2022/11/15
「ダンナさん脳梗塞で倒れる・3」


ダンナさんが倒れた次の日、ヘロヘロになって自宅に戻り、ほぼ完徹の状態で、道場に鍵を開けに行きました。そしたら、見覚えのある人が入口にいます。

「あら、金井さん!早いね」
私はダンナさんが倒れて手術中の待合室で、一般部の指導の手配の為に、金井さんに連絡しており、彼はダンナさんの状態は知っています。
金井さんはさすがに笑顔無しで
「大変でしたね」
と真剣な面持ちで言いました。私は金井さんは自主トレに早めに来たと思っていました。

「そうなのよ。昨日は本当大変だった」
「とりあえず、鍵を開けてもらえますか」
「あ、はいはい」
鍵を開けると、金井さんはいきなり私の前に立ちはだかり、
「では美幸先輩、お帰りください」
「え?」
「後は自分がやります。お帰りください」
「いや、そんなわけにはいかないよ。窓開けて掃除して…」
「自分が全部やります。お帰りください」
「いやいや、そんなこと」
と中に入ろうとしたら
「美幸先輩!」
と大声出して目の前にバーンと両手を広げて立ち塞がってきたので、
「わ!びっくりした」
「お帰りください!!先輩、寝てないですよね!?」
「あ…いや、そうなんだけど」
「帰って寝てください!」
その迫力に気押されて
「そ、そう?じゃあ…ごめんね」
と追い払われるように帰り、シャワー浴びて午後まで泥のように眠りました。
金井さんはそれから、週末の道場の立ち上げと午前の指導を、ダンナさんが戻るまで、ずっとやってくれていました。二週目の朝に道場を覗いたら、何故か飯島夫妻も一緒に準備してました。


「ダンナさんの入院中、皆さんが書いてくれた寄せ書き。ありがとう!」


それと同じことが毎日起こりました。
夜の一般部は、長谷川さん中心に黒帯の人達がガッチリ協力してくれて、指導は回ってゆきました。稽古が終わった後は、皆で、細かいところまで掃除もしてくれてました。
池田さん、矢野さんが中心となって、週末の合同稽古も皆さんで分担して指導してくれました。週末の少年部は人数が多くて本当に大変だったと思います。すみません。

問題は平日の幼年部と少年部だ、と思っていたら、知らせを受けた麗奈さんが、素早く学生の皆さんに連絡を取って、入れる人を探してくれました。杏華さん諒くん麗奈さん。
彼らが学校が終わってすぐ駆けつけて、少年部の指導をしてくれました。もう働いている潮音くんも、貴重な休みを潰して毎週月曜に全ての少年部を指導してくれました。長谷川さんもしょっちゅう補助に来てくれました。
それでも指導員がいないクラスを、私が指導することになりました。加圧のお客さんにもわけを話して時間を調節してもらい、なんとか毎日の指導をやりくりしていきました。

指導だけではなく、例えばある日、ダンナさんの病院に行くために昼間、事務室から下りて道場の横を通った時に、なんかトイレから音がする!と気が付いて、警戒しながらそっと覗くと、
「あれ、網代さん?」
網代さんがトイレを掃除してました。しかも、なんかすごい「プロの七つ道具」みたいなやつを持って来てる!
見つかってしまったと言う顔をして、いやいやー、とか言ってる網代さん。
「トイレ掃除してくれてるんですか?」
「いやあ、自分ができることを、と思って」
「すごい!ピカピカになってる!」

そして、出稽古にきていた渡邉さんの奥さんが、道場の入り口を素敵に飾りつけてくれたり、七夕の笹を飾ってくれて、大人も少年部の皆さんも、師範早く治りますように、と願いを書いてくれたり。
その他にも、できる時に少年部の補助に入ってくれた人もいたし(土橋さんの少年部指導は、体操のお兄さんかプロの保育士さんのようでした)、急に棚が綺麗になっていたりしたので、私の知らないところで、誰かが、私が手が回らない場所を掃除してくれたのだと思います。

もう…もうねえ、みんなねえ、イケメン過ぎる!美女過ぎる!若者は、良い子過ぎる!

私は、人生で今まで、こんなに人に感謝したことはありません。国分寺道場は、世界一素晴らしい道場だと思います。

強力な司令塔であり、週に20クラス指導していたダンナさんがある日突然3ヶ月近くいなくなり、それでも一クラスもクローズせず、全クラスしっかりと黒帯が指導して、進んでいける道場が、他にあるでしょうか?

本当に本当に皆さま、ありがとうございます。

次回は、すぐ退院できた筈のダンナさんが、3ヶ月近く入院しなければいけなかった理由…失語症について書きます。ではまた!