2017/12/13
【両面宿儺坐像】
八王子 八王子みなみ野担当の大谷です やって来ました三十一回目 皆人は 仏に成ると願いつつ まことになれる けさの杉の木 さて何書くか・・・
古い話ですが 博物館140周年記念 仏師 飛騨の円空展、現在 知られている5000体の円空仏のうち 1500体は岐阜にあり、
とくに飛騨高山の千光寺は円空仏の寺として有名。
その仏像61体を一挙公開、 最高傑作と名高い あの【両面宿儺坐像】も勿論登場 3メートルの大きなものから3センチの木っ端仏(木の破片に彫ったもの)の小さなものまで いざトーハクへ。
生涯で12万体という空前絶後の仏像を彫ったといわれるエンクウ上人 生まれは美濃国 現在の岐阜県 幼くして仏門に入り、
19歳のとき 長良川の洪水で母親を亡くしたのを契機に 寺院を出て 窟ごもりや山岳修行を始める。
全国を行脚 修行した寺(法隆寺 園城寺 輪王寺)で法脈を継ぎ、さらに霊山(大峰山 伊吹山 二荒山)に登り 修験道に身を投じる。
民衆を苦しみから救うために仏像を彫り始めたのは30歳を過ぎてからで 師匠はなく 全ては我流だったという。
亡くなるまでの30年間で考えれば 1年計算だと約3650体 1日だと約10体を彫ることになる(汗) 彫るといっても
1日目に加持祈祷をし 2日目に入刀 3日目に仏像の目入れを行うという段取りを踏めば 毎日不眠不休で仏像を彫り続けたのかもしれない(驚き)。
悩み苦しむ人には菩薩像を 病に苦しむ人には薬師像を 災害に苦しむ人には不動明王像を 干ばつに苦しむ人には竜王像を 余命少ない人には阿弥陀像を彫ったという。
宿泊や食事の返礼に彫ったとか 立ち寄った村人のために彫ったとも云われ 近畿から北陸 関東 東北 北海道に至るまで笑みを
湛えた円空仏があります。35歳、津軽藩(青森県)の弘前城下から布教禁止を理由に追放され 渡航禁止だった蝦夷地(北海道)に向かいます。
この地でも人々のために仏像を残しています。まさに変態です。
冒頭の【両面宿儺坐像】両面少なさそう、ではなく、両面スクナ坐像。
宿儺とは大和政権に逆らった飛騨豪族の名である。エンクウ上人が唯一彫ったといわれる仏ではない異形の怪物の像 なぜ怪物なのか・・・。
日本書紀 仁徳天皇時代「六十五年 飛騨国にひとりの人がいた 宿儺という 一つの胴体に二つの顔があり それぞれ反対側を向いていた 頭頂は合してうなじがなく
胴体のそれぞれに手足があり 膝はあるがひかがみと踵がなかった 力強く軽敏で左右に剣を帯び 四つの手で二張りの弓矢を用いた。
そこで皇命に従わず人民から略奪することを楽しんでいた それゆえ和珥臣の祖 難波根子武振熊を遣わしてこれを誅した」とある。
一所不在であまり道具を使わないエンクウ上人には珍しく 平ノミ 丸ノミ 角ノミなど十種類ほどのノミを使い分けています。
あすなろの木に鉈ばつり(はつる)という技法で鋭く刻んでいます。
その姿は 硬い岩石に座り 2つの顔と4本の手 その髪は怒りで逆立ち 目はつり上がり 手には斧 背面には炎が渦巻いている。
袈裟山の千光寺に訪れたエンクウ上人は 山の東側の洞窟に
住んでいたこの豪族を 飛騨の人々は 崇め敬い神格化していることに驚く。
しかも この寺の開山が宿儺であり この人物が地元の伝承では飛騨の山地を開拓し 勇猛果敢に地元の人々を守った豪族だったということを知る。
飛騨を支配したかった大和朝廷が国作りのために退治しようとしたが 宿儺は庶民と土地を守るために必死に戦うが敗れ 歴史によって異形の怪物にされた・・・
2つの顔の1つは怒る憤怒の顔 もう1つは微笑む慈悲の顔 憤怒は 権力による理不尽な暴力と 全ての煩悩に対してのものなのか?
慈悲は 苦しむ庶民の平安を願うためのものなのか? エンクウ上人は鎮魂のために英雄の姿として彫り上げたのかもしれない。
20世紀の炎の版画家 棟方志功はこれを見た瞬間 「ここに俺の親父がいる・・・」と抱き付いたらしい(涙)。
60代になり 衆生救済の誓願通り 自ら即身仏(ミイラ)になる準備をします。
自ら再興した弥勒寺で千日行 木食行をして断食 母親が亡くなった長良川の畔にて穴を掘り 土中入定します。
「この藤の花が咲く間は 私は土中にいる・・・」と言い残したと伝わっています。
かつてミケランジェロ・ブオナローティーは言った。
「私は大理石の中に天使を見た そして天使を自由にするために彫ったのだ・・・」。
エンクウ上人も 木の中にいる仏を彫り出していただけなのかもしれない。
しかし それは誰しもが見えるわけではないだろう。同時代、井原西鶴や松尾芭蕉がいた。
彼等は当時からも人気があり 後世に残る作品を残した。
しかし エンクウ上人の名前は忘れ去られる・・・前者が成功者だとしたら 後者は失敗者だったのか・・・再評価されたのは 入定後300年経ってからのことである・・・。
祈ることが彫ることでもあったエンクウ上人 手垢にまみれた円空仏は 常に地方で苦しむ庶民の側にいた 今もなお 地方の人々に大切にされ続けています・・・。
宿儺の姿は 修行の最中にいる己の姿に重ねたのかもしれない・・・衆生無辺誓願度
いくたびも たえても立る法の道 九十六億すゑのよまでも。
果たして我が輩はエンクウ上人を理解出来たのであろうか? 次回がないことを祈りつつ・・・。