2017/4/18
【万代屋黒】
八王子 八王子みなみ野担当の大谷です。 やって来ました二十九回目 心の師とはなれ 心を師とせざれ・・・さて何書くか・・・
千利休が愛した茶碗 樂家450年 茶碗の展覧会 名付けて茶碗の宇宙? 先に海外で開催され ロサンゼルス サンクトペテルブルク モスクワで なんと19万人を動員 利休所持の長次郎作 七点 黒樂の【大黒】 売れば三億円以上の価値と言われる【万代屋黒】など。 さらに歴代の樂茶碗も勢揃い 五代 宗入の【亀毛】も勿論登場 当代 十五代 樂吉左衛門さんも 「これほどの展覧会は 生きてる間には二度と出来ないだろう・・・」 ならば行くしかないか いざ 本能寺ならぬ いざ近代美術館へ ウアタッ!
樂家は 初代 長次郎から全て一子相伝・・・まるで北斗神拳のようだ(驚き) ケンシロウには・・・ではなく長次郎には子供はなく 妻の祖父(長次郎と作陶を共にしていた)から数えて二代 常慶 三代 道入 四代 一入 五代 宗入 六代 左入 七代 長入 八代 得入 九代 了入 十代 旦入 十一代 慶入 十二代 弘入 十三代 惺入 十四代 覚入 十五代 当代 吉左衛門までざっと450年、 樂家の始まりは太閤秀吉の聚樂第から二代 常慶が樂の一字を授かったことを起源とする 元々 長次郎は聚樂第の屋根瓦を焼く職人だったらしい。
ときは安土桃山 千利休により 茶の湯のためだけに茶碗を作ることを頼まれた長次郎、 大量生産のためではないため 轆轤を使わず全て手捏 箆で削り 室内の小さい窯で焼く・・・ 茶の湯は 茶法の根本である風炉による書院の茶であり 足利義政の時代の形式で三具足や三幅対を飾った広い書院で行われた 晴の場には風炉もなく茶点所にある茶湯棚で茶を点てて客の面前へ持ち出してくる。 利休の時代になるとこの茶法が発展成長し 書院などの公式の饗宴の茶は台子(格式の高い点前で
使う棚の一種)で点てられるようになった。
一方 利休が志向していたのが小間(小座敷)の茶法であり草庵茶であった。 それは義政の晩年に世に出た村田珠光(一休宗純に禅の思想を受け継いだ)によって産声をあげ 武野紹鴎による侘茶へと進展し 利休に伝承されてきたものは台子や棚を使わない茶法であったという 書院台子の茶法は正式な「真」の茶で点前を真に保つものである。 これに対して小座敷の茶は「草」の茶であり点前は一見容易でありながら 心は常に真に保たなければならず「心の至る所は草の小座敷にしくことなし」であり「仏法を以て修行得道する事なり」が利休の教えであった 禅が一つの行であるならば茶もまた一つの行 仏道修行と茶の湯の精進との間にどれほど精神的な差異があろうかと考えた珠光は仏道修行の覚悟で茶の湯を始めた(汗) 座禅を組み 公案をもって無や空の境地に入ろうとする禅の教えと同じく諸道具を使い 一つの過程を経る間 茶を入れて湯を注ぎ茶筅でそれを点てるというそれだけの過程の中に ある境地に入ることを求めた。 その結果 珠光が得道したのは「茶
禅一味」ということだった・・・。 珠光の名声を耳にした足利義政は 彼を面前に呼び出し 茶の奥義を尋ねたところ 珠光は「茶は一味清浄禅悦法喜」と答えたと伝える。 一碗の茶をいただく中に禅のさとりと同じくほどの喜びがあるという・・・。
茶道具も 貴重で高価な唐物と呼ばれる舶来品が持て囃された室町時代。 村田珠光から武野紹鴎、 千利休に連なる草庵茶は 侘茶の精神を表現するための道具が求められた。 禅の精神を表現するためには虚飾を廃し 自然で誇示しない佇まい 茶碗の色も赤と黒のみで華やかさなど一切ない素朴な風情 まさに質実剛健 武士も茶室では刀を外し 身分を越えて人間同士が対峙する場所 招く方も招かれる方も一期一会 そのための道具ならば 新しく生み出さなければならない。
冒頭の【大黒】初代 長次郎作 利休選 長次郎名作七種に入るこの茶碗は 高台にまでカセた釉薬(艶なし)がかけられ 全てが黒一色。 小座敷の茶室では暗く その存在さえも隠れてしまうほどの佇まいである 無作為の極み・・・。 【万代屋黒】初代 長次郎作 利休の娘婿 万代屋家に伝わった名品である 不完全の美 ここに極まれり・・・(涙)
三代 道入(別名ノンコウ)は本阿弥光悦の影響もあり 釉薬を研究し 艶があり 優美で洒脱・・・九代 了入は箆を大胆に使い彫刻のような風情に・・・十一代 慶入は明治維新により 大名というパトロンがいなくなり 茶の湯 存亡の危機にもかかわらず 多彩な仕事をこなし 樂家を存続させた・・・。十四代 覚入は第二次大戦に従軍 復員してからモダンな造形を・・・当代 吉左衛門さんは型破りな形に 金や銀を使い 芸術性を追い求めた・・・吉左衛門さん曰く「一度は 長次郎とは真逆の限界を超える華美な装飾をやらねばならなかった・・・」と苦しい胸の内を告白している 樂家最盛期の三代 道入(ノンコウ)のとき 洗練された粋で洒脱な作風を取り入れたことにより 新しい世界が生まれたが 同時に長次郎から離れたことも事実であろう しかし 五代 宗入は 元禄の華やかな時代に あえて長次郎に回帰する 【亀毛】五代 宗入作 一見 黒樂の長次郎の写しとも見て取れるが 小ぶりでカセ釉を使い 鉄肌で どの角度から見ても味わい深い 長次郎を深く理解し 樂家の存在意義を茶碗に見出そうとして
いるかのようだ・・・ 。
十四代 覚入はいう「継承とは ただ受け継ぐのでない 己の時代に生き 己の世界をつくること・・・」。 さらに当代 吉左衛門さんは「一子相伝とは 教わらないことだ」という 自ら追い求めるしかない。 答えは残された長次郎の茶碗と茶禅一味の精神だけ・・・ 苦しい闘いだ・・・かつて 大バッハは音楽で宇宙を表現したいと語ったと伝えられている。
長次郎も茶碗に宇宙を込めたのかもしれない 大いなるものがそこにあると・・・。
珠光は「この道第一わろき事は心のかまむがしやう也」 茶の湯でもっともよくないことは慢心と自己に執着する心であるという・・・ 我々は慢心してはいないだろうか・・・自己に執着し 自分を見失っていないだろうか・・・茶碗がそう問い掛けてくる。
果たして我が輩は長次郎を理解出来たのであろうか・・・次回がないことを祈りつつ・・・。