2011/11/23
日月山水図屏風



八王子 八王子みなみ野担当の大谷です。 やってきました記念すべき十回目 これで最後だ さて何書くか・・・

生誕百年を記念して【韋駄天お正】こと随筆家 白洲正子回顧展。 マサコさんが愛してやまない【日月山水図屏風】も登場 泣きたくても泣けないやつ、 いざ世田美へ。

マサコさんといえば日本のラスプーチンこと白洲次郎夫人ですが、元をたどれば薩摩の海軍大臣 樺山資紀伯爵のお孫さん。 家には同じ薩摩出身の黒田清輝の絵が普通に飾ってあったらしい。 大西郷の西南の役にも参戦、 それを聞いただけでもただ者ではないですが祖父、 樺山伯爵についてはマサコさん自身が語った言葉があります。
【示現流の使い手の指宿藤次郎が、京都祇園の石段下で見廻組に殺された。その時、前田某という若侍が同行していたが、彼はいち早く遁走した。指宿は五人の敵を倒したが、下駄の鼻緒が切れて転倒し、無念の最後をとげたという。その葬儀の場に、橋口覚之進という気性のはげしい若侍がいて、焼香の時が来ても、棺の蓋を覆わず、指宿の死顔を灯びのもとにさらしていた。彼は参列者の中から前田を呼んでこういった。「お前が一番焼香じゃ。さきイ拝め」
ただならぬ気配に、前田はおそるおそる進み出て焼香し、指宿の死体の上にうなだれた。その時、橋口は腰刀をぬき、一刀のもとに首を斬った。首はひとたまりもなく棺の中に落ちた。「こいでよか。蓋をせい」
何とも野蛮な話である。が、橋口にしても、前田にしても、そうしなければならない理由があった。
薩摩藩には、「郷中」といって、区域々々に備えられた青少年の教育機関が存在した。藩士の子弟は八歳の時に稚児として郷中に加わり、二十歳で兵児二才の時期が終わるまで、厳しく文武の道を体得させられたのである。
武士道に背いて、「惰弱」に流れることはもっとも恥ずべき行為であり、その掟に反した前田某は、死は元より覚悟の前であったに違いない。でなければおめおめと葬儀の場に顔を出すことはなかったであろう。
橋口はおそらく兵児二才の年長格で、指宿藤次郎の朋友でもあったから、彼を殺さなければならない立場にあったと思われる。葬儀というより一種の儀式で、参列者は元より、斬る方も斬られる側も、すべて暗黙の了解のもとにあり、「こいでよか」のひと言で済んだのであろう。そのあとにおとずれた何ともいえぬ静寂な空気まで、私には感じとれるような気がするが、ほんとうの葬式はそこからはじまったのではなかろうか。
ここで登場する気性のはげしい橋口覚之進なる若侍こそ、何をかくそう私の祖父の若き日の姿である。 】
そんな方のお孫さん 肝っ玉も据わっています。 アメリカ帰りの帰国子女でもあり英語も堪能ですが、 小さい頃から梅若実に習っていたというお能の世界にどっぷり浸ります。
しかし四十歳を過ぎたころに女には能は舞えないと突然引退してしまいます。 友人の文士 河上徹太郎に当代きっての目利き 青山二郎を紹介されます。 青山の審美眼に憧れたマサコさんは無謀にも弟子入りを志願 何度も飲みに付き合わされ骨董についてレクチャーされます。
何で飲みに行かなければならないのかよく解りませんが飲み代もよく払わされたそうです。 愛情なんでしょうか。
三度も胃潰瘍になったそうです(汗)。 我が輩もよく後輩 苛めます。 もちろん愛情です(汗)
そんな青山の審美眼は寝ても覚めても骨董をそばにおいてはいじくり廻し あげくのはてには自分の物にするとのこと。 その時はじめて骨董は向うから語りかけてくる、 骨董の中に自分を見る、 自分自身を発見する、 ?解ってしまえばそれは無用のものになる。 そういう風にして眼だけでなく自分自身を鍛えぬく・・・ まさに変態です。 批評の鬼 小林秀夫とも喧嘩別れします。 「友情が高級であっただけ最後には決裂せざるを得なくなった悲しみ」と評しています。 なんかニーチェとワーグナーの関係に似てますね・・・

そんな方に鍛えられたマサコさんの審美眼は本物になっていきます。 永青文庫の大収集家 細川家当主 細川護立とのやり取りは秀逸です。 伝林又七作の刀の鐔を欲しくなったマサコさんは これを欲しがりネダリます。 この辺はお嬢様なんでしょう。 貰ったマサコさんは大喜びし 寝ても覚めても鐔を眺め続けます。 ある日突然 再びトノサマを訪ね こう言います。 「これ偽物でしょ!」 しまったバレたかと思ったトノサマは諦めて本物を渡します。 しかし怒ったマサコさんはもう1つある鐔も頂いたとのこと(汗)

そんな価値観のマサコさんの回顧展 那智の滝から西国巡礼、 自宅にあったといわれる十一面観音菩薩立像 明恵上人座像、 そしてマサコさんが愛して止まない【日月山水図屏風】作者不明の室町の作、こんな作品を気楽に法要に使っていたなんて日本人の美的感覚には驚きます。 この作品についてはマサコさん自身に語ってもらいましょう。

「一双の片方には、春から夏へうつる景色を描き、片方は、秋から冬へかけての雪景色で、前者には日輪を、後者には月輪を配している。目覚めるような緑の山と、月光に照らされた冬山と、どちらをとるかといわれると返答に困る。これほど一双が対照的で、優劣の定めがたい屏風はない。春の山は今桜が盛りで、いつとはなしに夏がおとずれ、やがて目をうつすと、紅葉の峰から滝が落ち、はるかかなたに雪を頂いた深山が現われる。その麓をめぐって、急流がさかまき、洋々たる大海へ流れ出る風景は、日本人が自然の中に、どれほど多くのものを見、多くのことを学んだか、無言の中に語るように見える」。 統べての日本画に影響を与えていると感じるのは我が輩だけではないだろう。 この作品に美を見つけ出すマサコさんの審美眼 恐るべし・・・

果たして我が輩はマサコさんを理解出来たのであろうか? 次回がないことを祈りつつ・・・。