2024/6/26
発達障害(神経発達症)との向き合い方


押忍。八王子みなみ野道場の戸谷です。
3年前にこちらのコーナーで『うちの息子について』というタイトルで、息子と息子の持つ障害(重度の知的障害をともなう自閉症スペクトラム)について書かせていただきました。

今年の4月にその息子も小学生になりました。都立の特別支援学校の一年生です。
保育園があまりにも至れり尽くせりやってくれていたため、その分進学したときのギャップに不安もありましたが、全くの杞憂でした。支援学校の支援っぷりが半端じゃないです。
近所までの送迎あり、1クラス5、6人に対して担任・副担任の教師2人体制、建物は綺麗で明るい、給食付き、先生たちだけでなくバスの運転手さんから学校の事務員さんまでみんな朗らかで優しい。最高です。
毎朝バスが来ると、息子も迷わず意気揚々と乗ってくれています。
むちゃくちゃな偏見を言うと、支援学校に関する知識がなかったため「狂四郎2030の関東厚生病院みたいなところだったらどうしよう…」と思っていました。

さて、普通の小学校の中にも、大なり小なり障害を持つ子供はたくさんいます。今回は発達障害(神経発達症)について触れたいと思います。
発達障害とは、脳機能の発達の偏りにより社会生活に困難が発生する障害を指します。
うっかりミスが極端に多い、集中力が続かない、あるいは過集中により周りが見えなくなる、人の気持ちがわからずトラブルを起こしてしまう、細かいことに極度に拘ってしまう…等々、人によって症状は様々です。
いずれの症状も誰にでも起こり得えることですが、その度合いが非常に強いと日常に大きく支障が出てしまうわけです。
発達障害の子は全体の6.5%、30人のクラスであれば2人ほどいる計算になります。
うちの子のように一切言葉を話せないというようなケースであればどんなに遅くとも3、4歳の時点で保護者も何らかの障害を認識しますが、発達障害の場合は、小学生になっても障害の有無に保護者が気づいていない、あるいは確信を持てていないケースも多々あります。
しかし、子供が社会生活を送る上で、「保護者がわが子の特性をわかっているかどうか」は非常に重要です。

習い事、空手道場でも特性ゆえの問題が顕在化することはあります。
予め書いておきますが、特定の誰かのことでは決してなく、また、障害というレベルかどうかはともかく、所謂「あるある」という例を挙げます。
・一対一だとちゃんと話を聞けるのに全体説明だと全く話を聞けない。
・ミットを上手に持ってもらわないと怒るが、持つ側に回ったときには全くちゃんと持たない。
・気分としてのやる気はあるが具体的な練習には全く繋がらない。
・道場に毎回遅刻をしてしまったり寄り道をして辿り着けなかったりする。
・遊んでいるときは声が出るのに挨拶や返事は全くできない。自分の考えを全く言わない。
・できない動作があるとすぐに諦めたり癇癪をおこしてしまう

こういった問題が年齢相応と言える範疇のものなのか、あるいは生来の特性によるものなのか、周囲の大人の見極めが必要です。
後者で、なおかつ周りの大人が誰もそれに気づかなかった場合、できないことを長年叱責され続けて自己肯定感がズタボロになってしまう可能性もあります。緘黙症の子に号令や道場訓の先導を強制したら可哀そうですよね。
良い意味での諦めというか、「この子はこれができないことを前提に指示をしよう」、「これに関しては少しでも改善されればいいや」というスタンスが必要です。
逆に、周りの大人が気づいてさえいれば明らかに対処できることもあります。
空手ではありませんが、わかりやすいところ、全体説明が聞けない子を多人数制の学習塾に入れても効果はゼロですが、個別指導ならむちゃくちゃ伸びる、なんてこともありえます。


知人に保育園の先生や学校の先生が何人かいますが、毎年何十人も子供を見ていて、なおかつ発達に関する知識がある人たちからすると、「この子は"何か"あるな」というのはわりとすぐに、早ければ一瞬で気がつくそうです。
しかし"何か"あったとして、先生側が保護者に障害の可能性を伝えるのはなかなか難しく、伝えたとしてもかなり遠回しな表現になりがちです。
トラブルを避けるため、直接的な指摘はされずうやむやのまま進級していく子も数多くいます。

私も日頃少年部の指導をしていて、「この子は強めの特性があるな」と気付いたとしても、こちらから親御さんに何かを言うことはまずありません。
ただ、もし親御さんがその子の特性に気づいていたとしたら、「これは予め学校や習い事の先生にちゃんと伝えておいていた方がいいんじゃないかなぁ…」と思うケースはたまにあります。(その習い事に関わるものであれば)
そういったことを伝えるのはワガママを言っているように感じてしまう方もいらっしゃるかもしれませんが、何も言わなかったら黙って察してもらえるか・もらえないかの賭けになります。子供自身にとっても指導する側にとってもかえって大きな負担になりかねません。
これはどうしても苦手です、今はこれができていません、これが少しできるようになってきました、といったことが気軽に共有できる環境が理想かなと思います。
無理にお子さんの特性を口にしてもらう必要はありませんが、いつでも相談してもらえるような、信用に足る指導を心がけていきたいです。


ここで、精神科医の益田裕介先生のYouTubeチャンネルをご紹介します。
うつ病や統合失調症などの病気だけでなく、発達障害に関する話題も非常に豊富です。
『精神科医がこころの病気を解説するCh』



「注意欠如多動症(ADHD)の症状をちょっと詳しく解説します」
こちらは注意欠如多動症(ADHD)の解説です。
そもそも発達障害とはどういうものかというのを、具体例を交えながら丁寧に説明してくれています。
往々にして自閉スペクトラム症(ASD)と合併しているため、それについても語られています。

「自分の意見がない発達障害(ASD)」
こちらは自閉スペクトラム症(ASD)を中心とした解説です。
周りの人たちがどう接するべきか、治療(トレーニング)としてどれくらいの期間を要するものなのかが語られています。
「発達障害は彼らの甘え、わがまま、育て方の問題ではなく、脳の特性なんです」

「忠告や指導を無視する発達障害 カサンドラ症候群
発達障害や精神疾患を持つ人の周囲にいる人たちが疲弊してしまう、所謂「カサンドラ症候群」についての解説です。
身近にASD気質を持つ人がいる場合、この話は体感として非常にわかるのではないかと思います。
何かを指摘しても話が通じていなかったり被害者意識を持たれてしまうことが多いため、齟齬が生じた場合、基本的には周囲の人たちが我慢するしかありません。(身も蓋もない)

「発達障害の子どもを持つ親が目指すべきゴールをお伝えします」
「一般論の育児論と障害がある子の育児論はまったく別です」
強めの特性を持つ子を育てる場合、一般的な育児論は北斗の拳における札束くらい役に立ちません。親が採るべき方策も目指すべきロールモデルも必要とされるタフネスもまったく違います。
動画では父親側が発達障害を理解していないケースを取り上げています。基本的に、母親よりも父親側の方が、下の世代よりも上の世代の方が、発達障害に対する理解に乏しい傾向があります。

精神医学の観点では、一般的な考え方と違い「やらないこと」と「できないこと」は同じものとして捉えます
ADHDの先延ばしぐせが分かりやすいですが、当人やその家族は「サボっているけどその気になればできる」と思っていたとしても、起きている現象を俯瞰で見ると「(現状は)能力的にできない」という見方になるわけです。
障害の域でないにしろ、道場でも毎回遅刻をしてしまう子や道着を着てこない子に改善を促しても、数回はちゃんとしてくるものの大抵はすぐ元に戻ってしまいます。
こういった場合、どう指導するにせよ、こちらとしては「今、できないものを少しずつトレーニングしているんだな」という心持ちが必要かなぁと思っています。
「わかっているならできるはずだろ! やってこい!」の一発で改善してくれることを期待してしまうとどえらい齟齬が生まれます。


自分もこれまで、多くの特性持ちの子を仕事上でもプライベートでも見てきましたが、最終的にどこを目指してどう育てるべきか、という模索は本当に難しいのだろうと思います。
高学歴を目指すにせよ、一芸突破を目指すにせよ、「何かに秀でてさえいれば大丈夫」という価値観一本槍だと危ういというか、その子の本質的な問題から目を背けることになりやすい気がします。
そういう意味で、発達障害にギフテッド(傑出した認知能力)の概念を結びつける風潮なんかも、少し危険かと思っています。
お子さんに空手を習わせてくださっている親御さんの多くは、純粋な体術の習得以外に、礼儀作法や対人稽古を通じて非認知能力の成長に期待されているところが多かれ少なかれあると思います。
教えている側である私も人として決してできたものではないどころか、確実にできていない側の人間なんですが、"たかが習い事の先生"という分は弁えつつ、そこのところ手探りで精進していきたいです。
とりあえず、少年部は色んな気質の子もみんな元気に楽しくやってもらいたいですね!その中で、道場からいいものを持って帰ってくれたら幸いです。押忍。