2019/5/3
少年部選手への本当のサポート


押忍。八王子みなみ野道場、多摩境教室を担当している戸谷です。

新天皇陛下が御即位され、新しい元号に替わりました。
国内外に無視できない様々な問題・事柄はあるかと思いますが、平和裏に一つの時代の変換を迎えられて良かったです。
今年はゴールデンウィークも超大型となったので、休んでいるにしろ働いているにしろ非日常感が強いですね。

さて、先日、世界女子ウエイト制、男子全日本ウエイト制、国際親善大会が行われました。
今回も選手総数2000名を超える超大規模大会となりました。その選手たち1人1人が各支部各道場から選りすぐられたエースなので極真会館の組織の分厚さを改めて認識させられます。
その開会式で選手宣誓を行ったのが昨年軽量級世界王者となった当支部の佐藤七海初段でしたので、非常に誇らしかったです。

少年部の選手たちも日頃の練習から非常に頑張っていました。
ある時は乗りに乗って、ある時は追い立てられるように、日々今の自分を超えるように努力してきた子たちばかりです。
少年部の選手も子供といえど、その分人生の大半の時間を空手に遣っていたりするので、一つの勝ち負けがその子にとってとても大きなものに感じられます。

ただ、一つ一つの勝ち負けが当人にとって大きく感じられるからこそ、指導者や保護者はより大きな視野で試合を捉えられないといけないと常々思います。
これは空手の試合に限ったことではありませんが、目先のわかりやすい成功体験だけに囚われると、短絡的に利己を追求しすぎてしまったり、人生自体が窮屈でコンプレックスに満ちたものになりかねないからです。
例えば、大会で一回戦負けをしてしまう人は全体の半分、二回戦を突破できない人は全体の4分の3いるわけですが、彼らの人生が失敗だったと断ずるとしたら大会の意義そのものがおかしくなってしまいます。
もちろん誰だって序盤で負けるために大会に出場していませんし、勝てば良い意味で調子に乗るべきですが、周りの大人たちはそこにどんな意味付けをするのか考える必要があります。

選手はひたすら勝つことにこだわりながらも、その取り組み方がどうだったのか、また周りの協力がどんなものであったのかを振り返られる人であってほしいと思います。
また、子供は大人が出した"結論"に非常に気持ちが引っ張られやすいので、保護者の方は迂闊にネガティブなことは言わないであげてほしいと思います。
「全然ダメだった」と言われればそれまでの過程全てが否定されたように感じますし、「お前は気持ちが弱い」と言われれば自分は気持ちが弱いという自己認識を植え付けられます。
否定的な言葉をバネにできるかどうかは本人のその時の状況と、お互いの信頼関係次第なので、タフに育ってほしいからと一方的にバンバン言葉をぶつければいいものではないと最近よく思います。
自分も道場での声掛けはわりと雑だったり感情的だったりするのですが、一応それがその子のためになっているかどうかを最優先に考えるべきではあるなと踏まえるようにしています。

先日たまたま見かけた記事で、元グーグル人材開発担当のピョートル・フェリークス・グジバチ氏が優秀な人材とはどんな人かを語っていました。大幅に省略して引用します。

≪わかったのは、「これまでの人生で苦労をしたかどうか」でした。人生の中で、戸惑ったり、脱線したり、事故にあたり、病気になったり、浪人したり、好きな人を失ったり…
そういった苦労した人たち、挫折した人たちは、会社のなかでパフォーマンスを発揮していました。
挫折というのは、自分自身を見つめ直すチャンスです。アイデンティティを作り直す機会でもある。次のチャンスを、自ら探しに行く必要があると考えられるかどうか。≫

グーグルの企業としての善し悪し性質はともかくとして、示唆に富んだ話です。
人間、したことのないタイプの苦労はなかなか想像しにくいですし、実際に苦労しないと解決するため、あるいは解決できなくても乗り切るため、次のチャンスを得るための術や力は身に付きません。
また挫折というのは、そもそも何かに真剣に取り組んだことのある人にしかできません。
その上でどんな人間に成長したかが大事なのだろうという話です。場合によっては、安易な成功体験よりも大事なことなのかもしれません。

スポーツの大会では大半の人が挫折を経験するわけですが、それまでの頑張りを経験としてどう活かすか、その次の頑張りをどのようなものにしていくか、それを考える手助けをしていくのも大人の役割かなぁと考えます。
いや、実際に道場で出てくる言葉は、どうしても悪い意味で適当なモノばかりになってしまうのですが…

とりあえず、出場選手の皆さんはお疲れ様でした!
世界大会を始めとして、東日本選手権、極真祭と選手は緩まることができませんが、支部一丸となって頑張っていきましょう!