中も含めて、麻酔なしで合計8針も縫ったことを知っている門下生は少ないかもしれない。
麻酔薬を使うと、その成分によってドーピング反応がでてしまうというのが理由だが、聞くだけでゾッとするエピソードだ。
当然、口の中に力が入らない。そんな圧倒的不利な状況で繰り広げられた2日目の試合は、観た者が生涯忘れ得ぬ壮絶な死闘となった。
そういう師範から空手を教わる我々道場生も、知らず知らずのうちにどこかで影響を受けている。
意識のレベルが、ごく自然に底上げされる。たとえば幼子が膝を擦りむいたといって痛がっていても、大人から見ると「ツバでもつけときなさい」と思うのと同じで、骨折したり腱を切ったりしても、それほどオオゴトではなくなる。
いや、オオゴトには違いないのだが、麻酔なしで8針も縫ったりする人の言葉に触れていると、自分らも感覚的に高い天井の下で育つことができるという意味だ。
こう書くと、とんでもなく過酷な修行を課されるように聞こえるかもしれないが、けっして強制されることはない。あくまでも「ごく自然に」、気づかないうちに意識が引き上げられる。それが大きい。こっちが吸収するつもりでいれば、いっそう向上できるはずだ。 そしてさらに、江口師範自身が稽古を続けていることは、門下生にとっても大きな意味を持つ。それは我々から見てはるか高みにある天井が、進行形で、なおも上昇していることに他ならないのである。
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第三回 「氏村、少年部にKO予告宣言される」の巻
少年部が盛況である。空手は今や小学生の習い事の中で決して珍しいものではなく、むしろメジャー化しているような感さえある。そのうちの一人、U太郎(オバQの仲間ではない)に、筆者はKO予告されてしまった。
「今度、倒すよぉ」
と言うのである。可愛らしい声で、ニコニコしながら言う。
まさか本気だろうか。何の脈絡もなく、いきなり言われたので真意が読めない。
なぜだ、U太郎。私は何もしていないではないか。
子ども相手のスパーリングでは加減がわからないので、必要以上にソフトに当てているつもりだった。あるいはそのせいで「こいつなら倒せるかも」と思われたのだろうか。
実際、子どもたちはガンガン向かってくる。変則の上段蹴りや、跳び後ろ廻しなどの大技も放つ。……本気なのかもしれない。
彼らの成長ぶりを考えると、数年後には倒されてしまうこともあり得る。そうならないように気をつけないと……と筆者は半ば本気で考えている。
しかし中学入学と同時に辞めてしまう子が多いのは残念だ。小学生の頃から空手を修行していれば、そしてそれを継続していれば、どれだけいいだろう。
ちなみに国分寺道場の少年部は、ペットボトルのキャップのリサイクルにも協力しているらしい。
道場内の自動販売機で買ったペットボトルを捨てる際に、キャップを外して分別回収するための専用の段ボール箱が備えられているのだが、そこには、
『キャップ800個で1人分の命が救えます。みんなでキャップを集めよう たいち』
と、子どもの字で書かれている。署名もされている。感心なことだ。800個で1人の命が救えるなら、分別せずには捨てられない。
それにしても、福田赳夫元総理の言葉に従えば、「キャップ800個は地球一個より重い」ということになるのだが。
追記(参考までに)
キャップの重量 約2・2g(×800=約1760g)
地球の質量 5.972×10の24乗=約60億兆トン
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第二回 稽古に遅れた理由ナンバーワン
稽古に出られない事情は人それぞれだが、学生なら試験勉強、社会人なら仕事の都合、体調不良(二日酔いも含む)などが主なところか。
雨の日も出席率が悪いようだ。たしかに傘をさしての外出は面倒だが、決めていた予定が天候に左右されるというのは、なんだかもったいない気がする。
と思っていても、長雨で道着が乾かなくて欠席すれば、結局は天候が原因で休んだのと同じことになるが。
遅刻に関しては、欠席よりも理由が弱いらしい。
かつて稽古時間の四分の三も近くの書店で立ち読みをしていて、ラストだけ参加した猛者や、常習的に「ただ何となく」遅刻するツワモノがいたが、今まで聞いた中で一番ウケたのは、「ご飯を食べていました」という理由だ。
もちろん大人が言ったのではない。大人だったらアホである(子どもでもアホだが)。
言ったのは中学生(当時)で、稽古時間が半分以上すぎたころにやって来て、その理由を真顔で口にしていた。一応フォローすると、育ち盛りゆえに学校から帰った後も空腹で耐えきれなかったのかもしれない。
それにしても腹にメシを詰め込んだ状態で、すでに体が温まっている皆の中に混じり、スパーリングから参加するというのである。
運動系ではない他の習い事、たとえば英会話や陶芸や生け花などにしても、食後すぐの参加では集中力に影響するのではないだろうか。ましてや空手である。
どんな運動であっても動きづらいのに、空手のように脚を高くあげたり、全身で激しい動きをするような武道ともなれば、尚さらではないか。
しかも極真なのだ。腹に下突きや前蹴りをもらわないことを想像すらせず、満腹状態で平然と稽古後半から飛び入りできる無邪気さは、感服に値した。
「腹の中のものを、全部吐き出させてやれ」
と指導員が呆れて冗談を言っていたのを覚えているが……。
この前、某スーパーの食料品売り場で、制服を着た店員さんに、いきなり「先輩」と声をかけられたので驚いた。
彼だった。意外に清々しくも立派な若者に成長していたのである。
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2012.3.9
押忍!
突然ですが、このたび国分寺道場のHPをお借りし、「師範・指導員の独り言」コーナーに併設される形で独り言をつぶやくことになりました。氏村といいます。
氏村の読み方は「しむら」ではなく、「うじむら」です。
毎週かならず更新することを基本姿勢にして、心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます。
さて、国分寺道場では春の入会キャンペーンが実施中で、すでに10名以上の方が入門されているようです。
当ブログをご覧になっている方の中には、「この春から何か体を動かす習い事を始めたい」、あるいは「空手を習いたいんだけど、通える地域の中でどこの道場にするか迷っている」、という方もいらっしゃるかもしれません。
職員ではない私の立場から申しあげますが、ここはいい道場ですよ。入門してまちがいないです。
ついては入門したばかりの方のために、簡単なアドバイスを。
稽古のはじめには準備運動もおこないますが、できるならちょっと早いめに道場に来て、自分で念入りに柔軟などをしておくといいです。
ちょっと慣れてきて親しい仲間ができても、稽古前はサロンのようにおしゃべりするのではなく、集中力を高めながら、時間になったらすぐに並べるように待機しておく。
着替える場所では、他の人が速やかに動けるよう、まわりに配慮する。
掃除した後のバケツの水は、洗面所ではなくトイレに流す(でないと詰まってしまいます)。
それから道場での返事は、「はい」ではなく(もちろん「うん」でもなく)、「押忍(おす)」と答えます。
これは『オバQ』でいえば、O次郎の「バケラッタ」にも匹敵する万能解釈語で、状況に応じていかようにも使い分けが可能です。
聞くところによると、学校や会社などでの会話で、つい「押忍」と答えてしまった経験のある道場生も少なくないとか。その相手が先生や上司であることから考えて、若干の緊張をともなう関係において使われているところが興味深くもあります。
道場以外で口にすると、きょとんとされること請け合いですが、「押忍」には「押して忍ぶ」、つまりは受動的に耐えるのではなく、能動的に、攻めの姿勢で試練などを乗りこえてゆくという深い意味があるそうです。
そんなわけで、この独り言も押して忍んで締めくくります。
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