2017/3/6
アンパンマンの凄味



押忍。八王子みなみ野道場の戸谷です。
3月に入り、日中は大分暖かくなり、動きやすい季節になってきました。


おかげさまで娘も一歳半になり、大きな怪我や病気をすることもなく無事に育っています。
会話をすることはできないまでも、こちらの喋る言葉をある程度は理解できている様子がうかがえ、少ないながら単語も口にするようになってきました。
「パパ」と「ママ」の言葉の区別がついていないのかわざと間違えているのか、私も「パパ」だの「ママ」だのてきとうに呼ばれるようになりました。

そんな娘が最近急にハマり出したのがアンパンマンです。
子供がアンパンマンを好きになるなんてことは、「みんな通ると聞くし、まぁそういうもんなんだろう」くらいに思っていたのですが、これがあまりにも猛烈なハマりっぷりで現在困惑しています。
家にいるとテレビのリモコンを勝手に拾って「アンパン」と言いながらこちらに差し出してきます。それまでハマっていたはずの教育番組の『いないいないばあっ!』や『おかあさんといっしょ』をつけても、それではないと言わんばかりに鮮魚のように床でびちびちと転げ回りながら抗議してきます。
仕方なくアンパンマンをつけると満面の笑みで小躍り。ずっと噛り付いて見ています。
アンパンマンに関しては録画のストックがほとんどないため、同じ話を繰り返し繰り返し見ていますが今のところ飽きる様子がありません。
スーパーや小児科病院などに貼ってあるアンパンマンのイラストも目ざとく発見して「あー!」と大興奮。イラスト付きのチーズやジュースなどは手に取ったらレジに行くまで絶対離さない頑固ぶり。

こちらからはアンパンマンに関して特にグッズを買い与えることも絵本を読み聞かせることもなかったので、本当にいきなりスイッチが入ったという感じでとても不思議に感じるとともに、アンパンマンの偉大さを思い知らされた気分です。
伊達に日本の子供が全員通っているわけではなく、ストーリーを理解できない幼児でも、その造詣だけで問答無用に魅力感じてしまう何かが確実にあるわけで、もはや遺伝子レベルで魅力を感じるようになっているのではないかとすら思わされます。


私自身も、これまでアンパンマンをきちんと見たことはなかったのですが、娘と一緒に見るようになって、不思議な感覚というか、感心させられることが多いです。

アンパンマンは、作者である故やなせたかし先生の従軍経験や貧困・飢餓に対するシビアな考え方が元になった作品であることは聞いていましたが、本当にあの世界ではみんなが互いに積極的に食べ物を他人に渡したがり、無償のやり取りが行われていて、なんというか途轍もない安心感に満たされています。
子供でもある程度の年齢になればそんな世界は現実にはなかなかありえないと解ってしまいますが、「まずは世の中を信じよう」「助けてくれる人はいる」という肯定感をバーン!と堂々と見せつけくれます。

これは意外と他に変わるような作品はなく、童話や昔話は教訓めいた因果応報の話が多いと思うのですが、アンパンマンでは、バイキンマンが暴れて成敗されてしまうところ以外は意図的にそういったところが削られている印象です。バイキンマンも暴れさえしなければ食べ物は無償でもらえるようなケースばかりです。
こういう話を、現実を知り尽くした大人が、ましてや厳しい時代を生きてきたであろう作者があえて描いていたというのがすごいなぁと思います。


そんなわけで、最近は一週間首を長くしながらアンパンマンの放送を待っています。
前述のとおり、何分録画ストックが少ないので繰り返し同じ話を何度も何度も見ています。娘は飽きていませんが、こちらはさすがにうんざりです。
せめて数が増えればローテーションの密度も薄まるので、早く録画が貯まってくれることを祈っています。
貯まった頃に娘が突然飽きるという可能性もあるのですが…