2010/12/14
『指月布袋画賛』
八王子、八王子みなみ野担当の大谷です。
やって来ましたラッキーでも何でもない七回目 さて何書くか・・・
仙豪`梵、生誕260年 センガイさんと言えば出光佐三。センガイ大好き収集家の美術館。満を持しての本格回顧展。
もちろん、名作【指月布袋画賛】も登場。狂いたくても狂えない奴! いざ 有楽町で逢いましょう。
センガイさんと言えば水墨画に賛をつけたひょうきんなものが多いですが、回顧展では載っけから漢詞が厳しい。
「生まれるも一人 死ぬのも一人 生と死のつかの間も一人」 孤独の修行道に生きてきた者だけが言える言葉。
かなりの強者とみた。
生まれは貧農で口減らしに山に捨てられはしたものの3日の間、狼にも喰われず極寒の寒さにも耐えたとあって寺に引き取られます。
そこしか生きるべき場所しかない者がとる努力、想像に絶します。
十七になり寺の推薦状をもらい禅宗の古刹に修行に行きますが弟子は取らぬと門前払い。
10日も飲まず食わずで座禅をやり続け、そのままだと死ぬからと認められ弟子入りを決めます。
十年以上の努力が実り四天王と言われるまでになりますが地元の寺の代替りに伴い住職にもなろうかという矢先、その話は頓挫します。
やはり生まれが下賤であるとのこと、センガイさんは絶望し墓守りに身をやつします。その間、兄弟子たちは出世をし名刹古刹の禅寺を立て直すべく高い志を持ち旅立っていきます。兄弟子たちにお前こそ必要と誘われてもセンガイさんは固辞します。
ダークサイドに落ちかかっていたからです。落ちるとこまで落ちた男はダースベイダーの姿ではもちろんなく雲水姿で旅に出ます。
毎夜襲う色欲に苦しみ、煩悩から逃れられず、金欲しさに禅問答を挑みその日の食い扶持を取る有様、今までの修行が何の役にも立ってないことに絶望します。
今ならメフィストフェレスも簡単に落としたことでしょう。四十手前にして死を望み崖から身を投げます。命が助かったその刹那、大悟します。 人生とはわからんもんです(汗)。
組織は生き物、権威や形式に慣れれば堕落や腐敗も始まる。しかし機が熟したときに現れる本物たち、甲斐の快川紹喜。駿河の白隠慧鶴。越後の益翁宗謙。口だけで何も努力もしない者が処世術のみで権威の上の方にいたりしますがセンガイさん自身、権威の象徴である紫衣を三度拒み、生涯 黒衣で通します。
落書きに見えるそんなセンガイさんが描いた書はただの落書きではありません。
ぶっきらぼうに描いた□△○は(悟る前 修行中 悟り)を意味したり、蛙の姿を座禅する姿に見立て一向に悟りを開かぬではないか!と形式のみ追い求める者を皮肉る。そして冒頭の【指月布袋画賛】布袋様が指で月を差し示す姿、悟りや真実を追い求めるを意味するが当の月(真理)は描かれてはいない。最後には自分で気付くしかない・・・教外別伝・不立文字!
自らの意志を継ぐ者がおらず苦労しますが何とか見つけ継承させます。
しかし 意志を継ぐ者はセンガイさんに似てタダ者にあらず。権威に逆らい法難に遇い島流し!
再び八十の老齢を顧みず禅寺に復帰することに・・・雲行流水 留まることを知らず・・・
果たして我が輩はセンガイさんを理解出来たのであろうか? 次回がないことを祈りつつ・・・。