部活は何にしようか?陸上はもう遅いからヤダなぁ。しかしなんで速く走れなかたのかなあ。
オレが一番速かった時っていつだったっけ・・・ あれは、そう小学4年生の時、クラスのヤツらとプロレスごっこをしていてロープに振られたマスカラス役ケンジが勢いあまって机のカドに激突!!
耳の上にヘンから血がピューッ!「ケンちゃん!スゲー血だよ!保健室!保健室!」と皆大騒ぎ。
ケンジ保健室までダッシュ!後年友達いわく「いやー、あの時のケンちゃん本当に速かったよ!誰も追いつけなかったもん」結局4針もぬいましたが。あのときがケンジの人生で最速だったのか・・・
そうか!オレは本当の一大事にならないと全力を発揮出来ない男なんだ・・・・・。
そんなこんなで部活はヤメ。でもアキ兄ィのおかげで強くなりたかったケンジ(当時15才)は、近所の小学校の体育館で 「空手」 を教えていることを発見!
いってみたら40人ぐらいの小学生が体育館のハシからハシまで前屈立ちで移動、終ったら追い突き、次逆突き、最後前蹴り、の3種類を1時間半やりつづけるという感じ。
「空手」のことは何も知らなかったケンジはすぐ入会。これらを延々と繰り返しました。
「そういう稽古も大事なんだよ」と江口師範は言いますが、週三回この感じだとさすがにあきる。でも三年間つづけたのよ。ずっと白帯だったけど。
そんな高校時代のある時、昔同じ中学の陸上部の友人だったマイケル(仮名)と久々に再会。
雑談をしているうちに 「ケンちゃん、今何やってんの?」
「部活じゃないけど空手やってんだ」
「へぇ、実はオレも空手はじめたんだよ。まだ半年くらいだけど」
(ケンジは内心『半年か・・・ 俺はもうかれこれ二年以上・・・ うっふっふっ』)
「じゃあ今度一緒に練習しようよ」
「いーよ」
ということで市の体育館で一緒に練習することに。着替えると空手歴2年以上ケンジ白帯に対しマイケルは半年で帯に青い色がついている。柔軟体操やったらマイケルすげー柔かくなっていて足なんかパーッと開くしビュンビュンあがる。(うーん、やるじゃない)さあ移動稽古でオレの実力を見せてやる!)と思っていたらマイケルが
「ケンちゃんスパーリングやろうよ」
(うん?スパーリング?あっ組手のことか。でも今の先生は『空手の突き蹴りがあたったら死んでしまう』と言っていたよな・・・)
「軽くやろーよ」
とせかすマイケル。
「よしOK」
ケンジ、スパーリングに初挑戦。
「はじめ」
でマイケルの中段廻し蹴りがドスッ!
「うげっ!」
(こんの野郎!本当に当てやがって、よーし!)
ケンジ前蹴り出したらさばかれてその足にローキック!
そのあと突きがボディに入って 「うえっ!」
ケンジやけくその連続攻撃も全くあたらず、最後はマイケルの上段廻し蹴りで ジ・エンド。
いやー ケンジ2年半、マイケル半年。 まいったまいった。
マイケルは
「ケンチャンの空手、ピョンピョン飛びながら攻撃するのおもしろかったネ。何ていう空手?」
(えっ、空手って一緒じゃなかったの?いろいろあんの?)
「う〜ん、空手」
そういえばマイケルの胴着には胸に何か書いてあるぞ!難しくて読めネーけど)
「マイケルの空手はなんていうの?」
「極真カラテ」
(えっ?キョクシン?聞いたことネぇなあ)
「ふーん。でも半年でそんなに強くなるなんてマイケルはスゲーな!」
「何言ってんの、オレなんか道場いったら一番弱いよ。本当に強い人がいっぱいいるよ」
う〜ん極真恐るべし・・・・・。
でも痛そうだし、本当にあてるなんてケンジには向いてなさそうなので、近づくのはやーめよっと。
そのかわり、それからケンジは本屋さんや図書館で 「極真」 のことを調べまくりました。
テレビも見ました。そして極真に対する憧れを日増しにつのらせつつも大学に進学すると、極真空手を始めることなく六本木で(店名は「マハラジャ」、「エリア」、「シパンゴ」、「トゥーリア」、その他いろいろ)、日比谷の『ラジオシティ』でスーツを着て踊りまくり遊びまくるという無意味な4年間を過ごしたのでした・・・・・
〈ケンジバカ一代 初恋編 終了〉
〈オッス!オラ ケンジ! 先日下北沢支部昇段審査終了後、飲み会で市村師範にヘネシーっていう高っけーブランデーを た〜っぷり飲ませてもらったんだ!
いや、アルコール度数40%以上ってーのはコタエルなー!コップになみなみと4・5杯もらったんだけど最後の一杯は市村師範の
「同じ味だとあきるだろ!それに何かで割らないときついからな」
という すっばらしい思いやりでヘネシーの焼酎割りをいただいちまった。
イヤー顔はもうマジックでレインボー状態!
下北のみんな、今度の飲み会もまたぜ〜〜〜ったいさそってくれよな!じゃあな!〉
後日談---
〈ちなみに『マイケル』が通っていたのは『東京城西支部』で、指導してもらていたのが現・極真会館ニューヨーク支部長・五来克仁師範その人でした・・・・・・〉