2015/5/23
【紅白梅図屏風】
八王子 八王子みなみ野担当の大谷です。
やって来ました二十二回目 から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞ思ふ さて何書くか・・・
尾形光琳 三百年忌記念展 国宝【燕子花図屏風】と【紅白梅図屏風】一挙揃い踏み。 二作品が出逢うのは何と56年ぶり・・・やはり行くべきでしょう。 いざ青山へ。
光琳といえば琳派 琳派の系譜は誕生からなんと400年・・・。俵屋宗達から始まり 80年後の尾形光琳 それから100年後の酒井抱一 その弟子の鈴木其一 明治の日本画にまで影響を与え 最近ならば 加山又造までなのだろうか・・・。あくまでも自ら名乗ったわけでもなく
後世の人が勝手に名付けたもの 一つの流派でも 教えられたものでもない 埋もれていた過去の作品に衝撃を受けた人間が勝手に模写し それに近づき乗り越えたいと試行錯誤を繰り返し産み出した作品群。
日本人の美意識が希求し 最後に拠り所として求めるものなのか?
光琳が生まれたのは江戸中期の京。 雁金屋という呉服商 小さい頃から 美しい染物を見てきた光琳には絵心があったと思われます。
文化人であった父親の影響もあり 能や和歌 書道 茶道などの教養をたらふく詰め込みます。
父が亡くなり 兄が家督を継ぎます その頃になると雁金屋の稼業も傾いていましたが、 それでも莫大な遺産を光琳も譲り受けます。
しかし 光琳の遊興と散財が酷いものでした。
派手な生活から女性にモテたらしく 妻以外に六人の女性と付き合い 母親の違う子供を四人も授かります。
そのうちの一人には訴えられる始末(汗) 三十代にして早くも破産、 追い詰められたあげく何で生計を立てようかと考えた末 趣味の中で最も得意だった絵で稼ごうと思いつきます。
そのとき 光琳 四十歳 何となく始まる画家人生(驚き) 何となく始まった仕事でしたが 早いうちに絵師として評価もされ 後援者も現れます。
しかし そう簡単には生き方を変えられないのが人間。
上手く行き始めた途端に遊興三昧が再び始まります。
再び金に困り 知り合いに頼んで江戸で描くことになります。
有力な大名の好みに合わせて描く 描きたいものが描けない光琳の筆は鈍ります。
5年間の奥悩 苦しんだあげく 新しく焼き物屋を始める弟を手伝うため 再び京に戻ります。
弟の乾山は 駄目な兄の姿を見続けたせいか とても真面目な性格でした。
兄のようにはならないようにと早いうちから仁清に陶工を習い 早いうちから独立して生きていこうと決意していました。
駄目な兄を救いたいとの思いもあったのでしょうか。
そんな弟が陶器を焼き 兄が絵付けするという共同作業、 いつも助けてくれた弟のために絵を描くことは光琳の筆を伸びやかにします。
それはまるで俵屋宗達と本阿弥光悦のような関係でした。
かつて宗達が絵を描き 光悦が書を書く 江戸時代初期 権力者のためではなく 町衆のための美しい芸術 忘れられていたそんな時代 そんなおり 宗達の風神雷神図屏風を見た光琳は衝撃を受け これを何とポップアートのような明るさで模写します。
これを切っ掛けに光琳の絵は科学変化を起こします。
宗達のような絵を描きたいとの憧れが光琳を本気にさせます。
冒頭の【燕子花図屏風】天皇の女を奪って おんぶして逃げた男 在原業平 そんなとんでもない男が主役の伊勢物語 東下りの第九段 八つ橋の場面 美しく咲き誇る燕子花だけを金地に群青 緑青のみで描き切ります。
意匠(装飾的なデザイン)と洒脱(あかぬけている) 創作の際 何かしらの苦心はあったはずなのに全くそれを感じさせない軽妙さと遊び心 リズミカルな構図はパッヘルベルの楽譜のようだ・・・まるでパンク!ではなくてバロック!
後に光琳模様と呼ばれた意匠が屏風 扇 陶器 着物 硯箱など すべての工芸品に及びます。
美しいものと戯れた遊興三昧は 徹底的な美意識を植え付けるための準備期間だったのか・・・。
そして【紅白梅図屏風】 晩年の亡くなる前でもあり 光琳の集大成とも言われる作品です。
二曲一双の割れた屏風の真ん中を蛇行しながら流れる川 その左右には若い紅梅と年老いた白梅 銀色の水流が逆巻き流れていく 取り戻すことが出来ない時間 時の流れには逆らえないという虚しさを表しているのか 突き詰めたものだけが持つ圧倒的な力の作品だ・・・。
100年の時が流れ 光琳の作品に度肝を抜かれた抱一 光琳没後の百回忌 この二作品を並べて光琳を偲んだ。
200年の時が流れ 大正時代の日本橋三越 光琳没後の二百回忌 この二作品を並べて光琳を偲んだ。
300年の時が流れ 平成の現代 光琳没後の三百回忌 この二作品を並べて光琳を偲ぶ人々・・・。
これからの100年 良いことばかりではない。
災害 経済破綻 戦争 病気の流行が起こるかもしれない。
しかし 先のことを憂いても仕方がない。
無論 観ることは出来ないが 四百回忌はあると信じたい・・・。
時代を越えて伝えられるもの 我々はそういうものを受け継ぐことが出来るのだろうか・・・川の流れ それは永遠に流れゆくもの。
Timeless 本物は時代を越える
我が輩は光琳を理解出来たのであろうか? 次回がないことを祈りつつ・・・