もうひとつの独り言 2018年
2018.12.20
第三百三十回 いつかの慰安旅行
もうずいぶん昔のこと(だから時効だろう)、年末の、ちょうど今ごろの季節だったと思う。江口師範の主催で、伊豆あたりの宿へ一泊二日の慰安旅行に出かけたことがあった。国分寺道場だけでなく、写真を見ると、近隣の城西系列支部の先生方も一緒だったことがわかる。
その中に、主要メンバーではない筆者も、なぜか混じって写っているのだ。
当時の筆者は、サラリーマンを辞めた直後で無職。先のこともわからないのに、金はないが暇はいくらでもあったので参加させていただいたものとみえる。仕事にがんじがらめで身動きが取れない現在から見ると、羨ましくなるような立場だ。
向こうに着いて、宿の近くだろうか、土産物売り場の近辺を皆でブラブラしているとき、市村先生の周囲の女性たちから悲鳴とも嬌声ともつかぬ声があがった。真相を知る人はごくわずかで、中途半端な記述で申し訳ないが、これ以上の詳細は書けないのである。
また、近くには海岸もあり、海を背景に市村先生も含めた何人かのメンバーで岩場に立っている写真もある。写真屋さんは気づかなかったのか、無事に現像されていた。
ちなみに、夜はカラオケの席が設けられていたが、江口師範はどれだけ冗談を口にしていても、羽目を外されるようなことは、けっしてない。よって現在の国分寺道場の酒席は、あくまでも上品なユーモアに終始し、皆さんご安心して参加になれる。
さて、その夜のこと。夕食の後だったろうか、市村先生やほかの先生方と車に分乗して、少し先にある温泉に出かけた。道路のわきに小さな料金所があり、そこでお金を払って小径を下ったところに露天風呂があるのだ。
ついでに言うと混浴だった。穴場かと思いきや、意外にも見知らぬ女性たちが何人も、ごく普通に入ってきた(我々を見て引き返す女性たちもいた)。
とにかく、湯に浸かりながら、浴場を縁どる黒々と濡れた岩を枕に夜空をあおぐと、冬の星座がくっきりと見えて、なかなか乙なものだった(乙って何だろう?)。
そして……きっかけはわからない。きっかけなどないのかもしれない。市村先生が突然、風呂を出て小径を駆けあがっていったのだ。
反射的に、五、六人が後につづいた。その中には筆者も混じっていた。普通ならこんなことはしないのだが、このときは筆者も若かった。不思議と、どういうわけか共に駆けだしていたのだ。ちなみに、某分支部長の先生もいっしょだった。
市村先生は道路に出て、後屈立ち手刀受けを始めた。
全裸である。後につづいた我々もそれを真似した。田舎の夜道だから人影はなく、車も通っていない。
「あ、あんたら、裸でなにやってるの!」
料金所のおじさんはビックリしていた。そりゃ驚くだろう。星空の下、凍てつくような真冬の路上で、その身に一糸もまとわぬ男たちが奇妙な動作をくり返しているのだから。
なぜ「後屈立ち手刀受け」だったのか、理由はわからない。理由などいらないのかもしれない。市村先生といっしょにいると、そう思えてくる。
2018.12.13
第三百二十九回 神戸のクリスマス
ネットのニュースを見ていると、神戸のルミナリエが話題になっている。ルミナリエというのは、筆者も初めて知ったが、阪神大震災で亡くなった方々を追悼するためのイルミネーションで、もう24年もつづいているという。
開催場所は、旧外国人居住地と遊園地とあるが、異人館のあたりだろうか。山が迫っている神戸には、ハンター坂や北野坂といった洒落た名前の坂道があり、それをのぼった北野町に、「うろこの家」や「風見鶏の館」などの個性的な異人館が建っていて、昔から観光名所になっているのだ。
今ではルミナリエ自体が観光名物になっているという。
写真で見ると、51万個にもおよぶ発光ダイオードを駆使した大聖堂を象ったような電飾がきらびやかで美しく、かつダイナミックで、いかにも神戸らしい。
神戸のクリスマスが派手だというのは筆者の主観かもしれない。だいたいクリスマスのイルミネーションというものは、どこの都市でも派手に決まっている(和歌山はそれほどでもないが)。
それでも神戸の印象が強烈なのは、子どものころの記憶によるものだろう。小学生にとっては、かつて見たことのないほど美しい光の集合体に、カルチャーショックともいえる感動を受けたのだから。
クリスマスは子どものころのほうが楽しいのではないかと思う。
あのドキドキ感。世の中が盛りあがっているのに同調して、自分たちも盛りあがる感覚。
欲しいものを無条件でプレゼントされる喜び。20日あたりから待ち遠しくてたまらず、23日などは、もうワクワクして仕方なかった。
今はどうなのか知らないが、クリスマスあたりが終業式でもあり、ちょうど冬休みに入るタイミングと重なっていたので、喜びもひとしおだった記憶がある。
筆者が西宮に住んでいた頃、父はNHKの神戸放送局に勤務していた。阪急電車で夙川から三宮まで、片道20分ばかりの楽な通勤である。
クリスマスには神戸で食事をするのが慣例になっていて、母と妹と筆者は阪急三宮駅で、仕事を終えてくる父を待っていた。神戸でクリスマスをすごしたのは小4から中1までの4回だが、これは毎年変わらなかった。
外へ通じる阪急三宮駅の構内はドーム型になっており、阪急会館と阪急プラザという映画館が駅ビルの中にあった。その入場口となるエレベーターの前に、モニターがあり、神戸中の映画館で上映している映画の予告編が流されていたのである。待ち合わせ場所は、いつもそこだった。
中学生になって友人と待ち合わせるときも同じ。映画の予告を見ながら待っていられるので退屈しないのである。
といっても、これは阪神・淡路大震災よりも前の話で、当時のドーム型の駅舎も現在はない。代わりにできたクリスマスシーズンの風物詩が、ルミナリエなのだ。
今年のルミナリエの電飾は、16日まで開催しているとのことである。
2018.12.6
第三百二十八回 入試に出る数え方
その昔、『一本でもニンジン』という歌があった。筆者が小学生の頃だ。これまた若者には意味不明だろうが、『泳げ、タイヤキくん』のB面だったことを覚えている。どんな歌かというと、「一本でもニンジン、二足でもサンダル、三艘でもヨット、四粒でもごま塩……」とつづいていく一種の数え歌である。
そんなわけで、ものの数え方の話だが、たとえば石ころなら1個2個、紙なら1枚2枚、木なら1本2本……というように、数える対象によって単位がちがっている。
以前、海外出身の先生が流暢な日本語で、店の人に「お箸を一膳ください」と、ごく自然に言うのを聞いたことがあるが、日本語を勉強している外国人の方がこれらを習得するのは、さぞ大変だろうとお察しする。
そう、箸は「膳」なのだ。「本」ではない。二本でセットになっているからだろう。
靴や靴下も「足」である。足に用いるからで、非常に限定された数え方である。だが手袋は「手」ではなく、「双」だという。「手」は、将棋などで「次の一手」というように使われているが、将棋や囲碁の勝負自体は「局」だろう。
相撲の勝負は「結びの一番」というように「番」だが、空手や柔道などの武道で技が鮮やかに決まったときは、ご存じのとおり「一本」と呼ばれる。
こんな問題が入試で出題されることは稀だが、何度か見かけたことがあるのは、ウサギの場合だ。ごく一般的な小動物の数え方として「匹」でも通じるが、「二兎を追う者は一兎をも得ず」ということわざがあるから、そのまんま「兎」だと思う受験生もいるかもしれない。でも、求められている解答は「羽」である。
かつては(仏教の誤った解釈で)四つ足の獣肉を食することが穢らわしいという考えが広まっていたので、山野でウサギやイノシシを見かけても、大っぴらに食べるわけにはいかなかった。でも動物性タンパク質は摂取したい。そこで、無理やりウサギを鳥あつかいしたらしい。ウサギは夏は黒、冬は白に毛皮が生え替わる。で、黒いのは(長良川の伝統漁法で有名な)鵜であり、白いのは鷺で「ウ・サギ」だと……、あの長い耳は羽根なのだと……。
ちなみに、俳句はそのまま「句」だが、短歌(和歌)の場合は「首」である。百人がひとつずつ読んだ和歌を百人一首というように、クビではなくシュと読む。
エレベーターや原子炉のように、巨大な装置は「基」と数える。
意外なのは、蝶々が大型哺乳類のように「頭」と数えられることだ。理由は知らない。一説には、ハンターが獣を剥製にするのと同じく、蝶も昆虫採集でピン止めして飾られるので、コレクションの頭数として扱われているからだとも言われる。……と、ここまで調べずにいい加減なことを書いてきたが、どこかに間違った情報があるかもしれないのでご注意を。
よくわからないのは「丁」である。豆腐の単位であることは周知のとおりだが、「パンツ一丁」ともいう。また「出前一丁」ともいう。拳銃にも使われる。何なのだ、この不統一感は。
拳銃の場合は「挺」なので字が違う。だが、残る三者の共通点は何だろう。
パンツの数え方は、正確には「枚」だと思うが、たぶんパンツだけしか着用していない「状態」を指して、「パンツ一丁で何してんだ」などと言うのではないだろうか。
2018.11.29
第三百二十七回 灰の中からダイヤモンド
『灰とダイヤモンド』という題名を聞いて思い浮かべるのは、沢田研二が熱唱していた往年の歌謡曲だろうか。それともアンジェイ・ワイダ監督による古きポーランド映画だろうか。若い人は両方とも知らないだろうけど。ジュリーの歌には、ほかにも名画のタイトルを借用したヒット曲が見受けられるが、ここで触れるのは後者のほうである。
ワイダ監督の抵抗三部作のふたつ、『地下水道』ならびに『灰とダイヤモンド』のDVDが9月末に発売されたのだ。それまではべらぼうに高い値がついていたのだが、新たにまっとうな価格での発売となったので、この機会に二作とも購入した。
代表作といわれる『灰とダイヤモンド』を、筆者はVHSでも持っているのだが、そのジャケットは和田誠氏によるイラストで飾られ、主人公のマチェクがシャツの前をはだけて拳銃に弾を詰めている場面のものだ。
今回のDVDは有名なラストシーンの写真が使われている。『地下水道』のジャケットもいい。作品が好きでも外側がまずいと市販のものを買う気にはならないのだ。
『地下水道』は初めて見たが、当時はこのような映画がまだなかったのではないか。そんな背景の中で世に出たこの作品は、衝撃作だっただろう。カラーでないことがかえって良かったように思える。
『灰とダイヤモンド』は1958年の映画だが、空からの俯瞰シーンで見せる崩壊したポーランドの街が、大規模な人工のセットだとは思えない。戦後10年以上たっているが、これは実際に戦火に見舞われて破壊された街並みなのだろうか。
ストーリーは、ほとんど一日の出来事が描かれている。
時代背景は、第二次世界大戦も大詰めを迎えた1945年の5月。ドイツが降伏した直後で、それまではドイツに占領されていたポーランドの首都ワルシャワが、今度はソ連の支配下におかれている。このあたりの中欧の情勢は、馴染みがなくてちょっとややこしい(と思うのは筆者だけか)。
主人公の青年マチェクは、共産党の書記シュチューカを暗殺するのが目的だが、冒頭で別人を射殺してしまう。それから翌日の朝までの物語である。
もし、まだこの映画を見ていなくて、これから見るという人は、ここから先がネタバレになるのでお読みにならない方がいいだろう。とはいっても、DVDの写真自体がネタバレになっているとも言えるし、VHS版では裏面のリードで結末が明かされていた。隠すには有名すぎるラストなのである。
主人公が無惨に悶え死ぬのだ。それまで視聴者が行動を追ってきたマチェク青年が、つまらないことで、しかも広大なゴミ捨て場で、誰にも気づかれず虫けらのように死んでいく。
これはもしかしたらアメリカン・ニューシネマの原点なのではないか、と筆者などは思った。
ところで、手塚治虫の『ブラック・ジャック』には、『地下水道』『灰とダイヤモンド』ともに、同名のエピソードがある。内容はもちろん関係ないが、手塚先生もアンジェイ・ワイダ監督の映画が好きだったのかもしれない。
2018.11.22
第三百二十六回 セブンはなぜピカピカなのか
個体ひとつで侵略にくるとは非合理な、というツッコミこそ野暮というものだろう。なにがって、『ウルトラセブン』に登場する異星人たちの話である。『セブン』については、筆者などより江口師範や天野さんのほうがずっと詳しいのだが、DVDを3巻しか持っていない筆者の目から見ても、彼らの造形は特撮ものの歴史に残るほど素晴らしい。
たとえば、第1話『姿なき挑戦者』に登場するクール星人。ギョロ目で、鉤爪のある六本の触手以外、立脚するものがなく虚空に浮かび、「我々から見ると、地球人など虫けらのようなものだ」という意味のことを(名前の通り)クールに豪語しているが、そういう本人こそ「ダニ」をモデルにして作られているらしい。
第2話『緑の恐怖』に登場する植物型のワイアール星人は、ヘドラやザザーンもそうだが、このグチャグチャぶりが子ども心にとって得体の知れない魅力があった。
第2話はファーストシーンから特撮が凝っているし、夜の高架道路で車が事故を起こす場面などもCGでは出せない味わいがある。
第3話『湖のひみつ』のエレキングや、第5話『消された時間』のビラ星人(声がジジムサイ)もたぶん大人気ではないだろうか。それだけに、この両者、倒され方が無惨すぎるように思える。 第6話『ダークゾーン』の諸星ダンは明らかに変だ。ほかの回と人格が変わっている。たとえば、アンヌ隊員のおでこを指先でチョコンとついて「弱虫さん」などと、こそばゆいことを平気で言ったり(こんな人だっただろうか)、ペガッサ星人の宇宙基地を破壊しなくて済んだと思えば「うわあ!」と子どものような笑顔を見せたりする。とても後年の必殺シリーズで悪役を出演じるようには見えない無邪気さだ。
第8話『狙われた街』のラスト、ため息が出るほど美しい夕焼けの街での戦いは前にも書いたが、メトロン星人は手の先もとんでもない形をしている。
第9話『アンドロイド0指令』のチブル星人も好きなのだが、活躍しまくるキュラソ星人とちがって、ほんの少ししか登場しないのが残念である。
第10話『怪しい隣人』。アイスラッガーを跳ね返す強敵・イカルス星人とは決着がついたといえるのだろうか。
ちなみに、宇宙人や怪獣が姿を現す直前、湖の水面がゴボゴボとわき上がってきたり、化けていた人間の姿から変わるときの光の粒子がモヤモヤ立ちこめたりする数秒のシーンは、どんな異星人が現れるのだろうと、子どもの頃はワクワクしたものだ。
一方、子どもの頃に疑問だったのは、戦いを終えて飛んでいくセブンの体がテカっていることだった。
これはウルトラマンでも同じ。それまでは怪獣と格闘して転げ回り、埃まみれになっていたのに、「ジュワッ」と飛び去っていくときには、反りかえった体がピカピカのテカテカになっているのである。きっと高速飛行による風圧の抵抗で埃が吹き飛ばされたんだろうな、と筆者は思っていた。
2018.11.15
第三百二十五回 たまには日本史のネタでも
秋なので、たまには文化的な話題も。学生時代に習った歴史の話である。といっても、筆者は世界史についてはまるっきり知らない。授業を受けていたはずなのに、自分でも驚くほど覚えていない。せいぜい固有名詞の「ピピン」や「アメリゴ・ベスプッチ」、そして「カノッサの屈辱」ぐらいしか記憶にない。理由は、発音したときの響きが何となく面白かったからだ。
日本史でも、固有名詞の面白さは散見できる。たとえば、大化の改新で中大兄皇子と中臣鎌足に殺された蘇我入鹿。
なにしろ「イルカ」である。殺されたのが可哀想ですらある(ちなみにイルカの祖父は「馬子」だ!)。
それから、天正遣欧使節。戦国時代の天正年間にヨーロッパに派遣された四人の少年の名前だが、人の名前で笑うのがマナー違反であるとわかっていても、やはりおかしかった。
中浦ジュリアン。千々石ミゲル。原マルチノ。伊東マンショ。
なんなんだ、こいつらは。
もちろん洗礼名であることは自明である。天正年間に、どこの親が自分の子どもに「マルチノ」などとつけるだろう。が、それにしても変な名前だ。四人とも坊主頭で、しかも首のまわりに「ワサワサ」のついたピエロのような奇っ怪な服を着た姿で描かれているのである。念のために言うと、彼らはヨーロッパで非常に高い評価を受けたらしい。
12世紀の「鹿ヶ谷の陰謀」も、「柳生一族の陰謀」みたいで、なにやら想像力をふくらませる余地が多分にある名称だ。
また、これは教科書によって違うかもしれないが、六波羅探題や朝鮮総督府などを、「設置した」ではなく、「おいた」と表現しているのも、ポンッという気軽な感じで、おかしみのある違和感があった。
そして、明治17年(1884年)に起こった加波山事件(かばさんじけん)。暗殺未遂事件だから、事件そのものの内容はまったく面白くない。
が、なにしろ「カバさん事件」である。説明は不要だろう。これまた想像力を発揮して楽しめる名称ではある。
また、これも明治に、自由党の党首だった板垣退助が刺客に襲われた岐阜事件。別名、板垣退助遭難事件ともいうが、これをオッペケぺーで有名だった川上音二郎が『板垣君遭難実記』という題で上演している。
ただそれだけのことで別に面白くもない。面白くもないが、筆者はその題を見て、
(君づけかよ……)
と思ったものだ。
「東条英機って、どんな顔?」ときかれたこともある。
「資料集に載ってるよ。丸メガネで、坊主頭で、口ひげを生やしていて……」と言うと、きいた子が、社会科の資料集をひらいて「この人?」と示したのが、美濃部達吉だった。
まったく違う。でも、たしかに……先に挙げた条件とすべて一致していた。
2018.11.8
第三百二十四回 なんで今ごろハロウィンなのか
ハロウィンが過ぎ去った翌週のアップで、タイミングは逃している。が、事後の情報は得られていて、例の渋谷のバカ騒ぎだが、なんでも混雑に乗したスリや痴漢の事件が多発して数百人が被害に遭ったとか。
渋谷がハロウィンで盛りあがるようになったのは、いつ頃からなのだろう。ほんのここ数年のことではないかという気がするのだが。
二年前のハロウィンの時期、同僚と新宿で飲む約束があって山手線に乗っていると、渋谷で角を生やした女子高生たちが乗り込んできた。
仮装は仮装でいいのだが、彼女たちがその格好で「電車に乗っている」のが甚だしく似合わなかったのを覚えている。
一種、人外の格好をするのだから、電車という日常の通勤手段を利用してることに違和感があったのだ。顔にペイントしてJリーグの応援に行く場合と同じで、移動中は格好がつかない。
たとえるなら、スパイダーマンやバットマンが電車に乗っているようなものである。彼らは、粘着度の高いクモ糸で超高層ビル街を跳び渡ったり、バットモービルを駆るなどしてこそヒーローなのだ。スーパーマンがあの格好で電車に乗っていたら、完全に変態あつかいされるだろう。
仮装は、徒歩で移動できる範囲でやるのがいい。徒歩での移動といえば、つまり自宅の近所ということになる。もっと言うなら、ハロウィンの場合、西洋の街でなければ似合わないようにも感じる。
だいたい緯度の低い日本の都市部では、この時期になってもまだ暑い日が多い。今年などはとくにそうだが、11月の現在になっても、筆者などは自宅では半袖のTシャツで過ごしている。
もっともこれは住環境のせいで、マンションの最上階にいるため、(冬はいいのだが)直射日光の熱が部屋にこもって暑いぐらいなのである。今年は、この時期になっても蚊が入ってくるぐらい気温が高い。
話はそれたが、ハロウィンは子どもが大人をおどしてお菓子をもらう行事、というぐらいしか筆者は知らない。お菓子をくれないと悪戯するぞ、と言うらしい。
一方、日本では、ご先祖さまを迎えるお盆にしても敬虔だし、なまはげにいたっては完全に大人が主体である。
さて、ハロウィンが終われば、今度はクリスマス。街角には、早くもクリスマスの飾りやツリーが目につき始めるが、もうちょっと待って欲しい。これじゃ一年の6分の1もクリスマスツリーを飾っていることになる。
せめて12月に入ってからにしてくれないと気分が出ない。ケーキの予約を受けつけるとか書いうチラシもあるが、今ごろから予約する人がいるのだろうか。
と、ここまで書いたが、毎回意味のないことを書いている当ブログの中でも、今回はいつにも増して、とりわけ特別ことさら本当にまったく無意味な内容の回であったように思われる。
2018.11.1
第三百二十三回 全日本の中途半端な観戦記
今回、第50回全日本の観戦記を書こうと思っていたのだが、急遽変更するべきなのか、この時点でもまだ迷っている。たとえば、大胆なルール改正にしても、新しく追加された「注意」の内容についても、気づいた点が(いいところも悪いところも)幾つかあるのだが、それを自分なんかが言える立場ではないからだ。そもそも4年ぶりに全日本を観戦した筆者が思いつくようなことは、極真の世界に深く関わっている人なら、とっくに気づいているはずである。
先日、極真の名前がつく他団体の全日本が放送されているのを見たが、新ルールに馴染んでみると、相も変わらずガマンくらべのどつき合いをしているなあ、という印象がないでもなかったから、やはりルール改正は松井館長のご英断と言うしかない。
今書いた他団体の印象も、悪口ではなくて正直な感想なのだが、一方、その泥臭さも含めて、昔ながらの極真らしさや熱血を感じる部分もあった。
けれども、格闘技の興業としては会場の客席が埋まらないと困るし、一般に向けた試合の面白さという点で、新ルールのほうが洗練されていることはまちがいない。
しかし(逆接の連続)、あの「場外」を細かく取るのはどうだろう。今大会でやたらと目立ち、「注意」ばかりの印象を受けてしまう原因だったのだが、あれほど試合が中断されると、かえって観客は白けてしまうのではないか。
まだ選手の皆さんが馴染んでいないせいかもしれないが、組手に夢中になっていると場外へ出ることも珍しくないように思えるのだ。いや、そこまで気をつけるのが選手たるべきものだ、という意見もまたもっともではあるが。
また、試合とは関係ないが、総本部HPの全日本プロモーションVTRが乏しすぎる。観客は選手を観に会場へ足を運ぶのである。優勝候補に挙げられている選手の紹介ぐらいは充実させたほうがいい。……と、以上の内容ぐらいは、一人の観客の自由な感想として書いてもいい範囲内だろう(これ以上は自粛します)。
観戦記が中途半端なのは、現在の筆者が中途半端だからだ。
ろくすっぽ稽古に出ていない。やるなら週5で取り組む、あるいは土曜日なら一日4コマ出る。やらないなら、いっそのこと休会なり退会なりする。そう割り切ったほうが潔いのだが、自分は宙ぶらりんなままの状態でいる。それで会場の内外で顔を合わせた人にも、どう接していいかわからずに気を遣わせているようだ。
本当なら顔を出すべきではないのだが、今回は大谷先生のラストファイトを応援するために仕事を休んだ。といっても、責任上、どうしても土曜日は休めなかったので、筆者が会場に行ったのは、28日の日曜日だけである。これも中途半端だと言われるだろう。
試合に出るとなると、生活がすべて試合を中心に回ることになる。ましてや全日本レベルの大会に年齢制限の限界まで出場をつづけるというのは、計り知れない重圧と、それに耐えうる尋常でない精神力が必要とされるはずだ。
それができたのは、極真史上、大谷先生ただ一人なのだから、大変な偉業である。
大谷先生、長年の選手生活、お疲れさまでした。
2018.10.25
第三百二十二回 ルパン三世
二世の次は三世ということで、『ルパン三世』の話。あまりにも有名なシリーズだが、筆者らが見ていたのは、ルパンが赤いジャケットを着ていた第二期のアニメ版である。当時、原作も一冊だけ買って読んだが、あれはアダルト向けで(青年誌『漫画アクション』に連載されていた)、子どもだった筆者には、鬼才モンキー・パンチ先生の味わい深い絵柄もストーリーも馴染みにくく感じた。
アニメでも初期のシリーズはハードボイルドタッチで、かなりの名作ぞろいであるらしい。ただ、やはり子ども向けとしてはハードだったのか、筆者も小学3年ごろに何度目かの再放送で見ていたのだが、あまりピンとこなかった。
これはルパンにかぎらず、『カムイ外伝』や『サスケ』といった白土三平の忍者ものにしても、低学年や中学年の小学生にとっては相当にエグくて、痛みを伴うような描写が多々あり、お気軽に楽しむには敷居が高かったことを覚えている。のちにオタクアニメが主流になってしまうことを思えば、今こそ見てみたい作品群だが。
視聴率も最初のうちは振わなかったそうだ。これも筆者の友人から聞いた話なので出典は不明だが、ルパン役を担当した声優の山田康雄氏は「(時代が)早かったんでしょうね」と言っていたとか。
映画版でもそれは言えるかもしれない。劇場版第一作の『ルパンVS複製人間』は、大人になってから見ると、カフスボタンや拳銃やカクテルなどの緻密な描写や、「実際クラシックだよ」というセリフなど、ハードボイルドタッチの良さが理解できるのだが、子どもの頃は、最後に出てくるマモーの巨大な脳ミソをはじめ、グロテスクに感じる描写が多かったのだ。
「一度おぬしの帽子を斬ってみたかった」と言って、次元と五右衛門がいがみ合う場面も、第二期のコミカルでおちゃらけたルパンしか知らなかったせいか違和感があった。
でも、考えてみれば、もともとの原作からして、彼らは仲よしグループなどではない。不二子の裏切りはテレビでも毎度のことだったが、ルパンや五右衛門も、互いの力量を認め合いこそすれ、馴れ合いの関係ではなかった(それがいいのだ)。
これが劇場版第二作の『カリオストロの城』になると、間口を大きく広げて一般向けになる。筆者もこの作品が好きで何度も見た。
三作目の『バビロンの黄金伝説』は、レンタルしたにもかかわらず、途中で見るのを辞めたほどで、内容はまったく覚えていない。『VSコナン』になった近年の作品は、最初から見る気も起こらない。ルパンフリークの友人は、山田康雄氏が亡くなってから、ルパン作品を見なくなっている。たしかに、山田康雄は演技だったが、続投の声優さんは彼の物真似になっているかもしれない。でも、あれだけ個性的な演技が知れ渡り、それが定着したキャラクターの後任としては、できるだけイメージを壊さない方向を選んだのだろう。『トワイライト・ジェミニの秘密』はよかったと思う。
ところで、『ルパン』も音楽がすばらしい。角川映画の『犬神家の一族』を担当した大野雄二の作曲である。メロディもいいが、歌詞もいい。拳銃の「ワルサーP38」など、男児というのは、そういった名称の「具体性」に惹かれるのである。
2018.10.11
第三百二十一回 バビル二世
昭和のアニメに『バビル二世』という作品がある。横山光輝先生による原作の漫画もあることだろう。が、ここでいうのは昔のアニメ版『バビル二世』のことである。筆者が見ていたのは幼稚園や小学校の低学年の頃で、その当時でも再放送だったのだから大昔の作品ということになる。
現在なら、まずたいていの建物は「コンピューター」に守られているだろう。と書けば、若い読者にはチンプンカンプンであることを承知しつつ、ご存じのこととして進める。
かくいう筆者も、ストーリーはよく覚えていない。幼かったせいかもしれないが、小難しい展開はどうでもよく、もっと単純に、バビル二世のアクションや三つのしもべの活躍が目当てだったからだ。男児の視聴者など、そういうものだと思う。
バビル二世というのは、超能力を駆使する少年で、学生服の詰め襟のホックまできちんと止めた真面目な風貌で登場する。
後年になると、筆者はどうも横山光輝先生の絵柄が好きではなくなるのだが、主人公のバビル二世は黒目勝ちで愛らしく、また活躍が格好良かったことを覚えている。
まず、昭和のアニメは音楽がすばらしかった。『バビル二世』のオープニングもエンディングも(ユーチューブで視聴してもらえばわかるが)、この音楽があるだけでも作品として成功しているといえる。
エンディングで、敵のヨミが差し向けてくる不気味な兵士たち(白目でベレー帽をかぶっている)にマシンガンで撃たれ、体に弾痕がうがたれていくシーンでは、ゾッとしたものだ。バビル二世が死ぬと思った。また地面が盛りあがって、地中から現れた兵士たちに両側から肩をつかまれるのも怖かった。だが、バビル二世は電撃で彼らを弾きとばし、月夜のビル街を何事もなかったように去っていく。
だが、この作品の魅力は、なんといっても「三つのしもべ」だろう。
黒豹のロデム、怪鳥のロプロス、巨大ロボットのポセイドン(西郷どんではない)が、陸と空と海から、バビル二世の活動をサポートし、ピンチを救うのだ。
ロデムは、『サイボーグ009』でいえば、007のように変幻自在で、戦闘モードのときは黒豹になっているが、癒しのためか女性の姿になってバビル二世のそばについていることもある。OPでは、敵側の猛犬たちをあっという間に倒していく。
ロプロスは、太古の翼竜に似た巨大な怪鳥で、バビル二世を背中に乗せて空中を移動する。また『ガメラ』の最強の敵怪獣だったギャオスの超音波メスのように、口から光線を発射してヨミ側の軍事施設を破壊する。OPの映像では悪役にしか見えない顔をしている。
そして当時、子どもたちに一番人気だったポセイドン。やはり巨大ロボは人気なのだ。
余談だが、筆者の高校時代、心ない連中に「ポセイドン」とあだ名されている女子生徒がいた。というのは体格と髪型が似ていたのである。つまりガタイがよかった。髪型は、さすがにあのまんまではないが、上にハネ気味だった。
ひどいことを言うものだと思う。が、もし彼女がやせていたら、あだ名は『エスパー魔美』だったかもしれない。
2018.10.4
第三百二十回 Rの「?」に答える
なんのこっちゃ、と思われそうなサブタイトルだが、これも前回と同様の子ども質問ネタで、アールという子の話である。イニシャルが「R」。小学5年の女子で、「ちびまる子ちゃん」のような素朴な顔をした面白い子だった。ある日の授業後、アールは「先輩、質問があるんだけど」と言ってきた。「先生」ではなく、この子は、なぜか筆者を「先輩」と呼んでいたのだ。
「先輩は、男でよかったと思う?」
というのが、その内容。家庭学習や授業でわからないところを質問された試しがない。
「まあ、そうかな」と筆者がテキトーに答えた瞬間、アールは待っていたかのように、
「最低! ダメだね。あなたは、女の気持ちが全然わかってないね」
と言って、去っていった。
今のは何だったんだよ! と筆者は思った。
おそらくアールは、その一言が言いたかったのだと思う。最初からシナリオがあって「女の気持ちが……」を口にしたいがために、筆者に「質問」を振ってきたのではないだろうか。
また、ある日の授業中、アールはトイレに行った。戻ってきたら、やけに深刻そうな、思いつめた顔をしている。そして言ったのだ。
「ああ、どうしよう。私、将来、子供を産んだら、おしりの穴が大きくなっちゃう!」
筆者は不覚にも絶句し、返す言葉を思いつかなかった。アール、いったいトイレの中で何を考えてたんだ。変な悩みをここで打ち明けないでくれ。
本人はいたって大まじめな顔をしているが、まさか出産とトイレを同じように考えてるんじゃないだろうな。塾のカリキュラムで受精や出産など人体のしくみを学習するのが5年生の終わり頃だったので、この時点ではアールもまだ知らなかったのだ。
が、中には「物知り」な子もいて、
「ちょっと、あなた、もうひとつ別の穴があるでしょ」
と言ったので(みんなきょとんとしていた)筆者はますます返す言葉が見つからなかった。
天真爛漫で天然気味のアールちゃんだったが、この子はなんと「女子御三家」と呼ばれる私立最高峰のひとつに合格した。偏差値的には難しく、玉砕覚悟の受験だったが、ずっと第一志望校だったので、あきらめきれなかったのだろう。まさかのホームラン合格である。御三家の中でも自由奔放な校風で知られる学校だったので、アールには合っていると言えた。
で、三月の「合格を祝う会」のこと。アールは同じクラスの女子(早稲田実業の女子部に合格)と向かい合って座り、なぜか一瞬だけ相手の股間に手を伸ばした。子どものやることだから理由も脈絡もない。相手の女子は「エロいぞ」と言って、同じようにアールの股間に一瞬、手を伸ばした。アールも「エロいぞ」と言ってまたやり返す。それを延々と続けている。
(こいつらが、この春から御三家と早実に通うなんて信じられないな)
と筆者は思ったものだ。
これは10年以上も前の話で、アールも今では20代の半ばである。結婚をして、もしかしたら子どもを産んでいるかもしれない。おしりの穴が大きくなったかどうかはともかく……。
2018.9.27
第三百十九回 小学生の「?」に答える
本家ブログでの江口師範の少年部ネタに刺激されて、筆者も似たような話題を。ただし、あらかじめ申し上げておくと、軽度の下ネタもあるので、そういうものを不快に思われる方はお読みにならないほうがよいでしょう。というのは、たまに大人を困らせようと思って、わざと変な質問をしてくる子どもがいるからである。小学部でも耳年増な輩がいて、
「先生、処女って何ですか」
などとニヤニヤしながら訊いてくる。これは6年生あたりで、上位クラスの男子に多い。
筆者としては、こういう言葉の勝負を仕掛けてくる奴を面白いと思うし、おーし受けて立とうじゃないか、という気になる。で、答えた。
「初めて、ってことだよ。小説家の初めての著作を処女作って言うし、タイタニックは処女航海で沈んだって言うだろ」
「あっ、そうか」
彼は簡単に納得していた。そこは子どもである。掌の上なのである。
大事なのは、質問者の期待に応えて動揺しないことだ。とは言っても、
「オナニーって何ですか」
と訊かれたときは、さすがにドキッとした(伏せ字を用いずに書かせていただきました。道場ブログにふさわしくない内容であることは重々承知いたしております)。
なぜ、あえて露骨に表記したかというと、そのほうがこの質問を受けたときの衝撃度がダイレクトに伝わるのではないかと思ったからである。
質問者は、やはり6年生の男子。S君。星新一ふうに「エス君」と表そう。
まず思ったのは、エスがわざと筆者を困らせようと思って質問しているのか、それとも純粋に言葉の意味がわからなくて尋ねているのか、どっちなのかということだ。
エス君は真顔だった。彼の日ごろの言動からみて、どっちにも考えられる。授業後のことだったが、筆者もさすがに返答に詰まった。
「その言葉はどこで知ったの?」
「重松清の『ナイフ』っていう本を読んでいたら出てきました」
これは10年以上も前の話で、当時重松清の作品が入試問題でよく使われていたのだ。
「先生に訊く前に辞書で調べればいいじゃん」
「調べたけど、載ってなかったんです」
うーん。そうかもしれない。
筆者は重松清を恨みながら、少し迷った末に「本当のこと」を教えた。エス君は一度「ひゃっ」と短く笑い、次の瞬間、深刻な表情になった。本当に知らなかったらしい……。
それとほぼ同じ頃だったと思うが、今度は同じ6年生の上品でおしとやかな女子生徒から、
「先生、読書感想文に、重松清の『ナイフ』を読もうと思うのですが、どう思いますか」
と訊かれた。
(そ、それは、ちょっと……)
また同じ質問をされたら、今度こそどう答えていいかわからないではないか。
2018.9.20
第三百十八回 インスタントラーメンあれこれ
行列ができる店などではなくて、インスタントラーメンの王道といえばどれだろう。我ながら、いささかわびしい話題にはちがいないと感じるが、インスタント麺ならわざわざ外食に出かける面倒もいらないし、まして行列に並ぶというような苦行に耐える必要もない(筆者はメシを食うために行列に並んだ経験が一度もない)。前にも書いたが、「行列ができる」という言葉が宣伝文句になるのが不思議である。
とにかく袋入りのやつでは、チキンラーメン(日清)、ワンタン麺(エースコック)、サッポロ一番(サンヨー食品)、あたりが筆者のベスト3に並ぶ。ほかのロングセラーであるチャルメラ(明星)と出前一丁(日清)は、あまり記憶にない。
サッポロ一番は、昔はもっと麺が太かったように思えるのだが、気のせいだろうか。美味しいのだが、粉末スープに刻みネギはいらない。まちがいなく中国産だろうし。
エースコックのワンタン麺は、塩味のスープが格別に美味なうえ、ワンタンも麺についていてお得感がある。パッケージのデザインは昔ながらで懐かしいが、時代に合わなくて損をしているような気もする(なんせコック姿の豚である)。でも変わったら淋しく感じるだろう。この商品はあまり置いている店がなくて、欲しくても手に入らないのが残念だ。
チキンラーメンは、なんといっても即席麺の元祖だし、スープが別についているのではなく、お湯をかけるだけでできあがるというのが、いかにもインスタント食品らしくシンプルで便利だ。袋が二つ以上ついていて混ぜ合わせる商品もあるが、いらぬ工夫である。
筆者の友人でカヌーを趣味にしている男がいるのだが、彼は北海道などに出かけて、たった一人で、それも一週間以上かけて川の源流から海までカヌーでくだっていくということをする物好きである。で、可能な限りカヌーに食料を積んでいくのだが、そのときに選ぶインスタントラーメンが、チキンラーメンなのだという。
「なぜだと思う?」と訊かれた。彼が影響を受けたカヌーイストの野田知佑がチキンラーメンのCMに出ていたからではない。筆者はわかった。なぜなら、齧った経験があったから。
答は、「数ある即席麺の中で、チキンラーメンだけが、お湯なしでも食うことができるから」だった。川下りと野宿という野外生活では、火を起こせないことがあるかもしれないのだ。
それはさておき、話を元に戻すと、筆者は日清食品のファンである。チキンラーメン、カップヌードル、UFO,どん兵衛、そして麺の食感が究極と言っていい「ラ王」など、革命的な商品を次々に出してきた開発型企業だからだ。上記の商品はすべて美味しいが、とくに筆者はカップヌードルがすごいと思う。世界初のカップ麺を日本が発明したというだけで特筆すべきだが、麺もスープも文句なしだ。中国産の具は入れて欲しくないけど。
小学生の頃は親にインスタント食品を禁止されており、一年に一度、元日の昼食にだけカップヌードルを食べさせてもらえるのが嬉しかった。ほかにもカップスターやカップリーナというのがあって興味を刺激された。
これらのほかにも、最近は種々多様な美味しいインスタント麺が市場に出ている。しかも廉価で、スーパーなどでは100円以下で売られている大きなサイズのカップ麺も見かける。それはいいとしても、こんな話題を選ぶなんて、このブログもそろそろネタ切れだろうか。
2018.9.13
第三百十七回 サメはなぜいじられる?!
ハリウッド映画でサメは人気だ。双頭になったり竜巻から飛び出したりタコと合体したり、さまざまなパターンでいじられている。先週から公開されている『MEG ザ・モンスター』は、太古の巨大鮫メガロドンが南シナ海に出現するという設定で、主演がジェイソン・ステイサムということもあり、久々にB級あつかいではない動物パニック映画ではないだろうかという気がした。
で、見に行った。映画を見ること自体が久しぶりだった。仕事柄これから超多忙の時期に入るし、今のうちに見ておこうと考えた。
本当は『カメラを止めるな』という映画を人から勧められていたのだが、『カメラ~』が見に行ける時間と合わなかったのだ。『カメラ~』は、もう行けないかもしれない。
同じ劇場内で、3Dのやつと普通の上映とに分かれており、筆者は普通に見るほうが良かったのだが、上映時間の都合で3Dを選ぶしかなかった。3Dだけでなく、MX4Dとかいう特殊効果がつくとかで特別料金が必要となり、大人が1800円のところ、3D用のメガネも含めて3200円かかった。でも、筆者は3Dで見ることすら人生で初めてなので、ものは試しである。
そのMX4Dがどういうものかというと、たとえばサメが体当たりして船が揺れるシーンでは座席が揺れる、水しぶきがかかるシーンではどこからか水滴が吹き付けられる、閃光が走るシーンでは場内のフラッシュライトがまたたくという、一種のアトラクションのような仕掛けで臨場感をあおるというものだった。
筆者などはこういうものをうるさく感じる性分だが、ほかの人たちはどうなのだろう。座席が揺れるのはいいとしても、水滴を吹き付けられるのは、むしろ迷惑だった。3Dグラスにもついたが、拭き取るまもなく消えたので、揮発性の成分だったのかもしれない。
こういう仕掛けは、文芸でいえば活字を極端に大きくしたり部分的にフォントを変えたりするようなもので、奇をてらった試みにすぎない。珍しくはあるが料金がかかりすぎるし、すぐに飽きられるのではないだろうか。少なくとも筆者は一回の経験で十分だった。正攻法で楽しませるべきだと思うのだ。
映画のほうは、大人にとっては先が読める展開も多く、ヘリが飛ぶシーンではあきらかに模型だと気づいたり(波の大きさとの対比など)、なぜか突っ込みモードで見ていて、せっかくメガロドンを出すというオイシイ設定なのだから、もっとダイナミックに暴れさせて迫力を出せるはずだろう、と勝手な期待をするという損な鑑賞をしてしまった。
知らない人のために言うと、メガロドン(西郷どんではない)というのはホオジロザメの3倍ほどもある(映画だと30メートル弱)サメで、新生代の海で食物連鎖の頂点に立っていた存在なのだ。いわばモササウルスなみの怪物なのだから、存在だけで迫力満点、活かさない手はないのである。
主演のジェイソン・ステイサムは良かったし、ところどころでいい構図もあったが、ポスター負けしているようでもあった。
筆者は動物パニック映画の大ファンだが、そもそも『ジョーズ』や『グリズリー』からして、本編よりポスターのほうが、想像力をあおるという意味で迫力があったように思えるのだ。
2018.9.7
第三百十六回 賞状がない!
前回の話からつながるが、ずっと苦手だった読書感想文が書けるようになったのは、開き直りがきっかけである。西宮の中学校で「音楽感想文」といって、夏休みにクラシック音楽を聴いて感想文を提出するという風変わりな宿題があったのだが、当時の筆者はクラシック音楽にまったくといっていいほど興味がなかった。
「とにかく提出すればいいや」と開き直って、映画音楽で好き勝手な感想文を書いたところ、それが入選したのである。
もっとも、これは特別なことではないらしい。筆者だけでなく、周囲で何人も入選者がいたので、賞状は乱発されていたのだろう(小さなサイズの賞状だった)。
今から思うと、こういう時はたとえ四苦八苦しても逃げずに正面から受け止め、クラシック音楽に挑戦するべきだった。そうすれば新しい世界が開けたかもしれないのである。空手の稽古と同じで、無茶だと思うことでもやってみることで成長するのだから。
ただ、それなりに「質はともかく、提出すればいい」とは思った。クラシック音楽の感想文を出すという決まりだったのに、映画音楽で書いても入選したのだから、ようするに何でもいいから書けば宿題をやったことになる。それを高校生になって思い出したのだ。
安部公房の『砂の女』にしても、筆者が書いたのは、とても「読書感想文」と呼べるものではないだろう。いちおうストーリーをふまえてはいるが、それを元に書いた自分勝手な随筆のようなものだったと思う。
賞状といえば、筆者はほとんど持っていない。子ども時代からろくに褒められた経験がないので、賞状はありがたいはずなのに、扱いもずさんだった。それで親にひどく叱られたことがあったが、大人になってもなかなかその癖が治らなかった。
子どものころで記憶にあるのは、習い事だったお習字のやつぐらいで、青いプラスチックの筒に入れて保管してあったが、実家に帰ったときに探しても見つからなかった。
『砂の女』でもらった高校時代の読書感想文も、どこかへいってしまった。たしか某大手出版社の名前が入っていたことは覚えているが、手元にないので正確な名称はわからずじまいなのだ。ちなみに絵や音楽関係では一度ももらったことがない。
過去に勤めていた塾で、その地区ブロックの先生たちによる解答能力コンテストというのがあった。つまりは科目別に講師が問題を解いて、どれだけ正解できるかを競うコンテストなのだが、そのときたまたま筆者が一位になって賞状をもらった。
でも、あろうことか、筆者はこの賞状を破り捨てた。理由は、このときの責任者と仲が悪くて、賞状を渡されたときの物言いが気に入らなかったからである(我ながら尖っていた)。
というようなことを書くと、これを読んで不快になる人もいるかもしれない。たしかに、今から思えば罰当たりな所業であり、大人げないことをしたものだと思う。
特定の名前が記された賞状には、評価してくれた側の気持ちがこもっている。わざわざ自分のために作ってくれたものであり、それがもうこの世に存在しないというのは、やはり淋しい(あ、空手関係のものは大切に保管してあります。手元に現存するのはそれぐらい)。
2018.8.31
第三百十五回 読書感想文始末記
前回からつづく。読書感想文は夏休みの宿題だから、3月に言われてもとっくに忘れていたし、第一、自分はコンクールに応募した覚えなどなかった。で、それを先生に言った。「僕、応募した覚えがないんですけど」
「わしが出したんや。各クラスから誰か一人を選んでコンクールに出すことになっていて、うちのクラスからは、あんたを選んだ」
で、それが通ったのだという。
「じゃあ、先生が賞状を取りにいってください。先生が出したのだから、先生がもらえばいいと思います」
なんて生意気な生徒だろう。いったい何に反抗していたのか、自分でもよくわからない。人前に出て目立ちたくなかったし、何よりも無断で勝手に応募されたのが気に入らなかったことを覚えている。もちろん筆者がこのとき言ったことなど一笑に付された。
「賞状を取りに行きたくないので、明日は朝礼を休みます。朝礼が終わってから登校します」
「そんなこと、許さんで」
担任はひどく怒っていた。みんなの前で表彰されるのに何が不服なんだと思ったのだろう。
筆者も家に帰ってから冷静になって、おとなしく表彰されようと思い直していたのだが、そんな翌朝にかぎって、母も妹も家をあけていて、寝過ごしてしまったのである。
時計を見ると、ちょうど朝礼が終わるぐらいの時刻だった!
職員室に電話をかけると、担任の先生が出た。「具合が悪かったのですが、良くなってきたので今から行きます」と我ながら白々しい嘘をつくと、「来なくてよろしい。受験の大事なときに風邪なんかうつされたら困る!」と言って切られた。
翌日、学校へ行くと、みんなが筆者の顔を見て笑っている。聞けば前日、朝礼台で教頭先生が「今から名前を呼ぶ生徒は、前に出てくるように」と言って筆者の名前を呼んだところ、いつまでたっても、何度呼んでも出てこないので、ついに、「○○○、早く出て来んかあ!」とキレてしまったのだとか(賞状をもらうのに、なんで怒られなきゃいけないのだ)。
その直後、教頭は筆者が欠席していることを聞いて「えっ、休み?」と聞き返し、その言い方がおかしかったらしく、全校生徒から爆笑の声があがったのだという。そんな中、なんと担任の先生が代理で取りに行ったらしいのである。つまり、前日の放課後に筆者が言った「先生が出したのなら、先生が……」という言葉が、そのまんま現実になってしまったのだ。
担任は絶対に筆者がわざと休んだと思っただろう。ムカムカして職員室に戻ったところに電話が鳴り、受話器を取ると筆者が嘘丸わかりの言い訳を述べている。ここでも「朝礼が終わってから行きます」という前日の言葉を思い出したことだろう。
そんなわけで筆者が欠席したこの日の授業だが、友人が机の中にカセットレコーダーを忍ばせて録音しており、筆者もそれをダビングさせてもらった。担任は国語科の名物教師だったので、友人は卒業をひかえたこの時期、記念に残しておこうと考えたのである。
おかげで当日不在だった筆者も「あの男は賞状を取りに行きたくなくて、わざと休んだんや。みえみえやないか」と授業中に自分がけなされているのを、今でも聞くことができる。
2018.8.23
第三百十四回 夏休みの宿題
子どもたちにとっては夏休みも大詰め、放置していた宿題もそろそろ気になり始めている頃ではないだろうか。夏休みの宿題といえば、4教科のワークブックと自由研究、そして読書感想文あたりが定番だろう。中でも読書感想文は、せっかくの浮かれ気分に水を差す憎むべき憂鬱の象徴だった。この宿題は今でも健在らしい。
小学生ぐらいでは、書けなくて当たり前だと思う。たまに読書感想文を書くのが好きだという子がいるが、正直言って気が知れない。
筆者は高校に入学する直前の春休みに、読書感想文を原稿用紙で7枚書いてくるという宿題を学校から出され、四苦八苦した記憶がある。書くことがないと思いながら、どうやって7枚分のマス目を埋めたのかは覚えていない。
本を読むのは好きだった。だが、感想を求められても困るのだ。何かを感じてはいるのだが、インプットの時間が終わったからといって、すぐにそれを言葉に変換してアウトプットできるものではなかった。
よく「大人の気に入るような書き方を考えてその通りに書いた」という人もいるが、不器用な筆者は大人の気に入るような書き方がわからなかったので、それもできなかった。
高校一年のときには、当時高校生のあいだで大人気だった赤川次郎のミステリで感想文を書いて提出した。面白かった、とか、その程度の内容だ。
ところが、高校三年生の時には書けるようになっていた。他人の分まで書いてやったぐらいだ。
もちろん、無料では引き受けない。金はもらう。一人頭1000円。
必殺シリーズではないが、これは「仕事の重さを背負うため」であり、れっきとした原稿料なのである。小遣いはたくさんもらっているが宿題はやりたくないという級友がいて、彼の分も書いた。こっちも時間を割いて面倒なことを引き受けるのだから、誰がタダで書いてやるものか。
級友の宿題をどんな作品で書いたのかは覚えていないが、筆者は自分の感想文を安部公房の『砂の女』で書いて提出した。
ところが、この感想文がコンクールで入賞したのである。筆者はそれを3月の卒業間近に知らされた。夏休みの宿題だったので、半年ほどもあいている。
担任の先生が、放課後、教室に残っていた筆者に言ったのだ。「あんたの読書感想文が入選したから、明日の朝礼で表彰される。賞状を取りに行きなさい」と。
この頃の筆者は、けっこう尖っていた。ここで担任の先生と、賞状を取りに行け行かないの言い合いになり、筆者は「明日は朝礼を休みます」と捨て台詞を吐いて帰ったのだ。 そうは言ったものの、やはり取りに行こうと考え直していたのだが、翌日、本当に寝過ごしてしまった。その日は学校を休み、次の日に登校すると、廊下ですれ違う知り合いたちが筆者を見てクスクス笑っている。どうやら昨日なにかあったらしい。
訊いてみると、朝礼で教頭先生がキレたというのである(つづく)。
2018.8.16
第三百十三回 高校野球100年
それにしても、100年とはすさまじい。戦争中は大会を開く余裕などなかったはずだから、あいだがあいていたとしても、近代から現代への歴史とともに歩んできたと言っていい。なにがって、高校野球の話である。オリンピックにしろワールドカップにしろ、世間がスポーツの話題で盛りあがっていると、必ず我関せずという姿勢を強調する人が出てくるし、文化人による高校野球批判も飽きるほど耳にした。と、かくいう筆者も日ごろはテレビを見る習慣すらないのだが、だからこそたまには枝豆をつまみにビールを飲みながらのんびりと高校野球観戦をするのが夢だった。
で、8月12日にそれを実行した。叶いやすい夢で幸いである。
もちろんテレビで見たのだが、小学生の頃に一度だけ、母に連れられて実際に甲子園球場まで観戦に行ったことがある。
兵庫県の西宮に住んでいたからだ。開幕の日に、開会式であげられた風船が風に乗って、マンションのベランダから見えたことを覚えている。自宅の最寄り駅は阪急だったが、阪神電車を利用すれば「西宮」駅から「甲子園」までは、たった三駅なのだから、国分寺に当てはめれば立川に出るぐらいの感覚なのである。
そのときは、箕島高校の応援に行った。筆者は和歌山の出身だからだが、対戦校は秋田県代表の強豪・能代高校だった。
筆者と母と妹で行って、妹だけが能代高校の応援をしていた。それは、当時、妹の仲のいい友達に「熊代さん」という子がいて、なんとなく漢字が似ているという理由からであった。
箕島高校といえば、これも筆者が小学生の頃だが、忘れられない記憶がある。
お盆で祖母の家に泊っていたときのことだ。叔父に連れられて海釣りに行く途中、車の中で、カーラジオから箕島と星稜の試合が流れていた。
「箕島、勝つかなあ」などと言っていたが、海に着いてからは釣りに夢中になり、さんざん楽しんでから帰途についたのだが、その帰りの車の中でラジオが依然として箕島VS 星稜戦を伝えていたのである。「まだやってる」と驚いたものだ。
祖母の家に戻ってからもつづいており、晩ごはんを食べながら最後まで見たのだった。これが高校野球史上最高と言われている延長18回(通常の倍だ)の名勝負である。
それで星稜高校の名前が記憶に残っており、今回応援しながら見たのだが、あれから数十年たつのにいまだに出場を続けているとは、これこそ伝統というものだろう。
一方の箕島高校は影を潜め、今は智辯和歌山に常連校の座を明け渡している。その智辯和歌山も今年は一回戦敗退しているのだから、いかに甲子園が厳しい世界かわかる。
さて、星稜と済美の試合は、これまたとんでもない名勝負となった。序盤から優勢に進めていた星稜だったが、途中ピッチャーにケガが生じ、8回裏に済美高校が8点を入れて、7対1から7対9に逆転。そこから9回に星稜が2点を取り返し、同点に。
延長13回で 星稜が2点を取ると、後攻の済美がなんと逆転サヨナラ満塁ホームランで4点を取り、逆転勝利。こんな試合、プロ野球では見られないだろう。いやもう、点が入るのなんの。これぞ高校野球というドラマチックで見応え抜群の展開だった。
2018.8.3
第三百十二回 自転車で遠乗りの夏
数えてみると、もう5年も海に入っていない。カブトムシも捕りに行っていない(当たり前)。蚊帳とか浴衣とか花火といったニッポンの夏らしいこととは無縁だし、ラジオ体操にも通っていない(当たり前)。
夏を感じるのは、せいぜい猛暑、高校野球、そして前回書いたビールぐらいか。
さて、毎年夏になるとこんな文句を言っている筆者だが、まさかそれを真に受ける人はいないだろう。海に行きたいなら行くし、花火を見たければ見る。ほんとに本気なら、人は実行するものだ。
筆者は混雑が嫌いなのである。海や山へ出かけても、人が大勢いると興ざめしてしまう。ガラガラの自然の中で遊ぶことは、今の時代、最高の贅沢ではないだろうか。
思い出すのは、高校三年の夏に友達と二人でサイクリングをした時のことだ。住んでいる街から南へくだり、紀伊山地の山奥まで、遠路はるばる30キロの遠乗りである。
受験生の立場としては「いい度胸」だが、もともと熱心に勉強していた訳ではなく、よって気晴らしでもなく、そういう企画が当たり前に実行されてしまう呑気な土地柄でもあった。
筆者の自転車はごく普通の通学用で、速度の出るサイクリング用でもマウンテンバイクでもなく、変速のギアチェンジもなければ車輪も大きくない、いわゆるオバチャリだったから、長々とつづく山道などは苦戦したが、それでも夏の風は爽快で、果てしなくつづく海岸道路を思い切りすっ飛ばしていくのは心地よかった。
目的地は山奥の渓流である。『あらいぐまラスカル』の主題歌「ロックリバーへ遠乗りしよう」ではなく、日置川の上流への遠乗りだった。日帰りでの往復60キロだから、その日はほとんど自転車に乗っていたことになる。
驚いたのは水の冷たさだ。川に入ろうとゴム草履をぬぎ、大きな丸っこい石がゴロゴロ転がる川辺を歩くと、炎天下で直射日光にさらされた石は、熱を孕んでカンカンの鉄板焼き状態になっていた。石がよくこんなに熱くなるものだと思うほどで、素足が焼けそうだった。
が、水に入ると、今度は冷たすぎるのだ。
険しさで知られる紀伊山地の清流である。流れが速く、まるで氷水のように冷たい。真夏の炎天下で川の水がそこまで冷たいなんて、読者は信じられないかもしれないが、けっして誇張ではない。水深は膝のあたりまでだったが、痛いほど冷えてくる。
耐えきれずに川辺に出ると、また石ころが灼熱の塊なのだ。
ちなみにこの川遊びをした場所は、流れの両側が山で、筆者と友達のほかに人影はまったく見かけなかった。自然の中に二人だけ。
こんな田舎があるのだ。今でもそうなのだろうか。清流がガラガラの貸し切り状態。彼女と行くならもっといいだろう。
帰りはまた自転車に乗って、遠い道のりをひたすら飛ばしたのだが、市街に入ってから夕立が猛然と降ってきた。
土砂降りの中で、筆者は横から出てきた車に自転車ごとぶつかって転倒した。何ともなかったが、その運転手は後日、果物の缶詰を持って見舞いにきた。
2018.8.3
第三百十一回 ビール!
今年の夏は猛暑の話題で持ちきりだが、気温が高い分、果実は美味しくなるだろう。ということは梅酒やワインも美味しいものができる。いやいや、その前にビールだ。ビールは仕事の後がもっとも美味しく感じる。解放感も手伝うのか、一日働いた後に飲むのが最高にうまい。起きたてや運動をした後など、本当に喉が渇いているときは、体が純粋に水分を求めているのか、筆者などは冷たい水のほうが美味しいと思う。
だが、それにしてもビールの威力は大きい。暑い日はとくに、一口目のビールに勝る飲み物はないのではないか。
数年前の夏だが、筆者はある事情で、暑い室内に四時間ほどいなければならないことがあった。よそのお宅で話をうかがっていたのだが、クーラーが壊れていたのである。風もなく、ほとんど飲み物もとらず、汗がダラダラ流れて手ぬぐいがぐっしょり湿り、その汗が染みてシャツはすっかり色が変わってしまうほどだった。
そんなわけで、帰ったときはかなり消耗していた。が、その後で焼肉を食べに行って、生ビールの大を飲むと蘇ったのだ。霜つきの大ジョッキをあおり、キンキンに冷えた喉ごしの刺激が、なによりの薬になった。現金にもほんとにそれでシャキッと元気が出てきたのだから、ビールの力おそるべしである。
昔、最初のグラスを飲み干して「この一杯のために生きてるな」というギャグがあったが、同僚と飲んでいて「でも、それはホント」という人がいた。たしかに極端なことを言えば、人類最高の発明だと思える瞬間がある。
しかし、裏を返せば、その一杯以降は感動が半減していくということでもある。
ビールに限ったことではない。冬の朝に飲む熱いブラック・コーヒーだって、カップ一杯、もっと言うなら最初の何口かが最高で、コーヒーの熱とともに感動も冷めていく。
筆者は去年、低速回転のジューサーを買ったが、そのジューサーで作る野菜や果物のジュースも、朝の最初の一口は細胞が喜んでいるとさえ思えるほど美味なのだ。
同じことは日本酒にもいえる。冷酒も熱燗も、一口目の感動には及ばない。
それを意識したせいか、とにかく筆者は最近、酒量が減った。酒のために使う金、それ以上に時間がもったいないと感じ、どうせ最初の一杯におよばないのなら、その後でたくさん飲むこともないか、と思えてきたのだ。
酔っぱらいたちは、おそらく最初の一杯の感動を追い求めて延々と飲みつづけるのではないだろうか。でも、それはけっして叶わぬ夢なのである。それならば、適当なところで切りあげたほうが合理的だ。
そのかわり、いい酒を飲む。酒代を、量ではなく、質に使う。だらだらと飲みつづけるのではなく、もっとも美味しい最初の数杯の質を上げ、じっくりと味わう。
と、そうはいっても、理屈で割り切れないのが酒なのだが、翌日に影響するようではさすがに困る。ジョッキ一杯か二杯のビールでとどめておくのが、現在の筆者の理想の飲み方である。
「追記」前から何となく疑問だったのだが、なぜ缶ビールでも「生」と書いているのだろう。
2018.7.25
第三百十回 いつの日か
ここで書くのも恐れ多いが、筆者は一度、市村直樹先生に土下座されたことがある。しかも白昼の路上でだ。先に言っておくが、この土下座に理由はない。
筆者は道場へ自主トレにでも行くところだったのだろう。江口師範と美幸先生、そして市村先生の三名が向こうから歩いて来られることに気づいたのだが、「押忍」と挨拶する暇があったかどうか、市村先生の体がいきなり沈んだ。そして、そのまま土下座したのだ。
その間、いっさい無言。一言もない。そして無表情。
なぜそんなことを、と訊かれても困る。筆者だって真意が読めない。しいて言うなら、筆者を困らせるためのイタズラなのだが、たとえどんな理由があっても、支部長の先生が土下座しているのを前にして、一介の門下生が平然と立っているわけにいかない。
(こんなことしたくないよう)
と思いながら、筆者もその場で土下座した。国分寺北口のUFJ銀行がある交差点の駅側だ。二人して土下座していたので、ほかの通行人や師範ご夫妻の反応までは未確認である。
市村先生のエピソードについては、せっかくの面白い話であっても、とんでもなさすぎて書けないことも多い。いや、書けないことのほうが多い。むしろ書けないことだらけで、ここで紹介できるものはほんの一端、当たり障りのない無難なものばかりなのだ。
筆者にとって市村先生との一番の思い出は、いっしょに矢沢永吉のグッズを売っている店に行ったことである。どうしてそんな流れになったのかは思い出せないが、市村先生がこれからその店に行くところだったので、暇そうな筆者を誘ってくださったのだろう。
二人で電車に乗って矢沢ショップに行った。その店がどこにあるのかも覚えていないが、買った物は今でも持っている。 筆者は電車の中で、矢沢永吉の『いつの日か』のメロディーがものすごくいいという意味のことを話すと、市村先生は「(矢沢の曲は)全部いい」とおっしゃった。
「全部いい」。ぽつんと言われたその言葉が、なぜか心に残って今でも覚えている。
さて、格闘技番組SRSの極真全日本特集では、「ニヒルな殺し屋」と紹介されていた市村先生だが、メディアを通して受ける印象(あるいは試合での戦いぶり)とはちがって、ご本人はいつも茶目っ気やイタズラ心にあふれた方だった。
『ワールド空手』の表紙になるほどの先生だが、そばにいると常に笑いと驚きがあった。
そしてこれらの奇行は、周囲の者を楽しませるためのサービス精神によるものだったのではないかと、今になって思う。
たとえば、江口師範が四段の昇段審査を受けられるとき、筆者らは本部へ応援に行ったのだが、そのとき市村先生も三段を受審された。組手が終わって、市村先生がボードの前で不動立ちになって写真を撮られる際、その場にいた人々が妙な期待を抱いて市村先生に注目していたことを覚えている。なにかやってくれるだろう、という期待である。
シャッターが切られる瞬間、市村先生の髪全体が、カクンと動いた。不動立ちで無表情のまま、頭皮だけを動かしたのだ。注目していた全日本常連のある有名選手が吹き出して笑っていた。あれもやはりサービス精神の表れだったのだろう。
2018.7.19
第三百九回 ラストシーン
ドアを開けると、尻があった。国際空手道連盟極真会館城西下北沢支部支部長、(故)市村直樹先生の尻である。
筆者が南口の1Kマンションに住んでいたときのことだ。チャイムを鳴らしてドアが開くまでのあいだに、ズボンを下げてお尻を出され、こちらに向けられていたのである(と敬語を用いて書くのにこれほど不適切な「動作」があるだろうか)。
支部長の市村先生が、一介の道場生にすぎない筆者の自宅に、かくも気軽に訪問してくださるのは光栄なのだが、その訪問にはいつも何らかのイタズラが付随しているのである。考えてもみて欲しい。ドアを開けてお尻があると、誰だって「おおーッ」と思うはずだ。
声音を変えて電話がかかってくることもあった。
「こちら、○○急便ですが、これから配達に伺いますので、内容の確認をお願いします」
市村先生は芸が達者で、いつもの声とはまったく違う。思わず本当の宅配便業者だと信じてしまう。で、その配達物の内容というのが、
「ツブ貝20キロ。イカの燻製10キロ。ほっけ15キロ、鮭ハラミ12キロ……」
これ……怖かった。なぜって、うちは居酒屋じゃないのだから。
普通に生活していて、ある日突然、どこからかツブ貝を20キロも送ってこられる。そんな心当たりなど、あるはずないではないか。電話の声はなぜか海産物を10キロ単位で列挙した後、
「WK(当時の指導員)72キロ。合わせて何キロ?」
ここで筆者はようやく市村先生のイタズラだったことがわかってホッとしたのである(イタズラとわかってホッとするというのもおかしな話だが)。
よく考えれば宅配便の人が配達物の内容を事前に確認することも、またその重量を把握していることもないのだが、筆者も若かった。「ツブ貝20キロ」と言われたときの衝撃を今でもハッキリと覚えている。
それと、冒頭のお尻のエピソードで思い出したが、筆者の手元には今でも一枚の奇妙なプリクラがある。なにが奇妙かって、プリクラの狭い画面の中に、ふたつのお尻が並んでいるところだ。共にお顔はまったく写っていない。一人は市村先生、もう一人の方は、やはりかつての世界大会代表選手で、某国の元重量級チャンピオンである。お二人してプリクラの機械に向けてお尻を出したものと思われる。
このように茶目っ気の旺盛な市村先生だったが、筆者が最後に市村先生とお会いしたのは、何年か前の夏合宿だった。スパーリングの稽古で胸をお借りした時、こちらが技を出そうとした瞬間、あらかじめ先の動きをすべて読まれたように、ぱっと制されてしまった。なにもできないのだ。手加減されているのは言うまでもないが、それにしても神通力というか、市村先生ほどのレベルになると、もう筆者などは赤子のごとき扱いになるのだった。
その夜の宴会では市村先生も参加してくださり、夜更けまで筆者やアジアジらと気さくに談笑してくださった。今から思えば、あれが市村先生とお会いし、言葉を交わした貴重な最後のひとときだった。
2018.7.10
第三百八回 佐藤姉妹祝勝会
そもそも会場となるサンリオ・ピューロランドとはいかなる場所なのか、筆者は実際に足を運ぶまでまったく知らず、テーマパークというから屋外かもしれないと思ってカジュアルで出かけてしまった。しかも、その場の流れで江口師範ご夫妻、主役の佐藤姉妹とお母様、と同じテーブルにつくという恥ずかしくも図々しい状態だったことは自覚しているが、それはともかく非常に充実した祝勝会だった。主役のお二人には華があり、(お名前は出さないが)司会もVTR担当の方も企画・進行・演出も非常にすぐれていて、最初から最後まで密度の濃い時間が流れていたと思う。
VTRで姉妹対決の決勝戦が流れたが、まず世界の頂点をめぐって姉妹で戦うなど、それ自体、そのまま格闘技漫画になってもおかしくないほど劇的である(『グラップラー刃牙』も兄弟対決だった)。しかもハイレベル。筆者は最初、VTRを早送りにしているのかと思ったほど回転が速いのだ。
アメリカンズ・カップの試合では、軽量級の七海ちゃんが中量級の相手の動きを、なんと連打で止めていた。審判の印象を考えて終盤でラッシュをかけるという駆け引きなどなし。最初からフルスロットル。普通なら途中で勢いが落ちるのに、この子は最後まで止まらない。対戦相手の中量級チャンピオンが、なにもできないでいる。
相手の選手も重量級を下した強豪なのに、二回りほど大きなその選手を翻弄し、圧倒していた。まるで相手ごと、いや試合そのものを呑みこんでいるような戦いぶりなのだ。
はっきり言って、痺れた。師範が閉会のスピーチで、「異国の地で、ちがう国の選手にスタンディングオベーションが起こったのは、自分の知るかぎり初めてだ」という意味のことをおっしゃっていたが、たしかに、こんなに素晴らしくて爽快な戦い方を見せられたら、アメリカの観客も総立ちになって拍手するはずだ(一人だけ座っている人がいたが)。
しかも試合場を下りた勝者は、穏やかでエレガントで可愛らしいのだから、いわゆる「ギャップ萌え」もあったのだろう、数人が撮影を求めていた。
そう、ご覧のとおり、この二人は美形の姉妹である(お母様も美人)。
空手の実力に顔は関係ないと思われるかもしれないが、これは「スター性」の条件でもある。ボクシングの井上尚弥、K1に出ていた魔沙斗、フィギュアスケートの羽生結弦もしかり。その分野で圧倒的な実力があるという前提で、そこにルックスも加わるとスターとなり、極真会館ならびに空手界の枠を飛びこえて、格闘技に興味のない人々まで広い裾野でファンを取り込めるのである。
二人への質問コーナーでも「どうしてそんなに可愛いの?」という純粋な質問があったが、「そんなに可愛い」二人が、打撃格闘技である極真空手の世界のトップにいるのだから、話題性も十分ではないか。
もっとメディアで大々的に取りあげられてもいいと筆者などは思うのだが、その一方で美幸先生が話されていたような悪質なストーカーの懸念も生じるかもしれない。
そうなるとボディガードが…………あ、必要ないか。
2018.7.5
第三百七回 蝉と触れ合おう
巷で盛りあがっているサッカーのワールドカップを、筆者も一度だけ見た。見た、と言えるほどの時間ではない。ほんの15分ばかりである。
見たのは、日本対ポーランドの試合の終盤だった。筆者の周囲でもワールドカップの話題が交わされており、睡眠不足になっている人もいたし、深夜まで起きて観戦しているというサッカーファンの子もいた。
たしかにサッカーの得点シーンの盛り上がりは、ゴカイを恐れずに言えば(釣り餌になる環形動物のゴカイを恐れているのではない)、ナショナリズムを刺激して大いに沸きかえる瞬間かもしれない。
筆者が見たポーランド戦は、さる6月28日(猿は関係ない)の深夜で、テレビをつけたのが試合終了の15分前だった。
その時点で、1点を先制されていた。つまり、そのままいえば負けてしまうという局面でのラスト15分だったのだ。
果たして執念の巻き返し大逆転はあるのか、「しかと見届けよう」と思ったが、べつに鹿といっしょに見届けたわけではない(正しくは「確と」)。
ところが不思議なことに、選手たちは前に向かって、つまりポーランド側のゴール方向にボールを蹴らないのである。
お互いにパスし合っている。どうしたことか横方向に、あたかも練習のように悠然と。
しかも(鹿も?)あろうことか、後ろに向けて蹴ってさえいるのである。このままだと負けは確実だというのに、だ。
目的は明確なはずなのに、どうしていいかわからないという五里霧中(ゴリラが夢中になっているのではない)のような様相を呈していた。
筆者は『浦島太郎』の歌詞のように、「こはいかに?」と疑問に思うことしきりであったが、もちろん「怖い蟹」は出てこない。
必死で勝ちを狙うなら、たとえイカサマをしてでも(イカをあがめている「イカ様」ではない)勝利に執着するはずだと思うが、このアリサマ(アリをあがめている「蟻様」ではない)はどういうことだろう。
まさか勝ちたくないわけがあろうはずがなく、サッカーに関して無知な筆者がわからないような駆け引きや思惑があったのだろう。
でも、結局はそのままポーランドの勝ちで終わってしまったので、なんというか、「サムライ」の名に似合わぬ不甲斐なく後味の悪い印象だったのである。
まあ、普段からサッカーを観戦していない筆者などが知らないルール上の制約があるのかもしれない。
ルールといえば、極真も「蝉コンタクト」が話題になっているが、古コンタクトとちがってどういうものだろう。例年より早く梅雨明けしてこれから夏本番だし、蝉とコンタクトを取るのだろうな、きっと。
さて、今回いくつ動物名のボケが出てきたでしょう。
2018.6.28
第三百六回 閑話休題
このブログを三回分とばした。なんでかって、市村先生のことを書こうと思っていたら、なにも書けなくなってしまったのである。なにを書いても不謹慎になるような気がした。
ちょうど去年の今ごろもとばしている。市村先生が亡くなったのは5月だが、筆者がそれを知ってから一年ほどになるので、それで書こうと思ったら止まってしまったのだ(これについてはお詫びをするべきなのだろうか。待ってくれている人がいる、と自分で思うこと自体、傲慢な気もするのだ)。
そもそも筆者は、こうやって書くこと自体に一種の恐れを感じ始めている。今さらといえば今さらなのだが、校閲も何も通さず不特定多数の目に触れる文章が、あまりにも無防備に思えてきたのである。もちろんこれまでもそれは感じていたが、一種の開き直りがあった。
意識するようになったきっかけは、最近、師範とお酒(食事)を共にさせていただく席があり、そこでどうも自分は師範に対しても、タブーにも受け取れるような内容まで話しているのではないかという気づきがあったのだ。
師範といえば、武道の世界において雲の上の存在なのに、筆者はどうやら「ああ言えば、こう言う」ように色々と語っているらしい。
念のために言うと、そのことで師範から責められたのではなく、あくまでも自分の主観である。そしてそれは当ブログの印象かもしれない、とも思った。
筆者は職場でも思ったことを言うほうだ。合理的ではないシステムの不備を改善するよう、意見具申したことが何度かある。もちろん内部批判ではなく、建設的意見として改善案もセットで提示してきた。もっとも、組織というものはそう簡単に動くものではなく、状況に変化は見られないのだが。
話は変わって、先日、敏腕税理士の友人と久しぶりに焼き鳥屋で酒を酌み交わし、その話の中でも大いに刺激を受けることがあった。会って刺激を受ける。いい友人というのはそういうものだろう。
もう一人、別の人からも筆者の欠点と課題をズバズバ言われる経験をした。簡単に言うと、筆者が「人格者ではない」という内容だった。
大人になるとなかなか他者からストレートに「教えられる」ことがなるなってくるので、自分でキャッチしていくしかないのだが、やはり気づかないこともあり、それだけに貴重な経験だったと思っている。
そんなことが連続で起こると、嫌でも自分の言動について考えてしまう。このブログを読まれている方々にも、筆者は「うるさい男」と思われているのかもしれない。
しかし、守りに入った文章ほどつまらないものはない。つまらないどころか、存在する意義すらない。なにかを発信するからには誰かを傷つける可能性もあるし、自分が叩かれる覚悟もいる。保身に努めるなら最初からなにも発信するべきではないのだ。
……とすると、今後このブログをどうすればいいのか、ということになる。
結論は出ていない。ただ、6年以上もこうやって続けてきて、師範を通さず何の告知もなしにこのまま自然消滅という形で閉鎖することはできない。
結論が出ないまま、とりあえず終了時期未定で継続することになるだろう。
2018.6.3
第三百五回 見知らぬ天井
世の中には、生まれた街から離れることなく、幼い頃から育った家にずっと住み続ける人がいる一方で、引っ越しをくり返している人もいる。筆者は後者である。数えてみると、これまでの人生で、22回も引っ越しを経験している。
高校生までのあいだは、父親の仕事の都合、つまりは転勤に伴っての引っ越しだった。それが5回。以降、18歳で上京してからは、自分のさまざまな事情で転居しまくってきた。
早いときで半年、長くて約6年近く。今住んでいるマンションは、かなり長い方だ。駅から近いと、やはり不便は感じないものと思われる。
ちなみに、物件のセールスポイントとしてあげられる「南向き」というのは、筆者の場合、好条件にはならない。暑苦しいからだ。人によってはナメクジやゲジゲジのように、日だまりよりもジメジメした石の下のほうに居心地の良さを感じる輩も存在するのである(自虐)。
初めての引っ越しは、小学校1年生の秋だった。
当時、筆者は和歌山市に住んでおり、その市内での転居である。
ちなみに、父の転勤とは関係ない。実家から、ほんの一キロも離れていなかったのではないだろうか。よって転校もせず、同じ小学校に通っていた。
引っ越した原因は、家庭内の揉め事だ。詳しくは書かないが、筆者の父方の祖母というのがとにかく強烈な性格の持ち主であり、ああだこうだでバチバチやり合って、ついに父がキレたのだ。
それで別居したのはいいが、移った先は、6畳二間のボロアパートで、風呂なしだった。
そこに家族四人で暮らしたのである。それまで住んでいた実家は、小さな池と庭のある二階建ての一軒家だったので、居住スペースの落差は甚だしかった。
裏の縁側に出なければならないトイレがわびしく、その縁側からは近くにあるスーパーの寮の、電気がいっぱいついた非常階段が見えて、夜は賑々しかった。
同じようなドアが並んでいる家も初めてだったので、一度まちがえて隣のドアをあけてしまったことがある。中で横になっていたホステスさんらしい女性に微笑みかけられた。
でも、子どもというのは変化を受け入れる。非日常はいつでも新鮮で楽しい。風呂が無いので銭湯に通ったが、湯上がりに帰る冬の夜道も楽しかった。学校は転校していないので、友達も新居を珍しがって、何人も遊びに来た。
ただひとつ、はっきりと記憶している戦慄がある。
それは、引っ越した翌日の朝に見た天井だ。
布団の中で目が覚め、見あげた天井が、昨日までの部屋のものとは違っていた。
大げさにいえば、自分はどこにいるのか、世界になにが起こったのか、という混乱と恐怖だった。
筆者はこのとき小学一年生。泣くことはなかったが、隣の布団で寝ていた妹(幼稚園児)が、起きて泣き出したことを覚えている。筆者と同じ感覚に襲われていたことは間違いない。
その後、宿泊先をのぞく新居の「見知らぬ天井」を20以上も経験することになったが、記憶しているのは、最初の引っ越しの翌朝に感じたあの混乱だけである。
2018.5.24
第三百四回 道場の近くに住むと
筆者は現在、国分寺道場から徒歩2分の距離にあるマンションに住んでいる。ここに引っ越した理由は、空手のためだった。つまり、よく稽古に出ていた(週5とか)ので、道場に通いやすくするためだった。それまでは国分寺と府中のちょうど中間あたりに住んでおり、道場までの連絡が不便で、昼間部の後など、いったん家によってシャワーを浴びることができなかった。
となると、汗をかいたまま仕事に向かうしかない。その結果、夏場など道着にカビが生えるし、職場には不似合いなスポーツバッグを抱えていくことになる。自分自身も汗臭かった可能性は多分にある。
そこで機動性を求め、頻繁に通える手段として転居に踏み切ったのである。
と、こう書けば、そのわりに今は稽古に出ていないじゃないか、というツッコミが入ることだろう。また、「泊めてくれ」と言う人もいるかもしれない(現にいた)。
ここであらかじめ言っておくと、どなたであってもうちに泊めることはできないのだ。
飲み会などで深夜まで飲んで終電がなくなった場合でも、筆者は平気で見放すことにしている。その結果、たとえ冬場の冷え切った路上でその人が野垂れ死にすることになっても、お断りする。大人なのだから、自分の始末は自分でつけるべきだ。
というのは、かつて国分寺南口から百メートルほどのところにある1Kマンションに住んでいた頃、道場の近くなのでオープンにしていたところ、あまりにも気軽に訪問してくる面々に悩まされることになったからだ。
気軽に、というのは、気軽にお茶をしにくるのではない。
「通りかかったらトイレに行きたくなった」と言って、うちを公衆トイレ代わりに利用する(その人は、筆者のマンションの前を通るとトイレに行きたくなると言っていた)。
「立ち寄れば何か(軽食など)出してくれるから来た」と、こちらのもてなしを当てにしてくる人もいた。
あるいは、差し入れをもってきて金を取る(これじゃ差し入れにならない。押し売りだ)など、筆者も若かったせいもあるだろうが、ひどいものだった。
「稽古の後、風呂を使わせてもらいたい」という奴もいたが、さすがに断った。「キレイにするために人の家に来る」のではなく、「キレイにしてから来る」のが礼儀ではないか。
そんなこんなで、ついに堪忍袋の緒が切れたのだ。
はっきり言って「知性が釣り合わない」と判断した(注・前述の例に挙げた不心得者たちは、みんなもう道場を辞めています)。現在はいっさい出入りを遮断し、排他的かつ閉鎖的に徹している。
だが、あまり他人のことは言えない。それと近い頃、筆者だって師範ご夫妻を自宅にお招きし、鍋会をしているのだ。今から思うと、なぜそんなことができたのだろう。
江口師範も美幸先生も、1Kの狭苦しい一室に来てくださったが、筆者はこの当時、3級か4級の緑帯だった。いったいどうして身の程を超えて師範ご夫妻を普通にお誘いできたのか、自分の気が知れないのである。
2018.5.17
第三百三回 信長
再来年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主役が明智光秀だという。大河ドラマでも戦国時代は人気があるらしい。それはそうだろう。展開がドラマチックなうえに、なんといっても登場人物のキャラクターが立ちすぎている。
個性的な武将たちの中でも、誰か一人だけ好きな人物を、と言われたら、筆者ならダントツで織田信長をあげる。あまりにもメジャーすぎて、小学生でも知っている人物だが、知れば知るほど凄味が増してくる。戦国武将の中どころか、人類史上最大の天才ではないかと筆者は思うのだ。
どんなところがいいのか、と訊かれても、ひと言では答えにくい。
筆者の父はNHKの管理職だったので、就職活動の時期は新卒の面接もしていたらしいが、大河で『信長』をやっていた頃だろうか、「尊敬する人は織田信長です」と言う学生さんに「どんなところを尊敬するのか」ときくと、なかなか答えられなかったという。でも、これは無理もないだろう。一言で答えると、どうしても浅はかになってしまうのだ。
あえて言うなら、発想が枠にとらわれていないところか。信長は「世界で初めて」のことを幾つもしている。たとえば、自由経済(楽市楽座)、政教分離、方面司令官制度、鉄甲船、鉄砲の一斉射撃……などなど。長篠の戦いにおける鉄砲の三段撃ちは、近年では「なかった」という説が有力になっているが、その真偽はともかく紀州出身の筆者としては、おそらく(というか、ほぼまちがいなく)雑賀衆が先にやっていると考える。
とにかく信長は、よくある「泣かぬなら殺してしまえ」的なイメージの、ドラマや映画で演じる俳優さんにもありがちな激しい型の部分ではなく、目立たないところの周到さが凄まじいのだ。目的のためなら何でもやる。侮辱でも平気で受ける。そして目的を達成していく。四方八方敵だらけで、普通の精神力ならその重圧に負けて発狂しかねないところを、あくまでも合理的に乗り切っていく。
少年時代から周囲が敵だらけという危機感を覚えていたこともあり、日常が鍛錬だった。
信長は常に馬を駆けさせていたので、ほかの馬がバテる局面でも、贅肉をそぎ落とされていた信長の馬は長距離を走りきったという記録が残されている。
とはいえ、ルイス・フロイス著『日本史』によると、普段は「憂鬱そうな顔をしている」と書かれているので、やはり相当な重圧はあったのだろう。後世からは快進撃のように見えても、けっして順風満帆ではなかったのだ。
延暦寺にこもった浅井・朝倉連合軍と対峙した志賀の陣でも、『三河物語』という史料には、「天下は朝倉どのが持ち給え。私には望みがない」という弱音が記されている。もっとも『三河物語』は後年に記されたものだが、少なくとも楽勝ではなかったことが推測できる。
一方、信長は、藤吉郎(秀吉)におしっこをひっかけて反応を見たという記録もある。
なんというか、信じられないガキっぽさである。だが、筆者が思うに、いい男というのは、どこかに稚気を残しているものだ。非情なまでの老獪さを見せていても、一方で、幾つになっても子どもの部分がある。
そういえば江口師範もそうだし、亡くなった市村先生にも言えるのではないか。
2018.5.10
第三百二回 泣いたナントカ
子どものころに学校で『泣いた赤鬼』という物語を紹介された。小学校の低学年か中学年だろう。担任の先生が朗読したのかスライドで見せられたのか忘れたが、みんなして感想を求められたような気もする。あらすじはご存じだと思うが、「友情」をテーマにしていて、内容も長さも教材として使うにはちょうどよかったのかもしれない。
ところで、この赤鬼はその後どうなったのだろう。
鬼として生まれたくせに、鬼である自分を嫌い、鬼のアイデンティティを捨てて人間界への仲間入りを願う彼を、村人たちはどう受け入れたのだろうか。
人間の仲間になりたいというのだから、「そうかそうか。うい奴じゃ」と言って歓迎してくれるかもしれない。が、そこに尊敬はあるだろうか。
自分の背景にすら誇りを持てない者に対し、口には出さなくても、心のどこかでひそやかな軽蔑の念を抱くのではないか。
この赤鬼のようなメンタリティーの持ち主は意外に多い。
たとえば極真会館を離れてほかの団体に移籍したり、新しく流派を立ち上げたりする人の中にも見かける。その人にしかわからない事情や理由があるだろうから、行動自体は仕方ないにしても、自分が育った母体を臆面もなく否定しているのは恥ずかしい。
所属していた期間は世話になっていたのだし、その期間の自分を形成する土壌になっていたのだから、悪口を言っているのを聞くと、みっともなく思えてしまう。黙って次に繋げたほうが潔い。
国にしても、あきらかに国民を弾圧する体制のもとから亡命するような場合は別だが、たとえば、留学生が自分の祖国の悪口ばかり語っていたら、どう接すればいいのかわからなくなる。
国分寺支部はニュージーランド支部と深い交流を持っているが、もし仮にニュージーランドから来た先生が「あんな国はダメ!」と言っていたなら(たとえば、の話です)、その人を通してニュージーランドの文化を得ることはできず、それどころか「この人は自分の国でうまくいってなかったんだな」と思うだろう。
筆者の友人にも、かつて勤務していた会社の悪口ばかり語る人がいた。実際、ひどい会社はある。筆者自身も過去に悪辣な雇用を体験しているからわかる。でも、それをほかの人に話しても仕方ないのだ。
往年のテレビ番組に対しても「あんなものにハマっていたなんて」と幼かったころの自分を責める友人がいた。これなどは笑い話だが、幼くても面白がっていたのだから、本気で嫌うことはない。後悔すると、その当時の楽しかった時間まで否定するようで損だ。
さて、泣いたバカ鬼の末路がどうなったのかは知るよしもないが、青鬼がするべきだったのは、みずから悪役になって赤鬼の評価を高めるための演出ではなく、赤鬼に「鬼として生きる」とはどういうことかを教示することだったのではないだろうか。
(念のために言っておきますが今回の内容は冗談です)
2018.4.28
第三百一回 もうひとつの「大谷先生特集」
すでにご覧になった方も多いとが思うが、『ワールド空手』223号に大谷先生の特集が組まれている。筆者はこれを遅れて拝読した(ので今ごろブログに書いている)。
国分寺道場の写真も載っているし、江口師範のコメントも寄せられている。国分寺道場生は必読の記事と言えるだろう(と、遅れて読んだ人間が語る)。
さて、国分寺道場の門下生で大谷先生を知らない人はいないと思う。八王子で教わっている生徒さんはもちろん、国分寺の選手クラスの後で、帯研にいらっしゃった際に顔を合わせる人も多いはずだ。
大谷先生は、今でこそ筋肉隆々だが、筆者はかつてのベジタリアンだった頃の細身の頃も知っている。もうずいぶん前なのに、不思議なものでアクション俳優のようにイケメンでシャープなその頃のイメージがいまだに根強く残っているのだ。
試合の舞台で見る技のキレもあざやかで、ほんとにフィクションの格闘をそのままでいくスターのように見えた。
筆者は道場生の中で、大谷先生と親しくおつきあいをさせていただいたほうだと思う。
排他的になった現在の筆者ではあり得ないことだが、過去には(大雪が降った帯研の日に)うちに泊っていただいたこともあるし、反対に筆者がサラリーマン時代に家に帰るのが面倒になって大谷先生のお宅に泊めていただいたこともある。
八王子道場で稽古した帰りに、立川の居酒屋に寄って二人で飲んだりもした。大谷先生とお酒をご一緒するのは、かなり楽しかった。
本家ブログを拝読してもわかるが、大谷先生は相当な博識である。とくに美術・芸術関連の造詣がハンパではない。
今回の『ワールド空手』の記事でも、いくつか引用が出てくるが、その中で筆者が知っているものは、ただのひとつもなかった。哲学的なものや古典的なものなど、筆者にとって非日常の難しい知識が多いのだ。
記事にあったとおり、極真会館の規定では、満50歳になると一般の大会には出場できないという規定があるらしい。ということは、大谷先生の試合を生で観戦し、応援できるのは、今年の全日本が最後だということになる。
筆者は試合の結果も道場のHPで見るという甲斐性なしである。今回の国際親善試合では、女子の世界タイトルが佐藤七海さんと凛さんの姉妹対決で決着がついたというのも道場HPで知ったが、これも前例のない、脚色なしで格闘技漫画になるほどドラマチックな記録だと思う。
何にせよ、会場に足を運んでいない自分に負い目がある。
とはいっても、筆者は土日も仕事で埋まることが多いので、全日本を観戦する余裕を得ることも難しいのだが、今年は何としても大谷先生の最後の舞台を見たいものだ(と言ったら「俺はいつも見てるぞ」とアジアジに笑われた)。
ちなみに次回の当ブログは、例によってネット環境の調わない地域にいるため、更新を休ませていただきます。
2018.4.19
第三百回 あの日の「ありがとう」
古い名刺ホルダーを整理していて、一枚の風変わりな名刺を発見した。名刺自体は何の変哲もない、ある銀行員の女性のものであり、今では名称が変わってしまった当時の銀行名が印刷されている。そこに筆者がボールペンで「300円借り」と書きこんでいるのが変なのだ。
これは、筆者が18歳の春に上京し、一人暮らしを始めたころにもらったもので、また人生で初めて受け取った名刺でもある。
4月から新学年がスタートする日本では、春から新しい生活が始まる。
知らない土地に一人で住み始めた筆者は、米の炊き方や公共料金の支払い方法も知らず、生活費は親から仕送りしてもらったが、まず、その仕送りを受け取る口座を作らないといけなかった。
で、銀行に行って、窓口のお姉さんにすべて教えてもらった。
そこで口座を作り、生まれて初めて自分の貯金通帳をもらったのだが、新規で口座を開くには最初にいくらかの金を入れる必要があるのだと聞かされた。
筆者はそのとき、手持ちの金が一円もなかった。財布すら持たずに出かけたのだろう。そこで窓口のお姉さんが、個人的に300円を貸してくれたのである。
その人は、いかにも銀行の窓口が似合いそうな、知的で細身の美人だったことを覚えている。くれた名刺の名前もエレガントだ。
が、彼女から見れば、当時の筆者はTシャツにジーンズにセッタ履きで、口座のイロハも知らず、和歌山の方言を丸出しにした18歳のカッペ少年であり、もしかしたら戻ってこないことを見越して貸した300円だったのかもしれない。
もちろん、その300円は、後日きちんと返しに行った。
このような見知らぬ人(とくに女性)からのちょっとした親切を覚えているのは、やはり嬉しかったからだろうか。あるいは、名刺を残していなければ忘れてしまっていたのだろうか。
10年ほど前だが、喫茶店で休んでいたとき、隣のテーブルのおばさんが、立ち去り際に「これ、あげる」と言って、ぱっと筆者のテーブルにその店の景品をおいていったことがあった。お礼を言う暇もなかったが、あれは何故だったのだろう。
もうひとつ思い出したが、これは筆者が大学生のころ、初めて遊びに行く友達の家に、道順がわからないから迎えに来てくれるよう、駅について電話していた時だった。
まだケイタイ電話などが普及していないころである。駅構内の公衆電話からかけていると、テレフォンカードの残り度数がなくなりかけていた。
「もうすぐ切れる」というようなことを言いながら、小銭を出そうとしたときだ。隣の電話機で話し終えた女の子(筆者より少し年下の高校生ぐらい)が、10円玉を5個ぐらい、「あげるね」と言って、筆者が使っている電話機の上にのせて去っていったのだ。
この子も喫茶店のおばさんも、自分の親切に照れているような感じで素早く去っていったのだが、筆者としてはきちんとお礼を言いたかった。何にしても、見知らぬ人のささやかな親切が、今でもこうして心の中に残っているのである。
2018.4.12
第二百九十九回 最後の言葉
古典のSFで、人口過密とそれによる食糧難を描いた映画があった。筆者は原作を読んでいないが、映画のほうは絶望的かつ悲観的な内容で、見終わった後は憂鬱になってしまいそうな作品なのだ(と言いつつDVDを持っている)。その中で老人の安楽死が描かれており、自分の好きな曲を聴きながら静かに生を終えていくというシーンがある。
そこで思うのだが、もしかりに、臨終の際にもっとも好きな音楽をリクエストするとしたら、読者諸兄はどんな曲を選ばれるだろうか。
筆者なら、やはり「中村主水のテーマ」にすると思う。などと、こんなことを書いていると、もうすぐ死ぬのかもしれない。が、今回のネタは映画や音楽の話ではない。
作家の山田風太郎氏の著作に『人間臨終図巻』という奇書があるのだ。
奇書としかいいようがない。死亡時の年齢順に、「○○歳で死んだ人々」として古今東西の有名人が列挙されているのだから。
徳間文庫から全四巻で出ていて、筆者はまだ1巻を読んでいるところだが、10代がもっとも少なく、八百屋お七から始まってアンネ・フランクや天草四郎など、11人。
20代が、豊臣秀頼や沖田総司やジェームス・ディーンや石川啄木や高杉晋作、円谷幸吉、夏目雅子など33人。享年があがるほど紹介される人物が多くなり、三十代からは一歳ごとにまとめて収録されている。これが、かなり面白い。
山田風太郎はこのような仕事が好きだったらしく、同じように古今東西の著名人の「最後の言葉」もコレクションしている。その中で一番好きなのは、勝海舟の「コレデオシマイ」だという。たしかに、「もっと光を」などと言うより、「コレデオシマイ」と言って死んだ勝海舟は傑物にちがいない。
山田氏ご自身は、生前、自分の最後の言葉を、「死んだ」にすると決めていたそうだ。死ぬときに「死ぬ」と言うなら当たり前なので、過去形にするというのである。
すごいと思ったのは、自宅で倒れた時、救急車を呼ぼうとする奥さんに一言、「死んだ」と口にしたというエピソードだ。
幸いにもこの時は亡くならなかったのだが、ご高齢だった山田氏は、おそらく本当に自分が死ぬと思ったのではないだろうか。そして、かねてより決めていた最後の一言を「実行」したものと思われる。
ユーモアのある人だから、こんなアフォリズムも残している。
「人間は管につながれて生まれ、管につながれて死んでいく」
意味はおわかりだと思う。と、ここまで書いたところで、筆者なら最後の言葉を何にするだろう、と考えてしまった。こんなことを言っていると、もうすぐ死ぬのかもしれない。
最後の言葉。筆者なら、やはりこれだ。
「この世には……晴らせぬ恨みを、代わって晴らしてくれる……闇の、仕事人がいると、聞いたことがあります。どうか、このお金で……(ガクッ)」
いまわの際のこんなギャグをわかってくれるのは、江口師範だけであろう。
2018.4.5
第二百九十八回 続・こんやつらがいた
前回のつづきである。授業中の例の愚行は、もともとリケムの発案ではなく、いじめグループがもちかけたものだった。リケムは彼女たちにやらされたのだと、のちに報告に来た子がいたのだ。
「リケムちゃんに罪はないんです。無理にやらされて泣いてたんですよ」と言う。
だが、筆者が見た印象では、リケム自身ヘラヘラとしていて、悲愴感はまるで感じなかった。第一、やれと言われて、ほんとにそれを実行するだろうか。
人は、これ以上は譲れないという一線を心の中に引いている。そしてリケムにとって、授業中にパンツをはき替えるのは、そのラインの「こちら側」、すなわち許容範囲内だったのだ。
筆者が見たところ、リケムは「いじめられていた」というより、「バカにされていた」のである。リケム自身、それが悔しくて挑発に乗っていたように思える。
彼女は精神面でも幼く、いじめグループがトイレに行くと、自分はまだお弁当を食べている最中なのに、「私も行く」と言って、唐揚げを頬張ったまま平気でトイレに入っていくような子だった。
ちなみに、リケムのパンツ履き替えを筆者に知らせたのは、ほかでもない、いじめグループの女子たちである。自分らがけしかけておきながら、リケムが自主的にやったことにして楽しんでいたのだ。こっちからみると、バレバレなのだが。
塾にはお菓子を持ってきてはいけないのだが、こいつらは、
「先生、さっきリケムが果汁グミを食べてましたよ!」
と報告にきたこともあった。呆れたことに、報告にくるその口から、果汁グミのにおいがするのである。
(おまえもじゃねーか!)
と言いたくなった。
このいじめっ子グループの女子たちは、通塾するバスの中で牛丼を食い、容器をバスの中に置き去りにして、運転手さんから苦情の電話がきたこともある。
また、性的にませていて、あるときは通りすがりの見知らぬ男子高校生に、
「シコってんじゃねーよ!」
と言ったという。ならず者も同然だ。小学生の女子が、年上の男子高校生に、路上でセクハラしたのである。ちなみに相手からは「はあ? なに言ってんの?」と返されたらしい。
これらの話は、今でこそネタになるが、受け持っていた当時は腹が立ったものだ。
リケムは結局、九月ごろに塾を辞めた。退塾が確定したとき、筆者にはその後の展開の予想がついた。
いじめっ子たちの内部分裂である。自分自身が努力して向上しようとせず、相手をおとしめることによって優越感を味わおうとするメンタリティーの持ち主にとって、リケムは格好のスケープゴートだった。それがいなくなると、べつの生け贄が選び出されるのは必然だ。
しばらくすると、いじめグループの中で比較的おとなしい子が仲間はずれにされているような気配があった。つくづく愚かな連中だ、と思った。
2018.3.29
第二百九十七回 こんなやつらがいた
だいぶ前の話で、登場人物たちはもう成人している賞味期限ネタである(でなければ書かない)。個人情報だから、もちろん名前もすべて仮名だ。どんな話かというと、小学6年のクラスで、授業中にパンツをはきかえる女子がいたのだ。教室で、椅子に座ったまま、である。
突発的に生理がきたからではない(それならトイレに移動するだろう)。
では、いったい何故なんだ? と思われるだろう。
実際、このことを同僚の先生に話すと、「なんでそんなことをするんですか?」と、驚いて訊かれる。
いや、なんでと訊かれても困るのである。こっちが教えて欲しいぐらいなのだ。
たいした理由などない。しいていえば「スリルを味わうため」といったところか。
この子の名前を、かりに「リケム」としておく。むろん本名とはかけ離れている。よく筒井康隆の小説に出てくる「ケメハ」というホステスのように、「ありえない人名」としての機能のみを重視した仮名である。
このクラスには、たちの悪い女子4人組のいじめグループがいて、男子たちを圧倒し、クラスを牛耳っていた。彼女たちはいつも休憩時間にトイレでだべっていて、このときも余興のひとつのように、「あんた、やってみれば」と、リケムにもちかけたのだとか。
リケムは、その提案にのった。まず、休憩時間にあらかじめトイレでパンツを脱いで、スカートのポケットに突っこんでおく。そして教室で、なに食わぬ顔をして授業を受け、筆者がホワイトボードに向かってマーカーで板書しているうちに、パンツをはく。しばらくたって、素早く脱いでポケットに入れる。そしてまた、板書などで筆者が背を向けている隙を狙い、こっそりとはき直す。それをくり返す。
筆者は、不覚にも気づかなかった。もちろん目配りはしていたのだが、まさかそんなことをしているとは思わないではないか。リケムも全神経を集中していたことだろう。筆者が背を向けたタイミングを見計らって実行していたので、気づかなかった。この件を知ったのは、後で報告を受けてからだ。ほんとに不覚としかいいようがない。
それにしても、ウソのような話だが、これは実話なのだ。もう、心底からアホかと思った。長い経歴の中でも、さすがにこれほどのアホは滅多にいるものではない。
女性の先生に話すと「あんな可愛い子が」と驚いていたが、たしかにリケムは、顔立ちは愛らしかったかもしれない(行動は最低だが)。
その一方で、学業の偏差値は20台だった。そして、どうやらそのギャップが、いじめグループを刺激していたようなのだ。つまり、自分たちに「劣等感を与えるもの」と「優越感を得られるもの」をリケムが併せ持ち、前者が努力によって得たものではなく、後者が能力に関するものであったことが、いじめ心を発生させたらしい。
今回、このネタを思い出したのは、小学生の事件で、尊厳を踏みにじるほどの悪質ないじめのニュースを聞いたからである。しかし、どうして人は人をいじめるのだろう。
この話、次回につづく。
2018.3.16
第二百九十六回 犬神家がふたつ
同じ本や映画を何度もくり返し鑑賞する人もいれば、ストーリーを知っているので一回だけで十分だという人もいる。筆者は前者の方で、むろん大いに気に入った作品に限られるが、自分でもなぜ再鑑賞できるのか不思議である。邦画で何度も見ている映画の代表は、市川崑監督の『犬神家の一族』だ。
よくできた映画で、もう30回以上は見ているが、それでも面白い。角川書店が本と映画のメディアミックスを打ち出した記念すべき第一作でもあり、この後、『人間の証明』、『野性の証明』、そして薬師丸ひろ子、渡辺典子、原田知世らのアイドル路線へと発展していくのだが、初期の角川映画は軽いノリではなかったのである。
『犬神家の一族』は音楽もいい。ルパン三世のテーマを作曲した大野雄二氏による「愛のバラード」がすばらしい。
昔は春休みになると、よくテレビで放送されていた。ちなみに夏休みには、同じ横溝作品の『獄門島』、冬休みには『悪魔の手毬唄』が放送されていて、そのたびに見ていた記憶がある。
必殺シリーズを見るようになってからは、スケキヨの母の松子(高峰三枝子)が、和服姿であるだけに、闇の中にたたずむシーンでは、鳴滝忍(必殺渡し人)と重なったものだ。ほぼそっくりなのである。でも、石坂浩二は、糸井貢(仕留人)とダブらなかった。服装も髪型も違うし、なんといっても金田一耕助の役が決まりすぎていたせいもある。
ところで、市川崑の『犬神家の一族』は一作ではない。30年後の2006年に、なんと同じ監督、同じ主演で製作された平成版があるのだ。
これは見に行くかどうかで迷った。76年版があまりにいいので、同じ監督・主演なら文句はないのだが、なんせ30年もあいている。金田一耕助を演じる石坂浩二は、65歳になっているのだ。
監督と主演だけではない。大滝秀治(神主)や加藤武(等々力警部)も同じ役で出ている。同じ役ではないが、やはり前作につづき草笛光子も出ている。
で、結局、見に行った。一種の実験作品のようなものだろうという興味もあったのだが、オープニングで、「愛のバラード」が流れ、画面にでかでかと明朝体で配役が記されたところで、やはり見に行ってよかったと思ったのだから、単純なものだ。
この映画は、大ヒット作のリメイクとあって、キャストも豪華だった。76年度版に負けず劣らず、と言いたいところだが、あえて白黒つけるとしたら、どっちのキャストがいいだろう。
金田一や神主や等々力警部は同じとしても、野々宮珠世を演じた島田陽子と松嶋菜々子は、評価が分かれるのではないか。それと、金田一耕助が泊る那須ホテルの愛嬌のある女中が、前作では坂口良子であったのに対し、深田恭子になっている。
猿蔵は前作のほうがいい。ラストに一言だけセリフがあるが、ほとんど無言で、一度カッとしかけたすぐ後で、泣きそうになるシーンがある。あのあたりの演出がよかった。
やはりキャスティングにおいても前作の勝ちだろう。決め手は那須ホテルの主人だ。
横溝正史が出ている。
2018.3.16
第二百九十五回 神と悪魔と受験生
このところ滅多にネタにはしないのだが、久しぶりに受験の話を書く。筆者の受け持ちのクラスに、弥生ちゃんという子がいた。中学受験をする6年生で、もちろん仮名である。
筆者は国語や社会など文系クラスの受け持ちだが、国語の授業では毎回、漢字テストというものを実施している。これはどこの塾でも変わらないだろう。
その漢字テストの基準は入試と同じレベルである。つまり厳しい。細部がちょっとでも違っていれば、もうバツにする。
漢字の採点にサンカクはない。デジタルと同じで、○か×のどちらかである。
入試で○にならない字を書いても意味がないのだ。言い換えれば、筆者の採点で○になる字を書ければ、入試で得点になるということである。
で、その弥生ちゃんだが、驚くべきことに、なんと6年生のあいだ、すべて満点だった。
この子は筆者の授業が好きで、クラスアップを断ったぐらいなのだ。たいていの進学塾では、習熟度や学力のレベルに合わせて所属するクラスが階層分けされていて、子どもたちは意外なほどクラス分けを気にしている。その点、この子はクラスアップする見栄よりも、自分の好きな方を選ぶ超個性派だったともいえる。
さて、どこの進学塾でもあると思うが、入試直前に生徒を「送り出す会」というものがある。弥生ちゃんは、その「送り出す会」に来なかった。
なぜかって、インフルエンザにかかったのだ。前日に具合が悪くなり、病院に行ってインフルエンザの診断が出たのが、「送り出す会」の当日だった。
なんと皮肉な運命だろう。4年生5年生6年生と受験勉強をしてきて、入試の直前にインフルエンザになってしまうと、その時点で、もう「オシマイ」なのである。
筆者は「送り出す会」の日、ほかの先生からその情報を聞いて、なんとも複雑な心境になった。
「まずいな」というのは、もちろんある。だが、同時に「あの子なら大丈夫だな。乗り越えられるだろうな」とも思った。
矛盾しているようだが、ほぼ確信に近く、根拠もなくそう思ったのだ。
弥生ちゃんは合格した。2月の1日と2日は、さすがに頭が朦朧として、解けなかったらしい。だが、3日、体力が消耗してフラフラの中で、第一志望校に合格した。
こんなことがあるのだ。
予期せぬことは起こる。そのとき、混乱の中で本来持っている実力を発揮できるかどうかの差は、きっと「普段」の姿勢の中にあるのだろう。
筆者はさっき、この子なら大丈夫だと「根拠もなく」思った、と書いたが、あえていうなら、日ごろの様子を見ていて感じたことが根拠だともいえる。
受験当日は誰でもがんばる。これは空手の試合でも同じだろう。だが、予想外の試練に見舞われながら実力を遺憾なく発揮するためには、それ以前の日常の積み重ねがものを言うのではないか。そう、きっと「普段」で決まっているのだ。
2018.3.9
第二百九十四回 格闘技の試合判定における不条理
3月1日におこなわれたWBC世界バンタム級タイトルマッチで、山中慎介選手の対戦相手、ルイス・ネリー選手が、前日の計量でバンタムの上限より3ポンドを超えていたという。筆者も試合は見られなかったが、ニュースで結果を知って驚いた。なにが驚きかって、まずそんな試合が行われたこと自体にだ。
ボクシングといえば、組織もルールも厳格に完成され、わずか数キロの体重差で試合が組めない競技だと思っていたので、こんな恥も外聞もない姑息な「作戦」が実際にまかり通ってしまうことが意外だったのだ。体重超過の時点で、これはもう「バンタム級タイトルマッチ」ではないのだから。無理してバンタム級のウエイトを維持してきた山中選手が憂き目を見るなど、不条理の極みではないか。ボクシングの不条理といえば、去年の村田諒太選手の世界タイトルマッチにおける判定も記憶に新しい。
さらにさかのぼれば、ボクシングではないが(格闘技の判定ということで)シドニー五輪の柔道無差別級、篠原信一選手の判定だ。マイナスの意味で柔道史上に語り継がれる試合であろう。篠原選手の一本が決まった瞬間、いっせいに相手に旗があがったのだから。
筆者は見ていて、わけがわからなかった。篠原選手自身、呆気にとられていた。
審判団がそろって旗の色を間違えるはずはないだろう。ここまでくると、「誤審」などというものではなく、あきらかに意図的な判定というしかない。ようするに、審判団は買収され、金をもらっていたのだ。もし違うなら、それはそれで、ただのアホだ。
そのような大きな舞台で審判を務めるからには、選手としての経験もある人たちなのだろうが、一回でも試合に出たなら、選手の気持ちがわかるはずなのに。
柔道のように選手層の厚い世界でオリンピックに出場するのだから、篠原選手は想像を絶するほどの、まさに血を吐くような厳しい稽古をこなしてきただろう。それを考えると、「参加することに意義がある」と言われるオリンピックも、「出場する価値すらない」のではないかと思えてくる。篠原選手は銀メダルを拒否してもよかったのではないかと思うが、それをしなかったのは、おそらく周囲への配慮だろう。
ときに不可解な判定がなされる格闘技だが、中には一種のカタルシスを伴う不条理もある。
それは極真空手の第五回世界大会での、フランシスコ・フィリォ対アンディ・フグの一戦である。「やめ」の直後に決まったフィリォの上段廻し蹴りで、アンディが失神KOとなったのだ。今のは無効だ、というアンディ側のセコンドに対し、当時ご存命だった大山総裁が「真剣勝負で、『やめ』と言われて、その瞬間に気をぬく方が悪い」と一蹴。フィリォの勝利となった。スポーツ競技ではあり得ない判定だが、そこは「総裁」の一言である。
このエピソードは『グラップラー刃牙』の最大トーナメント編でも実名で紹介されているので、作者の板垣恵介先生も会場にいらっしゃったのだろう。
学生だった筆者も三階の自由席で観戦しており、この強引な結末に驚きながら、競技の中に「武道」を見た爽快感を覚えたものだ。第五回世界大会というのは、技ありや一本の多い派手な大会だったが、格闘技の歴史に残る一番の語り草といえば、この「総裁判定」だったのではないかと思う。
2018.2.22
第二百九十三回 ジョディ・フォスターを追っかける
映画の話になったついでに言うと、このところジョディ・フォスターの主演作を立て続けに見ていた。まず『告発の行方』。これは初めて見た。非常に重いテーマを扱った映画で、ジョディ・フォスターの体当たりの演技が、ほかの主演作品とは別人のような印象を受ける。筆者の考えとしては、この手の犯罪はもっと厳罰を下すべきで、どうにも処罰が甘いように思う。
そして、『ブレイブ・ワン』。『告発の行方』が、危機に陥りながらあくまでも法に則って戦っていく展開であるのに対し、こちらの主人公エリカ・ベインは独力で悪を抹殺していく。大都会にはびこる社会悪を一介の市民が処刑していくという点で、『狼よさらば』にも通じるし、『エクスタミネーター』にも似ている。ただし、その処刑人は、男臭いチャールズ・ブロンソンでもなければ、ベトナムからの帰還兵でもない非力な女性なのである。
面白かったのは、「次はドナルド・トランプか」というセリフが出てきたところ。製作が十年前(2008年)だが、大統領候補にはなっていなかったにせよ、もうすでに目立つ発言をしていたものとみえる。筆者は知らなかった。
SF的な色彩の強い『コンタクト』も初めて見た。一風変わったストーリーの作品で、べつにジョディ・フォスターが演じなくてもいいのではないかと思ったが、ラストの法廷のシーンでは、やはり並大抵の演技力では表現できないだろう。
『白い家の少女』は『タクシー・ドライバー』と同じ14歳の頃の主演作だが、子役などと呼べるものではない。演技ではなく、素でこういう子なのではないかと思えるほどだ。
冒頭から非常に嫌なタイプの男が出てくるのだが、主人公のリンは非力な少女ながらも最後はその男との対決を迫られて終わる。筆者は高校生の時にこの作品をテレビの洋画劇場で見て、ラストシーンで感じ入ったことを覚えている
。 『パニック・ルーム』では母親役で娘を守り抜くために侵入者と戦う。ジョディ・フォスターは、戦う女性の役が多いようだ。題名のパニック・ルームとは、いかにもアメリカらしく、有事の際に非難する部屋のこと。自宅の中にもうひとつ、避難用の部屋が設けられているのである。ニューヨークの新居に引っ越して、その初めての夜に強盗が入ってくる。
『フライト・プラン』も、やはり娘を守るために一人で戦うのだが、前半はミステリーっぽい。ウイリアム・アイリッシュの『幻の女』を思わせるが、こちらは乗客たちが本当に記憶にないのである。映画館で見たので、冒頭の憔悴した演技では、老けた印象が大画面で目立っていたが、それも演技力の故だろう。
そして『羊たちの沈黙』。筆者はトマス・ハリスの原作も読んでいるが、原作の小説も映画もいい。ジョディが演じる主人公クラリス・スターリングはFBIの候補生で、共演の演技派アンソニー・ホプキンズは狂気を帯びた犯罪者にして天才心理学者ハンニバル・レクター。はまり役である。面白くならないわけがないのだ。
筆者は事前に映画の情報を得ないことにしているので、続編の『ハンニバル』も当然このコンビだろうと期待して見に行ったのだが、ジョディ・フォスターは内容のえげつなさから出演を断っており、ガッカリした。意外に固い女優さんなのだ。
2018.2.16
第二百九十二回 学校から見に行った映画
和歌山の田舎町に引っ越してから、歩いて行けるところに映画館があったので、中学校や高校から見に連れて行かれることがあった。これらは説教くさい教材用の映画ではなく、実際に上映されているれっきとした娯楽作品だったので、授業を受けずに映画鑑賞できるのは大歓迎だった。
ただし、田舎町のことゆえ、普段は成人映画を上映している専門の劇場などが利用されることもあり、その日だけ余計な看板や広告は取り払われていても、無関係とは言えない痕跡が発見されて、そのほうが中高生には面白かったりもした(なんのこっちゃ)。
学校から見に行った映画で思い出せるのは、『典子は今』、『海峡』、『エデンの東』、『この子を残して』と、あともうひとつ、マイナーなカンフー映画があるが、題名は思い出せない。
『典子は今』はフィクションではなく、見た後で主題歌のレコードを買っているので、やはり心に強い衝撃を受けていたのだろう。
ただ、内容とは関係ないが、ラストシーンで主演の典子さんともう一人が小舟から海に飛びこんで泳ぐ場面があり、このとき海底に巨大な影が映ったのでびっくりしたことを覚えている。
なんのことはない、正体は上空から撮影しているヘリコプターの黒い機影が海面に映っていただけなのだが、一瞬、ジンベイザメぐらいの大きさの怪物が、二人の泳ぐ海底を横切ったように見えたのである。それが二回あった。ヒヤッとしたものだ。
『海峡』は高倉健が主演で、いきなり古典の『エデンの東』は、ジェームス・ディーン主演。
『この子を残して』は戦争に関する映画だった。
上記の中で筆者が一番面白かったのは、何といっても『海峡』だ。これはDVDも買っている。
題名の海峡というのは津軽海峡のことで、すなわち青函トンネルの構想段階から貫通させるまでの過程を描いた物語なのである。高倉健や吉永小百合をはじめ、東宝創立50周年を記念した豪華キャストの映画なのだ。
荒海に揺れる小舟から、海底の石を引き上げて調査するシーンが着手の段階。その後、いろいろな問題を解決しながらトンネル開通へと進んでいく。「ここを新幹線が通るんだ」というセリフもある。初期の工事にたずさわった人々は、開通を見ることなく死んでいったのだろう。そういう生き様に子どもながらも感動を覚えたのだ。
名作には違いないが、突っ込みどころもある。数名がトンネル内を見学している時、鋼材を積んだ車両が坑内の線路を通るので、彼らは脇によけて壁に並ぶ。だが、不幸なタイミングでちょうどワイヤーが切れて鋼材が崩れてしまい、案内役の人に当たって死亡事故が起こるのである。
でも、DVDでよく見ると、鋼材がヘルメットに当たる前、直立している時点で、その人は口から血を流していた(もちろんメイクである)。
巻き戻してスローで確認したので間違いない。悲劇的場面であるにもかかわらず、「なんで当たる前に血を出してるんだ?」と思わず突っこんでしまった。
2018.2.8
第二百九十一回 今度はガンダム
まずは前回の内容に誤りがあったことをお詫び申し上げます。『ゲッターロボ』の主要登場人物が、「流竜馬(ながれ・りょうま)」通称「リョウ」とハヤトとムサシであって「ジョー」という人物はどこにも出てこないのである。このご指摘は江口師範から賜ったのだが、筆者は幼年期から現在まで、ずっと間違って『ゲッターロボ』の主人公の名前を覚えていたことになる。放送当時、すでにリアルタイムで聞き間違えていたようだ。
テレビ放送の時期も、『マジンガーZ』とかぶっていて、後ではなかった。これも完全に記憶違いである。
ついでだからロボット物のネタを続ける。『機動戦士ガンダム』である。ただし、ここでいうのは一作目のことで、二作目以降を筆者はまったく知らない。
『ガンダム』も『ヤマト』と同じく、本放送のときはそれほど人気が出なかったらしい。再放送になってブームに火がついたのだという。
当時、バルカン砲の弾が切れたり、ビームライフルのエネルギーがなくなったりするのが新鮮だった。当たり前だけど無尽蔵なわけがないのだ。
シャアの評価にしても、「ザク一機で戦艦を三隻も」というあたりが現実的だと思った。なにしろ『ヤマト』では、主砲の一閃で敵の艦船がいとも呆気なく破壊されるのだから。
セリフも「文語調」で渋かった。シャアのズゴッグが爪を振り下ろしながら「冗談じゃない」とは言わず、「冗談ではない」と言う。ランバ・ラルも「ザクとはちがうんだよ」ではなく、「ザクとはちがうのだよ、ザクとは」と言う。なんだか格調が高いのである。
女性キャラクターの萌えも、ガンダムあたりから始まったのだろうか。しかし、なんといっても少年の視聴者を夢中にさせたのは、やはり敵側モビルスーツの造形だった。
ザク、グフ、ドム、そしてズゴッグあたりのデザインの斬新さは今さら筆者が述べるまでもない。とくにモノ・アイなどは、これまでのロボットものには見られなかった。
一方で、主役のガンダムには、これといって目新しさはない。こういうのは敵側の方が魅力的なのである。ガンダムはプラモデルでも見向きもされなかった。あの異様なまでのブームの中、当時中学生だった筆者たちは、狂ったようにプラモデルを集めていたのだ。
一番安い300円のやつが、需要に対して供給が追いつかない状況で、もっとも人気のあったザクなどは極度に入手が困難だった。
友人と二人でデパートの中にあるプラモデル屋にいたとき、ちょうど入荷のタイミングに当たって、感激したことを覚えている。それでも、あっという間に売り切れた。
そのとき、渇望していたザク(300円)をようやく手に入れた友人は、買い逃したらしい見知らぬ小学生に、「それ、千円で売ってください」と頼まれた。もちろん、断っていた。
これが『エヴァンゲリオン』になると、ロボットのプラモデル熱はどれほどのものだったのだろうか。もうプラモデル自体が流行らなくなっていたようにも思える。
筆者は『エヴァ』を見たとき、主人公がウジウジグジグジして(とくに劇場版)、「ほんとに今のやつら(若いもん)が好きそうなアニメだな」という感想を持ったが、『ガンダム』がブームになっていた時も、きっと上の世代の人たちからはそう思われていたことだろう。
2018.2.1
第二百九十回 ロボットアニメの法則
男の子は巨大ロボが大好きだ。たぶん、そこに「力の象徴」を見るのだろう。『バビル二世』でも、三つのしもべの中でもっとも人気があったのは「ポセイドン」だった。筆者の世代では、『マジンガーZ』の後で、『ゲッターロボ』というのを見ていた。多数の武器を装備した単体のロボットとしては、マジンガーZが極めてしまった感がある。そこで後続のゲッターロボが売りにしたのは、「合体」だ。
「三つの心が ひとつになれば ひとつの正義は 百万パワー」という毛利元就の教えのように、ジョー、ハヤト、ムサシという安易なネーミングの三人がそれぞれのメカに乗りながら、組み合わさってひとつの巨大なロボットになる。特撮ヒーロー物では前例があったが、アニメではこの作品で「合体」という概念が視聴者に植え付けられたのではないだろうか。『釣りバカ日誌』の話ではない(念のため)。
「ゲッター」というのも「合体」をもじっているのではないか、というのは考え過ぎかもしれないが、とにかく毎回の放送が楽しみだった。
超合金を持っていた『勇者ライディーン』はあまり覚えていないのだが、その次に楽しみだったのは『超電磁ロボ コンバトラーV』だ。
巨大ロボの平均サイズが18メートルであることを考えれば、これも五つのメカによる合体の結果とはいえ、身長57メートル、体重550トンというデータは規格外といえる。
ちなみに筆者は、大人気作だった『伝説巨神イデオン』を一度も見ていない。もう見る年齢ではなくなっていた、とは言えないだろう。『機動戦士ガンダム』の第一作、いわゆるファーストガンダムは見ていたのだから。
ところで、ご存知かもしれないが、ロボットアニメのネーミングには、「ン」と「濁音」を含めればヒットするという法則があるらしい。これによって力強い感じが出るのだとか。
なるほど、今回あげた上記の作品は、すべてその条件にあてはまっている。筆者はこの話を、ある出版社の編集者から酒の席で聞いたのだが、業界では有名な法則なのだろう。
「エヴァンゲリオンなんて、ヒットするしかないですよ」
と、そのとき彼は言っていた(ほんとだ、濁音と「ン」が2回ずつ入っている)。
『新世紀エヴァンゲリオン』は、大人気だった時期に、世の中があんまり騒いでいるので、一挙放送した機会に録画して全部見たのだが、筆者としては緻密さに感心こそすれ、ストーリーにはあまりはまらなかった。けど、はまっているように周囲からは思われた。
実際、劇場版の何作目かが公開されたとき、女友達と吉祥寺の映画館へ見に行っている。でも、それはどちらかというと彼女の趣味であって、筆者自身はどちらでもよく、もちろん巨大ロボの強さにあこがれる年齢はとっくに通り越していた。
そもそも『エヴァ』のファンはロボットの戦いを見たいのではなく、とくにオタク層のあいだでは美少女キャラクターが目当てだったように思える。それまでの巨大ロボット物とは方向性が変わり、「萌え」の時代に入っていたのだ。まさに「新世紀」である。
今はどうなのだろう。『仮面ライダー』のシリーズはつづいているようだが、巨大ロボット物は健在なのだろうか。
2018.1.25
第二百八十九回 マジンガーZ
巷では『マジンガーZ』の新作が劇場公開されているらしい。何で今ごろ? と思いながらも興味があるのだが、見てガッカリする可能性もある。『宇宙戦艦ヤマト 復活編』がそうだった。キャラクターデザインが大胆に変わった『サイボーグ009』は見に行かなかった。たぶん今回もあれこれ言ってるうちに上映期間が終わり、DVDで見ることになるだろう。が、『ヤマト』や『009』に比べて、『マジンガーZ』を見ていた頃の筆者は幼少だったので、あまり具体的な記憶がないのである。
ただ、ミサイルをバカにしていたことは覚えている。もちろん現実においてミサイルが恐ろしい兵器であることは言うまでもないが、『マジンガーZ』の世界では、ミサイルといえば脇役ロボットの唯一の武器であり、なんというか、珍しくなかった。マジンガーZの装備している武器が多彩なので、よけいにそう感じたのである。
また、女性型ロボットも出てきて、バストからミサイルが発射されるのだから、身も蓋もない(原作者が永井豪なのだ)。どっちにしても、子どもの視聴者にとっては、ロケットパンチやブレストファイアのほうが格段に上だった。
ブレストファイアというのは胸板から放射する超高温の熱線で、『ヤマト』でいえば波動砲にあたる究極の必殺技だが、それを毎回のように惜しげもなく使っていたのだから大サービスだ。
ロケットパンチは、あの速度では敵の装甲を貫けないと思うが、そんなことはまじめに考えなくてよろしい。
それと、主題歌の「空に そびえる 黒金の城」というところで、誰が考えたのか、「空に そびえる クロガネヒロシ」という替え歌がはやり、実際に黒鉄ヒロシがそびえ立っている光景をイメージしては笑っていたものだ。思えば安上がりな子どもたちだった。
しかし「スーパーロボット」と形容されているところからみて、マジンガーZは巨大ロボットもののはしりだったのだろうか(いや、『鉄人28号』があったか)。
筆者は『鉄人28号』は一度も見たことがないが、その後も『グレートマジンガー』、『グレンダイザー』などは見ていた。でもあまりはまらなかったのは何故だろう。
これは『ガンダム』にしても同じで、ファースト以外は見る気もせず、実際見なかった。思春期で忙しくなっていたからか、あるいはファーストの完成度が高かったので、それで十分だったからか。そういえばガンダムは、本体以外に武器を「持つ」ことが多かったが、マジンガーZの場合は、これでもかというほどの武器が本体に搭載されているのだからすごい。
といっても若い人はアニメでも見たことがないだろう。筆者もこの前にマジンガーZの姿を見たのは道場の五階の窓口に置かれていたオモチャで、それ以来はご無沙汰しているのだ。
マジンガーZの魅力は、「圧倒的」なところだと思う。やりたい放題に街を破壊する邪悪で強大な侵略者に対し、それ以上のパワーで叩きのめすところが爽快だった。
兜甲児が正義の心をパイルダー・オンしてから時代が流れ、新作ではアニメの技術も進んでストーリーも緻密になっていることだと思うが、それと引き替えに圧倒的な強さによる爽快感が失われていないことを祈る。
2018.1.18
第二百八十八回 冬の公園
仕事で利用している沿線が人身事故で運転見合わせになった。首都圏では珍しくもない。にしても運転「見合わせ」とはオブラートに包みすぎの言い回しではないか。立ち往生のくせに、と思う。
筆者は早い目に職場に着いていなければ気が済まない方だ。これは道場稽古に出るときも同じで、ストレッチをする時間などを十分に取りたくなる。備えがないと落ちつかない性分なのである。
だから電車が止まっても余裕はあるのだが、運転再開を待っていられなくてタクシー乗り場に向かうと、同じような立場の人が大勢並んでいて驚いた。が、電車が止まっているという連絡が入ったのか、やがてドンドン来るようになる。
夕方で道路が混んでいたが、たまにはタクシーに乗るのもいい。通常とは別の目線で街を見ることができた。
たとえば、道路ごしに見た公園。夕陽が当たってオレンジ色に染まった冬枯れの児童公園で、子どもたちが遊んでいる。
ジャンパーを着た小学生たち。受験をしない子たちだ。時代は変わったといっても、自分の子どもの頃と同じだった。
そうそう、小学生だった頃は、学校が終わって、家に帰って、またジャンパーを着て外に出ていったのだ。自転車を飛ばして公園へ行き、「おっ、みんな来てるな」という感じで、遊びに飛び入りしたなあ、と思い出しては、なんだか郷愁を誘われた。児童公園が、放課後の社交場のようなものだった。
大人になって、公園のそばのマンションに住んでいるときに気づいたのだが、遊んでいる最中の子どもたちは、ときに絶叫をあげることがある。その声ときたら、もう完全にクレイジーなのだ。
不思議なことに、遊んでいる様子を見て、姿と声が一致すれば違和感はなくなるのだが、声だけ聞いていると、この世のものとは思えない。興奮しきっていて、ギャーッと叫んでいる。なにが起こったのかと思うぐらい異常だ。発している本人は、たぶん気づいていないだろう。あのトリップ具合はすごい。
公園ではないけれど、筆者が五、六年生の頃、まだ整備されていない裏山のようなところがあって、むき出しの土がけっこうな高さで斜面になっていた。削り取られてできた崖のようなもので、傾斜がきつい。そこを、ダンボールの切れ端に乗って滑るのが面白かった。
たった一枚の古びたダンボールの破片が、橇になったのである。
それで友達らと、くり返し遊んだ。ダンボールの前をちょっと折り曲げて掴み、乗っかって滑りおりる。無料のジェットコースターのようなもので、スリルがたまらない。ものすごく面白くて、何度もくり返し遊んだことを覚えている。
思えば、安上がりな子どもだったのだ。
それにしても、こんな遊びに無言で興じるはずがない。やはり当時の筆者も、今「クレイジー」あつかいしている子どもらのように、滑りながら叫んでいたものと思われる。
2018.1.11
第二百八十七回 屋外で迎える新年
2018年がやってきた。先週が年始だったので、これが今年初めての更新になる。いささか遅れての謹賀新年だが、去年から今年へと変わる瞬間を、みなさんどのようにお過ごしになったのだろう。
今年はともかく、一年前といえば、筆者は江口師範や本多先生とご一緒し、お寺のお手伝いにいった。
大晦日から新年にかけて屋外で過ごすという経験は、実に約30年ぶりのことだった。
深夜のお寺の雰囲気というのは、「厳か」の一言で、寒いけれど、静かで引きしまった感じがして良かった。
夜空には星が瞬き、闇が深く、シンといていて、とても東京都の一郭とは思えない。まるで和歌山にいるようだった。
10時半ごろに着き、2時半ごろまでいたと思う。
筆者は最初、駐車場で車を誘導する係だったが、自分が日ごろ車に乗らないので、勝手がわからなかった。それに、しばらくはなかなか参拝客が訪れないので、手持ち無沙汰でもあった。
近所をうろついてみると、まだクリスマスの電飾を残した一戸建て住宅が何軒もあり、洒落たデザインと温かそうな窓の灯がきれいだった。大晦日のその時刻といえば、たいていみんな自宅でテレビを見ているのだろう。
紅白が終わる前から参詣の客が来て、駐車場はすぐいっぱいになった。
筆者らは厳寒の中、かがり火を焚いて、卒塔婆を燃やしていった。
正面の彼方に巨大な集合住宅があり、そのオレンジ色の照明が闇の中できらめくばかりに明るく、派手で、目立っていた。
空には星が見えた。
やがて、年が変わった。
みんなで順番に除夜の鐘をついた。師範の撞いた音がひときわ大きく、響き方もほかの人とまったく違っていた。パワーだけでなく、体重移動やタイミングなど、当たりかたが全然ちがうようである。
筆者が除夜の鐘を撞いたのは、記憶にあるかぎり人生で初めての経験だった。たいてい大晦日は家の中で過ごしていたから。
終わってから、お寺の方が、椀に汁を入れてふるまってくれた。おみやげの赤飯もいただいた。無償奉仕のつもりだったので、これは意外だった。
師範と同じ車に便乗して帰る。国分寺に着いたら3時だった。早朝起きだったので、あろうことか車の中でウトウトしてしまった。
クリスマスの話でも書いたが、キリスト教でも仏教でも雰囲気はとても厳かで、筆者は日ごろ味わわないそういう空気が意外と好きなようである。と他人事のように記しつつ、最近「厳か」に凝っているのではないかと自分で思いながら、小学生の作文のような今回の文章をしめくくる。